第18話 マルーク先生
「誰だ!」
マルークが扉を開けると、そこにいたのは、制服を着た男の学生だった。
柔らかそうな金色の髪は、どこか見覚えがある気がする。
「マルーク先生。私にも、彼女と同じように、魔法を教えてもらえませんか?」
どこで知ったのか知らないが、学生は突然、マルークにそう言ってきた。
その顔には笑みが浮かんでおり、決して害意があるようには見えないが、どうにもその真意が掴みにくい気がする。
「突然、何のことかね。魔法薬の調製に関する質問なら、明日にしてくれないか」
マルークはそう言って誤魔化そうとしたが、学生は笑みを浮かべたまま、帰る気配もない。
「クリスティさんが、こちらにいらっしゃって、先生から魔法を教わっているでしょう。私もそうしていただきたいのです」
まったく悪びれる様子もなく、また、そう言ってきた。
「申し訳ないが、彼女は私の娘なんだ。君は知らないのかもしれないが」
「勿論、知っています。でも、それをおっしゃるなら、私も短い期間とはいえ、先生から教えを受けた者なのですが」
「お父様。この方は……」
奥から顔を覗かせたクリスティが、慌てたように、マルークに彼のことを伝えようとしたのを制し、学生は、自ら名乗った。
「コドフィルと申します。私は先生に、命を救われた者です」
マルークは、当然、その名を知っていた。いや、思い出したのだ。
「コドフィル王子……」
(いや、魔法騎士コドフィルか……)
彼の前世の記憶がそう告げる。
それは、クリスティとともに、邪神を倒すパーティーのリーダーの名前だった。
「ええ。ボードソンの息子のコドフィルです。ここでは王子は必要ありません。先生からしたら、学生のひとりですから」
コドフィル王子はそう言って、また笑顔を見せた。
考えてみれば、王子はクリスティと同じくらいの年齢だった。
実際には、クリスティの方が少し年上なのかもしれないが、残念ながら彼女の正確な誕生日は分からない。
その代わり、マルークは彼女と初めて会った日を、毎年、記念日としてお祝いすることにしていた。
「お父様、コドフィル様にお入りいただいては」
クリスティにそう言われ、マルークはやっと気がついて、王子を宿舎へと招じ入れた。
「先生にはずっと、お目にかかって、改めてお礼を申し上げたいと思っていたのです。病弱だった私が健康になったのは、先生のおかげですし、あの頃はまだ小さかったので、きちんとお礼も申し上げられなかったですから」
「いや、お礼の言葉なら既にいただいていますよ。それに、私は材料を提供しただけですから。それを薬に整えたスタファン師の力も大きいでしょう」
マルークは謙遜してそう言ったが、コドフィル王子はゆっくりと首を横に振った。
「いえ。先生がくださったのは、並の材料ではないではないですか。本当にありがとうございました」
ソファーに座り、王子は、丁寧にお礼を述べた。
「それに、先生から魔法を教わった数か月は、私にとって宝物のような日々でした。あの日々の記憶があったから、私は魔法を好きでいられたのです」
その言葉はマルークにとって意外なものだった。彼は、王子の魔法の家庭教師として雇われたことを喜びはしたが、それまで、クリスティにしか魔法を教えたことはなかったのだ。
自分が師のスタファンに教えられたことを思い出しながら、彼を指導したに過ぎない。
「いや、私は……」
「王子様。ありがとうございます」
そうお礼を言ったのは、クリスティだった。
「私も、父は教えるのがとても上手だと思っていたので、そう言ってくださって、とても嬉しいです」
彼女は、そう言ってこぼれるような笑顔を見せた。
「ああ。私も本当にそう思っているんだ。もしマルーク先生や、あなたと過ごした時間がなく、いきなり、その後で過ごした退屈な時間ばかりだったら、私はきっと、魔法の訓練が嫌になっていただろう」
そう言ってコドフィル王子は、続けてクリスティに言った。
「先生にも言ったけれど、クリスティさん、王子様はやめてくれないかな。私は、ここでは、あなたの同級生の一人に過ぎないのだから」
