秘密
キッチンのシンク上の蛍光灯が、チカチカと震えた。
取り替えたばかりなのに、おかしいと、由美子は思った。
不良品を購入してしまったかと思った。
今夜はもう、店は閉まっている時間だ。
明日、交換をしに行こうと思った。
キッチンを振り返ると、すぐにバスルームがある。
ユニットバスだが、家賃と折り合いをつけるべく、妥協をした。
40代に入ってから離婚をして、一人暮らしをしている。今のところには4年、住んでいる。
特に問題も無く、ただ、建物が古い為、時折、水回りなどメンテナンスが必要になる。
家主は親切で、メンテナンスなど、一日も早く対応しようと動いてくれ、実際、素早い対応だ。
水道のパッキンが古くなり、栓を締めても水がポタポタ落ちるようになった時も、家主である気の良さそうな初老の男性が、電話をしたその日に直してくれた。
昨日も、お風呂の排水溝のメンテをおこなったばかりだ。
「奥さん、髪の毛がこれだけ出てきましたよ。」
「奥さん」という言葉に若干とまどいながら、業者の説明を受けた。
由美子には横着なところがあり、排水ネットの装着のような対処はせずに、髪の毛を流し放題、流していたのだ。
それが詰まりに詰まり、湯水の排水に問題が出たわけだ。
結婚していた時は、ちゃんとしていたのにな、、、と、ふと4年前までの生活を振り返ってしまった。
今日は排水ネットも購入し、装着してから入浴をした。
蛍光灯のチカチカは、入浴後に気付いた。
入浴してからは、睡眠薬を飲む習慣で、その時に、蛍光灯を点けて、飲む薬が睡眠薬か安定剤かを確認してから飲むようにしている。
安定剤はだいぶ、出されている量が減ってきている。
睡眠薬も軽いものを服用している。
ミネラルウォーターでゴクリと飲み込んだ。
ルーチーンワーク化された、夜の動きだ。
「仕方ないな、、、」
呟いて、蛍光灯を消した。今、蛍光灯を外すのは止めて、明日にしようと思った。
ベッドに入り、静かにしていると、そのまま寝付く。
それもルーチーンワーク化された、夜のひとときだ。
ワンルームのため、1個所、電気を消せば済む。それは、横着な由美子には、少し気に入ってる行為だ。
今日もこのまま、寝付く筈だった。
寝る前にスマホも見ていない。音楽も聴いていない。
が、今日は眠れない。
おかしいな、、、
そう思った時、開けてる窓のカーテンが風に揺られて、由美子の顔を撫でた。
外は6月の夜だ。窓を開けて寝たい季節でもあった。
いつもは睡眠薬で眠るため、そのようなことが起こるとは、考えていなかった。
「睡眠薬、4年も飲んでるからかな、、、」
ひとりごちた。
眠れないなら、煙草を吸おうと、キッチンへ向かう。
蛍光灯を点けた。相変わらずチカチカしている。
チカチカが目に邪魔で、蛍光灯から背を向けて、煙草を吸った。
長年、愛煙している1ミリのメンソールだ。
横着でも、火の元は用心している。しっかり水をかけて火を消し、ベッドに戻ろうとした。
足を踏み出そうとして、頭がこんがらがった。
足が、動かないのだ。
「なんで、、、?」
口は動くようだと認識したが、動かない足に、何をどうしたら良いのかわからない。
突然、足が動かなくなる病気なんて、あるのか?
取り敢えず、四つん這いになってみた。
腿の付け根から指先まで、何の反応も無いが、腹を使って、ほふく前進の真似事はできた。
由美子はなんとか、ベッド横のサイドテーブルに置いてあるスマホを手に取った。
妹に電話をするためだ。妹には、なにかあったらすぐ連絡が欲しいと言われている。
スマホは圏外になっていた。
由美子は唖然としながら、電源を一旦切り、もう一度、電源を入れ直した。
すると、スマホは、起動したものの、蛍光灯と同じチカチカとした光を発した。
「えっ、、、」
アンテナは圏外だ。
近所の室内から、マナーモードの音が洩れ聞こえた。
由美子のスマホが、おかしいのだ。
不良品の蛍光灯、眠れない夜、動かなくなった足、圏外のスマホと、不安を呼び起こす現象を頭に浮かべた。
なぜ?
