第1話 魔王レテスクラヴィル
「くっ! きりがないな。そっちはどうだ!」
黄金の鎧をまとった騎士が、得物の剣を振るい、魔物を倒して、仲間を振り返る。
「ボードソン。こっちもまだまだ、湧いて来るぜ」
赤い髪の戦士が、うんざりしたと言った表情で、答える。
「デユール ヴォーヨ ファムネーバ ドゥヴァーラ!」
「マルーク! まだか。もう持たないぞ!」
騎士は、今度は、背後で呪文を唱える魔法使いに声を掛けた。
見ると、彼の足下には、銀色に輝く魔法陣が浮かび上がっている。
「魔力の根源たる万能のマナよ。雷となりて、敵を撃て!」
マルークと呼ばれた魔法使いが杖を振るうと、轟音とともに、雷光が魔王を貫き、パーティーの皆の注目が集まる。だが……。
「駄目だ!」
何事もなかったかのように、動き出した魔王の姿に、戦士が絶望の声を上げる。
「なんて奴だ。マルークの魔法が……」
これまで、多くの魔物や、魔族でさえ屠ってきた魔法使いの雷撃の呪文にさえ耐え切る魔王に、彼らに残された手段は少ないように思われた。
「クニーグ! まだ、奴の防御陣は破れないのか?」
騎士ボードソンが、叫ぶように女性の魔法使いに確認する。
「やってるけど、追いつかないのよ!」
魔法の天才と呼ばれた彼女でさえ、魔王レテスクラヴィルの結界を解くことは難しそうだった。
だが、このままでは、主戦力の二人の剣も、エルフのアーチャーの弓も届かない。
「オーリアフォート! 精霊魔法はどうなんだ?」
「使っても無駄でしょうね」
冷静な声で返しながら、エルフの弓から矢が放たれ、狙い違わず、次々と魔物たちを倒していく。
だが、その驚異的な腕前をもってしても、魔王が魔法で張った防御陣の前には無力なのだ。
「畜生! どうすりゃいいんだよ!」
戦士がまた、叫ぶような声を出した。
「うるさいぞ、ワレンティー。クニーグの気が散るだろう」
幼い頃、魔法の天才少女と呼ばれた彼女に、マルークは何をやっても敵わなかった。
同じ師の下で学びながら、才能の差は残酷なほど歴然としていた。
(彼女がやって駄目なら、誰がやったって同じだ。まして俺なんて)
マルークは、そう思っているし、それはおそらく正しいのだ。
ほとんどの魔法で、彼はクニーグの足許にも及ばない。ようやく、最近は、攻撃魔法の威力だけには、それなりに自信が持てるようになったのだ。
(がさつで乱暴者の俺には、お似合いだな)
実用的な様々な魔法を器用に操るクニーグに対し、彼の得意な魔法は、威力こそ強いものの、平時には使い道のほとんどないもの、いや、禁忌とさえされるようなものばかりだった。
だが、魔王がこの世界の覇権を握ろうと動き出し、すべては変わった。
彼の破壊の魔法が、役に立つ時代になったのだ。
「このまま俺たちは手も足も出ずに終わるのか?」
戦士ワレンティーが、絶望的だといった表情を見せる。
「そのようなことはありません。神は私たちとともにあるのです!」
今度は、司祭の服装をした女性が、そう言って、皆を励ました。
だが、魔王レテスクラヴィルの力は圧倒的だ。
魔法使いマルークご自慢の攻撃魔法も、奴を前にしては、ダメージを与えられているのかさえ、定かではない。
それでも、騎士や戦士の剣よりはましだった。
魔法防御に遮られている彼らの攻撃よりは、まだ魔法は魔王に届いてはいるのだから。
「おい、そろそろ限界だぞ!」
「ワレンティー! 弱音を吐くな!」
騎士ボードソンが、赤い髪の戦士を鼓舞するが、戦士はまた、敵を屠りながら、口を尖らせる。
「そんなこと言ったってよ。さすがに、もう無理じゃねえか」
そう言った彼の左から、魔物の剣が迫る。
戦士と正面から剣を合わせていた魔物が、彼がその攻撃を避けられないようにするためだろう。恐ろしい膂力を見せて、戦士を圧倒しようとする。
ヒュン!