コドフィルの笑顔に、クリスティはペコリと頭を下げた。
「すみません」
「君はあの頃と変わらないね」
コドフィルは、嬉しそうだった。
「先程、お願いしましたが、私もまた、先生から魔法を教わりたいのです。それに、クリスティさんだけが、毎日のようにこの時間、寮からいなくなるより、もう一人、同じ行動をする者がいた方が、いいと思いませんか?」
彼は熱心にそうマルークに説いた。
「私がいれば、多少のことには、目を瞑ってくれる者もいると思うのです。何しろこの学園の創設者の息子ですからね」
「ああ、分かったよ。コドフィル君、君の言うとおりにしよう」
マルークの返事に、コドフィルはまた、笑顔を見せた。
元々、彼に魔法を指導することは、この世界を邪神に支配されないために、必要なことなのだ。
それが出来そうなのは、今のところ自分だけだということに、マルークは眩暈がする思いだった。
その日から、毎日のようにコドフィル王子は、マルークの下を訪れた。
「そう言えば、君のところには、『ルフェ』はやって来たのかな?」
コドフィルの魔法の力は、正直言って、大したことのないものだった。
「ええ、先生とお別れしてすぐに、小さな妖精がやって来て、驚かされました。ペトリバーという名の当時の教師に、魔法使いの守護者という小さな妖精に会ったと言ったら、一応、それと教えてくれました」
ルフェと会った上で、この程度の力だとすると、状況はかなり絶望的かもしれないと、マルークは考えさせられる。
とにかく今は、コドフィルとクリスティに、力を少しでもつけてもらうしかなさそうだった。
(あとは、カールバートか……)
クリスティたちに魔法を教えながら、マルークの頭に浮かんだのは、邪神ティファヴァマブートを倒すパーティーの、もう一人の魔法使いの名前だった。
彼も魔法使いである以上、この学園に居る可能性が高い。
前世の記憶によれば、年齢は、コドフィル王子よりも、一つか二つ上のはずだった。
次の日、マルークは学園で、新米教師としての彼の指導役となっているトゥーレリオスという名の教師に、カールバートについて尋ねてみた。
「彼が何か問題でも起こしましたか?」
マルークの指導役ではあるが、彼よりずっと若いトゥーレリオスは、偉ぶることなく、マルークに丁寧に接してくれていた。
「魔王を倒した英雄のひとりであるマルークさんと、ご一緒させていただけるなんて、光栄です」
指導役として紹介された時、人好きのするであろう栗色の瞳と、爽やかな笑顔で、そう言ってくれさえしたのだ。
「いえ、そうではありませんが、西の地方に住む昔の知り合いから、カールバートという学生が、学園にいるはずだと、言われたものですから」
マルークはそう言って誤魔化した。
だが、西の賢者と呼ばれるトスケットとは、古くからの知り合いだ。本来ならカールバートは、その男の弟子になっているはずなのだ。
「そうですか。そう言えば、彼は西の地方の出身だった気がしますね」
トゥーレリオスは、興味がなさそうだった。
「どういう学生かな?」
マルークが訊くと、彼は少し考えていた。それだけでも、どうやら目立つ学生ではないことが分かる。
「今はもう三年生ですね。こういう事は、言うべきではないかもしれませんが、授業について行くのもやっとという学生ですよ。一応、西の町のギルドに就職が決まっているはずです」
彼によれば、地方のギルドになど、成績の優秀な者は職を求めたりはしないらしい。
これも、言うべきではないと言ってはいたが。
「知り合いの手前、一度、顔を見ておきたいのですが」
マルークはそう言って、その日の授業終了後に、トゥーレリオスに、三年生の教室へ案内してもらった。
教室にいたカールバートは、暗い顔をした、神経質そうな男だった。
マルークがそうと気づくまで、少し時間が掛かったが、よく見れば、前世の記憶にある、パーティーメンバーの魔法使いに違いなかった。
