調査
その二日後。
キーノは職場でデスクワークをしていた。
キーノの職場は、ビジネス街から外れた、どちらかと言うと長閑な郊外にあった。
三階建ての、ビジネス用ビル、といった風貌で、表向きは『厚生労働省 カード相談局 事務所』としか書かれていない。当然、偽りの看板だ。
その三階。
立場上、窓際にある席でパソコンに向かっていたキーノの携帯が鳴る。
「ん? ワイト君?」
キーノはキーボードを叩きながら携帯を肩と耳で挟み、電話に出る。
「もしもし? 珍しいね。君から掛けてくるなんて」
『あぁ。ちょっとな。今いいか?』
「ん。何? 長くなりそう?」
『ああいや。前言った毒島の話なんだが……』
「ああ」
キーノは会話の内容に気をつけるよう構える。
毒島はキーノと同じ場所で勤務はしていないが、周りの人間に聞かれたらまずい可能性も大いにある。
『あれから、どうだ? 何か分かったか?』
「うーん。ごめん。少し調査はしてみたんだけど、何も出てこなかったね。せめて行き先だけでもって思ってカメラとか見てみたんだけど辿り着けなかったし」
『そうか。俺も裏ネットの情報で探ってみたんだが、全く何も分からなかった』
「そうなんだ」
『怪しい……。警察権を持ってるアンタが調べても行き先すら分からないとか。それに毒島はカードの世界じゃある程度の有名人だ。そんな奴の情報が裏ネットで何一つ分からないなんて……』
「うーん。そうなのかなぁ」
『それでなんだけど。ちょっとアンタに相談があるんだ。今日どっかで少し時間くれないか?』
「今日? うん。まぁいいよ。何なら今から向かおうか」
『助かる。早ければ早いほど良い。場所は……』
「そんな所で? まぁ了解したよ。すぐに向かう」
キーノはそう言うと、机の上に『外出』の三角柱を残し、席を立った。
それから二十分後、キーノは指定された場所で車から降りる。
そこはごく普通のカラオケボックスだった。
「よう」
「ワイト君。と、シロちゃんもいるのね」
「学校の帰り道、偶然ワイトを見かけたぜ!」
シロは親指をシャキーン! と立て、したり顔を浮かべる。
「付いてくんなって言ったんだが……」
「わざと冷たく突き放すプレイだね! 分かるよ!」
「何が分かったんだ? まぁいい。行くか」
三人はカラオケボックスに入店する。
「それにしても、セーラー服のシロちゃんに、黒っぽいセミカジュアルのワイト君、それに正装の私。外から見たら何この組み合わせって感じだよね」
「まぁ、仕方ない。ファミレスとかは流石に避けたいからな。周りに聞かれないって意味ではここが一番だと思ってる」
「私の車の中でもいいけど?」
「アンタが運転に集中しなくちゃいけなくなるだろ。それに外は良くない。アンタもこの世界じゃかなりの有名人だからな」
そして三人は中部屋に入室する。
ドリンクはセルフなので、店員が来ることは基本的に無い。
「さて、毒島の件だが、どうにも嫌な予感がするんだ。本当に勘でしかないんだけど……。何ていうか、色んなパターンを考えてみた時、悪い方向である可能性が圧倒的に高いとしか思えないと言うか……」
「何だが煮え切らないね。君らしくない」
「俺もこれで裏世界の情報を集めるのは結構得意な方のつもりなんだ。そんな俺が少しとは言え、調べても何も出てこない……。この状況がどうにも嫌な予感を駆り立てるんだ」
「でも、現状、何もしようがなくない? 毒島執行官を直接問いただす以外の手段じゃ」
「そこなんだ。だけど毒島を突っつくのはどう考えても得策じゃない」
「毒島執行官の家に忍び込むとか」
「アンタが言うか……。それも考えたけど、毒島だけならともかくもし他の誰かが関わってるってんならその第三者に見つかってしまう可能性がある」
「まぁ、一ヶ月くらい張ってれば何か出てくるんじゃない?」
「これは俺の勘だが、そんな時間は無い気がしてならない……」
「手詰まりだねぇ」
「そこで、なんだ。ここからが本題なんだが……」
ワイトはキーノに視線を向ける。
「プロの力を借りようと思う」
「プロ?」
「情報収集のプロ、情報屋だ。俺みたいな裏世界で生きてる人間相手にありとあらゆる情報を売る事で生計を立ててる奴らだ。俺らカード使いにとって情報は何者にも代えがたい究極の資産だからな」
「へぇ。いいんじゃない。むしろ何ですぐに頼まないの?」
「一言で言えば金だ。俺が頼もうと思ってる情報屋は俺が一番信頼してる奴だ。腕はピカイチ。だけどその分取るものは取るんだ」
「なるほどね」
「それに加えて今回は、特急料金を加算しようと思ってる。毒島の調査だが、どれだけ遅くとも明後日の午前中には報告するよう求めるつもりだ。そうなると特急料金が要る」
「そこまでするの……」
キーノはここに来て考え方を改めるようになってきた。
キーノはワイトとそれなりの付き合いであり、ワイトの事を高く評価している。それは単純に戦闘能力だけではなく、カードに対する知識、考え方、また、状況判断力、色んな事件に対する立ち回りの上手さなど、全てを総合的に判断した上で、だ。
そんなワイトがここまで言うのだ。
これは何かある。
そんな思いがキーノの胸にもふつふつと湧いてきた。
「本来なら、こんな依頼は特急料金を積んでも余程高額じゃない限り断られると思うけど、そこは俺と奴の信頼関係だ。多分引き受けてくれるとは思う。で、だ。話を最初に戻すわけなんだがアンタへ相談だ」
