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「クルルクエル、クルルクエルはいますか!?」
ライライムと名乗るスライムから得た情報を天界に共有する為、急いで村に戻ってあの子がいそうな場所を探すことにしました。
「どうかしましたかイリュ――イリシュ様」
「ああ、そこにいたのです――そっちこそどうしたのですか!?」
声に振り返ってみれば、クルルクエルが全身血塗れで立っていました。一体何が……ひょっとして魔王の部下が他にもこの場所に!?
「獣の解体をしていましたら血で足が滑りまして」
「あ、そうだったのですか。本当に人間生活に馴染んでいますね……」
とりあえずクルルクエルがとても血生臭さ満載な状態でしたので、この子が寝床にしている場所へと案内してもらうことになりました。村の周囲を囲む柵の内側、そこには一つのテントがポンと建てられていました。
「……村の中に随分とアウトドアな感じの住処があるのですね」
「外でも構わないのですが、せっかく獣避けの柵がありましたので。苦情もありませんので問題ないかと」
近くには革をなめす為の道具とかも建てられていますし、すぐ横の小さな囲いの中には……あ、お風呂ですねここ。地面を掘って石と石膏できちんとしています。
私がお風呂を観察している間にもクルルクエルは魔法でお湯を貯め、そのまま服を脱いでお風呂の中に入りました。魔法をポンポンと使えるだけの魔力があるのはちょっと羨ましいですね。
「ふぅ……。やはり仕事の後には入浴が一番ですね」
「天使はお風呂に入らなくても平気だと言っていませんでしたっけ?」
「体は常に浄化されていますが、このように外部の汚れが付くことがありますから。水を被って洗い流すことはできますが、せっかくならこうして癒しの時間も欲しいかなと」
お風呂に入って和んでいる天使を眺める女神。なんなのでしょうか、この光景……。
「そうですか……。ところでこのお風呂、インフラなどは整備されていませんよね?このお湯はどうやって処理をしているのですか?」
「水魔法で操作して近くの畑に撒いていますよ。天使の入った風呂水だと割と良い栄養になるようでして」
「天使の汗くらいしか含まれていないでしょうに……」
「天使の涙ってちょっとした浄化能力とかあるじゃないですか。汗も似たような感じですよ」
汗は人間にとっては老廃物ですが、天使の場合は機能として備わっているだけで不純物などは含まれていません。その気になれば暑くても汗を流さないという手段も取れますし。
「でも涙と汗を一緒にされるとちょっと嫌ですね……」
「尿とか出ればやはり浄化できるのでしょうか?」
「それで逸話になると困りますよ!?……って本題を忘れていました!」
クルルクエルに魔王に関する情報を説明し、一度天界に共有しに行って欲しい旨を伝えました。
「わかりました。ところでエルト様は一緒ではなかったのですか?」
「エルトでしたらライライムを倒した後、少しやることがあるからと私を先に帰したのです。そろそろ戻ってくるとは思いますが……」
「ああ、やっぱりここにいたのか。って入浴中だったのか、悪いな」
噂をすればなんとやら、囲いの中にエルトが姿を現しました。あれ、何か忘れているような……。
「いえ、こちらこそ入浴中で申し訳ありません」
「ってクルルクエル、体を隠してください!?」
「?別に隠して恥ずかしいものではありませんが」
「全裸ですよ!?少しは恥ずかしがってください!」
「そうは言われましても。天使は生殖を行わないのでそもそも性別がありませんし。一応体としては両性具有のようですが」
「見た目は可憐な女の子でしょう!?」
階級の高い天使だと人間のように性別を意識してどちらかに揺れたりもするのですが、この子はどうもその辺が無頓着なようです。ひとまずタオルをクルルクエルの胴体に巻かせ、事なきを……得られたのでしょうか……。
「性別がないなら何で女よりの姿をしてるんだ?」
「天使は美しい存在というのが大事ですので。男性より女性の姿の方がそれっぽいからかと。排泄もしませんので下半身のアレもわざわざ生やす必要もないですし」
「生やせるんだな」
「肉体の操作の要領でできるかと。ご覧になります?」
「止めましょう!?そ、それよりもエルトはあの場に残って何をしていたのですか?」
「ん、ああこれだ」
