婚約者(仮)
「おはようございます」
「…………!」
そう挨拶をすると、使用人の男性はまるで化け物をみるような顔をして、無言のまま走り去って行った。
……実は最近、私は使用人達に避けられるようになっていた。それも男性だけ。その反応に結構なショックを受けつつ、とぼとぼと庭園へと向かう。庭師であるヒューゴーも、あの後すぐに領地へと移動になったようだった。
あれからラルフとの朝の散歩は続けており、外へ出ると今日はナディアもいて、二人は真っ白なベンチに座って私を待ってくれていた。
美男美女の二人が、美しい花々を背景に並んで座っている姿は、あまりにも絵になりすぎている。
「おはようございます。今日も朝からリゼット様のお顔を見ることができて、僕は幸せです」
「おはようございます、リゼット様。大好きです!」
「お、おはよう……」
そうして朝とは思えないほどの熱視線を送ってくる二人に挟まれながら、美しい庭を歩いていく。ナディアの真っ白な手は、しっかりと私の指を絡めとっている。
二人は自分達が話すよりも私の話を、声を聞きたいと言うものだから、使用人に避けられる件を相談することにした。
「ねえ、私ってなんか嫌な態度だったり、気持ち悪かったりとかする……?」
「誰かにそんなことを言われたんですか? それなら僕が」
「ち、違うの! 実は……」
物騒な言葉を口にしそうなラルフを慌てて宥め、最近なぜか男性使用人に避けられていることを伝えれば、ナディアは「本当、ヘタねえ」と深い溜め息をついた。
「気にしなくて大丈夫ですよ。リゼット様は誰よりも素敵ですし、悪いのは全てお兄様です」
「…………」
一方で、ラルフは何とも言えない顔をしている。とにかく私は何も悪くないから気にしなくていいと言われたけれど、流石にあの態度は気になってしまう。
「ああ、そうだわ。お兄様のお誕生日パーティー、リゼット様はどうされることにしたんですか?」
そんな中、ナディアは無理やり話題を変えるように笑顔でそう尋ねてきた。けれど実は私も、そろそろ返事をしなくてはと思っていたのだ。
「やっぱり、仮と言えど婚約者って広まってしまったら困るんじゃないかなと思うの」
「何故ですか?」
「将来的に色々、困ったりするかと」
「何故ですか?」
彼の悪気はないであろう何故ですか攻撃に、私はたじろいでいた。ラルフが今私を何らかの形で好いてくれていることは分かっているけれど、この先一生そうだとは限らない。
ラルフはまだ17歳なのだ。いつか結婚の話が出た時に困るのは、彼の方だろう。この国では婚約破棄の経歴はかなり傷になる。だからこそ、他の方法を考えてみることを提案しようと思ったのだけれど。
現在私を好きだと言ってくれている彼に対して正直にそう伝えるのは気まずく、失礼な気がして困っていた。
「だからその、いつか別の女性と……」
「僕にとっての女性は、永遠に一人だけです」
眩しすぎる笑みを浮かべたラルフにそう言い切られてしまい、説得は無理だと悟った私は早々に諦めることにした。正直少しだけ、どきりとしてしまった。
私にぴったりとくっ付いているナディアは「お兄様もたまには良いことを言いますね」なんて言っている。
「……でも、私が貴族令嬢としてのマナーすら身に付いていないせいで、ラルフが恥をかいてしまうかも」
「大丈夫ですよ。これから私と一緒にお勉強しましょう?」
そう言ったのはナディアで、彼女は両手で私の手を包み込むと、花のように微笑んだ。
不安要素だった義母達のことも、ラルフが全て何とかすると言ってくれたことで、断る理由は無くなってしまって。
「……が、頑張ってみます」
結局、私は首を縦に振ってしまったのだった。
◇◇◇
「お上手ですよ、リゼット様。流石です」
ラルフの仮の婚約者役を引き受けることにしてから、2日が経った。早速今日から、家庭教師が付きレッスンを受けている。傍らには、学園から帰宅したナディアの姿もある。
最低限のマナーから叩き込んでもらっているけれど、やはり普通は幼い頃から身に付けていくものであって、一朝一夕ではボロが出てしまう気がしてならない。
「今日はここまでにしましょうか。明後日のレッスンまでに復習しておいてくださいね」
「はい、ありがとうございました」
やがて授業が終わり先生が部屋を後にすると、ナディアはお茶でもしてゆっくり休もうと言ってくれた。ラルフは仕事の関係で外出しているという。
あっという間に用意された紅茶に口をつけると、私はほっと一息ついた。慣れないことをすると、やはり疲れる。けれど引き受けた以上、しっかり頑張らなければ。
「お疲れでしょうし、後でマッサージを頼んでおきますね」
「そんな、わざわざ大丈夫だよ。ありがとう」
「これからリゼットお姉様は注目されることですし、いえ、既に注目の的になっていますから頑張りましょうね。大変だとは思いますが、私もお手伝いしますので」
いつの間にかお姉様呼びになっていることにはもう、突っ込まないでおくことにしたけれど。少し待ってほしい。
「既に……?」
「はい。お兄様とリゼット様の婚約のお話は既に、王都中に広まっていますよ」
「えっ?」
仮の婚約者としての話を受けたのは、つい2日前だった気がする。それなのに王都中に広まっているとは、どういうことなのだろうか。
「なんでも昨日、とある伯爵家からお兄様に婚約話が持ち込まれた際に、既に婚約者が決まったと言ってお断りしただけで、あっという間に広まってしまったようで」
「ええ……」
ラルフ・レッドフォードという人は一体、どれだけの影響力を持っているのだろう。仮とはいえ、彼の婚約者という肩書の重さを改めて思い知った気がした。
「お兄様の妻の座を狙っている人間は多いですからね。お姉様の魅力で、しょうもない女達を追い払いましょう」
ナディアは可愛らしい顔と声でぐっと拳を握ってみせたけれど、発言内容はかなり過激だ。
そもそもあまり追い払っては、と頭を悩ませる私を見て、彼女はくすりと微笑んだ。
「……お姉様、お兄様をどう思っていらっしゃいます?」
「その、素敵な人だとは思うよ」
ただ彼は、ひたすらに気持ちが重すぎる。なんというか、人とズレている部分も多いように思う。
とは言え、優しくて格好良くて、強くて。間違いなくラルフは、私なんかを好いているのが勿体ない人だろう。
「それでしたら、お兄様とこのまま本当に結婚してしまうのはいかがですか?」
「えっ?」
「お兄様は絶対に、リゼットお姉様のことを一生大切にしてくださいますよ。私が保証します」
私とラルフが、本当に結婚。そんなことを本気で言っているらしく、返答に困っている私に彼女は続けた。
「少しでもそういう目で、お兄様を見てあげてくださいね」
ナディアはラルフによく似た美しい笑みを浮かべると、一口サイズのケーキを「あーん」と私に差し出したのだった。