第16話 魔族の出現
「キヤブーリ ポトーフォ トゥファーゴ エミノーペ ルアーヴ」
マルークは急いで呪文を唱える。
詠唱の声とともに、金色に輝く魔法陣が二人を包みはじめた。
「我らに危害を加えんとする、すべてのものを遠ざけよ!」
再び、光の矢がマルークを目掛けて飛んできたが、すんでのところで、マルークの張った結界が威力を発揮し、それを弾いた。
「何者だ!」
マルークが誰何の声を上げたが、当然、返事はない。
「答える気はないか。ならばこれでどうだ」
相手は、かなりの強敵であることは確かなようだ。マルークは、先ほど相手の放ってきた光の矢に匹敵する魔法を唱える。
「ヤニーカ フォヨファーブ ファオーネ ヌケトゥーリド!」
呪文の詠唱に伴って、マルークの手の中に、真っ赤に光る炎の矢が生まれた。
「魔力の根源たる万能のマナよ。炎の矢となって我が敵を貫け!」
力ある言葉とともに、マルークが生み出した魔法の矢は、黒いローブに向かって真っすぐに飛んで行く。
そして、彼の呪文の言葉どおりに、炎がその者を貫いた。
「ギギャアァァァ!」
それは、生物というよりも、何かの機械のようにも聞こえる音を立てる。
羽織っていたローブが、炎の矢によって燃え上がり、全身が炎に包まれた。
だが、その次の瞬間、燃え盛るローブが中身を失って力なく地面へ落ちると、中に居たはず者は忽然と姿を消した。
「お父様……」
へなへなと腰を下ろしたクリスティに下から呼び掛けられるまで、マルークは茫然としていた。
「いったいあれは?」
マルークにはあの叫び声や、姿の消し方に覚えがあった。
「魔族……」
間違うはずもない。その様子は、彼が散々戦うことを余儀なくされた、魔王レテスクラヴィルの配下たちと同じだったのだから。
マルークとクリスティは、何とか門が閉まる前に、シュームの町にたどり着いた。
宿に落ち着いて、二人はようやく、危機を脱したという気がしていた。
「お父様。あれはいったい?」
クリスティが不安そうな面持ちで、マルークに尋ねる。
「おそらくは、魔族だ。まさかあんなものに出会うとは。まだ私も信じられない気がするよ」
「あれが、魔族……」
呟くようにそう言ったクリスティの顔色はまだ優れないようだった。
今回は、王都近郊の町に現れた魔物を退治するだけの簡単な仕事のはずだった。
それが、まさか魔族を相手にすることになろうとは、マルークには想像も出来なかった。
(まさか、ボードソンの奴、これを知っていて私を罠に嵌めたわけではないだろうな?)
一瞬、そんな考えがマルークの頭をよぎったが、魔族の恐ろしさは、ボードソンこそが骨身に染みているはずだ。
いくら自分に含むところがあったとしても、さすがにそこまでは出来ないだろうと、マルークは考え直した。
「お父様。頬の傷は痛みませんか?」
クリスティの声に、マルークはボードソン王への疑いの心から解放された気がした。
「ああ、大丈夫だ」
そう答えたが、彼女が魔法薬を準備してくれているのに、マルークは気がついた。
「せっかくだから。薬を塗ってもらおうかな」
彼がお願いすると、クリスティは真剣な表情で、魔族の光の矢によって作られた傷に、魔法薬を塗り始めた。
いつもマルークが作っている魔法薬を、万が一に備えて持参したのだ。
「今日は、クリスティのおかげで命拾いをしたよ」
クリスティに薬を塗ってもらいながら、マルークは、彼女に声を掛けた。
「お父様、じっとしていてくださいね」
彼女はそう言って、そのまま、丁寧に薬を塗ってくれる。
だが、彼女の指先が震えはじめ、あと少しで塗り終わるというところで、遂にその手は止まってしまった。
「私に魔法の力がもっとあれば、お父様は傷つかずに済んだのに……」
目にいっぱい涙を溜め、震える声でクリスティは絞り出すような声で言った。
「いや、それは違う。そんなことはないよ。クリスティ」
こんな場所に魔族が現れるなど、マルークも考えていなかったのだ。たとえ彼が唱えたとしても、あの時使っていた簡易な防御の魔法では、魔族の攻撃を防ぐことは出来なかっただろう。
「クリスティが、危険を知らせてくれなかったら、私は無事では済まなかっただろう。クリスティのおかげで、私は助かったんだ。ありがとう」
マルークのお礼の言葉に頷きながら、クリスティはしばらくの間、涙を流し続けた。
翌朝、マルークはクリスティとともに、代官の屋敷を訪ねた。
魔族が現れたことで、クリスティにとっては散々なデビュー戦となってしまったが、魔物を倒して、町と街道の安全を確保するという当初の目的は十分に果たされていた。
「東の街道を少し行った先で、ホブゴブリンの群れが襲ってきましたので、炎の魔法で殲滅しました。おそらく、奴らが元凶だったのでしょう」
マルークの報告に、代官はすぐに、衛兵を東の街道へと走らせた。
そして、彼の言ったとおり、街道の先で、多数の焼けた魔物の遺体を発見したようだった。
「たしかに、あなたのおっしゃったとおりでした。ありがとうございます」
代官のビルデンスは神妙な態度で、マルークたちにお礼を述べた。
