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「本当に申し訳ありません……」
私が人質となってしまったことで、ライライムと新たに現れた魔王の配下をみすみす逃してしまいました。でもあの液体、本当に辛かったのですよ……それはもう全身が痙攣するほどに……。ライライム達が逃走してから暫くして、私の首を締めていたライライムの液体は力を失って溶けたそうです。
「気にするな。お前が辛さで悶絶していることに気づかなかった俺のせいでもある」
「事情は分かりましたが、エルト様らしからぬミスですね」
「ライライムだけなら平気だったんだがな。ウルメシャスの因子を持つ魔物怪人がもう一体現れたことで、俺も判断力が鈍くなっていたのかもしれない」
「なるほど、よりイリシュ様になっていたと」
「まるで私が普段からポンコツとでも言うかのよう!?」
これはとても深刻な問題です。よりにもよって魔王の配下に勇者が不完全であることが露呈してしまったわけですから。それにウルメシャスに私が降臨していることも……。
「それでエルト、さっきの魔物はどうするの?貴方が望むなら今すぐ魔界まで追いかけて始末してくるけど」
「やめとけ。あれだけ強いライライムを斥候として使うくらいだ。魔王の傍にいる四魔将のレベルはそうとう高いと考えられる。仮にお前の方が強くても、魔王は相当頭がキレる。その差を埋めてくる可能性の方が高い」
現在のところ分かっているのは、魔王の傍にはウルメシャスがいるということ。魔王の陣営は魔物怪人と呼ばれる規格外の魔物を生み出す技術があるということ。そしてその魔物怪人達よりも優れた四魔将と呼ばれる魔族が仲間にいるということ。ほとんど活動を始めていないというのに、随分と盤石になっているのですが……。
「ですがエルト様。魔王の方から仕掛けてくる可能性もあるのでは?」
「ライライムやメンメンマだっけか、あの二人の魔物怪人のカムミュに対する反応を伺うに、四魔将とやらの強さはカムミュ前後だと考えられる。ライライムの報告を聞けば俺の技にも意識を向けるだろうし、生半可な戦力を送り込んでくることはないだろ」
「仕掛けてくるにしても、安定した戦力を整えてからということですか」
「ああ。話から察するに、将はいてもオーガの一般兵しかいない程度の軍勢だ。クルルクエルやイリシュ、カムミュの存在を知っていればその程度で仕掛けるのは自殺行為でしかない」
そうなのでしょうか。今のエルトのことを知れば、ウルメシャスなら直ぐにでも刺客を送り込んできそうな気もするのですが……。
「頭がイリシュ様なウルメシャス様なら刺客を送り込んできそうなものですが」
「頭が私!?」
「魔物怪人については創り出せる存在だから送り込んでくるかもしれない。だがライライムやメンメンマの強さが通用しないと分かった以上、より戦闘に特化した魔物怪人が創られるまでは平気だろう。四魔将は仲間にした魔族のことだろうからな、そういう貴重な仲間をリスクのある場所に送り込むような真似はしないだろう」
「そういうものですか」
「何せ今の魔王は地元でようやく腰をあげたばかりだ。魔界の統一すらしてないのに無茶はしてこないだろ」
そう考えればなるほどと思えますが、結局は一時的な平和ということでしかありません。魔王側に余力が出てくれば遠い未来、最大の障害となる勇者の排除は必ずしてくるでしょう。
「エルト様はその間どうするつもりで?」
「今のところは特になにも。強いて言うなら魔王が動き出した情報を国に伝えるくらいだな」
「国にですか。まあ人間達が一丸となった方が良いですからね」
「今のところ『変な魔物を生み出して、地元当たりから勢力を伸ばし始めている』とかよく分からない内容だしな。急いで伝えてもピンとこないだろ。もう少し分かりやすく脅威となるまでは様子見だな」
うう。魔王が動き出していると言うのに、こんなにゆったりとしたスタンスで大丈夫なのでしょうか……。
「では当面はこのままということで」
「ああ。ただ様子見として魔物怪人が送られてくる可能性はある。クルルクエルは周囲の監視の方をもう少し強化してもらえると助かる」
「わかりました。境界線に簡易的な結界を展開し、魔物が流れてきた時に素早く反応できるようにしておきましょう」
……クルルクエルって私よりエルトの方に忠実な気がするのですが気の所為でしょうか。私この子とこんなにまともな打ち合わせをした記憶が……いえ、きっとあると思います。
「いよぅエルト!エルトはいるかー!」
「っ!?」
突如扉を蹴り破るかのような勢いで男性が入ってきました。年はエルトと同じくらいですが随分とやんちゃそうな風貌で、右目には大きな傷跡があります。その来客を見たエルトは何を言うまでもなく、手にしていた箒を男性の額へと投げつけました。
「おっふぉっ!?」
「人の家のドアを足蹴にするなって何度言えば分かるんだ?」
「あら、コックン。戻ったのね」
「よ、よぉカムミュ……相変わらず恋する乙女で可愛らしいじゃねぇの……」
コックンと呼ばれた男性は涙目で額を抑えながらカムミュさんへと挨拶をしました。どうやらお知り合いのようですが……。
「あのエルト、こちらの方は?」
「……っ!?おいおいエルト、こちらのまるで女神イリュシュアの生まれ変わりのような美女は誰だ!?」
「イリュシュア本人だ」
「マジかよ!?そうなの天使様!?」
「あ、はい。そうです」
「マジだったよ!?」
この人もクルルクエルの言葉は直ぐに信用するのですね……。ということは今まで出会ったことがなかったのですが、この村の方なのでしょうか。
「こいつはコックン。コックン=サンデス。カムミュの幼馴染だ」
「お前の幼馴染でもあるんだよ!?ま、そんなわけでコックンだ。コックンさんと呼ぶと違和感があるだろう?だから気軽にコックンと呼び捨てにしてくれ。その方が親近感あるからな」
「は、はあ……」
「つか麗しい天使様が認めたから嘘じゃねぇってのはわかるけど、本当に女神なん?」
「え、ええ、まあ……」
「どれどれ……人を導きし慈愛に満ち溢れし女神イリュシュアよ、貴方に我が信仰を捧げます――」
「え、何を……えっ!?」
コックンさんがその場に跪いて祈りを捧げると、突然私の体が輝き始めました。え、これどういう仕組みなのですか!?