そう言ってエルトは懐から瓶を取り出しました。中には泥水のようなものが入っていて、よく見ると中に丸いこぶし大のような結晶があるように見えます。
「何か汚れていますけど、それは?」
「ライライムだ。コアが焼ける前に見つけ出して確保しておいた。汚れているのは消火のために土を被せたからだ」
「そ、それ、生きているのですか!?」
「ああ。魔力が完全に枯渇するギリギリで回収したからな。瀕死の状態ではあるがまだ生きている。こいつからは飼い主に関する情報を色々と聞き出さなきゃならないからな」
うわぁ、凄く朗らかな顔で言っていますね。ですが魔王に関する情報を得ることには賛成です。ウルメシャスが魔王と接触し行動を共にしているということはわかりましたが、知りたい情報はそれだけではありませんからね。そうそう、知りたいことと言えば他にもあります。
「それはそうとエルト。さっきの戦闘で気になることが多々あったのですが……」
「どうしてライライムがビームを撃ってくるって分かったか、か?」
「あ、はい。スライムでビームを放つ個体は過去一度も確認されたことがありません。それに光属性であることもそうですね。ですがエルトの指示はそれらを完全に熟知しているかのようなものでした」
ライライムの強さはオーガよりも遥かに優れ、油断をするような素振りも見せませんでした。そんな相手をエルトはあっさりと倒してみせました。とても偶然で済むような話ではありません。
「解析の魔法は知っているよな?それであのスライムが光属性であること、特技にビームがあることを調べたんだ」
「相手の能力を調べる魔法でしたね。それで……あれ、でもそれだけですと説明できない箇所も……」
ライライムが光属性だから、闇属性の拘束魔法が効果的であることは分かります。味覚があることを解析魔法で調べられたのであれば、辛味成分たっぷりの瓶が通用することも分かります。ですがあの局面で必ずビームを撃ってくるとは解析魔法だけでは分からないはずです。
「子供の頃から持っていた特技なんだけどな。必要な情報さえ手に入れば今自分にできる範囲で最善の行動が分かるんだよ」
「そ、そんなことができるのですか?」
「ライライムを解析した時、真っ先に判断したのは接近戦をしたらダメってことだった。だから長話を興じることにした。会話の結果、ライライムは俺を知的な奴だって強く認識してくれた。これによってライライムは不用意に近づけば何かあるかもしれないと警戒し、得意技のビームで攻撃する判断をしたってわけだ」
あの会話も最初から勝つ為の布石だったというわけですか……。紙に私への指示を書く前からもう勝負はついていたのですね……。あれ、でもそれって確か……ええと……。
「ああ、もしかしてエルト様って『女神の天啓』を習得していらっしゃいます?」
「あ、それです!」
「なんだそりゃ」
「勇者や預言者といった一部の職業についている者が時折手に入れる固有スキルですね。天啓が降り注ぐかのように最善の行動を思いつくことができるそうです」
「自分に解析魔法は使えないから分からないが、それっぽい感じではあるな。『女神の』ってところに甚だ疑問を感じるがな」
「うっ」
その名前を出した時点で言われそうかなとは思われましたけど、やっぱり指摘されてしまいましたね。確かに女神の天啓は固有スキルとして存在していますが、私が天啓を与えるものではないのです。
「確かに。イリシュ様が天啓を授けているわけではありませんからね。過去に素晴らしい発想に至った預言者が『これは女神イリュシュア様からの天啓に違いない』と広めたのが名前の発端ですから」
「本人は何もしてないのにな」
「意外と多いですよ。イリシュ様と関係のない女神系スキル。本人は高性能なスキルを自分が加護として与えているみたいだからと名前の修正をしなかったので」
「うう、丁寧に説明されると心が痛いです……。でも仕方ないじゃないですか!皆さん独自に生み出した素晴らしいスキルを『これは女神様からの賜り物だ!』と喜んでいらっしゃるのですよ!?それなのにわざわざ天使を送りつけてそんなことはないと訂正させるのがどれだけ酷なことだと思います!?」
「昔は女神信仰も根強かったですからね」
そうなのです。今でこそ魔界の脅威に対する備えをすることが常識となっているのですが、昔は混戦に次ぐ混戦だったのです。そのような状況下では宗教が非常に活発となってしまい、女神系スキルが沢山生み出されてしまったのです!
