11. 闘技場観覧席爆破事件
菜和美は振り返らず、会場から出てきた。菜和美の前に立ち塞がったのはレイアンナだった。
「初戦、余裕だったみたいだねぇ」
「わざわざ観に来たの? 私は逃げたりはしないわ」
「迎えに来てやったっていうのに何て言い草だい。まぁアンタにぁ、この世界に逃げるところなんてありゃしないだろうけどさ」
レイアンナは幌のない荷台がむき出しになった馬車を指し示した。乗れというのだ。
菜和美は立ち止まり、レイアンナに問う。
「ねぇ、約束はちゃんと果たしてくれるんでしょうね」
「モチロンだとも。アタイらの依頼人のオーダーを果たしてくれれば、あっちの世界に帰る手段を教えてあげるよ。アンタこそ、オーダーを全うできるんだろうね」
「ええ。私は元の世界に帰る。そのためにも優勝して、表彰式で姫殿下 アイリーン・イーエンデルヒを殺すわ」
「それでこそ異訪人の菜和美ちゃん」
「もうこんな時間になっちまった。爺さん心配してんだろうな」
蘭子は夜の街道を歩いていた。オーザックと盛り上がり、気がつけば夜になっていた。蘭子が側車や自転車の絵を描き、構造を説明すると、オーザックはすぐさま理解し、より良い提案を蘭子に提供した。
あっという間に側車の構想は練り上がり、あとは作るだけとなった。オーザックは蘭子の世界の技術について、おおいに興味を示した。蘭子も話して聞かせてやりたかったが、もう夜になってしまったので、また明日、ということになった。
「明日から側車作りか。アタシも手伝うとは言ったものの、オーザックなら一人でも作れちまうだろうな」
街を抜けて平野に出た。ここからしばらく歩いたところに蘭子が滞在している村がある。街中でバイクを出さなかったのは騒音で住民を驚かせないための配慮だ。
「ここなら遠慮は無用だ。そうだろう。ええっと、なんて言ったっけ。イモマンジュウだったか。あとつけてんのがモロバレなんだよ」
蘭子が振り向くと蝙蝠の異魔獣を引き連れた黒いローブの男が立っていた。暗くて正体を見極めることができない。蘭子は問う。
「テメぇら悪いヤツらなんだってな。何の用だ…………って答えるわけないか」
蝙蝠の異魔獣が蘭子を囲んだ。
「いいぜ。相手になってやんよ。ゲキトゥム!」
大会二日目の午前は二回戦の試合が行われた。華芽はこの日の試合も難なく突破できた。昨日の初戦を突破したジャスティーナも同様だ。午後から始まる三回戦の出場者が続々と決まっていった。その中には菜和美の姿もあった。
ただ、蘭子が観戦に来ていないことが、華芽にとっては少し気がかりだった。
午後の試合が始まる直前のできごと。王族控室では執事リシュテルがアイリを咎めていた。
「なりませんよ姫殿下。一般の観覧席で試合が見たいだなんて」
「だって王族の観覧席は闘技場から遠すぎて、よく分からないんですもの。それに今年の大会は私にとって特別なモノ。未来の騎士になるであろう方々がどんな人たちか、近くで見てみたいではありませんか」
「姫殿下が観覧席にいたら民衆は驚いてしまいます。それに護衛する者の身にもなってください」
「変装すれば問題ないでしょう。さすれば護衛も混乱もありませんよ」
アイリは変装の準備に取り掛かった。クレンはアイリに聞いた。
「姫殿下、僕が女装をしたところで親しい貴族にはバレてしまいます。意味がないのでは?」
「大丈夫ですよ。親しい貴族の方なら私の好奇心は理解しておいでです。挨拶に来られた初見の貴族の方の前では本物として扱ってくれるでしょう。クレンは女装、もとい影武者としての自分に自信を持ってください」
「そんなぁ」
クレンの辟易とリシュテルの反対を余所に、民衆に変装したアイリは一般観覧席へ向かった。
観覧席は観客であふれていた。立ち見でなら、なんとか余裕があった。
「何もリシュテルまでついてこなくても」
「たとえ変装したとしても、姫殿下をお一人には出来ません」
「だからってリシュテルまで民衆に変装しなくても」
「民衆が執事を引き連れていたらおかしいでしょう」
そうこうしているうちに三回戦第一試合が始まろうとしていた。青年剣士とネイガス魔法院の生徒との戦いだ。アイリはワクワクしながら二人を見つめた。
そんなときだった。観覧席に爆音が鳴り響いた。背中越しに熱風を感じアイリが振り返ると客席は炎と煙に包まれていた。火傷を負ったり、飛んできた椅子の破片で傷を負った観客が悲鳴を上げていた。
さらに一か所だけでなく、複数の客席から爆発が起きた。客席は闘技場を囲むように円形に作られている。アイリのいる場所からは、いたるところから爆発、火災、人々の叫び、混乱が生まれる瞬間が鮮明に見てとれた。
アイリは助けに行こうと踏み出すが、リシュテルに肩を掴まれ止められた。
「危険です。自分のことを最優先にお考えください」
「で、でも……」
リシュテルは何かに気付き、空を見上げた。アイリも見上げると蒼空に黒い人影が浮かんでいる。人影から射出されるナニカが客席に降り注ぐと爆発が起った。
人影はまもなくして、何処へと消えていった。
午後の三回戦は明日に延期になった。会場の救護室は爆発の負傷者でごった返していた。救護室では収まりきれず、廊下にもケガ人が溢れている。
「治療ができないとは、どういうことですか」
正装したアイリが救護室の一角で医師たちに詰め寄った。
「あなた方は大会で負傷した者たちを治療するという約束でこの場にいるのです。給金も国から出ているので、ケガ人の貧富に関係なく診てきたはずです。なのにどうして怪我人を放っておくのですか」
