第5話 妖精の祝福
ルシーリアの店からの帰り道、マルークは彼女の言葉を思い返していた。
彼が、クリスティの適性を見てくれたお礼を言い、ルシーリアの腕前を、世界一だと誉めると、彼女は少しだけ笑みを見せた。
「おだてても何も出ないわよ。でも、そう言ってもらえて嬉しいけれど、この水晶球も、すべてを教えてくれる訳じゃない。力ある者が、隠したいと思えば、私など無力なのよ」
途中からは真剣な表情になり、彼にそう告げたのだ。
「それに、クリスティちゃんのことも、実を言うと自信がない。だって、彼女の適性がそれって、出来過ぎじゃない。ごめん、マルーク。失言だったわ」
さっきはああ言ったが、クリスティの適性に、マルークが衝撃を受けたことは、事実だった。
さすがに前世の記憶にも、そこまでの情報はなかったし、だからこそ、彼はクリスティを連れてここへ来たのだ。
マルークには、前世の記憶だけがある訳ではない。これまでこの世界で生き、経験した様々なことも、当たり前だが、彼の記憶に残っている。
いや、そちらの方が圧倒的に、彼の心の大きな場所を占めていたのだ。
「あなたには伝えておく。今から、十三年後に大きな何かが起こる。分かるのはそれだけ。良いことである可能性も勿論あるけれど、そうは思えない。まったくの私の勘だけれど」
突然、ルシーリアはマルークに告げた。いつか彼が自分の許を訪れたなら、伝えようと思っていたとも。
「そこまで分かっているのなら、凄いじゃないか。それに、ルシーリアの勘なら、信頼が置けそうだ」
「マルーク、真面目に聞いて。私は恐ろしいのよ。こんなことは、五年前に一度あっただけだから。あの時、何が起きたかなんて、あなたには分かり過ぎる程、分かっているはずよ」
彼女の声を聞きながら、マルークは、前世の記憶はやはり正しいようだと感じていた。
いっそ彼女に、そのことを伝えるべきかとも思った。
十三年後、おそらく邪神ティファヴァマブートが現れるであろうことを。
彼女なら信じてくれるかもしれない。だが、それを彼女以外の人に信じてもらうことは難しいだろうし、危険が伴う気がした。
世に怪しい風説を流布し、人心を惑わす者。
そう断罪されるおそれがあった。
彼のこれまでの行い、いや、王国との関係を知る者なら、ますますその疑いを濃くするのではないかと思われた。
「ルシーリア、私も真剣に考えてみるよ。今日はありがとう」
もう一度お礼を言って、二人で彼女の店を離れたのだった。
その後、ルシーリアが、一人残された店の中で、
「マルーク。あなた、戻って来てくれたのね。いいえ、戻ったのではなく、変わったのかしら」
そう独り言のように呟いたことは、知る由も無かったが。
その後も、マルークは魔法薬作りを請け負い、ギルドから、そこそこの収入を得続けることができた。
二か月後には、あのあばら屋から脱出した。
ギルドからさほど遠くない閑静な住宅街に、こぢんまりとしたものだったが、家を借りることができたからだ。
「借主があの魔法使いのマルークさんと聞いて、正直、お断りしようと思ったのですよ。でも、お子さんを連れてみえると聞いてね。トラブルはなしでお願いしますよ」
王国軍人の未亡人だと言う大家は、マルークにそう釘を刺した。
マルークも、ようやく得ることができた、クリスティとの安住の地を、簡単に失うつもりはなかった。
クリスティを、読み書きや簡単な算術などを教えてくれる私塾へも通わせることにした。
自分で教えてもいいかとも考えていたのだが、彼女にも同年代の友だちは必要だろうし、彼は魔法以外のことには、あまり自信がなかったのだ。
クリスティと離れることに、彼は自分でも思っていた以上の抵抗感を持った。
彼女は毎日、嬉しそうに私塾へ通っていたから、マルークの方が、彼女に依存しているようだった。
