1-12-2:メンメンマ視点
◇
「あわわわ……」
ライライム先輩の魔力が途絶えた場所で先輩の体の一部を発見。コアがないことから何者かに回収されたのではと周囲に残されていた足跡を追跡したところ、人間の住む村を発見し、気配を消しながら調査をしていると先輩の魔力の痕跡を見つけ出すことに成功しました。
魔力の痕跡を追っていった先の家の窓から覗いて目撃した光景は、先輩に酷い拷問をしている人間の姿……!
「震えが増してきましたね」
「別に情報を吐かなくていいから、言語機能をオンにして欲しいものだな」
あれは毒なのでしょうか。先輩に毒の耐性があるかどうかはよく知りませんが、苦しんでいるように見えるのは確かです。なんとしても助けなければならないのですが……先輩を拷問している人間の側にいるのは天使、非常に高い能力を持っていると考えられます。恐らく先輩を倒したのもあの天使に違いありません。下手に飛び出せば間違いなく殺されてしまうでしょう。
「んーっ!」
それはそうとあの人間の女は一体何者なのでしょうか。この状況で縛られているということは、敵対しているのでしょうが……どうして先輩と一緒に捕まっているのでしょうか。さては先輩の現地での協力者……!?社交性の高い先輩のことです、オーガを追いかけて人間界を訪れた際に現地の人間に取り入って情報収集をしていたのではないでしょうか……!
そうなると先輩だけではなく、あの女も一緒に助けた方が良いのでしょうか……。一人を助けるより二人を助けるほうが難しいのは当然のこと……オリマ様からは自分の手に負えなさそうなら撤退しろと言われました。無理に助けることは考えず、可能ならばの範囲に留めておくべきでしょう。
「それにしても臭いますね。少しこの家の周囲の空気を浄化するように結界を張ってきましょうか」
「そうだな。外に臭いが漏れると、村の連中が心配するかもしれない」
チャンスですっ!天使の方が外に向かっていきました!部屋に残っているのは特に脅威を感じない人間が一人、これなら先輩と協力者さんを一緒に助けることもできます!窓から突入しあの男を鎮圧、協力者さんの拘束を解除して先輩の壺と一緒に抱えて窓から逃走……!
「エルトと天使様、どっちを見つめているか判断がつかなかったけど。やっぱりエルトに這い寄る虫だったわね?」
「メンッ!?」
窓を開けて飛び込もうとした瞬間、肩をがっしりと掴まれて思わず声が漏れてしまった。振り返るとそこには別の人間の女がいて、私を冷たい視線で見下ろしていた。
「気配まで消して、随分と念入りね?まあその辺の女と違ってあざとく言い寄らない点だけは評価してあげるわよ?でもエルトを見ることすら貴方には許されないわ。あのいつも冷静で凛々しい彼の顔は私だけが見つめるべきなのよ。ああ、今日も素敵よエルト……」
「(あ、頭おかしい人だメン)」
どういうわけかこの女は家の中にいる男の方を見ると、うっとりとした顔で自分の世界に入ってしまった模様。オリマ様を見つめるケーラ様に近い感じはするけど、それ以上に病的な気がする。だけど完全に隙ができた!
「隙ありだメン!」
「あるわけないでしょ」
「メンッ!?」
喉を狙って突き出した手刀が空を切る。完全に捉えたと思ったのに、私の手刀以上の速度で回避されてしまった!?状況を正しく理解する間もなく、簡単に組み付されてしまった。この女、感じる魔力はケーラ様よりも遥かに少ないというのに、肌にチリ付く圧力は同等以上!?魔力とかじゃなく、圧倒的な技量で……!
