第22話 邪神ティファヴァマブート
魔王の居城のあるタルヤーン地方までの旅は、呆気ないほど順調に進んだ。
「本当に、魔王が復活しているのでしょうか?」
タルキトスでさえ、そう疑問を呈するほどだった。
「大聖女ナタリアがそう言ったのだ。私は彼女の受けた神託を信じるがね」
マルークが告げると、彼はさすがに恥ずかしそうな顔をした。
だが、彼の疑念ももっともなのだ。
十八年前、魔王レテスクラヴィルが世界をその手に握ろうと、その牙を剝きだしてきた時には、魔物だけでなく、魔族も頻繁に姿を見せ、世界に恐ろしい災厄を振り撒いていた。
今回は、まだそんな事態は起こっていない。だから、彼女が受けたという神託以外には、魔王の復活に関して、何の根拠もなかった。
「まあ、魔王の城まで行って、何ともありませんでしただって、いいじゃないか。それで懸念は払われて、世界は平和なんだから」
エルシオスがお気楽そうな様子で言う様子に、タルキトスがほんの少しだけ眉をひそめるが、マルークもそれでもいいとは思っていた。
だが、彼の持つ前世の記憶が、そこまで楽観的な考えを抱くことを許さなかったのだが。
それに、すでに三年前、彼は魔族に遭遇していた。
あれは見間違いなどではなかったと、彼は今でも信じていた。
「魔王の居城にも、敵の姿はないか」
エルシオスは、それでも油断なく大剣を掴みながら、城の広い廊下を進む。
「以前は、どうだったのですか?」
タルキトスがマルークに問い掛けてきた。
「以前か……。以前は、魔族が列をなして襲ってきたな」
答えながら、彼は、胸に苦しいものを感じていた。
もう十八年も前のことなのに、それでもその記憶は彼を苛んだ。
やはりこの場所に来るのではなかったと、少し後悔さえする気がした。
「お父様……」
そんなマルークの様子に気がついたのか、クリスティが彼を心配そうに見ていた。
「大丈夫だ。ありがとう」
彼女の顔を見て、マルークは落ち着きを取り戻した。
そう。今、彼の側には、愛する娘がいる。
彼は、彼女を守るために、ここまでやって来たのだから。
そして、遂にたどり着いた魔王の玉座で待っていた者。それは、マルークだけが知る者だった。
邪神ティファヴァマブート。
大聖女ナタリアは、魔王レテスクラヴィルが復活し、災厄を振り撒くとの神託を受けたと語った。
だが、マルークの前世の記憶が、それは間違いだと告げていたのだ。
「貴様が、魔王レテスクラヴィルか!」
コドフィルの言葉に、玉座に座る者は、身動ぎもせずにただ声を響かせる。
「我は、そのような小さき者ではない」
「嘘を吐くな!」
コドフィルが、また大きな声を出すが、マルークがそれを押しとどめる。
「コドフィル、嘘ではない。あれは私が十八年前に見た者とは違う。おそらく、もっと恐ろしい者だ」
マルークの言葉に、パーティーの皆が言葉を失った。
「その通りです。あれはレテスクラヴィルではありませんね」
オーリアフォートも、マルークに同意してくれる。
「ほう。まさか、エルフのほかに、十八年前と同じ者が姿を現すとはな。もう少し待つべきであったかな」
ティファヴァマブートが発するくぐもったような声は、そう言いながらも、少し楽しそうにさえ感じられるものだった。
「マルーク、タルキトス、援護を頼む」
コドフィルが囁くようにふたりに伝えてきた。
そして、エルシオスと目で合図し合うと、マルークが制止する間もなく、一気に玉座へと向かった。
「てやあっ!」
「くらえっ!」
二人を遮る者はなく、その剣は、正面から玉座に届いたように見えた。
ガッ! ガキーン!
