17. 「ごめんね」なんて言わないで
アイリを担いだまま森の中を駆けるシュバルト。それを追う菜和美。
何をやってるんだろう。
この世界で花岡華芽と再会した。別のクラスの、背の低い子。なんだか子供っぽい。彼女の周囲にはいつも誰かがいた気がする。危なっかしくて放っておけないタイプの子。天真爛漫な彼女。表情がコロコロ変わる。いつも楽しそう。ガキか。
だけど、それは表面だけ。表情の奥に、どこか寂しそうな瞬間があった。まわりから気遣われているのに。どうしてそんなに寂しいの。気に入らない子だった。
この世界で桜田蘭子と再会した。学校一の不良品。その場の空気なんて関係なしに、思ったことをズバッと言う。またアイツがなんか言ってる。みんな、そんなふうに思っても、絶対耳を傾ける。
彼女は痴漢を捕まえたことがあった。だけどスゴイなんて思わない。危険なのに、もし何かあったらどうするんだろう。もしかしてバカなのではないだろうか。もっと器用に生きれば? 頭の悪い子だと思う。
この世界でお姫様と会った。絶対性格の悪いワガママ女だと思っていたが、会ってみれば他人のことを優先できる良い子だった。性格が悪くあってほしかった。そのほうが、自分がまともに思えるから。そう思わせてくれない、イヤな子だ。
ああ、なんて私は性格が悪いんだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。こんな私は大嫌いだ。家出しても変わらなかった。そこには新しい自分はいなかった。
こうやって化け物から逃げて、命のやり取りの瞬間になって、やっと気付く。
素直な花岡華芽は自分が捨ててきた一面なのだ。言いたいことを言える桜田蘭子は私がなりたい人間なんだ。他人に尽くせるアイリーン・イーエンデルヒは自分が手本にすべき存在なのだ。私は一種の同族嫌悪をしていたのかもしれない。
本当に何をしてきたんだ。私は。
…………もう疲れた。
「直江さん?」
菜和美は力尽きたように倒れ込んだ。運動は苦手だ。シュバルトはポンと消えてしまい、アイリは地面に落ちてしまった。そういえば、守護獣は異訪人が疲れてしまうと消えてしまう存在だとレイアンナが言っていた。
「直江さん、大丈夫ですか」
「ちょっと疲れただけよ。それよりアナタだけでも逃げなさいよ」
アイリは菜和美に肩を貸して歩きだした。
「何をしているの?」
「今度は私が直江さんを助けるのです」
私がアナタを助けた? ちょっと逃がしただけじゃない。
シュバルトと走っていたときと違い、ちっとも前に進まない。それもそうだ。アイリと菜和美の体格はたいして変わらないのだから。
菜和美はシュバルトに北に向かって走るよう指示していた。華芽が言っていた。寄宿舎は王都の東の森の中にあると。男爵の別荘が南東側。北に行けば寄宿舎があるはずだ。でもたどり着けなかった。そう簡単に見つかるわけがない。そんなことはわかっていた。
それよりも情けなく感じるのは
「この期に及んで頼ろうとするなんてね」
誰に言ったわけでもないが、何を勘違いしてかアイリが応える。
「頼ってもいいんですよ」
アイリと菜和美は転んでしまった。アイリの足が木の根に引っ掛かったのだ。
「ねぇ、エルグランド伯って知ってる?」
ただなんとなく、レイアンネから聞いた名前を言うとアイリは頷いた。
「はい。薬や医療道具を扱っている貴族の方で、お医者様のお知り合いもたくさんいると言います。これで合点がいきました。ジアール男爵は医療とは関係ない方です。けれど男爵の鉱山で事故が起きて、そこで働く多くの領民が死傷しました。鉱山はエルグランド伯の領地にあります。きっと頭が上がらなかったのでしょうね」
