母と選んだランドセル
かつて子供だった、今の親達へ
俺の家は母子家庭だった。
母一人子一人の家庭。
はっきり言って貧乏だった。
住んでいたのは、築何十年も経つボロアパート。夏は暑いし、冬は寒かった。
母には、両親も兄弟もいない。俺が唯一の家族だった。
俺が小学生になる直前、母がランドセルを買ってくれた。
大人になって知ったが、ランドセルはやたらと高い。
稼ぎの少ない母は、生活を切り詰めて、自分が欲しい物も買わずに、コツコツと金を貯めて購入したのだろう。
母と一緒に選んだ、新品でピカピカのランドセル。それはすぐに、俺の宝物になった。保育園から帰宅すると、用もないのにランドセルを背負った。小学生気分で、狭い家の中を歩き回った。
小学校に入学すると、ランドセルを使うのが日常になった。
いつしか、ランドセルの扱いは雑になった。汚れても傷付いても、気にしなくなった。
小学校四年になった頃だ。クラスの中でも、ランドセルを使わなくなる子が出てきた。
俺の目には、ランドセルを使わないクラスメイトが少し大人に見えた。ランドセルではない鞄を、格好いいと思った。
母が買ってくれた、ランドセル。一緒に買いに行った、ランドセル。
かつては宝物だった。
でも、クラスメイトの鞄と比べると、凄く格好悪く見えた。
俺は母に言った。
「もう、ランドセル、使いたくない」
そのときは気にしなかった。でも、今にして思い出す。あのときの母の顔。
どこか寂しそうに笑っていた。どこか悲しそうに笑っていた。
でも、母は俺を叱ることもなく、新しい鞄を買ってくれた。
その母が、去年、亡くなった。俺を育てるために、長年苦労していた。そのせいだろうか。まだ七十にもなっていないのに、心不全でこの世を去った。
俺のために我慢していた分、贅沢をさせたかった。親孝行したかった。
それでも、孫の顔は見せてやれた。俺の息子。昔の俺と同じように、うるさくて生意気だ。
母は、俺の息子を本当に可愛がってくれた。
その息子が、もうすぐ小学生になる。ランドセルも買った。
今、息子は、ランドセルを背負ってはしゃいでいる。小学生気分で、家の中を歩き回っている。
いつか息子も、ランドセルを使わなくなるのだろう。昔の俺と同じように。
「もう、ランドセル、使いたくない」
決して遠くない未来を思って、少し切なくなった。
ようやく俺は、あのときの母の気持ちを理解できた。
寂しそうに。悲しそうに。でも笑顔を見せていた、母の気持ち。
子供は成長して、ランドセルから離れてゆく。
親の心子知らず、と言います。
でもきっと、いつか人の親になったら、親の気持ちが分かってくるんだろうな、と。