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第10話 アクテーケ山のドラゴン

「おい、マルーク。まさか、お前」


 ワレンティーが危惧したとおり、マルークが呼びかけた名は、この山に棲むドラゴンのものだった。


「ワレンティー。クリスティを連れて、少し下がっていてくれないか」


 マルークの声に、ワレンティーは蒼白な顔色を見せながらも、頷いて、その言葉に従おうとしたが、クリスティがマルークのローブの裾をしっかりと握り、動く気がないことに気がついた。


「お嬢ちゃん。俺と一緒に、ここを離れるんだ!」


 ワレンティーが鋭く発した声に、だが、クリスティは応じようとはしなかった。

 彼女はマルークから離れたくないという意志を全身で示すように、彼に抱き着くと、ワレンティーに厳しい目を向けた。


 その水色の瞳に気圧されるように、ワレンティーは一瞬、たじろいだ。

 その、ほんの僅かの間に、空を覆わんばかりの巨大な影が、洞窟から姿を現し、空中から彼らに声を掛けた。


「魔法使いのマルークか。そなたらの世界では、久しいということになるのだろうな。見違えたぞ」


 オテュラーンという名のドラゴンは人語を話すようだった。



「そこの剣士も、慌てる必要はないぞ。そこにいるマルークたちが、心の棘を抜いてくれたお蔭で、我は人と共存する術を思い出したのだ。その恩人を害するようなことはしないのでな」


 ワレンティーは、生きた心地もしなかったが、取り敢えず、ドラゴンには攻撃してくる意思はなさそうだった。


(赤髪の傭兵が、ざまもないな)


 彼はそう思うことで、少しだけ落ち着くことができた。

 ドラゴンのオテュラーンは、その間も、マルークに向かって話し掛けていた。


「このような深き山の中にあってさえ、噂は聞いているぞ。どうやらそなたたちは、あの魔王を倒したようだな。人間とは信じられぬ事を為すものよ」


 感心したといった様子で話すオテュラーンに、マルークは辞を低くして、来訪の目的について語った。


「偉大なるドラゴン、我が親愛なる友、オテュラーンよ。今日、ここへ参ったのは他でもない。そなたの鱗を一枚、私に譲ってほしいのだ」


 彼の言葉を、ドラゴンは黙って聞いていた。


「今から十三年後、世界を新たな災厄が襲う。その時に備え、私は娘に、私の知るすべての魔法を伝えるつもりだった。だが、人間の王はそれを許そうとしない」


 ドラゴンの視線が、クリスティに注がれたように見え、彼女は、マルークのローブの裾に、身を隠した。


「王は、ドラゴンの鱗と交換に、私の願いを聞き入れようと言った。愚かな人間の為に、気高きあなたの鱗を望むことは、間違っているかもしれないが、他に方法を思いつかないのだ。どうか、私の願いを叶えてほしい」


 マルークがそこまで一気に願いを述べると、ドラゴンは嘆息するように、一呼吸置いて、その口から再び言葉を発した。


「人間の中には、身の程をわきまえぬ愚かな者がいる事も、我はよく知っている。良かろう。我の鱗を持って帰るがよい」


 オテュラーンの言葉に、マルークは安堵の息を吐いた。


「我の心の棘を抜いてくれたそなたたちを助力を与えようと、我は誓った。汝ら人の命は短い。そなたたちが生きているうちに、我が誓いを果たす機会が与えられたのだ。それは、我にとっても、喜ばしいことだ」


 ドラゴンは落ち着いた声で、マルークたちに告げたが、その言葉は彼にとって、辛いものだった。


(本当は、オテュラーンの心の棘を抜いたのはクニーグだ。俺も結局、彼女の遺産を食いものにする汚れた男だ)