アイリは地面に座りなおすと礼を言った。
「教えて下さりありがとうございます。これで一連の事件の黒幕がわかりました」
「カララ。やっと追いついた。姫を逃がすなんて何事カ? 二人とも始末してやろうカ?」
菜和美は立ち上がる前に振り向くと、コウルオセスと蝙蝠・犀の異魔獣がすぐ後ろまで押し寄せようとしていた。さらに後方には巨大なカニの異魔獣クレウセタもやってくる。
「ここまでのようね」
菜和美は立ち上がるのをやめた。その場に倒れこむ。お姫様には悪いけど、やり残したことなんて無い。
――本当に?――
せめてもう一度、花岡華芽と桜田蘭子に会いたかった。もう少し優しく接してあげればよかったかもしれない。でも次に会ったところで何を喋ればいいものか。
「自分勝手よね」
でも、これが私なの。目をつぶった。子猫、お姫様、花岡華芽、桜田蘭子……
「ごめんね」
もう、あのときみたいに、泣く力も残ってない。泣くに値する人間ではなくなったのかもしれない。
「謝ることないよ、だって直江さん、アイリを助けてくれたんでしょ」
「テメぇら、よくもアタシらの友達を痛めつけてくれたな!」
誰の声だっけ。目を開けるとアイリが今にも泣き出しそうな、それでいて嬉しそうな顔をしていた。どうしてそんな顔ができるの。
――その子は、いつでも助けに来てくれる子なんです――
菜和美は、アイリの目線が自分のうしろに注がれていることに気付いた。
やめてよね。ここで助かったら、辛い時に助かるものなら、いろんなものを捨ててきた自分がバカみたいじゃない。
振り向くと、華芽と蘭子が立っていた。
大会準決勝・決勝戦の当日の朝。華芽は早朝からレッツとともに特訓を始めようとしていた。いつになくレッツの顔も引き締まる。
「華芽が当たる準決勝の相手はグレイツ。前回大会の準優勝者だ。これまでの対戦相手とは格が違うから注意しとけよ」
「うん」
毎朝特訓を見守っていたイセラナは、華芽以上に緊張でガチガチになっていた。
「ピョ、ピョン、ピョン、ピョンナちゃんも頑張ってくら、くださいね」
ピョンナは不敵な笑みを作って頷く。
「なんでオマエが緊張してんだよ」
「だ、だって……」
そこへ、けたたましいエンジン音が近づいてきた。
「よう、華芽」
「蘭子、動けるようになったんだね」
蘭子がバイクに乗って現れた。身体には痛々しい包帯が巻かれているものの、バイクを運転できるくらいには回復していた。
「これを見てくれよ。昨日、オーザックが完成させてくれたんだ」
バイクの右側面には側車が取り付けられている。これで立派なサイドカーだ。蘭子は自慢げに語る。
「ここ最近は暇だったから、オーザックの工房に行って手伝ってたんだ」
「もう、怪我をしているのなら寝てなくちゃダメだよ」
華芽は蘭子をたしなめるが、本人はケロリとしている。
「これで華芽を会場まで連れて行ってやる。なんせ今日は最終決戦なんだろ」
これを聞いたレッツは
「その前に準決勝があるだろ。グレイツは強敵だ」
「華芽とピョンナなら大丈夫だって。アハハッハハ」
笑い飛ばす蘭子。呆れるレッツ。そんなときイセラナは南の空を見て、気付いた。
「あれ? 煙が見えます。火事でしょうか」
見れば、たしかに煙が上がっている。レッツが口を開いた。
「あの方向には貴族の屋敷があったぞ。感じの悪い貴族だったけど」
これを聞いた蘭子は
「貴族の屋敷か。もしかしたら、あのお姫様、またトラブルに巻き込まれていたりしてな」
アハハハと笑う蘭子だが、華芽とレッツ、イセラナは顔を見合わせた。