マルークは、魔族のことを言うべきか迷ったが、結局、それについては触れなかった。
シュームの町からの帰り道、クリスティがマルークに聞いてきた。
「お父様。どうして、あのことをおっしゃらなかったのですか?」
真っ直ぐな彼女には、マルークの行動が理解できないようだった。
「あのような小さな町で、魔族が現れたなどと言っても、どうしようもない。とにかく王都へ帰らないとね」
王都へ帰っても、そう簡単には行かないなと、マルークは考えていた。
ボードソン王への報告でも、触れた方が良いのかは分からない。
(一度、ナタリアかルシーリアに相談したいところだな)
特にナタリアには、伝えておくべきだろうとマルークは思った。
彼が一人で騒ぎ立てても、握り潰される程度で済めばいいが、まずいことが起こるような気がする。
以前よりはましになったと思ってはいるが、ボードソンが、素直に彼の言葉に頷いてくれることは、あまり期待できそうもなかった。
王都へ戻ったマルークは、その日は一日、ゆっくりと休んだ。
翌日、クリスティを私塾へと送り、その足で聖ポラストゥル教会を訪ねると、大聖女ナタリアは、相変わらず、彼を温かく迎えてくれた。
「シュームの町へ行っていてね。昨日、戻ったところだ」
「それはお疲れでしょう。ギルドのご用でしょうか?」
「いや、ボードソンに、私を魔法学園の教師にしてほしいとお願いしたところ、シュームの町に出没する魔物を倒すように言われたのだ」
マルークの言葉に、ナタリアは驚いたようだった。
「魔法学園の教師などと。クリスティさんが、嫌がるのではありませんか?」
心配そうな顔を見せるナタリアに、「いや、そんなこともないだろう」と返して、マルークは言葉を継いだ。
「いや、娘の、クリスティのためという意味もあるが、それだけではないのだ。少しでも優秀な魔法使いを確保することは、世界のために必要なことだからな」
彼がそう言っても、ナタリアの顔色は冴えない。溜め息を吐いたように見える彼女を見て、マルークは、さっさと本題に入ることにした。
「シュームの町で、とんでもない目に遭ったのだ」
声をひそめるマルークに、ナタリアも何かを感じとり、真剣な表情を見せた。
「魔族がいたのだ。あの町の側の街道にだ」
「そんな……まさか。何かの見間違いでは!」
ナタリアの目が見開かれ、声も大きくなっていた。
「落ち着け、ナタリア。まさか私が、あれを見間違うと思うのか?」
魔族と一度でも戦ったことのある者なら、余程のことがない限り、見誤ることはないだろう。
彼らは獣や、魔物と比べてさえ、それ程、異質な存在なのだ。
魔族と戦って、生き残ることができる者は少ないから、それが分かる者も少ないが、マルークとナタリアは間違いなく、そのうちのひとりなのだから。
「ですが、マルーク。あなたの言ったその時まで、まだ三年の猶予があるはずではありませんか?」
ナタリアの声が心なしか震えているように聞こえる。
「ああ、そのとおりだ。だから、私はこの後、そう教えてくれた者に、改めて確認してみようと思っている。だが、その前にあなたに報告しておこうと思ったのだ」
彼がそう伝えると、ナタリアの顔が愁いを含んだものになった。
「ありがとうございます。ですが、私にはどうすることも出来ません。私は最近、神の御心が分からなくなってさえいるのです。ボードソンが、あれ程、私の言葉に耳を傾けないのは、それも神のお導きなのかも知れないとさえ思ってしまうのです」
彼女は根気強く、王に彼女が得た神託について、進言しているようだった。
だが、ボードソンは相変わらず、それを採り上げようとはしていない。
「あなたに神の御心が分からないというのなら、それが分かる者はいないのではないか。あなたは神託を得たと、自信をもって言っていたではないか」
マルークは、彼女を励ますように言ったのだが、ナタリアの顔色は晴れなかった。
それでも、大聖女として、民から仰ぎ見られるナタリアだからこそ、ボードソンは手を出せずにいるのかもしれない。
マルークがそんなことを言い募れば、以前、占い師のルシーリアが言っていたように、只では済まないかもしれなかった。
悄然として聖ポラストゥル教会を後にしたマルークは、今度は魔女ルシーリアの下を訪ねた。
店が近づくと、以前は雑然としていた占い師の店の前が、何となく整理されて片付いた様子を見せているなと感じさせる気がした。
そうして店の前に立った彼が、そこで目にしたのは、固く閉じられた扉と、扉に打ち付けられた看板だった。
(何ということだ……)
看板には、「王命により、営業を禁ず」との布告が記されていた。
彼女は、「王城に引き立てられるのは御免だ」と以前、言っていたが、それでも、何人かには、それを伝えていたのだろう。
いや、迫る恐怖に、伝えずにはいられなくなったのかもしれない。
(もう、ボードソンのことは諦めるしかなさそうだな)
少なくとも、謁見の間で、彼が魔族のことなどを言い出せば、只では済まないだろう。
自分の力で出来る限りのことで、迫る災厄に対処するしかないと考えざるを得ないようだった。




