15. 姫殿下、動く
大会最終日を翌日に控えた夜、リシュテルの顔は険しかった。
観覧席爆破事件があってから王族の観戦は控えられていた。
しかし決勝と表彰式くらいは民の前に出なければ、反王国派の脅しに屈したことになり、ますます彼らを勢いづかせることになってしまう……それが貴族たちの考えだ。民にも姫殿下の観覧再開の報は知らせてしまっている。
リシュテルは爆破事件の真の狙いは姫殿下だと予想する。反姫殿下派の中には貴族もいるだろう。そうなると観戦中や表彰式の警備の内情は筒抜けになっているも同然だ。
リシュテルは悩む。大会が終わり姫殿下直属の騎士隊が結成され、解呪方法を探し当てたら……反姫殿下派にとっては痛手だ。
そうなる前に、次の攻撃が来る。なにせ観覧席ごと爆破する過激な者たちだ。アイリを城の中に籠らせても内通者がいるとすれば危険である。
そこに一人の貴族が手を上げた。ジアール男爵だ。彼は爆破事件が姫殿下を狙ったものではないかと疑っていた。ならば大会の観覧は影武者にやらせ、姫殿下は王都の南東にある自分の別荘屋敷に避難させれば良いと言う。
しかしジアール男爵が内通者であるとしたら……
そこでアイリはリシュテルに言った。まずは二人の影武者を用意する。一人は大会を観覧させ、表彰式の参加は急病で辞退させる。もう一人の影武者はジアール男爵の別荘屋敷に行き、そこで男爵が牙をむけば……
「逆に捕まえてしまえば良いのです。明日、私はずっとお城の隠し部屋に身を留めておきますよ」
リシュテルはアイリの聞きわけの良さが不安だった。
王国騎士・魔法士選抜大会最終日。早朝、表向きは、姫殿下一行を乗せた馬車の一団はジアール男爵の別荘屋敷へ向かった。
馬車に乗り込むのは姫殿下本人ではなく影武者・クレンの役割だ。今日一日、彼には一言も喋らずにいてもらう。姫殿下は気分がすぐれない事とし、屋敷の中では男爵には近づかないようにする。影武者であるとバレないための作戦だ。
大会観覧席には変装させたメイドを置く。リシュテルは不測の事態に備え、城で指揮を執ることとなった。
「素晴らしい朝ですわ。ワタクシが王国直属の魔法士になるための第一歩となる朝ですのね」
ネイガス魔法院の寄宿舎の前。早朝からジャスティーナは朝日を浴びながら、ほくそ笑んでいた。
この朝、ネイガス魔法院の生徒たちは準決勝まで勝ち進んだジャスティーナの壮行会を開こうとしていた。だが……
「ワタクシにそんなことしている暇はありませんわ」
朝日に向かって語りかける。
「ここ数日、観覧席にはアイリーン様のお姿がなくジャスティーナは寂しくて仕方ありませんでした。それもこれも爆破事件が原因。おかしな輩が王国の混乱を企んでいるに違いありません。でも大丈夫ですよアイリーン様。このジャスティーナ・テイルシュテインが試合のとき以外はお守りしてみせます。さぁ、急いで会場へと向かいましょう。うふふふ」
そこへ女生徒の一人が窓を開けて三階から語りかけてきた。
「おはようございます。ジャスティーナさま」
「え、あ、お、おはようございます。それにしてもアナタ、随分と早起きではなくて?」
「ジャスティーナ様の一人言がうるさくて起きてしまいました。一体どうして一人で興奮して楽しいのですか?」
「ふふふ。気にしないでくださいまし。応援してくださる皆さまには申し訳ありませんが、ワタクシは一人で会場に向かいますわ。待っていて下さいましね、アイリーン様。友であるジャスティーナが今、迎えに行きます」
「よくわかりませんが準決勝開始まで、だいぶお時間が……あ、行ってしまわれましたわ」
ジャスティーナは朝日に向かって駆けだしていた。会場が逆方向だと気付くのは数分後のことである。
この日は最終日とあって、会場では多くの人間が朝から場所取りに来ていた。係員たちも朝から大忙しだ。なにせ優勝者が決まれば王族が表彰式に参加する予定なのだから。