「くっ、この強さ……さてはお前がライライム先輩を倒したメン!?」
「誰よそれ。しかもさっきから変な語尾を付けて、ラッパー?」
「これはアイデンティティですメンッ!」
関節をがっしりときめられビクともしない状態だけども、抑えている力は先輩よりも弱い。足から根を伸ばし、強引に相手ごと体を起こしてその勢いで壁に叩きつけ――。
「あら、ひょっとして人間じゃないわね?魔物?食卓に出したらエルトは喜んでくれるかしら?でも見た目が人間だとちょっと判断に困るわね。そうね、バラバラにしてシチューにしましょう」
「ひぃっ!?」
女は壁に叩きつけられることを予測していたかのように、その両足でしっかりと壁に着地していた。ここまでくればもう疑いようがない。この女は私や先輩よりも強い。ひょっとすればキュルスタイン様やケーラ様と同格……!?
この女に発見されてしまった以上、先輩の救出よりもオリマ様の命令を最優先にしなくてはならない。普通の人間や空を飛ぶ天使相手ならば私の足の速さで逃げ切れるだろうという算段だったけど、この女はきっと私の全力よりも速く走ることができる。
「(……すみません、ライライム先輩!もう少し耐えていてくださいメン!きっと援軍を連れて戻ってきますメン!)」
「腕を折ってでも逃げるつもりね?逃がすと思うの?」
痛みなら耐えられる。そう思ってきめられた関節を無視して強引に抜け出そうとした瞬間、女は壁を蹴り、私の下腹部へと絡みつくように手と足を回してきた。振りほどこうにもその動きは早すぎて、あっという間にバランスを崩されてしまい、気づいたら馬乗りの状態になってしまっていた。
「そんな……っ!?」
「まずは血抜きして……血管とかはゴブリンとかと同じよね?その後は皮を剥いで、部位ごとに切り分けて、筋とリンパを取り除いて、骨はどうしましょう?骨付きだと出汁もしっかり取れるのだけれど、貴方臭みはあるの?すんすん……甘い植物のような匂いね?なら骨ごと煮込んでも大丈夫そうよね?」
「ひいっ!?」
冗談とか、脅しとか、そんなことを言っているような目じゃない。この女、私を本気で調理しようとしている。この村の人間は魔物を食べる習慣でもあるというの!?女は包丁を構え、私の喉元へと真っ直ぐと振り下ろす。
「それじゃあ、美味しくなってね?」
「た、助け――」
「やめんか」
突然何かが割れる音と同時に、女の頭が真っ赤な液体に染まった。血ではなく、つんとした刺激のある匂い……辛子か何かの液体?女は一瞬きょとんとした顔をしたあと、姿勢を崩しながら振り返る。その時私にも窓際から乗り出し、割れた瓶を握った男の姿が見えた。
「いや、エルト。これは違うのよ。あ、辛い、から、から、から……」
「騒がしいと思ったらまた人の家の周りで惨事を起こそうとしやがって。……ん?そいつ魔物か?」
「……んーっ!んーっ!」
「そう、から、だから、から、エルトのご飯に、から、から」
「食わねぇよ。ほら、水だ」
女はエルトと呼ばれた男から受け取った水筒を一心不乱に飲み出す。それにしてもこのエルトとか言う男、躊躇なく知り合いの頭を瓶で殴りつけた!?しかも割れるほど強く!?いや、それ以上に意識を向けるべきところは私が魔物だとすぐに見抜いた点だ。
「んぐ、んぐ、あ、これエルトと間接……家宝にしなきゃ」
「返せ馬鹿。カムミュ、その女を捕獲しろ。多分そこにいるスライムの仲間だ」
「スライム?そこの壺の中で動いているやつ?」
「んーっ!んーっ!」
「ああ、昨日倒した。魔王の手先らしくてな、尋問しているところだ」
え……この男が先輩を倒した!?あ、あああ!そうだった!オリマ様は言っていました、相手は先輩よりも格下の可能性がありながら先輩を倒したかもしれないと!天使ではなく、この男が……!
「くっ、先輩と協力者さんを放すメンッ!」
「また変わった語尾だな。ラッパーか?」
「アイデンティティですメン!」
「あと協力者って……ああ、こいつか。こいつは俺達の仲間だぞ?」
「んーっ!んーっ!」
「仲間なのに縛っているメンッ!?」
もうわけが分からない。だけどこのままでは不味い。私も先輩と同じように捕まってしまえば尋問されてしまうことになる。先輩ですらもがき苦しむような尋問を、私が耐えられるはずがない。何か活路……そうだ!分身の術で体の表面だけ茎として変化させ、自分は地中に潜れば……!
