真実の欠片
なんとか無事に婚約者として誕生日パーティーを終えた私は今、ラルフと共に帰りの馬車に揺られている。会場を出ると同時に一気に緊張の糸が切れ、どっと疲労感に襲われた。今すぐベッドに飛び込みたい気分だ。
ちなみに何故二人きりなのかと言うと、ナディアがラルフに「お誕生日ですし、今日のところは引いてあげますわ」なんて言い、二人で馬車に乗せられたからだ。
向かいに座るラルフは、いつもと変わらずニコニコとした笑顔を浮かべ、私を見つめ続けている。
「リゼット様、今日は本当にありがとうございました」
「ううん。大した役に立てなくてごめんね」
とは言え、私自身に大きな失敗はなく、彼に本当に婚約者がいるということも広まったようで良かった。
そして今が良いタイミングだと思い、私は鞄から小さな包みを取り出し、ラルフに差し出した。
「……これは?」
「誕生日プレゼント。大したものじゃなくて恥ずかしいんだけど、よければ受け取って」
中身は刺繍を施した、ただのハンカチだ。ありきたりすぎるけれど、金銭的にもこれが限界で。それでも刺繍は得意だったため、市販の物にも劣らない見た目にはなったと思う。
ラルフはしばらく無言でプレゼントを見つめていたけれど、やがて顔を上げ、泣き出しそうな顔で私を見つめた。
「っ本当に、本当に嬉しいです。一生大切にします」
「ふふ、良かった」
こちらが申し訳なくなるくらいに喜んでくれるラルフに、胸の奥がじわりと温かくなっていく。
──どうして、彼はこんなに私のことが好きなんだろう。
あの日一度助けただけでこんなにも執着され、好かれるものなのだろうか。そんなことをふと、考えていた時だった。
「抱きしめても、いいですか」
「えっ」
予想もしていなかったお願いに、私は間の抜けた声を漏らしてしまう。驚いてラルフの顔を見つめれば、溶け出しそうなくらいに熱を浴びた瞳と視線が絡んだ。
「どうしても、そうしたい気持ちになってしまって」
彼は普段あれだけ私のことを好きだと言う割に、時折手を取るくらいで、こうして触れようとすることはなかった。だからこそ、私は戸惑ってしまったのだけれど。
ラルフは何故か困ったような、辛そうな表情をするものだから。気が付けば私は、小さく頷いてしまっていた。
やがて彼は私の隣へと移動してきた後、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと私を腕の中に閉じ込めた。
「リゼット様、好きです。本当に、本当に大好きです」
温かくて、優しい匂いがする。驚いてしまうくらいに心臓の音が大きくて早くて、こちらまでドキドキしてしまう。
「……ずっと、貴女だけが好きなんです」
抱きしめられているせいで彼の表情は見えないけれど、その声は今にも泣き出しそうなものに聞こえて。
私はそんな彼の柔らかな銀髪を、そっと撫でたのだった。
◇◇◇
それから一週間後の昼下がり、私はラルフと共に神殿へと向かっていた。聖女・ビヴァリー様の元へ行くためだ。
神殿に到着し案内された部屋の中には、大勢の護衛らしき人々に囲まれた一人の女性の姿があった。透き通るような白肌が印象的な、とても美しい人だった。
「久しぶりね、ラルフ。元気そうじゃない」
「ああ」
「相変わらずつまらない男だこと」
「今日はこちらのリゼット様を見てもらいたい」
聖女様に対しても素っ気ない態度を取るラルフに冷や冷やしつつ、私は彼の少し後ろで頭を下げた。
「よろしくお願いします」
すると突然、私へと視線を向けた彼女は眉を顰め、口元を手で覆った。一瞬にして顔色が悪くなったその様子に、心臓が嫌な音をたてていく。
「……どうしたら、こんなことになるのかしら」
「え、」
「とにかく、座りなさい」
ラルフと共に椅子に座るよう勧められ、聖女様とテーブルを挟み向かい合うような形になる。彼女から滲み出る清らかな空気感には、何故か懐かしさを覚えた。
「私はビヴァリー。今代の聖女よ」
「リゼット・アシュバートンです」
彼女はリゼットね、と呟くと小さく微笑んだ。
「でも、ラルフが心配していたようなことは無さそうよ。別に彼女自体が魔物だとか、体内に何かがいるとかそういうのじゃない。濃くマーキングされているだけ」
「マーキング……?」
「ええ」
聖女様はじっと私の心臓の辺りを見つめ、続けた。
「ラルフから軽く聞いた話から考えるに、リゼットが自分の餌だっていう印をつけてるんでしょうね」
「……そんな、」
「それも普通の魔物じゃないわ。この禍々しさや魔力を見たところ、魔王クラスのもので間違いない」
想像を超えた恐ろしい話に、息をするのも忘れていた。
けれど心のどこかで、納得すらしていた。どう考えてもあれは普通の魔物ではないと、分かっていた自分がいたのだ。
そんな中、動揺を隠せずにいる私の手のひらを、すぐにラルフの温かく大きな手が包み込んだ。
「リゼット様、大丈夫ですよ」
「……ありがとう」
彼がそう言い切るとこんな話を聞いた後ですら、本当に大丈夫な気がしてきてしまう。
「とにかく、思い出せることを全部話してみなさい」
「わかりました」
それからは私は、一度目にあの魔物に食べられ死んでから今までのこと全てを話した。聖女様はラルフ同様黙って最後まで聞いてくれたけれど、やがて深い溜息をついた。
「お前ね、聖域を弱体化させたのは」
「えっ?」
「こんな状態のお前が、聖域なんかで普通に暮らせる訳がないもの。よく耐えられたわね」
「……あ」
もしかすると、聖域に着いてから続いた体調不良の原因はそれだったのかもしれないと、気が付いてしまった。
けれど不思議と、吐血や不眠といった症状も一年が経った頃には治まっていたのだ。
「多分だけれど、本能的に聖域の力を奪い取っていったんでしょうね。自分が住みやすい環境にするためなのか、身体を守ろうとしたのか、両方なのかは分からないけれど」
「そんな……」
「その証拠にリゼットの身体の中には、あの地にあるものと同じ魔力が入っているもの」
本当に、訳がわからない話になってきた。私が聖域の力を奪い取っていたなんて、信じられない。私は一体、何者なのだろう。自分のことすら恐ろしく思えてくる。
私を一目見てすぐに「どうしたらこんなことになるのか」と言ったのは、私の身体の中は聖域の魔力と魔物の魔力が混じり合い、ぐちゃぐちゃになっていたからだという。
「けれど少し、分かってきたような気がする」
聖女様はそう呟くと、金色の瞳で私を見つめた。
「一度目に、リゼットが食われたのはいつ頃かしら」
「……すみません、分からなくて」
当時、田舎の村で暮らしていた私は年号など知らなかったのだ。それに、私が次に転生するまでかなりの時間が空いていたようだった。
だからこそあれがどれくらい前のことなのか、私にはさっぱり分からなかったのだけれど。
「547年前だ」
「えっ?」
何故か隣にいたラルフが、はっきりとそう言い切った。