「うお、マジでマジだった!」
「あ、あの、これは!?」
「ああ、そいつは神官でな。しかもガチで聖人適正がある奴だ」
「さすらいの荒くれ者のような格好なのに!?」
天界にいる時、時折熱心な信仰心が私の元に届くことはありましたけど……降臨している時はこうして直接届くのですね。でもなんで光るのでしょうか……。
「修行がてら有名な神殿を巡っていたからな。小洒落た神官服なんて着てられねぇーんだわ!」
「ですが見事な祈りですね。私でもここまでの信仰心は持てませんよ」
「貴方天使でしょ!?しかも私の直属の部下!」
「はっはっはっ、麗しの天使様に認められちゃちょっと恥ずかしいぜ!あ、でも女神様への信仰は本物でも、女性としての貴方にももちろん欲情できてるんで心配しなくていいぜ!」
「心配しかないですけど!?」
なんとなくですが、このコックンさんのことが分かったような気がしました。とてもプレイボーイな方なのですね。
「ちなみに私の名はクルルクエルです。私だけ天使様と呼ばれるのも違和感がありますので」
「おお!何て可愛くて女性らしい名だ!」
「女性らしいのでしょうか。私には元々性別はないので特に気にしたことはありませんが」
「そう考えるとそうかもしれねーな」
「この人適当なことしか言ってませんよね!?」
「まあ天使様に似合う名前だから良いじゃねーか!欲情できるぜ!」
「名前で!?」
さてはこの人、カムミュさんに負けないくらい変な人ですね!?
「俺は基本男だろうが女だろうが、誰にだって欲情できるからな。もちろんエルト、お前にもな!」
「気持ち悪いから近寄るな」
「おいおい、同性愛差別か?そういうのはよくねーぜ?」
「同性愛を否定するつもりはない。同性だろうが異性だろうが、場所を選ばすに相手に直接欲情できると迫る奴が気持ち悪いと言っているんだ」
「へへ、ぐうの音もでねぇな」
「いいからエルトに近寄らなないでもらえる?殺すわよ?」
「へいへい、落ち着けよ可愛いカムミュちゃん。俺は誰だって愛でたいだけなんだ。もちろんエルトに恋する君のことだって愛おしく思っている。君を美しくする恋路を邪魔するわけがないだろう?」
「エルトに欲情しながら近寄っている時点で不快でしかないのよ」
「へへ、ぐうの音もでねぇな」
どうしよう。カムミュさんが凄く濃い人だと思っていたのに、コックンさんはもう濃いとかそういう次元じゃない気がするのですが……。
「ああ、なるほど。この人博愛主義者なんですね」
「博愛主義?」
「人種、国家、階級、宗教などの違いを越えて、人類は広く愛し合うべきであるとする主義のことですよ。それが完成されていて、イリシュ様や私相手にも歪みのない愛を向けることができているようです」
「ええと……?」
「つまり全てを途方もなく愛せるので、聖人としての条件も満たしているということですね。欠点として性欲も隔たりなく存在している感じですかね」
「些細な欠点だ。万人を愛するついでに欲情するだけだぜ?」
「重大な欠点ですよ!?」
堂々と欲情するとカミングアウトされることは少し困惑しますが……。ま、まあ私は女神ですし、人の欲情を掻き立てるものがあるのは仕方がないことなのでしょう。あ、でも誰にでもこの態度だというのなら逆に安全なのでは?……いえいえ、それはないですね。
「でも何で戻ってきたのよ。各地の神殿を修行して巡るって言ってたじゃない」
「ああ、聖人として認められる為の修行として有名なものですね。人間界に存在する全ての神殿で修行を積むとかいう」
過去勇者の仲間であった伝説の聖職者達が、そのような修行をしていたのを耳にしたことがあります。ですがその過酷な修業をなし終えた者はこれまでの歴史でほんの一握りの聖人だけだったそうです。
「巡礼なら既に済んだぜ?」
「嘘っ!?」
「嘘は言わねーよ。各地の神官さんは皆、俺の愛の深さを知ったら直ぐに免許皆伝を寄越してくれたからな!」
「それ貴方が手に負えないから、たらい回しにされただけじゃない?」
「へへ、ぐうの音もでねぇな」
「たらい回しされて聖人への試練を完遂したのですか!?」
あ、いやでも、さっきの祈りは本物だったし……もしかして本当に聖人として認められるだけの実力があるのでは?