王族観覧席へ続く廊下には警備兵が打ち合わせも兼ねて待機していた。そこへ
「アイリーン様、ジャスティーナです。是非お側でお守りさせていただきたく参上いたしました。え、なんですの、アナタ方は。警備兵なのは見て分かります。テイルシュテイン家の者を怪しいなんて無礼ですわよ」
ジャスティーナは警備兵たちにモミクシャにされ、羽交い絞めにされながらも抜け出し、手足を引っ張られても根性で這いずって王族観覧席の扉までたどり着いた。扉を開けると見晴らしがよく、豪奢な椅子が数脚並んでいる。そこに姫殿下が座っていた。
「親友のジャスティーナが参上しました。最近は物騒なのでワタクシめを御側において下さい。くっ、警備兵の方、足や髪を引っ張らないで下さる? オマエが一番物騒? 誰ですの、そんなこと言う者は。凍らせますわよ。え? 友人の証拠? アイリーン様、この者たちに何とか言ってくださいまし。アイリーン様」
しかし、一言も喋らない。俯いたままである。ジャスティーナは不審がった。
「アイリーン様?」
そこへ
「オマエたち。そこをどけ」
ジャスティーナと警備兵を掻き分けてやって来たのはリシュテルだった。リシュテルは椅子に座る姫殿下の髪を思いっきり引っ張る。髪の毛がはずれた。
「かみぃぃぃぃぃ、ん? カツラ?」
この光景を見たジャスティーナは混乱で極まる。そんなジャスティーナを無視してリシュテルはカツラの主に詰め寄る。
「クレン、どうしてオマエがここにいる。男爵のところに行ったのではないのか」
「姫殿下がこちらの方が安全だから、もう一人の影武者と交代するようおっしゃったのですよ。もう一人のほうは筋骨隆々元気百倍で大木のような上腕二頭筋なので、命を狙われても安全だと」
「そんな者に姫の影武者が務まるものか。隠し部屋にいたのは変装したメイドだった。あちらも姫殿下に騙されていたが。だとすると自ら男爵のもとに赴いたというのか」
リシュテルは悪い予感しかしない。
「クレン、そのまま影武者を続けてくれ。私は急いで姫殿下のもとへ向かう」
部屋を出ていくリシュテル。そこへジャスティーナが警備兵をふりほどき言った。
「アイリーン様に何かありましたのね。ワタクシも付いていきますわ」
ジアール男爵の別荘屋敷は王都から南東、森の中にある。アイリは兵と十数人の執事、メイドを引き連れてやってきた。
「ようこそ姫殿下。本日は大会が無事に終えるまでごゆっくりなされていってください」
「この度は感謝します。ジアール男爵」
男爵はアイリたちを屋敷へ招き入れた。しかし別荘内の警備は男爵家の者が行うとして、兵たちは外の見張りを任されてしまった。
別荘内部は玄関扉の前が広く二階まで吹き抜けになっている。奥に二階へと続く階段があった。男爵は言う。
「ところで姫殿下。ここに来ていることは、どれほどの人間が御存知なのですか」
「ここにいる者たちと、城に残った少数の者たちです。王侯貴族は大会を観戦している影武者を本物と思い込んでいるでしょう」
「それは良かった。しかし物騒なことになりました。私の推察ですが、観覧席の爆破は姫殿下の御命を狙ったものではないかと。恐ろしい話ですが」
「そのことについて、ずっと考えておりました。当日、私が一般観覧席にいたことを知っているのは会場にいた近しい貴族だけ。爆破事件が私の命を狙ったものなら、貴族の中に内通者がいることになります。次に観覧席の爆破に使われた爆薬はどこから来た物なのか。内通者が雇った悪党の持ちモノだったんでしょうか。そのわりには用意が早い。私が変装して一般席に行く時間は長いものではありません。悪党に爆弾持参で集合をかけていたら大会が終わってしまいます。ならば事前に用意し、あらかじめ集めておいた悪党に渡したのでしょう」
「とんだ不届きモノですね」
男爵の顔色がおかしいように思えた。アイリは続ける。