「なるほどね。もう何が言いたいか分かってきた気がするけど一応聞こうか」
「か・ね・を・よ・こ・せ」
キーノは思わず苦笑いを浮かべる。
「それが人に物を頼む態度なの?」
「言っとくが、今回、俺が想定する一番最悪な展開の場合、アンタにも大いに影響があると思ってる。後になって味わう後悔は、今一時的な出費の比じゃないと思うぞ。これはアンタにとっても絶対に悪い話じゃないと確信してる」
ワイトは冗談抜きにキーノをじっと見つめる。
キーノもその視線から逃げず、じっとワイトを見つめる。
やがて、キーノは、覚悟を決めたように目を閉じ、一口コーヒーを口に含み、カップを机においた。
「分かったよ。私も何やかんやで君のそういう所は信用してる。協力するよ」
「助かる。感謝するよ」
「それで、幾ら出せばいいの?」
「こんなもんだ」
そう言うとワイトは一枚の明細書のようなものをキーノの前に差し出す。
「……結構な金額だね」
そこにはサラリーマンの年収クラスの金額が記されていた。
「そんじょそこらの不倫調査とかとはわけが違う危険な調査だからな。四分の一は俺が出す。残りの四分の三を頼みたいんだ。それとこれについてはもう一つ頼みたい事がある」
「まだあるの……?」
「ああ。この金についてなんだが、経費を使うんじゃなくて、執行官に与えられる極秘任務用の機密費から出してほしいんだ」
「なるほど。私が経費申請すれば上司である毒島執行官の目に触れる可能性がある。だから絶対にバレない機密費を使いたいってことだね」
「その通りだ」
「君、ほんとそんなお金の流れまでよく知ってるねぇ。さすが生粋のストーカー。だけどこの金額はなかなか痛いなぁ……」
「頼む」
「むぅ………………。あぁ分かった! 言ってても仕方ないね。この振込先に振り込めばいいんだね」
「ああ。俺は情報屋に連絡しておく」
「これで何も無かったらワイト君。一年間私の奴隷だからね」
「何も無かったら、平和って事で別にいいでしょ!」
「まぁそれはそうなんだけどね。ってシロちゃん、どうかしたの?」
話には入っていなかったシロだが、何やら機嫌が悪そうなふくれっ面のような顔をしている。
「ワイト。またこの人に頼むの?」
「? ああ。そのつもりだ」
「どうかしたの? シロちゃん」
「この情報屋さん、めちゃくちゃかわいい女の子なんだよ……」
「ぶっ!」
ワイトは思わず飲んでいたウーロン茶を吹き出した。
「えっ! そうなの!?」
「おいっ! 何勝手言ってやがる。お前あいつと会った事も話した事も無いだろ!」
「無いけど分かるもん! モニター越しだけど、この人とやり取りしてる時のワイト、いっつもすっごい楽しそうなんだもん!」
「何でそれだけで女と断定する! ってかそれ以前にそんな楽しそうにやり取りなんかしてないだろ!」
「してるもん! ひどいよワイト! 私というフィアンセがいながら!」
「誰がフィアンセだごるぁぁ!」
「ワイト君……。君って奴は……。改めて見損ない果てたよ……」
「おいぃ! 改めてって何だ! ってか百歩譲って女だったとして別に問題無いだろ!」
「堂々の浮気宣言だね。最低だね。とりあえず、女の子なんだね?」
「言えません。情報屋の素性は超機密事項だ。本来なら会ってすらくれない奴なんだぞ」
「で、女の子なんだね?」
「だから言えません。何でそんなに追求しようとするの!?」
「ワイト君。ここに一枚の黒のカードがあります。さて、このカードの効果は何でしょう?」
「知りません」
「答えは回答看破。イエスかノーで答えられる質問で相手が嘘を言ってればそれが分かるの。答えを知らないって回答も含めてね」
「ほほう。執行官が仕事柄よく使う激レアカードじゃないですか。消耗も大きそうだ」
「そうなの。このカード、私でも一日数回が限度。でもその貴重な数回を今使うべきかなぁってね」
「余計な事にカードの力使ってんじゃねぇぇ! どんだけ情報屋の素性知りたがってんの!」
「使って! そのカード使って!」
「お前は黙ってろぉぉ!」
「さて……」
不敵な笑みを浮かべながら、キーノはカードをゆっくりとワイトに向けてかざす。
「お、おい……。まじか……」
そして、質問事項を話そうとゆっくり口を開けかけた所で、今度は嘲笑のような軽い笑みを浮かべたかと思うと、カードを降ろした。
「まぁ、今回は許してあげるよ。そんな場合でも無いかもしれないしね」
その言葉を聞いてワイトは胸を撫で下ろした。
「アンタは一体どこまで本気なんだよ……」
「そんなぁ……」
隣でシロが本気のがっかりを見せていた。
「それじゃあワイト君。お金はこの後すぐに振り込んでおくから」
店の前で車の中からキーノはワイトに確認する。
「ああ。頼む。こっちも情報屋から報告があったらすぐに連絡する」
「私も帰る……。全くとんだ無駄足だったぜ」
「最初から付いてくんなって言ってただろうが。何しに来たんだよお前は」
トボトボと帰るシロを横目にワイトは空を見上げる。
時刻は十七時を回っているが、夏至に近いこの時期はまるで真っ昼間のように明るい。
「俺も戻るか」
ワイトも帰路につくべく、シロとは反対方向に向かって歩き出す。
この時は、三人共予想すらしていなかった。
平和な日常は唐突に終わるのだということを。
三人が心から笑顔で話し合える日はこの日が紛れもなく最後だった。