信頼
そう言って気合を入れた瞬間だった。
突然、キーノの携帯が鳴り始める。
丁度気持ちを切り替えた瞬間だったので、思わずビクリとしてしまった。
見ると所長からだった。
キーノは大慌てで携帯を取る。
「も! もしもし! 所長さん?!」
『キーちゃん。聞いてくれよ! あっはっはっはっはっ!』
所長は何やらおかしそうに笑っている。
キーノは訳が分からずぽかんとしていた。
『昨日キーちゃんが電話した時に出た奴がいただろ? あいつがとんでもない命令違反を犯してな!』
「え? どういう事ですか?」
キーノは思わず不安に駆られる。
『昨日キーちゃんと電話した後にな。あいつ散々悩んだ挙げ句、勝手に箱の改造を始めてやがったんだ! 俺の許可も取らずにな!』
「え?」
キーノは一瞬状況が飲み込めなかった。
『ったく! もし重大な事件に使う箱だったらどうするつもりだったんだって話だよなぁ! くくくくくっ!』
所長はなおもおかしそうに話を続ける。
『昨日からずっと徹夜で改造しててさっきまで仮眠を取ってたみてぇでさ! ついさっき俺の所に報告に来たんだ! 笑っちまうだろ?!』
「それって…………」
キーノはようやく状況が飲み込めてきた。
じわじわと心の中が熱くなってくる。
そして、所長から、望んで望んで……望んでやまなかった一言がとうとう出てきた。
『キーちゃん! 間に合うぜ!』
それを聞いた瞬間、キーノの目から涙が溢れてきた。
「所長ざん……ありがどうございまず…………」
キーノは顔をしわくちゃにしながら声を絞り出す。
『ったく! あいつ後で始末書だなぁ! くくくくくっ!』
キーノはもう言葉が出なかった。
所長が言う始末書は当然形式的なものだろう。
下手すると表彰状という名の始末書かもしれない。
それよりもキーノは昨日電話で話していた男に感謝の意を記さずにはいられなかった。男はキーノとの面識は無かったはずだ。しかしきっと噂は聞いていたのだろう。
ただ、その程度の繋がりで勝手に作業を行うのはかなり危険だったはずだ。
所長の言う通り、もしその箱が重大な事件に使うつもりの物だったら。
そして、もし、キーノが嘘を言っていたとしたら。
その場合、男は下手すれば、いや、下手をしなくてもクビだっただろう。
男はそれらの全てを覚悟した上で、改造を始めていた。
”箱が重大な事件に使われる可能性があった”
それについては男も当然認識はしていただろう。
しかし、”キーノが嘘を言っていたとしたら”
これが絶対に有り得ないと男は信じたのだ。
そして所長に連絡が付かず孤独な状況の中、悩みに悩んだ結果、一人で作業を始めた。
これこそが信頼というものだ。
キーノはその職人魂と想いに、涙を流さずにはいられなかった。
『あ、おい! お前! ちょっと来い!』
突如、所長が電話の向こうで誰かを呼んだ。
『あ、所長……。自分ちょっと上がっていいですか……? もう限界で……』
キーノは声ですぐに分かった。
昨日の男だ。
『は? お前何言ってんの?』
『え?』
『これから本番って所だろ? お前がいなくて進められるわけねぇだろ』
『いやでも自分昨日から徹夜で…………』
『お前、いくつだっけ?』
『歳ですか? 二十四ですけど』
『二十四!? 大丈夫だ! 二十四なら一ヶ月くらい徹夜したって死にやしねぇ!』
『いやいやいやいやいやいや! ギネス! ギネス!』
『喜ぶな! 後で飲みでも何でも奢ってやるから!』
『ああ…………』
キーノは電話の向こうで繰り広げられる惨劇にも何も言えなかった。
『それじゃキーちゃん。また連絡するぜ』
「所長さん。ご無理を言って申し訳ありません。そちらの方にも宜しくお伝え下さい」
