胎動
室内に重苦しい雰囲気が流れる。
しかし場所がカラオケボックスという事もあり、静寂に包まれているわけではない。隣からは呑気に流行りのロックを歌っている学生の声が聞こえてくる。しかしその学生を責める事など出来るはずもない。普通にカラオケに来ていて、隣で天地を揺るがす事件が発覚しているなど想像すら出来ないだろう。
キーノは頭を抱えて呟いていた。
「嘘……、嘘だよ……。正義の執行官が……、こんな……、こんな……」
「まぁ警察や軍隊でもこういう奴はいたりするからな。特段不思議な事でもないだろ。それよりどうする?」
キーノは顔を上げ、ワイトに視線をやる。
「どうする、とは?」
「この情報を聞いた上でアンタはどうするかって事だ。まず、俺たちの情報を信じるかどうかだ。これはあくまでもフリーである俺が個人的に仕入れた情報。それをはいそうですかと簡単に信じられるかどうかだ。内容が内容だけにな」
「…………」
「もし俺たちの情報を信じられないなら話は終わりだ。俺はこれからこいつらの計画を阻止するために全力を尽くす。もし俺たちに協力できないってんならせめて敵対だけはしないでほしい」
キーノは。何も言わずに俯いた。
「だけど……」
ワイトは一呼吸おいて続ける。
「出来ればアンタには協力してほしい。こいつらを止められるかどうかはアンタにかかっているって言っても過言じゃないって思ってる」
キーノは俯きながら考えていた。と言うより気持ちの整理を付けていた。
ワイトの事を信じるか信じないか。それについては最初から結論が出ていた。
ワイトは今まで何度もこのような事件の解決を手助けしてきたのだ。
自分の思考が今まとまっていないのは、これほど身近な人間が極めて重大な犯罪に関わっている、という事実からの動揺だ。
――落ち着け。落ち着け。私のやるべきことはもう決まっている。
キーノは気持ちを静め、ゆっくりと息を吐く。
そして、キッとワイトの目を見つめた。
その目を見たワイトは答えを聞く前に、ふっと笑った。
「そんなの言うまでもないでしょ」
「っし! 助かる! アンタが助けてくれるならいくらでも作戦の立てようがある」
「君さぁ、普段、私からの依頼は面倒がるくせにほんと『赤』絡みの大事件だけは熱心になるよね」
「赤だけは絶対に許せねぇ。それでなくてもカードの世界は神がプレイしているゲームの世界みたいで気に入らないんだよ。適当なカードを落としてそれを人間達に必死で追いかけさせる。人間たちには決められたステータスがあってその中で必死でカードを求めてやりくりをしていく。そんなゲームみたいにな。そして、赤のカードはそんな俺達を平然と殺してのけるカードだ。許せるわけがない」
ちなみに、カード使いがカードを使える回数、能力の事は、誰が呼んだか全く不明だが、MPと呼ばれていたりする。
ワイト曰く、これも
「気に入らない」
「神様のゲームねぇ……」
「神については一つだけ言えることがある。もしこの世に本当に神なんて奴がいるんだとしたら、そいつは確実に性格が捻じ曲がってる。これだけは間違いない」
「君、ほんとに神様の事嫌いだよねぇ」
「そりゃな。俺も神から大迷惑被ってるクチだしな」
「そんな事言うと、君の隣にいるっていう神様も悲しむんじゃないの?」
「こいつはいいんだよ別に、悲しましとけば。ってかこいつはこんな事じゃまるっきり何も感じてないけどな」
「神様、今日もいるんだ」
「ああ、いやがるな」
そんな事より、とワイトは真剣な表情で続ける。
「現状、アンタに頼みたい事が三つある」
「いいよ。出来ることなら何でもする」
「まず第一に箱を用意してほしい」
キーノはコクリと頷く。
「二千人規模の命を吸うような猛烈なカードなら最高級のやつを用意しないとね」
「箱っていつもワイトが持ってるやつ?」
ワイトは内ポケットから薄い金属製の箱を取り出しシロに見せる。
「そうだ。これの事だ。だけど用意してもらうつもりの物は俺が使ってる安物とはわけが違う。俺が使ってるのは、持ってるだけで力を少しずつ消耗する永続型のカードを抑えるための物。効果が知れてる。赤のカードは物にもよるが、触れただけで力を吸い付くされる物が多い。効果発動直前の赤のカードは近づくことさえ容易じゃなくなる。俺の安物じゃそんな赤のカードを抑えることなんて一切出来ない。だから、専門の職人が作った強烈な力のカードでも抑えられる箱が必要なんだ」
「そうだったんだ。箱ってそんなに種類があったんだ」
「まぁ、そんな高級な箱なんて普通は、赤のカード、中でも災害級の力を持ったカードが出てこない限り、出番は無いんだけどな」
「今回はその数少ない出番ってわけだね」
