夫を地獄へ“2”
「すみません。近藤義彰の見舞いに参ったのですが、病室にいないようで…」
「義彰は俺だ」
あの後私は病院へと向かった。
教えられた通りの病室へと向かいベッドを覗いたがもぬけの殻。
はてさてどこへ行ったかと辺りを見渡し、見つけた職員に声をかけたが…どうやら必要なかったようだ。
職員に別れをつげ義彰様の病室へと入る。
「父さん、元気かい?見舞いにきたよ」
扉を閉める私を義彰様はきつく睨んだ。
「父さん…?言っておくが俺に息子なんぞおらん」
「何を言っているんだい。小さい頃から父さんの息子だよ」
ベッドに腰掛けた義彰様は立てかけてあった椅子に座る私に向かって言い放った。
息子はいない。ほお、やはり。息子はいなかったか。
それとも…認知症とやらで忘れているだけか。
さて、どちらか。
「お前…菊枝から何を言われた」
「母さんからかい?」
「母さんと呼ぶな。あいつに子はいない」
重くしっかりとした声。
なるほどこれは…ちと、仕掛けてみるか。
「全く…酷いものだよ」
「何がだ」
「俺のことも忘れ、これから昔に人を殺めた事も忘れるのかい?」
「何をぉ!!」
そこからの剣幕は。
「俺は人なんぞ殺めていない!!
あいつは俺がおかしくなったと言ったが!俺は!認知症なんぞ患ってはおらぬわ!
おかしいのはあいつ、菊枝のほうであろう!!」
鬼神の如く怒り狂っていた。
血管は浮かび上がり、目は充血しちばしり、身体中怒りで震えていた。
先が長くない?
逆にこれは近藤様より長く生きそうだが。
「父さん落ち着いて」
何をそんなに怒る?
息子がいないこと。
ではなぜ、近藤様はあのようなことを?
怪しまれないため。しかし、この慌てようではちがわい。
自分は認知症ではないということ。
ではなぜ義彰様は入院している?
おかしいのは近藤様…
おかしい。
全てがおかしい。
夫は認知症という妻。
認知症ではないと言う旦那。
先の短い夫を殺せと申す妻。
先が長い様に思われる旦那。
なんとも。
めんどくさい。
「父さん、何をそんなに怒るんだい?」
「俺は人を殺めていない」
「どうかなさいましたか?」
その時1人の看護師が病室を覗いた。
「いえ、何でも。少し父さんを怒らせてしまってね。親子喧嘩ですよ」
軽く笑いかけると看護師さんはそうですかと一言言い近藤さんも息子さんと仲良くねと扉を閉めた。
「帰れ」
「なんでだい」
「帰れと言っている」
「つれないなぁ、分かったよ」
私は腰掛けていた椅子を病室の端へと片付け立ち上がった。
「また来るよ」
そう言い残した私の背中に「二度と来るな」の言葉が浴びせられた。
廊下に出ると辺りは静かだった。
面会時間も終わりということか。
廊下をゆっくりと歩く。
窓からは落ちる夕日が覗き、あかりが差し込めている。
しかし、この依頼…
「おかしいのよ」
はて。どこから。
「近藤さん…息子なんていないって言ってたのよ?」
「ええ〜、そんなの嘘よ。奥様はいるって言ってたんでしょう?」
「そうなんだけど…近藤様、認知症でも入ったのかしら…」
「そうよそう、あの人ももう歳だもの」
廊下の曲がり角から2人の看護師の声。
いつもなら他人の声など気にもとめないが、どうもこの姿だと周りの音を拾ってしまってかなわない。
そのため、また、謎が深まった。
いや、面倒事が増えたと申すべきか。
認知症、認知症とはなんだ。
物忘れや認知機能の低下、そしてそこから訪れる日常生活への支障のことではなかったか。
しかし先程の看護師の言葉「認知症でも入ったのかしら」と。
そこから分かることは…
義彰様は認知症ではない。
この1点であろう。
廊下を歩き、病院を出ると1つの鳥…いや、猫…。
「シデ…何をしているんだい…」
尋ねると猫は腕をペロリと舐めたあと顔を上げて「なぁに」と一言呟いた。
「大事な主人が薄汚れた書店からいなくなったようでなぁ。
迷子になっていないか心配になってなぁ。
それにしても、なんだ。その姿、醜くて食う気もうせる」
「何を、猫は人を食わん」
「つれないのは義彰かお前か、どちらかなぁ」
歩き始めた私の後ろを1匹の黒猫は肉球を弾ませ着いてきた。
喋る猫と男、志道と依頼人。
今しばらくお付き合い願いたい。
筆遅。
思ったよりたくさんの方に見ていただけて嬉しい限り。