「ピョンナちゃんなら、お耳が大きいから火事かどうか、聞きわけることができるのではないですか」
イセラナの言葉を受け、ピョンナは南の方向に耳をそばだてた。珍しく険しい表情を作る。
「なにか悲鳴のようなものは聞こえる?」
華芽の問にピョンナは頷いた。蘭子も問う。
「まさか、悲鳴の中にお姫様の声も混じっていたりしてな」
ピョンナは再び頷いた。
「マジかよ……」
「蘭子! お願い!」
華芽はバイクの側車に飛び乗った。ピョンナも華芽の膝の上に飛び乗る。蘭子は急いでエンジンを吹かすと
「振り落とされるなよ!」
バイクを南へ発車させた。
木立がうしろへ流れて行く。蘭子はバイクを走らせた。傷が痛むが、痛がっている場合ではない。
「ねぇ、あれ!」
華芽の声が耳に入ると同時に、蘭子は前方で横たわる二人の人物を見つけた。
アイリと菜和美だ。どうして二人が一緒なのか分からないが、そんなことはどうでもいい。問題は二人を追ってくる勢力。異魔獣の群れだ。
二人とヌイグルミはバイクから降りると二人へ駆け寄った。ほんの数歩の距離だったが、近づけば近づくほど、二人が疲弊しているのがわかった。
歩みを進めれば進めるほど、華芽の心は悲しくなった。
助けに走れば走るほど、蘭子の心は苛立ちが募った。
まず耳にしたのは、菜和美の憔悴しきった声だった。
「ごめんね」
なんでもっと早く気付かなかった。来ることが出来なかった。
華芽は後悔の念に苛まれながら、言う。
「謝ることないよ、だって直江さん、アイリを助けてくれたんでしょ」
蘭子は怒りの念を放ちながら、言う。
「テメぇら、アタシらの友達を痛めつけてくれたみたいだな」
二人はアイリと菜和美を背にして、異魔獣たちに向かいあった。
華芽の目に巨大なカニの異魔獣が映る。
「蘭子、あれって」
「ああ。この前ケンカ売ってきたのはアイツだ」
「カララララ。誰かと思えば、先日取り逃がした異訪人ではないカ」
「オメぇはこの前の! そうかオメぇが菜和美やアイリを。仇はとってやる!」
蘭子の背後で、菜和美は呆れた声を投げかけた。
「勝手に殺さないでくれない?」
「お、元気そうだな」
華芽は異魔獣たちを睨んだまま、アイリに語りかける。
「アイリ、もう大丈夫だからね」
「はい……」
そこへ蹄の音が聞こえてきたかと思えば、一頭の白馬が四人の目の前に現れた。背にはリシュテルとジャスティーナが乗っていた。
「アイリーン様!」
ジャスティーナが馬から飛び降りてアイリのもとに駆けつける。
「ジャスティーナさん? どうしてここに」
「アイリーン様が危機に瀕するところ、必ず駆けつけるのがワタクシですわ。当然です。友達ですもの。アイリーン様のワタクシを必要とする心の叫び、たしかに聞き及びました。きっとあの化け物どもに酷い目に遭わされましたのね。ええ、言わなくとも分かっております。もはやワタクシたちは一心同体で……」
ジャスティーナの語りの途中だが、馬から降りたリシュテルが割りこんだ。
「姫殿下、この状況は?」
「男爵はエルグランド伯爵の策謀のもとに動いていました。異魔獣の集団が攻めてきて第十特殊部隊のみなさんが負傷してしまいました。私の浅はかさが原因です」
「そういうことですか。説教はあとです。しかし驚きましたね。男爵の屋敷に行ってみれば姫殿下の姿は見えず、斬り倒された木々を追いかけてみれば、巨大な異魔獣の仕業でしたか」
「カニの異魔獣はヘルズゲートの進化前だそうです。ここで倒してしまわなければ大変なことになります」
「簡単に言わないでください。だからと言って逃げようにも逃がしてくれないでしょうけどね」
「そのとおり。オマエら、姫とともに死んでもらおうカ!」