だが、今の彼には、西の賢者の秘蔵っ子と呼ばれ、強力な攻撃魔法を自在に操る、颯爽とした姿の面影もない。
「はじめまして。カールバート君」
マルークが声を掛けると、彼は不審な顔を見せた。
「あなたは、魔法薬の新しい先生ですね。私に何かご用ですか?」
近寄って見ても、これが本当に、あの溌剌とした男なのだろうかと疑問が湧いてくる。
灰色の瞳は濁っているようで、肌にも何となく生気が感じられない。
「いや、私は課外授業の参加者を探していてね。古い知り合いのトスケットと同郷の君はどうかなと思ったんだ。どうやら君には才能がありそうだしね」
マルークの言葉に、カールバートは力無く頭を振った。
「ご冗談を。私には才能なんてありませんから。確かにトスケットは、同郷の偉大な魔導士ですが、私など彼とは比べ物になりません」
「そんなに卑下することはないんじゃないか?」
カールバートは、また、マルークの言葉を否定する。
「いえ、どんな魔法も上手く扱えない私なんて。それに、もう将来の働く先も決まりましたから、これ以上の課外授業なんて、御免です」
そう言って下を向いてしまったカールバートに、マルークは掛ける言葉を失った。
「君は攻撃魔法に適性があるんだ」と言ってやれば、事態の打開が図れるのかもしれない。
だが、それでも彼に断られた場合、暗に攻撃魔法を学ぶ課外授業と認めることになりそうだった。
(自分の適性に合わない魔法ばかりを練習させられ、すっかり自信を失ってしまったのか。なんてことだ)
顔を上げないカールバートに、マルークは、引き下がるしかなかった。
結局、マルークは毎晩、クリスティとコドフィルに魔法を教えて過ごすことになった。
「やはり、ここに来て正解だったな。本当に充実しているよ」
コドフィルはそう言って、嬉しそうだった。
「コドフィルさん。あまり大っぴらにはできませんから。大きな声は、その……」
クリスティが心配そうに声を掛けるが、コドフィルはどこ吹く風といった様子だった。
「コドフィル君の上達は、凄いからな。私も驚いたよ」
マルークの言葉は掛け値なしのものだった。
「ルフェ」の祝福を受けてこの程度かと、最初は焦ったのだが、彼の指導よろしく、王子は、これまでの遅れを一気に取り戻す勢いだった。
「私も、頑張らないと」
「いや、私が追いつくまで、待っていてもらわないと」
真剣な表情のクリスティに、コドフィルはそう言って冗談を飛ばす。
ふたりともお互いにだいぶ慣れたようだった。
ある日、訓練が終わり、三人でお茶を飲んでいると、コドフィル王子はマルークに向かって言った。
「私は、父のやり方には正直、賛成できません。私自身が、そのことを如実に示していると思うのです」
彼は、十五歳になるまで魔法の訓練が出来ないことで、有為な魔法使いを失うことになっていると、冷静に語った。
「父は、魔法使いではありませんから、それが分からないのです。それに、確かに父は偉大ですが、魔王を滅ぼしたのは、父だけの手柄ではありませんし、聞けば聞くほど、マルーク先生や、聖ポラストゥル教会の大聖女ナタリア様の力は大きかったと思わされます。そして、もう一人の魔法使いの方も……」
コドフィル王子は、どうやら、ボードソン王の目や耳となって、マルークの動静を探ろうというようなことを考えている訳ではなさそうだった。
マルークはこれまで、ほんの少しだが持っていたその疑いを、消し去ることができた気がした。
「私は魔法が使えますから、父の側近くに居て、彼が魔法使いに対する恐れを抱いていることが良く分かったのです。ですから、魔法学園という方法にも、疑いを持っています。何しろ、魔法を使えない者が考えたことですからね」
父であるボードソン王を批判する王子の姿に、マルークは、こんどは自分が、クリスティから同じように思われているのではないかと考えてしまった。
(いや、男性と女性では、父親に対する感じ方も違うだろう。それに、クリスティに限ってそんなことは……)
マルークはそう思うことで、落ち着きを取り戻すのだった。