「カムミュ、そいつ外側だけ残して地面の中に逃げるつもりだ。引っ張り上げろ」
「うんとこしょ、どっこいしょ、おおきな魔物がぬけたわ」
地面を潜って逃げようとする直前、女が地面に腕を突っ込んで私の体を一気に引っ張り上げた。
「ど、どうして読まれたメンっ!?」
な、なんなのですかこの男!?私の行動を完全に読み切って!?はっ、この恐ろしい予知能力で先輩を追い詰めたということ!?
「あ、エルト。あんまりこの女の裸を見ちゃダメよ?」
「んなこと言っている場合か。地面に触れているとすぐに潜れるようだから、さっさと家の中に運び込め」
ああ、もう私の実力じゃ逃げ切れない……申し訳ありませんオリマ様。貴方の為に満足に貢献することもできず、私は情けない魔物怪人でした……。
「んーっ!んーっ!」
「さっきからうるさいぞイリ――」
「おっと、大人しくするスラ。さもないとこの女の命はないスラよ!」
窓から家の中を見ると、ライライム先輩が協力者さん――ではなく縛られていた女の喉元に腕を回して対峙していた。
「――壺から出られないように周囲には結界が張ってあったんだけどな」
「さっきお前がゴミ箱に投げ捨てた瓶、それに付着していた液体がこの女の口元に飛び散ったスラ。そしてこの女がその辛さにもだえ苦しんでいると、椅子ごとこっちに倒れてきて壺を所定の位置から動かしてくれたスラ」
「……ああ、それでさっきからうるさかったわけか。なるほどな」
「拷問用に限界まで辛くした特性ソースがさるぐつわ越しとは言え口に入ったスラよ?もう少し心配してあげたらどうスラ?」
よくよく見れば縛られていた女は涙を流しながら軽く痙攣していた。先輩はそれが哀れと思ったのか、軽く首を締めて気絶させた。
「家の外にゴミを捨てない真面目さが仇になったわね」
「瓶はしっかりゴミ箱に入ったんだがな。液体が飛び散るってことはうっかりしてたな」
「そういうとこじゃないスラよっ!?もっと仲間を心配すべきじゃないかスラ!?」
「人質をとっている悪者に言われたくないな」
「悪者だって相手を思いやる気持ちを持ってもいいスラ!?」
おかしい。普通人質をとられれば焦るなりするのが人間のはず。それなのにエルトという男も、カムミュという女も全く動揺している素振りがない。本当にこの二人は人間なの!?
「おい、ライライム。悪いけど一回外に出てくれないか?」
「おっと、変な誘導には乗らないスラよ!変な真似をしてもこの女の首を引き千切るスラッ!」
「いや、そこでイリシュの首とか千切られると掃除が大変だからな。そういうやり取りは外で再開してもらえるか?」
「そうね。外でなら遠慮なく千切っていいわよ」
「少しは人質を心配する素振りを見せるスラッ!?」
先輩もこの二人の非人道的態度に動揺せざるを得ない状況のよう。だけどこれはきっと罠、時間稼ぎをすることが目的に違いない。何故ならこれだけ騒動を起こせば、必ずあの天使が戻ってくるに違いないからだ。
「先輩!これは時間稼ぎですメンッ!さっきの天使が戻ってくればよりいっそう逃げられなく――」
視界の隅になにか違和感を覚えて視線を向けると。見上げた空の向こう、さっきの天使がふわふわと飛び去っていくのが見えました。
「逃げられなく……あの天使この状況でどこに行ってるメンッ!?」
「ああ、さっき空気の浄化の結界を張るって言って外に出る前、『あ、引き取ってもらうなめし革を持ってくるの忘れてました』って言ってたな」
「魔王の配下の尋問の最中にどうでもいい忘れ物をとりにっ!?」
……よし、天使のことは忘れよう。今の状況は悪くないはず。先輩の魔力はほとんど回復していないようだけど、普通の人間の首を千切るくらいは問題なくできる。これだけ距離があれば、このカムミュという女も先輩を瞬時に取り押さえることもできないはず!