だが、剣はそこに居るはずの者を素通りし、金属製なのだろう玉座に当たり、乾いた音を立てた。
「なっ!」
コドフィルが思わず、驚きの声を発する。
邪神は、また、楽しそうな声を響かせた。
「愚かな。我は、この世のものにあらず。その我に、そなたらが干渉することはできぬ。我も、直接はそなたらに干渉することはできぬがな」
マルークも、戸惑いを覚えざるを得なかった。
前世の記憶では、邪神ティファヴァマブートこそが、真の敵だったはずだ。それが、お互いに干渉することができないとは、どういうことなのだろう。
「だが、我がこの世界へ干渉するための鍵を、そなたらがここまで運んでくれた。礼の代わりに、そなたらに絶望をくれてやろう」
そう言ったティファヴァマブートは、突然、クリスティに向き直ると、厳かにも聞こえる声で呼びかけた。
「目覚めよ! 我が忠実なる僕、魔王レテスクラヴィルよ!」
その声に、マルークが振り向くと、彼の愛する娘は、虚ろな目で、邪神の姿を見ていた。
「クリスティ! どうしたんだ!」
マルークが大きな声で呼びかけたが、彼にはもう、クリスティが普通の状態でないことが、分かっていた。
その両眼は次第に赫く輝き始め、邪悪な笑みを、頬に浮かべていたからだ。
クリスティは、いや、クリスティだった者は、悠然と魔王の玉座へと向かう。
「クリスティ、危ない! 来るな!」
コドフィルが呼びかけるが、それを無視して進む彼女の様子に、さすがに違和感を覚えたようだ。
「クリスティ?」
玉座の前まで歩みを進め、彼女はそこで跪いた。
「ティファヴァマブート様、ありがとうございます。レテスクラヴィルめは、今ここに、舞い戻りました」
「何を? いったい何を言っているんだ。クリスティ」
そう問い掛けるコドフィルに、魔王が赤い眼を向けた。
「クリスティではない。余はレテスクラヴィル。この世界の支配者だ」
その声とともに、魔王の身体から衝撃が走り、コドフィルとエルシオスは吹き飛ばされて、床に叩きつけられた。
「グウッ……」
「ふたりとも、大丈夫か? 今、回復の魔法を」
タルキトスの両手から温かい光が溢れて、コドフィルたちの傷を癒した。
その間に、魔王はゆっくりとその玉座に着いて、座り心地を確かめるように、肘掛けを撫でる。
いつの間にか、ティファヴァマブートは姿を消していた。
「この感覚も十八年振りか。マルークだったか。貴様には一杯喰わされたな。だが、貴様は自分の使った魔法が、どんなものなのか知らなかったようだな」
「何? いったいどういうことだ」
十八年前と変わらぬ威圧感を、玉座の主から受けながら、マルークは、クリスティの姿をした者から目を離さなかった。
「余の復活に手を貸してくれた褒美に教えてやろう。貴様の使った奈落を開く魔法。あれはもともと、余のものなのだ。余の復活と再生の魔法だ」
「そんな。そんなことが……」
マルークには、俄かには信じられなかった。だが、彼はあの呪文を、古くから伝わる魔導書、魔族に関する魔法の記された書物から得たことは事実だった。
「余が先ほど言ったであろう。これは貴様たちへの褒美なのだ。嘘など言うはずもない。いずれにせよ、貴様たちには、それを他の者に向かって伝える術もないのだからな」
「ふざけるな!」
エルシオスが、そう叫ぶような声を出して、再び、レテスクラヴィルに向かった。
「待て! エルシオス!」
マルークの声も虚しく、彼の振るった剣は魔王の張った障壁に阻まれ、大きく跳ね返された。
そして、彼自身も同様にまた、弾かれるように後退を余儀なくされる。
「余に、剣など効かぬ。また同じことを繰り返すか。愚かなる人間どもよ」
圧倒的なレテスクラヴィルの力の前に、コドフィルは、マルークを守るように立つと、彼に聞いた。
「あなたは以前、奴を葬ったのだろう。今回は出来ないのか?」
訴えかけるような王子の目を見て、だが、マルークは、それは不可能だと答えるしかなかった。
「前は、私のほかに、私以上に強力な魔法使いがいたのだ。その者の力なしでは、奴と争うことさえ……」
十八年前、彼がレテスクラヴィルと戦った時、クニーグが魔王の防御障壁を打ち破ろうと、高度な解呪を使って、魔王を牽制した。
どちらかと言えば、魔王にとって、彼女との魔法の戦いこそが主戦場だったとさえ言えるだろう。
「今、私が同じ魔法を使っても、簡単に防がれてしまう。それに、奴が言ったように、あの呪文はどうやら奴のためのものらしいのだ」
「人間にしては、よく分かっているではないか。十八年の歳月は、貴様にとって、無駄ではなかったようだな」
レテスクラヴィルは、マルークをからかうようなことを言った。
十八年の歳月は、彼がクリスティと出会い、彼女を一人前の魔法使いに、邪神ティファヴァマブートを倒すパーティーの一人に育てるために費やされたのだ。
だが、今それは全くの無駄になってしまった。
「私は何をしていたのだ。そんな……、そんなことが……」
いや、それどころか、それはレテスクラヴィルを復活させる鍵を、自らの手で護り、それをわざわざ邪神の手元まで、送り届けることであったのだ。
茫然自失となったマルークだったが、その時、玉座にあったレテスクラヴィルが突然、不自然な様子を見せた。
「ぐっ! 貴様! 我に完全に喰われたのではなかったのか!」
頭を抱え、どう見ても、苦しんでいるようだ。
「奴はどうしたんだ?」
コドフィルが、マルークに尋ねるが、彼にも何が起こっているのか分からなかった。
「罠に掛けようとしているとも思えませんね。叩くなら今しかないでしょう」
オーリアフォートがそう言って、矢を番えた。
コドフィルと、エルシオスも剣を振りかぶり、魔王に殺到する。
「ぐあっ! やめろ! 貴様も只では済まんのだぞ!」
レテスクラヴィルは、そう言いながら、必死に防戦に努めるが……、
ザシュ!!
つい先程は、無力にも跳ね返されたコドフィルの一撃が、魔王に手傷を負わせた。
「はあっ……。はあっ……」
魔王は苦しそうに喘いで、だが、今度はオーリアフォートが放った矢を、その右手で受ける。
鮮血が飛び散るが、魔王はそれをものとせずに、眼を再び赫く輝かせ、前と同じように衝撃を放って、前衛の二人に後退を強いた。
魔王は、どうやら、別の事に、気を取られているようだった。
「ぐああぁぁあ!」
レテスクラヴィルの声が響き、その直後、クリスティだった者から、落ち着いた声が聞こえてきた。
「マルーク。久しぶりね。元気そうで安心したわ」