「むしろ本物の女神系スキルってあるのか?」
「貴方に与えていますよ!?」
「そういやお前の力全部注いでるんだったな。使われてないけど」
「うう、使ってください……。ですがエルトがそれほどの優れた固有スキルを保有しているというのは良いことですよね。勇者としての資質が高いことは喜ばしいことです」
「ですがイリシュ様。エルト様はそのスキルがある限り、決して勝てない戦いはしないのでは?」
「……はっ!?」
石橋を叩いて渡るような性格で、最善の行動しか取らない……。どうやっても窮地に追い込まれることがないのでは!?
「別に万能ってわけじゃないさ。今回はライライムが会話に乗ってくれるだけの知性があったから勝てたんだ。最初から俺を殺すつもりで現れてたらイリシュを囮にしても逃げられたかどうか」
「囮にしないでください!?でもそうですよね……まだ望みはありますよね……!」
「お前が俺にどれだけ危険な目に遭って欲しいと思っているのかと考えると一緒にいるのも悩ましくなるな」
エルトが私を見る目が冷たいですが、私にも目的はあるのです!それはそうと、今までの凄惨な光景もエルトからすれば最善の行動だったのでしょうか。あれが最善……?あまり深く考えない方が良いかもしれません。
「ところでエルト様、そのスライムのコアを少し見せていただけないでしょうか?」
「構わないが、先に風呂上がったらどうだ?」
「長湯が好きなので。また入り直すのも面倒ですし」
……見た目麗しい天使の入浴光景の中、何をやっているのでしょう私達。エルトはエルトで少しくらいクルルクエルの入浴姿に思うところはないのでしょうか……。エルトはライライムのコアの入った瓶をクルルクエルに手渡し、クルルクエルはその中身をふむふむと観察しています。
「なるほど。やはり通常のスライムのものとは違いますね。スライムは無性生殖の魔物なのでコアが分裂することで数を増やすのですが、このスライムのコアは分裂した痕跡がありません。このコア自体が一から創造されたようです」
「ええと、つまりどういうことですか?」
「通常の繁殖とは別の手段で生み出されたスライムだということです。何らかの儀式、研究などによるものでしょう」
「そこは同意見だな。本来スライムに存在しない光属性や知性を植え付けた者がいる。魔王か、その配下に相当頭の良い奴がいるな」
ひょっとしてウルメシャスが新しい魔王の為に新種の魔物を生み出したのでしょうか?でもあの子姉さんの助けがないと一からの創造とかできないはずですし、姉さんは留守でこの世界にいません。
「このスライムをある程度まで回復させ、尋問を行うのが良さそうですね」
「ああ、そのつもりだ。拷問が効くとは思えない相手ではあるが、誰かさんと一緒で色々と情報をこぼしやすいようだしな」
「うう……。私だってこぼしたくてこぼしたわけではないのですよ!?」
今思い出してもあの時の私は、それはもう頭を抱えたくなるほどに喋ってはいけないことを次々と口にしてしまっていました。
「それについては違和感があったな。いくらお前でもあれだけ人間界に不利になる話をしてしまうのは不自然だ」
「そうですかね?」
「そうですよっ!?でもどういうわけかあのスライムを前にすると思ったことがポロリと出てしまうと言いますか……」
「少なくとも解析魔法の結果としてはそういう類のスキルの保有は見られなかった。まあ大まかな能力と保有スキル、使用可能な魔法の種類を見極める程度だからな。解析魔法でも判断できない特殊なスキルが含まれているのかもしれない」
絶対に何か原因があると思うのです。そうでないとただ私がポロポロと情報を漏らしただけの残念な女神になってしまいます……!
「イリシュ様が残念な女神なのかは後日に判断するとして、このスライムはどのように回復させるつもりなのですか?」
「後日でもしなくて良いのですよっ!?」
「光属性だし、それっぽい場所で魔力を補充させれば徐々に肉体を再構築するとは思うんだがな。神殿とかいいんじゃないのか?」
「辺境の土地ですから神聖な神殿などは遠いですね。あっ」
クルルクエルが蓋を開けて中のコアを取り出して調べようとしたのですが、スライムの液体がぬるぬるしていたせいか手から滑らせてお風呂の中に落としてしまいました。
「おい、そのスライムのコアは水中だと見にくいんだから注意しろよ」
「申し訳ありません。ええと……ああ、ありました」
クルルクエルがお湯からコアを取り出すのと同時に、コアからどろどろと液体が溢れ出してきました。
「……はっ!?ここはどこスラ!?」
「復活したっ!?」
「天使の残り湯も光属性の魔物には効果的だったか」