戦士を横から襲おうとしていた魔物の首に、矢が突き刺さり、魔物はのけ反るように倒れて絶命した。
「オーリアフォートか。ありがてえ。恩に着るぜ!」
戦士の視線の先には、澄ました顔で弓を構えるエルフの姿があった。
彼に助けられたワレンティーもそのまま、目の前の魔物の力を利用して、体勢を崩させ、隙を見せたところに剣を叩き込む。
「貴重なミスリルの矢ですよ」
ワレンティーの顔を見ずに、そう漏らすエルフに、彼は一瞬、「相変わらずだな」と思ったが、すぐに次の魔物が彼を襲う。
「それにしても、本当にきりがないな」
「魔王を相手にしているのだ。魔族どもの方こそ後がないのだ」
ボードソンの言葉にワレンティーは、容易には同意できない気がした。
「そうは言うけどよ。こっちだって同じだぜ」
もう、この六人以外にレテスクラヴィルと戦える者はいないだろう。
彼らが倒れた時点で、凱歌は魔族どもの方に揚がるのだ。
それで人が滅亡するかは分からないが、これまでとは比べものにならない程の、想像を絶する程の被害が、世界にもたらされることは、間違いない気がした。
騎士と戦士を温かい色をした光が包む。
「ナタリア。助かるよ。ありがとう」
「ありがたいが、おかげでずっと戦わなければならねえ」
ワレンティーの軽口が出ている間はまだいいのだ。マルークはそう思っていた。
「慈しみ深き父なる方よ。その力もて、あなたの子らを護りたまえ」
続けてナタリアの口から、守護の呪文が紡がれる。
「贅沢を言うな!」
ワレンティーはそう言うが、魔法使いの魔力は無限ではない。それは大聖女と呼ばれることさえある神聖魔法の使い手、ナタリアをもってしても同じなのだ。
このまま膠着状態が続けば、そのうちに、こちらは攻撃手段を失うことになってしまう。
「ヴェーノ ラーヴェ トゥユーヴィ ミュージョ パファーゴ!」
だからといって、こちらが魔法での攻撃の手を緩めれば、おそらく魔王は、攻撃に転じてくるだろう。
呪文を唱えながらマルークは、焦りの感情を覚えた。
「魔力の根源たる万能のマナよ。すべてを焼き尽くす、地獄の業火となれ!」
今度は、高温の炎の柱がレテスクラヴィルを包む。
「やったのか?」
そう言ったのはボードソンか、ワレンティーだろうか。皆が固唾を飲んで魔王の様子を窺うが、そうしているうちにも、奴はまた、何事もなかったかのように動き出した。
やはり、防御陣があるうちは、マルークの攻撃魔法でさえ、威力を削がれるようだ。
この結界を破らねば、レテスクラヴィルを倒すことは難しいのかも知れない。
「クニーグ! 頼む」
彼はもう、幼い頃から、常に彼とともにいた、師のスタファンでさえ時に舌を巻いた同門の彼女の力に懸けるしかなくなっていた。
おそらくは、クニーグとレテスクラヴィルは、高度な魔法の戦いを続けているはずなのだ。
結界を維持しようとする魔王と、それを解除、無効化しようとする魔女クニーグ。
そのおかげで、マルークたちは、魔王の魔法による攻撃にさらされずに済んでいるのだ。
その証拠に、クニーグの額には玉のような汗が浮かび、魔王はずっと、彼女から目を離さない。
だが……、
「マルーク! 危ない!」
クニーグの声が響き、魔王の左手から放たれた光の矢が、彼を襲った。
「グッ!」
彼女の声に、かろうじて身を捻ったマルークは、致命傷こそ免れたものの、左肩に焼け付くような痛みを覚えた。
「聖なるお方よ。あなたの忠実な僕に、大きなる癒しの力を!」
声とともにナタリアの神聖魔法が飛んできて、彼の傷は塞がったようだ。
だが、そんな彼女にも、疲労の色が見て取れるようになってきた。
「マーノ リボーヨ ヨカトゥーフォ ストゥータ ユーヴェ!」
マルークは、残りの魔力を振り絞り、呪文を唱える。
詠唱の声に、クニーグが彼を振り返る。
(スタファンが知ったらまた怒るかな。でも今は非常時だ)
その呪文は、師から使うことを禁じられたものだった。
「その暗闇の先がどこにつながっておるのかも、分かってはおらぬのだぞ!」
禁じられた魔導書を興味本位に開き、その中に記された呪文をこっそりと試していた彼を、いつもは穏やかな師は、そう言って叱責した。
「魔力の根源たる万能のマナよ。我が敵を闇に墜とす、虚無への道を開け!」
彼の魔法が完成し、魔王の足下に、暗黒の奈落が口を開けた。
「魔王め! 地獄へ落ちろ!」
攻撃魔法にことごとく耐えきったレテスクラヴィルであっても、虚無の奈落へと落とせば、さすがに助かるまい。
マルークはそう思った。
だが、正に魔王を捉えたと思ったその瞬間、レテスクラヴィルの両腕が不自然に細くなって伸びて来ると、彼と、隣にいたクニーグの身体に巻き付いた。
「うぉっ!」
「マルーク!」
落ちていく魔王の腕に引きずられ、マルークは自分の開いた奈落へ、道連れにされるのだと思った。
だが、その時、クニーグのワンドから銀色の光が放たれ、それが魔王の腕を撃った。
それは、マルークを掴んでいた方の腕だった。
ガッ!!
一瞬、激しい音がして、魔王の腕は光によって断ち切られ、マルークは、すんでのところで、奈落へと引き込まれずにすんだ。
だが、クニーグは……。
驚きに見開かれたマルークの目が、彼女を捉えた。
彼女は笑っているように見えた。いつも彼に向けてくれる優しいまなざしのままで。
魔王は、彼の開いた奈落の底へと落ちて行った。
魔女クニーグを道連れにして。
「クニーグ!」
マルークの呼び声が虚しく響く。
彼の開いた奈落へと続く穴は既に閉じられ、跡形もなくなっていた。
「ふう。奴ら逃げ出したぜ」
魔物を相手にすることで手一杯だったワレンティーが、赤い髪をかき上げながら、ホッとした顔を向ける。
だが、蒼白な顔をした仲間たちの様子に、すぐに何かが起こったことを感じ取ったようだった。
「クニーグゥー!!」
主と、彼の親しい魔女が姿を消した玉座の間に、マルークの声が響いた。
だが、こうして世界は救われたのだ。