 だが、ドラゴンに伝えたとおり、この世界には十三年後に危機が訪れる。

 そして愛する娘の、クリスティのために、彼はいかなる汚名を着せられようと、耐え忍ぶ覚悟だった。


「気高きドラゴン、私の尊敬する友、オテュラーンよ。ありがとう」


 マルークのお礼の言葉を聞きながら、ドラゴンは、自らの尾の辺りから、鱗を一枚剥がし取ると、それを彼に与えた。



 ドラゴンの鱗を得て、急ぎ王都へ戻ったマルークたちは、ボードソン王への謁見を申請した。


 数日後、王宮から呼び出しがあり、マルークは、ワレンティーを伴って、王宮へと上った。


「こちらでお待ちください」


 そう言って宮内官に案内されたのは、以前とは異なる一室だった。


「随分と待たすんだな」


 ワレンティーが不満気に言ったとおり、マルークたちは、小一時間も待たされた。

 指定された時間は午後だったから、クリスティは、私塾で彼が迎えに来るのを、もう待っているはずだった。


 そうして、マルークたちが焦りにも似た気持ちを抱えながら待っていると、ようやく何人かの家臣を従えたボードソン王が部屋に姿を見せた。


「マルークか。早かったな」


 マルークを目にして、相変わらず王は不愉快そうな様子だった。

 前回、王宮で謁見した時には、自分のこれまでの行いのせいだろうと思ったのだが、今回、彼は王の世継ぎのための薬の材料となるドラゴンの鱗を持参しているのだ。


 諸手を挙げて歓迎しろとまでは言わないが、ここまで不愉快そうな態度を取られたのは意外だった。


「国王陛下、お約束のドラゴンの鱗をお持ちしました。お納めください」


 マルークは恭しい態度で、ボードソン王に告げ、ガーネットのように赤く輝く、ドラゴンの鱗を捧げた。


「トクレス、受け取ってやれ」


 王が侍従らしき男にそう告げると、その男はマルークから鱗を受け取り、代わりに自分が持っていた重そうな袋を彼に手渡そうとした。


「いえ、このような物は、頂戴できません。それよりも、娘に魔法を教えるお許しをいただきたいのですが」


 袋の形状からして、中に入っているのは、どう見ても金貨のようだった。

 マルークは、王がエリーナ妃を伴わず、見たことのない家臣を従えて現れたところから、嫌な予感はしていたのだった。


「ここへ伴った『赤髪の傭兵』にも、報酬を払う必要があるのだろう。黙ってそれを受け取って、この場を去るがいい」


 ボードソンの言葉に、マルークは自分の嫌な予感が的中したことを確信した。

 彼は初めから、マルークに許可を与える気が無かったのだろう。


「いや、俺は報酬なんかいらないぜ。仲間の為にやったことだからな」


 ワレンティーが、当て擦りのように冷めた声で告げるが、侍従はマルークに金の入った袋を押し付けようとしてきた。


「陛下。魔法を教えることなど、以前は普通に行われていたではありませんか。しかも、私の教える相手はたった一人です。どうして、許可をいただけないのですか」


 マルークが王に向かって少し大きな声で問い掛けると、彼はうんざりしたといった様子を見せた。


「魔術師を忌み嫌う者も多いことは、君も知っていよう。余はそうした声にも配慮せねばならぬのだ」


 そして、マルークの顔を見て、言葉を継ぐ。


「魔法には人の精神に作用するものがある。そんなことを聞かされて、心穏やかでいられる者など、そういると思うか? 余は今でも、君があの後、おかしくなったのは、魅了の魔法のせいではないかと思っているのだ」


 それは、クニーグのような、心を操る魔法の使い手に、常に向けられる疑いの目だった。


「いや、そんなことは……」


 彼女とは、小さな頃からの付き合いで、お互いに信頼し合っていたマルークをしても、自分の感情が、彼女によって作られたものではない事を証明することは出来ない。


 いや、彼女の技量を一番よく知っている彼だからこそ、それはただ信じることでしか明らかに出来ないことなのだ。


「最後の戦いの前、あの女が君に魔法を使ったことを、余が知らないと思っているのか? 魔法とは何と恐ろしいものかと、あの時、改めて思ったよ」


「クニーグはあの時、私の精神防御を高めてくれただけだ!」


 魔王も精神を支配する魔法を使うかもしれない、だから、それを防ぐ為にと、彼女はそう言ってくれたのだ。


「君は本当にそう信じているのか? 結果として、あの女がレテスクラヴィルとともに奈落の底へと落ちて行ったが、その役割を、君に負わせようとしていたのではないか?」


 思わず、大きな声を出したマルークに対して、ボードソンは静かに応じた。



「これはいったい、如何なることですか? 陛下。何が起こっているのです?」


 突然、部屋の沈滞したムードを打ち破るような、若い女性の声が響き、エリーナ妃が扉から姿を現した。


「エリーナ、何故ここに?」


 明らかに狼狽えた様子のボードソン王に、妃は涼しい顔で答える。


「マルークが王宮を訪れる時には、私にそれを伝えるようにお願いしておいたのです。おかげで、行き違いにならずに済みましたわ」


 ばつが悪そうなボードソンに、エリーナ妃は、そう言って笑顔を見せた。


「コドフィルの為に、ドラゴンの鱗を手に入れてくれたら、きっと陛下にお許しをいただけるようにお願いすると、私は彼に約束をいたしましたから」


「余は許可を与えるとは言っておらん」


 ボードソン王は頑なな態度を見せるが、おそらく勝負はあったのだろう。そうでなければ、初めから王妃を同席させればいいのだから。


「陛下。マルークは陛下とともに魔王を倒し、今度は陛下と私の子どもの為に、危険を犯してドラゴンの鱗をもたらしてくれました。特例を認めたとしても、誰もが納得するでしょう」


 憮然とした顔のボードソン王に、エリーナ妃はさらに続けた。


「しかも、魔法を教える相手はたった一人とのこと。よもや陛下のご迷惑となるようなこともありますまい。私に免じて、お許しいただけませんでしょうか?」


「分かった。エリーナの言うとおりにしよう。ただし二つ条件がある」


 ボードソンは、マルークに向き直ると、彼を見下ろしながら告げた。


「一つは、王宮や王国の民に危険を及ぼさないこと。怪我人が出たりすれば、即座に許可は取り消す」


 マルークにしてみれば、当たり前のことだ。彼はゆっくりと頷きを返した。


「そして二つ目は、余の目の届かぬところで、エリーナと連絡を取らぬこと。このようなことは、二度と御免だからな」


 そう言ってボードソンは、マントを翻すと、「トクレス。特許状を与えてやれ」と侍従に命じ、部屋を出て行った。


「マルーク。また、いらして下さいね」


 エリーナ妃も、彼に微笑むと、王の後に続いたのだった。


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