第3話 魔術師ギルド
魔法の家庭教師。
魔法使いなら誰もが考えるお手軽な仕事だ。
どちらかと言えば私塾を開く者の方が多いが、今のマルークはとにかく、早くあのぼろ家を去りたかった。
いや、クリスティをあのような所に住まわせたくなかったのだ。
だが、ギルドの職員の答えは、彼が想像していなかったものだった。
「魔法を個人が教えることは、一昨年から禁止されているのです。ご存じなかったのでしょうか? その代わり、魔法が使える者は十五歳から全員、国が運営する魔法学園で、無料で教育を受けられますので」
マルークの目論見は大きく外れることになった。彼は自分の魔法の力にも腕にも自信があった。何しろ魔王を倒した五人の英雄のひとりなのだ。
この五年で些か腕が鈍ったとは言っても、まだまだ、国でも指折りの魔法の使い手であるはずだった。
その彼の指導が受けられるとあらば、高位の貴族や大商人などから、その子弟の教育役にと、引く手数多だと思っていたのだ。
(本当は、本人の持って生まれた才能の力も大きいのだがな)
魔法使いの才能を見抜く目を持つ彼からすると自明であるそのことも、多くの人にとっては分からないことらしい。
金満家の商人などが、子どもに魔法を学ばせようと、大枚をはたいて、高名な魔法使いを家庭教師として雇うことも多かったからだ。
「では、私塾を開いていた魔法使いたちはどうしているのだ?」
マルークの疑問に、ギルドの職員は、あくまで事務的に、
「魔法学園の教師に転職した者が多いと思います。特に、建築や輸送、調剤など役に立つ魔法の使い手は、かなり雇われていましたね。残念ながら、マルーク様お得意の、攻撃的な魔法は、安易な使用を禁じられていますから、今は専ら研究だけですが」
最後のひと言は、完全に余計だったのだが、マルークのこれまでの所業に、このギルドの職員は、好意を持っていなかったのだ。
「では、何か私に出来る仕事を斡旋してもらえないか? 何でもするぞ」
これまでなら、目の前の職員に掴み掛かっていたかもしれないなと、マルークは思ったが、クリスティの存在が、彼の衝動を抑えていた。
「突然、そう言われましてもね」
考える気があるのかどうか、職員がパラパラと書類をめくる音が響く中、突然、マルークの背後から声が掛かった。
「まさか、そこにいるのは、マルークか?」
振り向いたマルークの前にいたのは、金糸の入った立派なローブを着た、高齢の魔法使いだった。
聞き覚えのあるその声の主は、マルークがまだ若かりし頃、指導を受けた魔法使い、スタファンのものだった。
彼の姿を見たギルドの職員は、急に姿勢を正す。
五年前のままなら、スタファンは、ギルドマスターを務めているはずだ。
職員たちの態度は、マルークの考えを肯定するもののようだった。
「先生、ご無沙汰いたしておりました。お変わりないようで、何よりです」
マルークの挨拶に、だが、スタファンは顔色を変えることなく、
「ああ、わしは変わりはないが、そなたは変わったの。今さらギルドに何の用じゃ」
冷たく感じられる声色で、返してきた。
マルークにとって、師の声の冷たさは、ギルドの職員の対応などより、ずっと堪える気がしたが、彼はここで諦める訳にはいかなかった。
もう一度心を奮い立たせて、昔の師に向き合った。
「先生。私は、仕事を探しているのです。家庭教師の口を紹介していただけたらと思ったのですが、まさか、それが禁止されているとは思わず」
彼の言葉にも、スタファンは変わらぬ態度で、
「そなたほどの腕があれば、冒険者ギルドへ向かった方がよいのではないか? 魔王は滅びたとはいえ、魔物の巣食うダンジョンなど、いくらでもあるからの」
厄介払いをしたいとでもいうように、彼に向かって、そんな提案をしてきた。
「いや、私は冒険者になる訳にはいかないのです。出来るだけこの子の側にいる必要がありますから」
スタファンは、そう言われて初めて、クリスティに気がついたようだった。
「むっ、その子は、そなたの親戚の子か何かか?」
不躾にそう尋ねてきた。
スタファンのクリスティを見る目が、冷たく感じられる。
みずぼらしい服装の彼女を人目に晒すのは辛かった。だが、彼女をあの酷い家に置いていくこともまた、出来なかったのだ。
「いえ、私の子です」
マルークの返事に、スタファンはさすがに驚いたようだった。不審な顔を見せ、クリスティを覗き込む。
クリスティは不安そうな顔を見せて、マルークの後ろに隠れてしまった。
「子ども連れか。それでは確かに冒険者は無理じゃな。母親はと、聞くだけ無駄なのであろう」
老魔法使いは、ため息をつくように、大きく息を吐くと、
「魔法薬の調合はどうじゃ。わしの教えを覚えておるならば、出来ぬことはないであろう」
それでも、マルークに仕事をくれる様子を見せてくれた。
「先生、ありがとうございます」
これまでの自分の身を省みると、本当に厚かましく、情けない依頼だったが、今は師の厚情がありがたかった。彼は素直に、スタファンに頭を下げた。
スタファンは、少し言葉に詰まったようだったが、やがて諦めたように口を開いた。
「マルークよ。これで最後だ。そなたに仕事をさせるなど、ギルドの皆の反発は大きいであろうが、わしがそなたの師であった過去は消せないからの」
