第14話 十五歳を前に
それから七年が経った。
マルークは、かつての名声を取り戻しつつあった。
彼の魔法薬の調製の仕事は、様々な人から感謝されるものだったからだ。
ギルドへ出向いても、嫌な顔を向けられることもなくなった。
若い職員の中には、つい数年前まで、彼が鼻つまみ者だったことを知らない者さえいるようになった。
ひとり娘を愛しみ、王都の片隅で、二人だけで誠実に暮らす彼に、温かい目を送る人も増えてきたのだ。
だが、秋のある日、そんな彼の下を、若い魔法使いが訪れた。
「マルークさん。クリスティさんは、魔法の才能がおありですよね。そういった方は、全員、十五歳から王立の魔法学園へ入学していただかなければなりません。もう十年以上前からそうなっているのです」
レザマンと名乗ったその魔法使いは、魔法学園の教師をしているとのことだった。
「クリスティさんは、そろそろその年齢に達する頃だと思われますが、どこの教会を捜しても、クリスティさんの出生の記録ありません。彼女はいったい、お幾つなのですか? 早急に、誕生日を届け出てください。それによって、入学する年が決まりますから」
大きな声で話すレザマンに、マルークは、不快感を覚えていた。
幸いクリスティは、留守にしていたが、出生の記録が無いなどと、彼女に聞かれなくて良かったと思った。
マルークと初めて会った時、彼女はもうそれなりの年齢だったから、自分がマルークの実の娘ではないことは分かっているとは思うが、わざわざそれを蒸し返したくはなかったからだ。
「分かりました。私もそれは気にしていました。クリスティは、来年の三月で、十五歳になりますから」
魔法学園の教師にそう答えながら、遂にこの時が来てしまったかと、マルークは思っていた。
レザマンに言われるまでもなく、十五歳の誕生日を迎えたら、学園で学ぶ決まりになっていることは、マルークはよく知っていた。
だが、そう言われてみて、改めてマルークは焦りを覚えた。
分かっていたことではあったが、実際にそれが現実味を帯びて、彼に迫って来たのだ。
魔法学園は全寮制。そこへ入学するということは、クリスティが彼の下を去ることを意味していた。
(いや。まだ彼女には教えなければならないことが山ほどある)
それを魔法学園の教師が教えてくれるのではないかなどという甘い考えは、彼は持っていなかった。
学園は、魔法使いを王国に従順な行政官や技術者として養成する場所だという認識を、彼はこの数年で強めていた。
学園で生徒に教えられているのは、魔法薬の調合などの知識や、建築や輸送など、平時に役に立つ魔法ばかりで、魔族や、さらには魔王と戦うための攻撃系や防御系の魔法など戦闘に役に立つような魔法は禁忌とされているようだったからだ。
だが、本当は、そんな危機感さえも、彼のクリスティを手放したくないという心の表れなのかもしれなかった。
「クリスティ。今日の昼に、魔法学園の先生がいらっしゃってね。来年の四月から、クリスティに魔法学園に来てほしいと言っていたよ」
「お父様。来てほしいではなくて、来なさいではありませんか?」
マルークのために淹れてくれたお茶を、彼の前のテーブルに置きながら、クリスティは彼の発言を訂正してきた。
「ああ。そうだね。魔法学園で学ぶのは、魔法の才能のある者の義務だからね」
「王国の法律で決まっていることだと、お父様は常々おっしゃっていましたから、私、覚悟はしていました。ですから心配しないでくださいね」
クリスティは、そう言った後、彼の目を見て、
「でも、私がいなくても、お父様、きちんとした生活をしてくださいね。ちゃんと温かい物を召し上がってくだらないと……」
「いや、そのことなのだが」
マルークは今日、クリスティに、以前から考えていたことを伝えようと思っていた。
「私も、クリスティとともに、魔法学園へ行こうと思っているのだ。教師の口があればだがね。どうだろう?」
クリスティはさすがに、驚いていた。まさか、マルークがそこまで考えているとは思っていなかったからだ。
「それは、私のためですか? 私、もう一人でも、やっていかないとと思っていたのですけれど……」
「いや、そうではない。クリスティ、そうではないんだ」
マルークは、クリスティに彼女のことを信頼していないと思われるのは、本意ではなかった。
だが、まだ若い彼女に、重い使命を知らせることもまた、彼はしたくはなかったのだ。
学園で普通の少女としての生活を楽しんでほしい。その想いも強かった。
彼が魔法を教えることで、クリスティには、他の誰とも違う重荷を背負わせているのだから。
「以前から考えていたのだよ。もともと、私は魔法の家庭教師をしたいと思って、ギルドを訪ねたこともあった。だが、それが禁じられてもうかなりの年月が経つ。自分の習い覚えたことを、伝えたいという気持ちがあるのだ」
「お父様は、魔法を教えるのが上手ですものね」
クリスティはいつも、そう言ってくれるのだが、マルークには、とてもそうは思えなかった。
「教えてくれたのが、お父様でなかったら、こんなに上達しなかっただろうなと、いつも思っていましたわ」
「いや、そんなことはないよ。それは、クリスティの才能のおかげだ。クリスティは最高の生徒だったからね」
慌てて否定するマルークに、クリスティはゆっくりと顔を振って。
「いいえ。私こそ、お父様は最高の先生だといつも思っていましたわ。でも、お父様がそう言ってくれて嬉しい。だから、最高の先生から、最高の生徒が教わったということでどうかしら」
「そうだね。そういうことにしておこうか」
クリスティの言葉に、マルークは、心が温かくなった。
(やっぱり君は最高の生徒。私の愛弟子だな)
マルークは心からそう思ったのだった。
(お父様が、学園の教師として、私と一緒に来てくださる)
その晩、ベッドで横になりながら、クリスティは、少し複雑な気持ちだった。
ひとりで学園に入学することに不安がなかったと言えば嘘になる。
これまで、基礎的な読み書きを教えてくれる私塾を皮切りに、マルークは様々な習い事に彼女を通わせてくれた。
「クリスティが将来、どんなところへ行っても困らないようにね」
マルークはそう言っていたが、礼儀作法やダンスなんて、何の役に立つのだろうと、今でもクリスティは思っていた。
小さかったから言われるままに通っていたし、決して嫌ではなかったけれど、ちょっとよその家とは変わっているなとは思っていた。
(お父様は、将来、私を貴族にでも嫁がせる気なのかしら?)