「きっと内通者は爆弾を用意できる立場にいると思うのです。たとえば鉱山を所有している商人の出の貴族。鉱山で使う爆薬を王都に移動させていても疑われません。さらに調べたところによると爆破事件の直前、タイミング良く会場から出て行っている者がいる。この情報を知ったのが昨晩のこと。私はある者が内通者でないかと疑いをかけました」
「……何が言いたいのです」
「ジアール男爵の見解を聞きたいと思いまして」
「なるほど。しかしこんなところで姫殿下を立たせたままでいるわけにはいきません。どうぞ奥へ。まずは一緒に朝食を如何ですか。ご用意させていただいております」
アイリは動かない。
「申し訳ありませんが結構です。昨晩は緊張で一睡もできなくて、少し休みたく思っております」
「せっかくウチの料理人が作ったのです。一口だけでも」
「何故そんなに食べさせたいのですか?」
男爵の目つきが変わった。アイリはさらに続ける。
「お部屋をご用意して頂けますか。横になりたいのです」
「で、では、こちらの部屋へどうぞ」
「あ、枕を馬車の中に置いてきてしまいました。私は枕が変わると眠れません。馬車まで取りに戻ります」
「待ってください。外に出るのは危険です」
「ここは安全なのでしょう」
男爵の様子がおかしい。何かを隠しているなとアイリは感じた。
「ジアール男爵。すごい脂汗ですよ。今日はそんなに暑いでしょうか」
「……出すな」
「え?」
「姫殿下を外に出すな!」
男爵の使用人が玄関扉を塞いだ。
「これはどういうおつもりですか」
「姫殿下には死んでいただく。先ほどの推理は正解だよ、姫殿下。仕組んだのは私だ」
「どうして、私を殺そうと」
「貴女は呪いを解く方法をお探しだ。その情報も断片的だが手に入れたと聞く。得た知識を自分のためだけに使うのならともかく、国民にも配給しようとしている」
「それの何が悪いのですか。延命治療は高額です。呪いを受けた者の全てが私のように恵まれた環境にいるワケではありません。呪いによる死を先延ばしにするのではなく、呪いによる死そのものを無くすことを、どうして咎められなければならないのですか」
「これだから世間知らずの小娘は困る。理想主義者にすぎないのですよ。では要求しますがね、解呪法で得た利益を貴族や医者にも配分してもらいたい。その約束さえあればベイカー医師たちが敵対することもなかったでしょう」
「利益があるとすれば、苦しむ人々が救われることが利益です」
「呪いを解かれては都合の悪い人間がいることを分かっていない。この世界には呪いが必要なのです」
「この世界ではなく、利益を得られる一部の人間だけに必要なのでしょう。私の友人の世界では呪いなんて無くとも、医者は皆から感謝されているといいます」
「話にならん。そんな世界があるとしたら見てみたいものですな。オマエたち!」
一階、二階の扉が開き、ガラの悪い連中が出てきた。全員が凶器を所持している。数人の男たちの腕には黒い獅子の刺青があった。アイリは言う。
「黒の獅子団ですね。犯罪集団のような者たちを雇ってしまいましたか」
「毒入りのスープを喰らって死んでいれば怖い思いをせずに済んだものを」
「男爵、このようなことをすれば貴方のお立場は危うくなる。もしや誰かに命じられているのではありませんか」
「余計なお世話だ。ここにいる全員を殺して、城にいる貴女の腹心も殺せばバレることはない。国民にとって姫殿下とは、観覧席にいる影武者が本物なのだ。なんら問題ない」
アイリは深いため息をつく。
「私は若輩者ですが、こんな仕打ちを受けるとは思いませんでした。私一人を殺すために多くの関係のない人たちが巻き添えになりました」
「巻き添えになるヤツらのことなんて知らんよ」
「そんなの、悲しいです」
男爵は黒の獅子団に目配せした。
「オマエたち、高い前金はもらったんだろう。きっちり働いてもらうぞ」
黒の獅子団がアイリたちに迫ろうとしていた。