『な~に言ってんだ。天下の執行官様のご依頼だ! 断れるわけねぇだろ!』
「…………」
所長が何気なく言った最後の一言は、キーノを困り果てさせていた。
キーノはこの一言に答えられないのだ。
そうですね、と言ってしまうと自分が執行官であると嘘をついてしまうことになる。その瞬間、執行官の権限を虚偽行使したことになり、キーノの有罪が確定する。
しかし、自分がもう執行官ではないと言うことも出来ないに等しいのだ。
箱作成業者が執行官からの緊急依頼を受けた時、業者は自分達の仕入れ業者に対して、必ずこの謳い文句で急がせる。
執行官が急げと言っている、と。
所長達は既に必要な部材を揃えているかもしれない。
しかし、万が一まだ揃っていない部材があれば確実に執行官の名で相手を急がせるだろう。この時、キーノが執行官で無いと分かっても所長ならきっと嘘を言ってでも対応するに違いない。しかしそれは間接的に執行官の権限を虚偽行使したことになり、所長にも被害が及ぶのだ。かと言って執行官の名を使わなければ相手が急いでくれない。それだけはどうしても避けなければならない。
キーノは困り果てていたが、迷いはなかった。
「すみません。お願いします!」
キーノは電話を切る。
そして、ふう、とため息をついた。
――一回目…………。
とうとう執行官の権限を虚偽行使してしまった。これで有罪確定だ。
もう後戻りは出来ない。
ほんの少しの罪悪感はあったが、それよりもキーノは今の状況に心が踊らずにはいられなかった。
絶望的だと思っていた箱が何とかなりそうなのだ。
極めて細い糸と糸がつながったような感覚。
ケイが帰ってきてから何か流れが変わっている。
確実に良い流れが来ている。
そう確信せずにはいられなかった。
キーノはすぐにワイトに連絡を取ろうとした。
そこでふと手が止まる。
キーノはある事に気付いた。
明日の夜は最後の決戦だ。そして事件が終われば成功しようがしまいが、キーノは有罪だ。つまり今夜はキーノにとってまともに過ごせる最後の夜になる。
キーノは少し間を開けてワイトに電話した。
「ワイト君。箱が間に合うよ!」
『な…………! っし! 何か光が見えてきた! しかしとんでもない業者もいたもんだな! 今からやって間に合うのか!』
「ああいや、元々あった箱を改造して対応してくれるらしいの」
『ああなるほど。いやでも奇跡が起きたな。箱さえあればまだまだ可能性はある』
「それでなんだけどねワイト君。こんな時に何なんだけどさ。今日の夜って決戦前夜じゃない」
『ああそうだな』
「それで、なんだけどさ。今日の夜、景気付けに私とワイト君とシロちゃんでお泊り会でもしない? どこかすぐ近くの民宿でも借りてさ。ほら。私達って今いつ狙われてもおかしくないわけじゃない? だったら全員で集まっていた方が安全だよね?」
『…………』
ワイトは一瞬静かになる。どうするか考えているのか。全てを話しはしなかったが、ワイトなら察しているはずだ。キーノにとって、これが三人で過ごせる最後の日になる、と。
ただ、そもそもワイトはこういう集まりに積極的だっただろうかとも思う。
断られるか?
キーノはあまり期待せず答えを待っていたが、
『ああ分かった。いいぞ』
意外と言うべきか、特に渋る事もなく答えを返してきた。
「本当? 本当に? ちゃんと聞いてた?」
『何だよ。俺が行くのがそんなに意外か?』
「うん。意外。超意外」
『はっきり言い過ぎぃ!』
「でもじゃあオッケーだね。場所は後で連絡するね」
『ああ。夜までには着くようにする』
二人は電話を切った。
こうもすんなり行くとは。
やはりいい流れが来ているのか。
キーノはそう感じずにはいられなかった。