「そういう事だ。で、この最高級の箱がこれまたくっそ高いんだ。一般人なんかに手が出せる代物じゃねぇ。だから予算が有り余ってる取締局に用意してもらうのが一番だ」
「何か言い方がアレだけど、まぁ、用意出来ると思う」
「ちなみに、アンタは分かってるとは思うけど、箱は事件の直前までは出さないでほしい」
「分かってるよ。最高級の箱なんて使用手続きをしたら確実に目を付けられるって事だよね。即座に取り出せるよう準備しとけって事でしょ」
「その通り。で、二つ目だけど、事件に備えて、使える人間を用意しといてほしい。但し、今回は確実に少数精鋭になるし、これも事件直前までは動かないでほしい。あくまでも目星を付けとくだけだ」
シロが首を傾げ、口を開く。
「大人数で攻め込んだ方がいいんじゃないの?」
「少し考えれば分かると思うが……。まぁこれは追々説明してやる」
「むっ! 今バカにしたね!」
少しふくれるシロの頭にワイトはぽんと手を置く。
「まぁ悪く思うな。何でお前をここに呼んだか分かるか? 今回は絶対にお前の力が必要だって確信してるからだ」
そう言うとシロはほんの少し赤くなり、そっぽを向いた。
「べ! 別に嬉しくなんてないんだからねっ!」
「お前、ちょろすぎだろ……」
そんな二人のやり取りをキーノはジト目で見つめている。
ワイトは軽く咳払いをして続ける。
「で、三つ目だけど。すまん! 金を工面してくれ!」
キーノは、はぁ、とため息をついた。
「お二人さんの新婚旅行費って事なら出せないからね」
「んなわけねぇだろ! 用途は情報屋だ。今回、こいつに一週間の専属契約を申し込むつもりだ。他の依頼を一切受けずに俺達の依頼だけを受けてもらうためにな」
「なるほど……。確かに今回の一件も情報屋さんのおかげで分かったわけだもんね」
「アンタとシロには悪いが、今回は情報屋の力が一番必要だって思ってる。こいつがいなきゃ話にならない。俺も出来る限りの情報を集めるが、こいつの情報収集能力には遠く及ばない。だから何が何でもこいつだけは囲っておきたい。いいな、シロ」
シロはぶーっと膨れながらも渋々了承する。
「オッケー! これで全部だね! 動けるものはすぐに動くよ。でも現状って……」
「ああ、そうだ。現状すぐに俺達に出来ることは何も無い。今俺達が確定させなきゃならないのは毒島達が、『いつ』『どこで』『どうやって』行動を起こそうとしてるかって事だ。この三つが分からない限り、動きようが無い。だけど、少なくとも『いつ』に関してはそう遠くないって思ってる。直感だが恐らく長くても五日以内……」
「五日以内……。それで全てが決まるのか……。分かったよ。今は情報屋さんの情報待ちって事だよね。それじゃあ私は一度戻るから」
そう言ってキーノは部屋を後にした。
「シロ。お前にも専属契約を申し込む。今回、俺達の行動に最後まで付いてきてくれ。そして場合によっては俺の護衛をしてほしい。報酬は払う」
それを聞くとシロはまたしてもぶーっと膨れる。
「何でそんな堅苦しい事するの? ワイトなら私の方から従者になってあげるのに……」
「まぁけじめみたいなもんだ。今回、赤のカードを奪うために行動するときにはお前の力が必要不可欠だ。だけど、その時はいかにお前でもきっと命の危険が伴うって思ってる。そんな状況をなあなあで済ませるわけにはいかない」
「別にそれでも構わないのに……」
シロは独り言のように呟く。
「それと……」
ワイトは頭痛を抑えるようにして続ける。
「理由はもう一つあるんだが……。まぁそれはいい」
「?? そうなの?」
「まぁとりあえず、だ。お前には是非とも協力してほしい事がある」
そう言うとワイトはパソコンのモニターをシロに向ける。
「あいつには黙っといてくれよ。あいつに言ったら、『二千人の命がかかってるのに不謹慎だ』って言われるからな」
シロがモニターを覗き込むとそこにはキーノには見せていなかった、情報屋からの情報が載っていた。
『今回、毒島勇人は取引が万が一失敗した時の保険用に、独自に紫のカードを用意している可能性が非常に高い。もし赤のカードの紫化に失敗したらそのカードを謎の男に差し出す、という誠意を見せる事で、取引の信用を高めるつもりだろう』
ワイトの目がギラリと光っていた。
「赤のカードを紫化するなんてのは論外だが、純粋な紫は何が何でも欲しい」
「隙あらば奪うって事だね」
「ああ。言っとくけど悪いなんて思うなよ。俺達の世界じゃ奪って奪われてが当たり前だ。奪われる方が悪いって考えが常だからな」
「分かってるよ」
「乗ってくれるか? シロ」
それを聞くと、シロは片膝を付き、目を閉じ軽く頭を垂れ、右手を胸に当てる。
仰々しいほどの仕草で、一言だけ添えた。
「ご主人様の仰せのままに」