「てことはお前本当に聖人になったのか?」
「あー、それなんだがな。大聖堂で認定される前日にすげー気の合う奴と出会って夜通しどんちゃん騒ぎしたんだが、そいつ魔族だったらしくてな!」
「魔族とどんちゃん騒ぎしたのですか!?」
「そんで魔族と懇意にする奴を聖人として認めるわけにはいかねーって、破門されちまったんだわ!わははは!」
「えぇ……」
どうして大聖堂のある場所の近くに魔族がいたのかなど気になる点は色々ありますが……この人本当にでたらめな生き方をしていますね!?
「器が小せえよな。魔族だろうと誰かを愛する気持ちを持つことはあるんだぜ?そいつサっちゃんって言うんだけどさ、すっげーピュアな奴でよー。そいつの語る純愛を聞くだけでムラっときたね!」
「人の恋バナで欲情するとか最低ね」
「へへ、ぐうの音もでねぇな。でもまた会いてぇな、アイツの恋路は是非とも応援してやりてぇ!ついでにやりてぇ!」
「もう色々と台無しですっ!?」
とりあえずコックンさんにはエルトの事情、先程まで起こっていたことを説明することになりました。
「魔物怪人か……欲情できるか試してみてぇな」
「ゴブリンにも欲情できたんだからいけるんじゃないのか?」
「ゴブリンにも!?」
魔族と意気投合したと聞いた時に薄々感じてはいましたが、魔界の住人相手にも博愛主義は変わらないのですね……。
「ま、事情はわかったぜ。俺も故郷を失うのは勘弁だからな。協力してやるぜ!」
「いや、願い下げなんだが」
「幼馴染が一緒に戦うって言ってるのに!?」
「あの……コックンさん?」
「なんだいイリシュちゃん」
「ちゃん……。貴方は魔界の住人にも博愛主義の精神で接するようですが、戦うことは平気なのですか?」
魔物にすら愛を向け、欲情するというのであれば戦いの場に赴くことはできないのではないでしょうか。
「ん?問題があるのか?」
「だって愛する相手を殺してしまうこともあるのですよ?むしろその方が多いでしょうし……」
「あー、まあ屍姦の趣味はねーから殺してしまったら抱けねぇな。でも愛することと命を奪うことは関係ないだろ?」
「……え?」
「そりゃあ仲良くできりゃ、それに越したことはないぜ?でも生あるものとしてこの世に存在する限り、争いが生まれることは自然なことなんだ。虫は植物を食べ、鳥は虫を食べる。鳥が死ねば植物が栄養として育つ。命のやり取りがあるからこそ、世界は巡っている。人間界と魔界の争いだって、存在している以上は自然の成り行きとして認めなきゃならない」
コックンさんはそれが当然であると、迷わず言っている。どのような争いも、存在した以上は向き合わなければならないと。
「俺は同じ村の出身として、幼馴染として、エルトに協力したいと思った。だからエルトを取り巻く争いの中に加わる以上、愛する相手だろうと命を奪うことは自然なことでしかない」
「……私にはちょっと分かりかねます」
「分からなくていいぞイリシュ。そいつは決して揺らがない博愛主義だ。誰でも隔たりなく愛するが、誰でも隔たりなく殺せる。聖人としての適正がある代わりに、人として欠陥があるんだ」
「愛を言い訳にしないだけだぜ?誰でも愛せるからこそ、物事の優先順位に愛の要素が加わらない。現実主義者と変わりないだろ?」
「……え、ええ」
ああ、思い出しました。こういう発想の人、見たことがあります。この世界ではなく、姉さんの知り合いの……。
「そんなだから願い下げって言われるのよ。私はエルトへの愛だけで生きるわ。愛で全てを決め、愛に委ねるの。そんな平らな愛なんて、どれだけ重くても受け止めさせたくないわ」
「そんなひたむきなカムミュちゃんの愛は見ていて飽きないぜ?ムラっとくる」
「その性欲を口にする悪癖さえ直せばマシなのにね」
「へへ、ぐうの音もでねぇな」
過去勇者の周りのメンバーで、これだけ濃いメンツがいたでしょうか。うーん、大丈夫なのでしょうか……心配です。