「ねぇエルト、そのスライムがその女を殺す前に始末すればいいのでしょ?バサッとやっていい?」
「できるメンッ!?」
「できるスラッ!?」
「できるのかカムミュ?」
「多分いけるわよ。遅れてもちょっとその女の首の骨が折れるくらいね」
「それじゃあちょっと不安だな」
「もっと不安がるメンッ!?」
先輩は腕を切り離し、捕まえていた女をそっと地面へと寝かせる。女の腕には先輩の腕が巻き付いたまま、僅かに動いている。
「この腕は遠隔操作でもこの女の首を千切れるスラ。ライライムとメンメンマが逃げるまでの間、周囲に何か動きを感じたらすぐに千切るスラ。一定以上離れたら腕は勝手に解けるスラ」
「普通そこは人質を利用して俺やカムミュのどちらかを殺すくらいはすれば良いんじゃないのか」
「お前らの態度を見て、そんな真似ができるわけないスラ!?お前らからすればこの女の命の価値はお前ら以下、ライライム達以上と判断できるスラ。だからこれが今できる最善スラッ!」
「勘違いしないでほしいわね。その女はこの食材以下よ」
「ひぃっ!?」
「もう少し人情という名の血を流そうスラッ!?」
どうしよう、このカムミュにはあの女を人質にする意味が全くない。ただエルトという男の言葉を待っているだけにすぎないのだろう。そしてエルトもまた血も涙もないような男、それこそ敵を前にしたオリマ様と変わりのないほどに……。
「――仕方ないな。だがさっきの天使、クルルクエルが戻って来た時に反応されるのは困る。それくらいは融通できるだろ」
「……わかったスラ」
と思っていたらあれ、あっさりこちらの要求に応じた?
「腕の拘束が解けるのは人間界を出る少し手前くらいだな?その辺で意図的にイリシュを殺した場合、そこにいるカムミュをけしかける。カムミュならお前らが魔界に逃げ切る前にお前達を捕捉できる。約束は守れよ」
「そこまでライライムの能力を分析できているスラか……。安心するスラ、ライライムは守らない約束はしないスラ」
「その女が死んだら、そこのスライムとこれを始末していいのよね?匂いは覚えたわ」
「お前本当に人間スラッ!?」
話の流れに合わせ、カムミュは私から離れた。私は分身体から服を剥ぎ取って着替え直しながら先輩が近寄ってくるのを待つ。先輩が窓から外に出ると、私の方へともたれ掛かるようにくっついてきた。
「メンメンマ、ここを離れるスラ。魔界に戻るスラよ」
「は、はいですメンッ!」
先輩はほとんど魔力が回復しておらず、高速移動もままならない状態。先輩を私の体にまとわりつかせ、鎧のように着込んで運ぶことにした。振り返ることもなく、全力で魔界の方へと走る。どれだけ全力で走っても、あのカムミュという女がその気になればすぐに追いついてくるかもしれない、そんな恐怖が体から離れなかった。
「メンメンマ、魔界についたらまずはキュルスタイン様の家を訪ねるスラ、あの御方なら匂いによる追跡を防ぐ手段を持っているスラ」
「りょ、了解ですメン!……ライライム先輩、無事で良かったですメンッ!」
「無事じゃないスラ……味覚が壊されたスラよ……」
「……生きていてくれて良かったですメンッ!」
「それはメンメンマ、お前のおかげスラ。お前が騒動を起こしたからこそ、あの展開が舞い込んできたスラ……」
先輩が無事だったことが嬉しかったからなのか、それともあの恐ろしい人間から逃げることができたからなのか、キュルスタイン様のところへと到着した時には私の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。