私塾に通わせるにあたり、マルークはクリスティとひとつだけ約束をした。
彼女の目をしっかりと見て、お願いしたのだ。
「クリスティ。君が魔法を使うことができることは、誰にも言ってはいけないよ。実を言うと、魔法を教えてはいけないことになっているんだ。クリスティが魔法を使えることが分かったら、私は、牢に入れられてしまうかもしれないんだ」
自分でも、幼い彼女に酷なお願いだとは思ったが、マルークは、それでも彼女が十五歳になるまで、待つことは出来なかった。
クリスティの魔法の才能は、本当に驚くほどのものだった。
乾いた砂が水を吸うようにとは、このことだろうと、マルークに思わせた。
「クリスティ。今日は光の魔法を使ってみよう。まずはいつものように、私がお手本を見せるね」
彼がそう言うと、クリスティもいつものように、真剣な目で彼を見詰める。
「呪文はこうだ。『ルセフェール フォヨケーヴ』」
彼の魔法が完成し、杖の先に灯りがともる。
クリスティは、その光を、眩しそうに、だがとても興味深そうに見ていた。
「いいかい。呪文は、『ルセフェール フォヨケーヴ』。これまでのものより、少しだけ発音が難しいけれど、クリスティなら大丈夫だと信じているよ」
彼の言葉に、クリスティは頷いて、一瞬、目を閉じて集中すると、彼が教えた呪文を口にする。
「ルセフェール フォヨケーヴ」
彼女の小さなワンドの先に、弱々しく小さいが、それでもはっきりとそれと分かる光が宿る。
「凄いぞ、クリスティ! やっぱり君は、素晴らしいよ!」
彼女は、ワンドの先の光と、マルークの顔を交互に見て、少し恥ずかしそうな顔を見せる。
「初めてで、そんなに上手くいくなんて、なかなかないぞ。本当に感動するよ」
マルークの言葉に、彼女は幸せそうな笑顔を見せて、それから何度も、光の魔法を試して見せたのだった。
クリスティに魔法を教えながら、マルークは気になっていることがあった。
魔法使いの守護者を任じ、魔法の才能のある子どもたちに祝福を与える妖精「ルフェ」のことだ。
魔法使いとなる者の多くが、彼女が姿を現すのを見て、初めて自分の才能に気づくことが多いのだ。
実際、マルークもそうだった。夜中に突然、何者かに揺り起こされ、輝く妖精の姿を見た時は、何かとんでもない事が起きたのではないかと、恐ろしかったものだ。
彼女の祝福は、魔力の強化や、術の習得に、良い効果があると信じられていた。
「クリスティのところには、『ルフェ』という名の妖精が来てはいないかな?」
マルークは時々、彼女にそう尋ねたが、彼女はこれまでのところ、首を横に振るばかりだった。
業を煮やした彼は、妖精を呼んでみることにした。
彼女は祝福を与える時、「用があったら、遠慮なく呼んで、でも、用もないのに呼んだら、祝福は無しよ」などと言うものだから、彼女を呼んでみたという者のことは、これまで聞いたことはなかった。
だが、今はまさに、彼女に用がある時だ。
クリスティに祝福を与えてくれるように頼む必要があるのだから。
一応、彼女を呼ぶ時に唱える文句は、伝わっている。だから、呼んだ事がある者は一定数いるのかも知れなかった。
その者たちの願いが叶えられたのか、それとも祝福を失うことになったのかまでは、伝わっていなかったが。
「魔法を司る者、すべての魔法使いの守護者よ。我はあなたとの約に従いて、あなたを呼ぶ者なり」
何も起きないかと、マルークが諦めかけた時。突然、彼の目の前の何もない空間に、小さなアーチ型の扉が現れた。
そして、その扉が開いて、背中に羽のある、小さな女性が姿を現した。
「私を呼んだのはあなたね。いったいどんなご用かしら?」
妖精は、悪戯っぽい声で、マルークに問いかけた。
「私の娘のクリスティに、あなたの加護をいただきたいのだ。どうも、まだのようだったのでね」
彼の願いに、だが妖精は、少し考えるようだったが、
