嫉妬と願いと
自身から魔物の気配がするという、恐ろしい事実を知ってから数日が経った。
流石にショックを隠し切れずにいたけれど、ラルフが申し訳なさそうな顔をして謝り続けてくるものだから、無理やり元気を出している。
とにかく聖女様に会えるまで、今の私に出来ることなど何もないのだ。うじうじしていたって仕方がない。少しでも明るく楽しい気持ちで居ようと思う。
「あ、おはようヒューゴー」
「おはようございます、リゼット様」
そんな私は毎朝、起きて身支度を整えた後、朝食前に侯爵家の広く素敵な庭を散歩するのが日課になりつつある。庭師である彼とも毎朝、軽く会話を交わしていた。
彼は同い年で田舎出身らしく、話が合うのだ。話の内容は大体、農作物についてだけれど。
そうして今日もまた、年頃の男女とは思えないほどに色気のない話をしていると、不意に名前を呼ばれて。振り返った先には予想通り、ラルフの姿があった。
「おはようございます、リゼット様」
「おはよう、ラルフ」
彼がこの時間に、こんな場所にいるのは珍しい。
「そろそろ朝食の時間ですよ。一緒に行きませんか?」
「うん。そうさせてもらおうかな」
「ありがとうございます」
何故か手を差し出され、無視をするのも何だしとその手を取ってみる。するとそのまま、手を繋がれてしまった。
驚いて隣を歩くラルフの顔を見上げたけれど、彼はいつもと変わらずに爽やかな笑みを浮かべている。
「……あの男と、仲が良いんですか?」
「毎朝、散歩する時に話すくらいかな」
「そうですか。彼は近々、領地の屋敷の方に移動するかもしれないので残念ですね」
「そうなんだ」
少し寂しいけれど、仕方ない。そう思っていると、ラルフは「その代わりと言ってはなんですが」と続けた。
「明日からは僕と一緒に散歩をしていただけませんか? 朝からこうして外を歩くことが、こんなに気持ちの良いものだとは知りませんでした」
朝の散歩の良さを、ラルフも分かってくれて嬉しい。朝日を浴びると頭がすっきりとして、気持ちいいのだ。断る理由もなく、私はこくりと頷いた。
「私も時々寝坊しちゃうんだけど、良ければ」
「ありがとうございます」
嬉しそうに微笑むと、ラルフは「大好きです」なんて言って、今日も朝日より眩しい笑みを浮かべたのだった。
◇◇◇
昨晩からナディアは同級生の家に泊まっているらしく、今日は二人きりの朝食だった。
「ねえ、何か私に出来ることってないかな? こうしてずっとお世話になっているだけじゃ、何だか落ち着かなくて」
「リゼット様は僕とお話をしてくれるだけでいいんです。むしろ、そのことに対してお礼を支払いたいくらいです」
「ええ……」
このまま、ただお客様としてお世話になっているだけなのは落ち着かない。何か仕事をさせて欲しいと頼んだけれど、ラルフは聞く耳すら持ってくれない。
本当に毎日することがないのだ。過去に働かないことなんてほぼなかったせいか、落ち着かない。
一方、ラルフはずっと屋敷にはいるものの忙しそうで、毎日聖域へとやって来ていたのが不思議なくらいだった。
「勇者って、何をするの?」
「魔王を倒した今は騎士団からの要請があった際、上位クラスの魔物をたまに討伐しに行くくらいです」
「魔王……」
こんなにも爽やかでキラキラしたラルフが、魔王を倒してしまうなんて想像もつかない。そもそも、魔王の強さというのも想像すらつかないのだけれど。
「勇者って、どうやってなるの?」
「剣に選ばれるんです。勇者にしか聖剣は触れられません」
「すごい、そんな風になってるんだ」
まるで子供の頃に読んだ、絵本のような話だ。聖剣は彼の一部のようになっているらしく、望むだけで出したり消したりできるのだという。
「ちなみに、普段は父の仕事を手伝っていますよ。一応、次期侯爵になる予定なので」
侯爵夫妻は子宝に恵まれず、ラルフの勇者としての活躍や人柄に惹かれたことで、養子に引き取ったんだとか。けれど実際は国王の指示もあり、勇者という存在をこの国から絶対に逃がさないためだとナディアから聞いている。
けれどそんなことも気にならないくらい、侯爵夫妻は素敵な方で大好きだと彼女は言っていた。
「でも、あんなに毎日来ていたのにいつ寝てたの?」
「寝ていませんでしたよ」
「えっ?」
「勇者って、頑丈なんです」
そんなことを当たり前のように言ったラルフに、私はなんだか少しだけ悲しくなっていた。
「お願いだから、もうそんなことしないで。勇者の前にラルフは人なんだから、人としての生活は崩したら駄目だよ」
「……わかり、ました。申し訳ありません」
少しきつく言ってしまったせいか、彼は驚いたように瞳を見開き謝罪の言葉を呟いたけれど。
やがて、嬉しさに揺れるような微笑みを浮かべた。
「そんな風に言ってくださるのは、リゼット様だけです」
「えっ?」
「勇者だから、で皆納得してくれるので、今は心配されることもほとんどありませんから。でもこれからは、リゼット様が側に居てくださるんです。無理はしないようにしますね」
約束します、という彼に安堵する。それからは他愛のない話をしていたけれど、ふと気になったことを尋ねてみた。
「ラルフはどうして、あんなに農作業や生き物の世話が上手だったの? 素人には見えなかったけど」
「かなり前ですが、経験があったので」
「そうなんだ」
となると、孤児になる前に経験していたのだろうか。彼の家族のことも私は何も知らないし、思い返すのも辛い時期かもしれない。それ以上は聞かないでおくことにした。
「……実は、来月僕の誕生日パーティーがあるんです」
「そうなの?」
「はい。僕自身は社交の場は苦手なのですが、立場上かなり大規模なものを開かなくてはならなくて」
国の英雄であり侯爵令息でもある彼の誕生日パーティーとなれば、かなりの盛大なものになるだろう。これから更に忙しくなるんだろうなと心配に思いながら、果物を口に運ぶ。
「そこで、リゼット様にお願いがあります」
「……うん?」
このタイミングでのお願いなんて、嫌な予感しかしない。
「僕の婚約者として、参加していただけませんか?」
そして告げられたとんでもないお願いに、私は思い切り咳き込んでしまったのだった。