そんなことを考えたりもした。
物語で読む、お姫様に憧れたりもしたけれど、それが叶わない夢だなんて、小さなころから分かっていた。
そして、そんな物語を読ませてもらえることも、とても変わったことだと気づくのに時間は掛からなかったのだが。
「クリスティは特別だからね」
彼女が尋ねるたびに、マルークはそう言った。
いつも優しくて、自分のために一生懸命になってくれる彼が、本当のお父様だったらと何度も思った。
(それも叶わぬ夢だもの)
クリスティには、初めて彼に出会った日の記憶があった。
それはもう、とてもおぼろげで、薄っすらとしたものではあったが、突然、手を引かれて暗い夜道を歩き、薄汚れた家へと連れられて来た記憶が。
(それでも、お父様が、私の運命を変えてくださったのだわ)
クリスティは、そう思っている。彼と初めて会った日の記憶があること。それは残念なことではあったが、それまでの記憶に比べれば、まったく違う世界の始まりとなるものだったからだ。
マルークと出会うまでのことは、もうほとんど覚えていない。思い出せば苦しくて、忘れるようにしているうちに、本当にほとんど忘れてしまったのだ。
何か恐ろしい目に遭ったというぼんやりとした思いだけは、ほんの少しだけ残ってはいるが、それも夢だったのではないかと、思えるようになってきた。
(お父様が学園にいらっしゃるなんて、ちょっと恥ずかしい気もするけれど、でもやっぱり、心強いわ)
クリスティは、そう思うことにしたのだった。
「私を王立魔法学園の教師として雇っていただけないでしょうか?」
「マルークよ。何と言った?」
ボードソン王は、驚きのあまり、思わず彼に聞き返したようだった。
ギルドを通じ、国王への謁見をお願いして、それが実現した今日までに、二か月が必要だった。
師であったスタファンは、マルークが生業に就いたのを見届けるように引退し、今は、ギルドの長は別の者が務めていた。
ネクトナートと言う新しいギルドマスターは、マルークより少し年上らしいが、彼の知らない男だった。
それもあってか、拝謁が許されるまでマルークはやきもきして待たされることになったのだ。
ようやくそれが許されて謁見の間へと出向き、マルークは、ボードソン王に向かってお願いの言葉を口にしていた。
「私を、魔法学園の教師として雇っていただきたいのです。陛下のお口添えを頂戴できればと思いまして」
何しろ魔法学園は王立なのだ。オーナーである国王の意向は大きく働くだろう。
マルークはそう考えて、ボードソンにお願いすることにしたのだった。いきなり、最上位者に話を持ち込むのは、ルール違反だろうと思ってはいたが。
「なんと、そこまでするか?」
王は呆れたようだったが、それでも、検討しようと言ってくれた。
ほっと安堵の息を漏らしたマルークに向かって、だが、ボードソン王は付け加えてきた。
「ただし、条件がある」
「いかなることでしょう?」
マルークは、そら来たと思ったが、顔には出さなかった。
「魔法学園の教師として相応しい実力を備えていることを、改めて示してほしいのだ。君が余とともに、魔王を倒したのはもう十五年も前のことになる。その腕が鈍っておらぬことを、世に示してほしい」
「と申されますと」
「王都の東に、シュームという町がある。最近、そこに魔物が出没しているのだ。アルアントから距離も近いので捨ててはおけなくてな。以前の君の力ならば、余裕であろう」
ボードソンはそう言うが、マルークは慎重だった。
クリスティの生活は自分に掛かっていたし、それがこの世界の未来に直結すると、彼は信じていたからだ。
「魔物と申しますと」
「いや、どんな魔物なのかははっきりとしない。ただ、ここ数か月のうちに、閉門に間に合わず、夜を門外で過ごすことになった者が、何人か犠牲になっているようだ。最初は獣の仕業かとも考えられたようだが、どうやら違うようだ。それも含めて、問題を解決してほしい」
「承りました」
マルークはそう答えるしかなかった。そうすれば、愛する娘とともに、魔法学園へ行くことができるのだから。




