世界が終わる一秒前
どうして、こんな物が存在するのだろう。
あの頃の私は、もちろん姿絵などを描いてもらったことはない。それにこの絵は、割と新しいものだ。当時の私を知る人間が、つい最近描いたとしか思えない。
信じられない事実を前に私は頭が真っ白になっており、この部屋のドアが開いたことにも気付いていなかった。
「……リゼット、お姉様?」
そんな声に慌てて振り向けば、ドアのすぐ側にはナディアの姿があった。元々大きな瞳は更に大きく見開かれている。
「っご無事だったんですね……!」
彼女は涙ぐみながらこちらへ駆け寄ってくると、床に座り込んでいる私に抱きついた。久しぶりの彼女のあたたかな体温に、泣きたくなってしまう。
様子を見る限り、ラルフからは何も聞いていなかったらしい。すぐにメイドを呼ぼうとしたナディアを、私は止めた。
「誰も呼ばないで欲しいの。それに私、もう戻らないと」
「そんな、一体どこへです?」
「…………」
ラルフにこの屋敷の地下に監禁されているだなんて、言えるはずがなかった。それに、ラルフが戻ってくる前にあの場所に戻らないと、彼がどうなってしまうかわからない。
何も言えずにいる私の手を、ナディアはそっと握った。
「大丈夫です、私はどんな時もお姉様の味方です。お姉様の意志を尊重します。ですからどうか、今までどこにいたか、何があったかだけでも教えていただけませんか?」
そんな彼女の言葉に、私はどうしたら良いのか分からなくなっていた。けれどこうして見つかった以上、誤魔化して姿を消せば、彼女に余計に心配をかけてしまうだろう。
「ラルフが、安全な場所に私を匿ってくれていたの」
「お兄様が?」
「うん。勝手に抜け出してきたから、早く戻らないと心配をかけてしまうと思って」
「……それは、お姉様の同意の上ですか?」
そう言った彼女の視線は、裸足の私の足首へと向けられていて。そこにはしっかりと足枷の跡が残っていた。
納得できないという表情のナディアの手を握り返すと、私は「うん、そうだよ」と頷いた。
「……お姉様がそう仰るのでしたら、わかりました。お兄様はどうしようもない人ですが、絶対にお姉様を守ってくれると思います。私だって、お姉様のためなら何でもします」
ナディアは再び私をぎゅっと抱きしめると、大好きですと泣き出しそうな声で呟いた。私だって、今は彼女のことをとても可愛く、愛しく思うようになっていた。
ナディアをしばらく抱きしめ返した私は、やがて「もう行くね」と美しい銀髪を撫で、立ち上がった。
「私、ラルフと話をしなきゃ」
「はい。それにしても、何故この部屋に?」
「この絵を見たかったの」
目の前の絵を指させば、ナディアは首を傾げた。
「この絵……ですか? 確かお兄様が、この家に来てすぐに描いたものだったと思います」
「これ、ラルフが描いたの?」
どれもあまりにも上手いものだから、画家に描かせたのかと思っていたのだ。ラルフにこんな特技があったなんて。
「ええ。すべてお兄様が描いたものです。とてもお上手ですよね。……お兄様って、昔から何でも出来てしまうんです。知るはずのないことだって、何でも知っていましたし」
「知るはずのないこと……?」
「はい。物心ついた時から、大人顔負けの知識を持っていました。本なんてまともに読んだこともなかったのに」
点と点が線で繋がり、予想が確信へと変わっていく。
「ラルフお兄様は間違いなく、前世持ちです」
そして、ナディアははっきりとそう言ってのけた。
◇◇◇
「っリゼット様……!」
私が元の部屋に戻ってすぐ、慌てたような様子でラルフがやって来た。私が抜け出した形跡があったのだろう。
牢の中にいる私の姿を見るなり、彼はひどく安心したような、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
「リゼット様、何故……」
「話があるの」
静かにそう告げれば、ラルフは何も言わずにこちらへとやって来て、ベッドに座る私の前に跪いた。
その美しい瞳には、色濃く不安の色が浮かんでいる。
「ラルフ、ごめんね。少しだけここを出たの」
「どうして、」
「見たい絵があったから」
そう告げれば、ラルフの瞳が見開かれた。
「ラルフは、エーリカを知ってるの?」
私の一度目の人生での名は、エーリカだった。魔法が使える以外は平凡で、人を疑うことも知らない、馬鹿みたいにまっすぐな少女だったように思う。
やがて私を見つめていたラルフは、小さく頷いた。
「……モニク様のことも、少しだけ知っています」
「え、」
それは、私の三度目の人生での名前だった。予想もしていなかった言葉に、心臓が早鐘を打っていく。
「リゼット様のご想像通り、僕も前世持ちです」
「…………っ」
「けれど、貴女とは少しだけ違う」
動揺を隠せずにいる私の手を取ると、眉尻を下げて困ったように微笑み、ラルフは続けた。
「僕はこれが、13回目の人生ですから」