スタファンの言葉に、師の愛を感じることができたマルークは、やはりギルドを訪れて良かったと思った。
だが、老魔導士は、そこに付け加えることを忘れなかった。
「そなたは、自分が今、何と呼ばれているか知っておるか? 『人界の魔王』。陰ではそう言われておるのだぞ。これから、過去を清算していかねばならぬ。訪れねばならない場所は分かっておろう」
本当に心を入れ替えたのなら、頭を下げなければならないところは、自分以外にも沢山ある。師は彼を、そう諭しているようだった。
「重ね重ねありがとうございます。先生、必ずそういたします」
再び、深く頭を下げるかつての弟子の姿に、スタファンは彼が、これまでの五年間とは変わったことを感じていた。
まだ本当に、以前の彼が戻って来たのかまでは、判断できないが、これまでのようなことはないかもしれないと、彼は思った。
ギルドの職員から、魔法薬の材料と資材を借り受け、町の外れにある住まいに戻ったマルークは、まずは家の掃除に取り掛かった。
そうは言っても、高位の魔法使いである彼が、自分で箒を持って掃除をする訳ではない。
「ヴァール ヌダイーヴァ ヨゴーベ パファーゴ! 魔力の根源たる万能のマナよ。すべてをあるべき処へと還せ!」
物をあるべき場所へと戻す魔法を使い、その後、風の魔法を応用して、家の中の埃を外へと吹き飛ばせば、粗方、掃除は終わるのだった。
「とりあえず、掃除はこんなところだな」
狭い道に小さな家が建ち並ぶこの辺りで、周りに迷惑かとも思ったが、魔法使いが住むことなどまずない場所でもあり、付近の住民がそれと気づく可能性は低かった。
今の彼には、やらねばならないことがある。時間は少しでも惜しかったのだ。
クリスティに魔法を教えること。それがまず彼がしなければならないことの第一位に来る事柄のはずだった。
彼女は、魔王を倒した英雄のひとり、魔法使いマルークの愛娘にして、最高の愛弟子になるはずなのだから。
だが、私的に魔法を教えることは、禁止されていると、ギルドの職員は言っていた。
彼の言葉が正しければ、マルークの行為は、国法に触れることになるのかもしれなかった。
(先生のお言葉もあるが、あの男に会わねばならないようだな)
マルークは、そんなことを考えながら、掃除の間、テーブルの椅子に座らせていたクリスティに向き合った。
「クリスティ。早速、今日から魔法の練習を始めよう。まずは、魔力を感じることからだ。それが、あらゆる魔法の基本だからね」
マルークは優しく、クリスティに語りかける。
「魔法……ですか?」
だが、幼い彼女は、そう言われてもよく飲み込めないようだった。明らかに戸惑った様子を見せた。
この世界で魔法の使える者は少ないのだ。彼女はこれまで、魔法使いに会ったことがないのかもしれなかった。
突然、その練習をと言われても、よく分からなくても仕方がなかった。
「そう、魔法だ。魔法が使えれば、色々なことが出来る。たとえ今は魔力を感じることが出来なくても、大丈夫だ。クリスティの才能は、私が一番良く分かっているから、一緒にがんばろう」
励ますマルークの言葉に、クリスティは真剣な表情で頷くと、
「どうしたらいいですか?」
彼に尋ねてきた。
「まずは、私の手の上に、クリスティの手を置いて」
マルークが手の平を上にして、両手を前に差し出すと、彼女は、言われたとおり、その手の上に、小さな手を重ねてきた。
それはマルークにとって、ただの小さな手ではなかった。彼はその手が将来、人々を救うことを知っていたからだ。
「じゃあ、始めるよ。これから、私が魔力を送るから、それを感じてみて」
マルークはそう言って、クリスティが頷いたことを確認すると、合わせた両手から、彼女に向けて、自らの魔力を送り込んだ。
「今、私の魔力を送っているよ。クリスティ、何か感じないか?」
マルークの声に、彼女は一生懸命に、魔力を感じようとしているようだった。
あまりに緊張しているように見えるその姿に、マルークは、
「クリスティ、もっと楽にして。魔力は、感じられる者には感じられるが、そうでない者は、いくら気張っても感じられない。クリスティは、大丈夫だから」
また、優しく声を掛け、リラックスするように促した。
すると、さしたる時間を置かず、
「あ……」
クリスティの口から、思わずといった様子で、声が漏れた。
「何か、感じたかな?」
笑顔を見せたマルークとは対照的に、クリスティは、驚いたように、
「手が温かい……」
そんな感想を述べた。
「おめでとう、クリスティ。魔力を感じることができたみたいだね。魔力の感じ方は人それぞれだけれど、きっとそうだ。そして、たったこれだけで魔力を感じ取れるなんて、やっぱりクリスティはすごいよ」
マルークに褒められて、クリスティはほんの少しだけだが、彼に笑顔を見せてくれた。
魔法が使える者でも、その力は本当に人それぞれだ。
魔力を感じることが出来るだけでも、クリスティが常人とは違うことが分かる。
そのことが、マルークに、彼女こそが、邪神ティファヴァマブートを滅ぼし、世界を救うパーティーの魔法使いになることを確信させた。
「今日はこれを何度も繰り返すよ。魔力がどんなものか、まずは感じるんだ。
マルークは、彼の言葉に、また真剣な表情を見せる少女に笑顔を見せて、リラックスするように伝えると、もう一度、彼女に向けて、魔力を送っていった。