玄関の外で、カツン、カツンとハイヒールで歩くような足音が聞こえた。
「助けて、、、」
咄嗟に口を開いたが、声が出ていなかった。
このまま、死ぬのだろうか?
なんで?
と、しばらく悶えていた。
どれくらいの時間が経ったろうか。インターホンが鳴った。
首を時計に向けると11時だ。
モニターホンではないため、誰なのか、検討がつかない。
インターホンは3度、鳴った。
出たいような、出たくないような、、、。
ためらっていると、玄関のドアを叩かれた。
ドン!ドン!ドン!
出ないほうが良いと思った。警察に電話をしたくても、相変わらずスマホは圏外のままだ。
「、、、髪の毛が、、、」
ドアの外から、何やら声が聞こえた。女性の声だった。
由美子はおもわず、耳をそばだてた。
「お風呂の排水から、髪の毛が逆流するから、お宅は大丈夫ですか!?」
気遣っているような声だった。
由美子はほふく前進のような動きで、玄関の前まで行った。
「足が動かないのです、、、スマホも圏外で、、、」
震える声で、やっと、それだけ口に出来た。
「昨日、業者さんにメンテナンスをしてもらったら、髪の毛がたくさん出てきました」
最後の力を振り絞るように、情報を伝えた。
女性は、
「お風呂場の排水溝、なんとか見れません!?」
と、言ってきた。
「見てみます」
由美子はまたもほふく前進で風呂場まで行き、排水溝の蓋を開けた。
昨日、最終確認をした時には何も無かった。
手を突っ込む気にはなれない。
なんとかキッチンから割箸を持ってきた。
割箸を排水溝に沈め、ぐるぐるかき混ぜると、感触があった。
恐る恐る引き上げると、それは、ぐちゃぐちゃのお守りだった。
残骸であろう髪の毛を幾重にも絡み付かせ、黄金色のお守りは、今は引き裂かれ、中身をちらりと見せていた。
おもわず、中身に目をやった。
親指大の小判と茶色の髪の毛が数本と、、、影絵のような黒い人が描かれた紙が入っていた。
影絵の足の部分には、大きく×印が描かれていた。
小判には梵字のような文字が刻まれていた。
ああ、これが原因か、、、。
由美子は必死の思いで玄関まで行き、女性に説明をした。
「なんとか立てません!?」
何度、頑張っても立てなかった。
「わかりました。明日の朝、家主さんに事情を説明して、鍵を開けてもらえるようにしますね!」
女性の言葉で救われたのか、なんなのか、一度に睡魔が襲ってきた。
目が覚めると、玄関の外が騒がしかった。
聞き覚えのある昨夜の女性と、家主の声が聞こえた。
ドン!ドン!ドン!
「田中さん!大丈夫ですか!?」
田中は由美子の苗字だ。
由美子は、必死に返事をした。
「今、鍵を開けますからね!」
ガチャリ、と、音を立てて鍵が開き、ドアが開いた。
困惑した二人の顔が目に入った。
由美子は、ぐちゃぐちゃになったお守りを差し出すので、精一杯だった。
「あの人が、こんな、呪いみたいなことをするなんて、、、」
と、家主は呟いた。
三人で話し合った末、お払いをしてもらうこととなった。
由美子は相変わらず、立てない。
家主がお払いをしてくれる、お坊さんを探してくれることになった。
その日の午後、お坊さんは来てくれることになり、お払いを受け、やっと、立ち上がれるようになった。
蛍光灯も普通に点き、スマホも圏外ではなくなっている。
後日あらためて、由美子は女性と家主に、菓子折りを持ち、礼に向かった。
女性は気さくな性格のようで、何度も固辞しながらも、安否を喜んでくれた。
家主とは事務所で対面した。だんだん蒸し暑くなってる季節だ。家主はポケットからハンカチを何度か出したあと、黄金色のお守りがポロッ出てきた。
由美子と家主は無言で見つめあった。