「それは、無理!」
にべもないという言葉が似合う様子で、マルークに告げてきた。
「どうしてだい? 彼女はもう魔法が使える。十分に君の加護を受ける資格があると思うのだが」
「資格があっても、私には無理なの」
ルフェの返事は、要領を得ないものだった。
「君はすべての魔法使いに、祝福を与えてくれるのではないのかい?」
マルークが再び問うと、
「私はすべての魔法使いの守護者よ。だから、ちゃんと祝福は与えるわ」
「じゃあ、クリスティにも」
マルークとの押し問答に、ルフェはブルブルと首を振ると、
「それは無理! どうしてもって言うのなら、他の者を紹介するわ。その者の方が、私より相応しいかもね。でも、後悔しても知らないわよ!」
彼を睨みつけるように見て言った。
「それは、いったい……」
マルークは、さすがに迷いを見せたのだが、それはすでに遅かったようだった。
「あーあ。もう、あいつが彼女のことを知ってしまった。あなたと私の話しを聞いて、ほくそ笑んでいたわ。もう知らないから!」
ルフェはそう言うと、マルークが呼び止める間もなく、扉の中へと姿を消して、すぐにその扉自体も、無くなってしまった。
マルークには、早まったかという思いだけが残り、その「他の者」から、クリスティを守らなければならなくなったのだった。
そして、妖精のルフェが言っていた、他の者は、ほんの数日の後に、マルークとクリスティの前に姿を現した。
二人で夕食をとっていたダイニングに、突然、巨大な扉が現れたのだ。
幸い、その扉はクリスティの背後に現れたので、反対側に座っていたマルークは、すぐに気がつくことができた。
「クリスティ、危ない!」
ルフェに脅されていたマルークは、危険を感じ、咄嗟に椅子から立ち上がると、クリスティと扉の間に立ち塞がった。
その直後、大きな扉が、ギギギッと軋むような音を立てながら開き、背の高い男性が姿を現した。
その格好は、稀に見ることのある、貴族の男性の正装のように優雅なものだった。
だが、彼の頭に生えた、大きな山羊のような角が、彼が只者ではないことを示していた。
「ははは、私がルフェの言っていた、別の者、アシエルと申します。私にご用がおありですかな?」
アシエルは、その格好のとおり、紳士的な態度で、マルークに話し掛けてきた。
「彼女に、娘に祝福をくれるように頼んだのだが、無理だと言われたのだ。あなたの方が相応しいと、彼女は言っていたのだが」
そう答えながら、アシエルを観察するが、態度こそ優雅なように見えるものの、あまりの禍々しい姿に、到底、彼からの加護など、受けるべきではない気がする。
「ははは、ルフェがそう言いましたか。私が相応しいなどと、ちょっと、恐れ多いですな」
アシエルは、最初は満足そうに笑いながら、マルークの後ろに隠れたクリスティを覗き込むと、困惑したように言った。
「それ以上、近づくな!」
身を固くするクリスティに、マルークが彼女を庇いながら鋭く声を上げると、アシエルは肩を竦め、
「おお、怖いですな。私は何もいたしませんし、出来ようはずもありません」
からかうような態度を見せた。
「どういう意味だ」とマルークが確認しても、
「ははは、言葉どおりの意味ですよ」
相変わらず笑いながら、はぐらかす様な答えを返してくる。
「あれは、悪戯好きですからな。分かっていて、私をこさせたのでしょう。今ごろ、そのあたりで笑っていますよ」
アシエルは、穏やかな口調だったが、ほんの少しだけ、苛立ちを感じているようだった。
そして、マルークに、いや、クリスティに対してだったかもしれないが、恭しく礼をすると、
「ごきげんよう。もう、お会いせずに済むよう、祈っております」
そんな言葉を残し、扉の中に姿を消すと、その扉も、ルフェの時と同じように、すぐに煙のように消えてしまったのだった。