パンドラの箱
「お前、違う意味で死にそうじゃん。大丈夫かよ」
「……大丈夫に見える?」
「あんまり」
メルヴィンはそう言って、可笑しそうに笑った。他人事だと思っているのが丸わかりだ。実際、他人事なのだけれど。
「そんな顔すんなって、俺もこの場所を見つけるのに苦労したんだからな。ラルフの奴、上級魔法を重ね掛けした上に国王からもらった魔道具まで使って、お前のこと隠してたし」
「それなのに、よく分かったね」
「俺を誰だと思ってんだ。まともに戦えばラルフには勝てねえけど、魔法のスキルで負けてたまるかよ」
いつもと変わらない調子の彼に、私は不思議と安心感すら覚えていた。ここしばらくはラルフとしか話をしておらず、そのほとんどが噛み合っていなかったせいだろうか。
「聖女様も無事なの?」
「ああ。お前がいなくなったあと、あいつが大暴れして怪我人は多少出たけど、ビヴァリーがすぐに治した」
あの日私を迎えに来た時に血塗れだったのは、それが原因だったのかと思ったけれど。あの森は魔物だらけらしく、その血が大半だろうと彼は言った。
「で、お前はどうしたい?」
「…………」
私は一体、どうしたいんだろう。どうすべきなのだろう。
死ななくても済むなら、もちろんそれが良いに決まっている。けれど、全てが上手くいくことなんてありえないということもわかっていた。きっと、何かを諦める必要がある。
「あいつ、多分死ぬ気だぞ」
「えっ?」
「勇者って、魔物を浄化する力を持ってるんだよ。その分自身へのダメージもあるし、回復に時間はかかるけど、あいつが命を賭ければ、お前を救える可能性はあるだろうな」
「……っそんな」
けれど、彼には絶対に例の魔物を倒すという自信があるようだった。そして何より、私に対する様子を見る限り、命を懸けたっておかしくはないと思えてしまう。
「あいつがそこまでするほどのお前って、何なんだ?」
……それは、私自身が一番知りたかったことだった。ラルフにとっての私とは、何なんだろう。
過去に靴やアクセサリーを渡しただけで、ここまでしてくれるとは思えなかった。かと言って、他の理由も思いつかない。やがてメルヴィンは、私に真っ赤な宝石を握らせた。
「俺の数年分の魔力を込めてある。これを使えば、ここから抜け出せるくらいは出来るはずだ」
「…………」
「ちなみに売れば貴族が数十年暮らせる額のもんだからな、感謝しろ。それと、絶対に無駄にするなよ」
「……うん、分かった。本当にありがとう」
「ちなみにお前の誕生日まで、残り二週間だ。一応、結界の準備はしてある。あとはお前が決めろ」
それから使い方を教えられた後、再びお礼を言えば「気持ち悪いからやめろ」なんて言われてしまった。
「ここ、どこなの?」
「レッドフォード家の地下。お前の絵だらけの気持ち悪い部屋から、此処に繋がってた」
屋敷から近い場所だとは思っていたけれど、まさか真下だなんて思ってもみなかった。出入口は普通の人間には絶対に分からないよう、隠されてあるらしい。
壁一面の私の姿絵には本気で鳥肌が立ったと、メルヴィンは自身の身体を抱きしめてみせた。気持ちはわかる。
「でも、全部お前の絵かと思ったら、ひとつだけ違う女の絵もあったんだよな。布がかかってて隠されてたけど」
「……え、」
実は布をかけられていた絵の中身が、少し気になっていたのだ。あんな部屋などあり得ないと思っていたはずなのに、今はその女性は誰なんだろうと胸の奥がざわついた。
「その、どんな人だった?」
「茶髪に緑色の目をした女だった。目の下に二つホクロがある、普通っぽい感じの。お前とは全然違うタイプだな」
「…………本当、に?」
「ん? ああ」
心臓が、どくんと大きく跳ねた。それと同時に、私の中で馬鹿馬鹿しい仮説が浮かび上がる。
──まさかそんなこと、あり得るはずがない。
「ま、此処に来たことがラルフにバレたら今度こそ殺されるだろうし、帰るわ。痕跡消すのにも時間がかかるんだよな」
メルヴィンはそう言うと、その場に立ち尽くす私の目の前から一瞬にして姿を消したのだった。
◇◇◇
あれから、一週間ほどが経った。食事の回数を数えているから、間違いないはずだ。誕生日まで、残り一週間。
私はラルフと、変わらない日々を過ごしていた。メルヴィンはしっかり痕跡を消したらしく、ラルフの様子に変わりはない。貰った宝石も、見つからないよう隠してある。
「リゼット様、仕事に行ってきますね」
「……うん」
「なるべく早く、帰ってきますから」
名残惜しそうにラルフが出て行った後、私は宝石を取り出し眺めては頭を悩ませていた。あの日メルヴィンが言っていたことが、ひどく気がかりだった。
あの絵を、見るだけ。そう決めて、私は立ち上がった。
そして宝石の魔力を使いなんとか抜け出せた先は、彼が言っていた通りの部屋だった。分かっていても、自分の絵がずらりと並んでいる様はやはり落ち着かない。
やがて私は、布がかけられている絵の正面に立った。
この中身を、見てはいけない気がした。見なければいけないような気もした。心臓が早鐘を打ち、手が震えてしまいながらも、小さく深呼吸して布に手をかける。
「………どう、して」
そうして現れた絵を見た私は、その場にへたり込んだ。だって、こんなのおかしい。あり得るはずがない。
そこに描かれていたのは、一度目の人生の私だった。