「それはですね姫殿下。この者たちが出場選手ではないからですよ」
口を開いたのはラッセル医師だ。
「我々はケガをした選手を治療するよう、国から仰せつかっております。しかしこの大量の怪我人は選手ではなく観客だ。医師の出る幕ではない」
「そんなの詭弁です。ほかのお医者様も同じご意見なのですか」
医師たちは黙りつづける。そこへやってきたのはベイカー医師だ。
「いやぁ、まさか観覧席に爆発物が仕掛けられていたとは恐ろしいもんですな。これは反王国派の手口でしょう。火傷に切り傷。重傷者がたくさんいる。まるで戦争でも起きたかのようです。ああ、このままだと何人が帰らぬ人となるか。考えただけで背筋が凍るもんですなぁ」
「でしたらベイカー医師、一緒にこの方たちを説得してください」
アイリは一縷の希望を持って、ベイカーに協力を煽った。だが
「それはそうと姫殿下。我々が呪いの延命治療に心血を注いでいるのはご存知でしょう」
「ええ、もちろんです。それが何か」
「呪われてしまった者は身体が蝕まれ、ただただ死ぬのを待つばかり。生きることが地獄へと変わってしまう。そこで我々医師が少しでも生きられる期間を伸ばそうと人生をかけて患者と向き合っているわけです。時に我々は患者の心を癒し、患者は我々に諦めない勇気をくれる。しかし呪いには抗えず、必ず患者との別れが来ます。だが、それまでに生まれた患者と医師との絆は何も生み出さなかったワケではない。医師は絆を糧にし、より一層の延命医術の探究に邁進することができる。もはや呪いの延命治療はただの医療行為ではない。神聖なものなのです」
アイリにはワケがわからない。何故、今その話をするのか。ベイカーは続ける。
「この神聖な行為を真っ向から否定する考えがあります。姫殿下、貴方ならお解りでしょう」
アイリは全てを把握した。
「姫殿下、貴女は未だに呪いを解く方法を探しておられる」
「それが悪いことだと言いたいのですか」
「そんなことは決して思っていませぬよ。姫殿下、私は心配なのです。今後、存在するかも分からないもので、貴女が患者にムダな希望を植えつけるのではないかと危惧しているのです。まぁ、いくばかりかではありますが、我々が人生をかけてきた行為が否定されたような気がして、いささか気分が悪いのは確かですがね」
「この場にいる者たちを治療しないのは、私への嫌がらせですか」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでいただきたいですな。人々に笑顔が戻るのであれば、それがどんな形であれ嬉しいものです。ラッセル先生の言うとおり、我々は選手を治療するためにここにいる。選手ではない者たちに対して医療の手を差し伸べる事は躊躇してしまうのです」
「ならば、あなた方を雇っている王国の者として命じます。早くここにいる者たちを救ってください」
「勘違いされては困る。私どもは国に雇われているのであって貴女に雇われているわけではない。姫殿下、貴女も観覧席にいたと聞きました。運よく助かった命だ。悪ふざけも今日でやめた方がいい。まさかあの爆発の中でもご存命とは、恐れ入りましたがね」
言葉が出ないアイリを尻目にベイカーは医師たちに促した。
「さぁ先生方、今日はもう試合は行われないそうだ。引き上げるとしましょうか」
医師たちは救護室をあとにした。ベイカーは出ていく際にこう言った。
「姫殿下のお身体を察すれば、解呪にすがりたくなる気分もわかりますがね。包帯や薬などの医療道具は置いていきます。この会場の物ですから。それらがあるからといって、何かできるとも思えませんが」
アイリは救護室のイスに座りこんだ。ここの救護室は広い。それでもケガ人で溢れかえっている。
無力感にさいなまれているアイリに無機質な声が語りかけできた。
「ここにいる怪我人を助けたところで一銭の得にもならない。だからあの医者は出ていったのよ」
顔を上げると、隣に黒髪の少女がいた。アイリは笑顔で話しかえした。
「あなたは出場選手の直江菜和美さんですね。守護獣を召喚するからには異訪人。私、あなたとお話ししてみたいと思っていたんです」
そこまで言うとアイリは菜和美の服に血が付いているのがわかった。
「大変。さっきの爆発に巻き込まれたんですね。早く治療を」
「これはケガ人をここへ連れてきたときのもの。私の怪我ではないわ。それと、変な作り笑いはやめて」
「あ……ええ」
アイリは俯いてしまった。菜和美はため息をつく。
「笑う時でもないのに笑ってるのが、おかしいと感じただけよ。今のあなた、笑える心境ではないんでしょ。アナタと医者との会話、聞いてたわ」
「なんだか……お恥ずかしいです」
「この世界の医者はどんなものかと思って覗きに来たら、まさかこんなことになっているなんてね。どこの世界でも医者は医者。頼るのがいけないのよ。説得なんかより金を積んだほうがいいんだわ。くだらない」
そんなとき
「どいてください。ごめんなさい。通して下さい」
入口に目を向けると華芽が座りこむケガ人を避けながら救護室にやってきた。
「華芽」
アイリが華芽の名を口にすると、菜和美も気付き、黙ってアイリの前から去っていった。華芽はアイリを見つけると慌ててやってきた。
「アイリ。ここのお医者さん知らないかな。ケガ人が全然減らないの」
「それは……」
「レッツもさっきの爆発で怪我しちゃって」
「レッツくんまで」
「爆風で飛んできた破片で腕をケガしたの」
「もし可能ならば、レッツくんを街の医院に連れて行ってください」
「え?」
アイリは立ち上がると険しい面持ちで救護室を出ていった。