所長
キーノは突然けたたましく鳴る電話の音で飛び起きた。
時刻を見ると、朝五時。
――しまった。だいぶ寝てしまった。
寝ぼけ眼で電話を見るとそこには、所長の名前が表示されていた。
キーノは大慌てで電話を取る。
「も! もしもし!」
『キーちゃん。聞いたぜ。遅くなってすまねぇ。そんな箱が必要な事件を追ってるのか』
電話の向こうから渋い男の声が聞こえてくる。
それを聞いたキーノは思わず僅かに涙ぐんでしまった。声を絞り出し懇願する。
「所長さん……。助けて……下さい。もう所長さんしか……頼れる人がいないんです」
『分かってる。今から俺らは死ぬ気で箱の製作に取り掛かる。そのために集められる奴は全員集めた』
「えっ! こんな時間から?」
『当然だ。事態は一刻を争う。おいお前らァァ!』
所長が電話の向こうで叫ぶ。
『全員、今やってる作業の手を止めろぉ! 今から全員で一つの箱を作る! 既存の仕事は全部止めていい! 客に迷惑が掛かるようなら俺が後で謝りに行く! どうしても止められない作業をやってる奴だけ俺の所に報告に来い!』
「所長さん……。ありがとうございます……」
キーノは涙を必死で堪えながら言った。
『何言ってる。他ならぬキーちゃんの頼みだ。なぁキーちゃん。こんな時に不謹慎かもだけどよ。俺は今初めてキーちゃんと会った時の事を思い出さずにはいられねぇんだ。あの時はまるで立場が逆だったよな』
「ああ……」
今から一年ほど前、所長の工房は潰れる直前だった。
所長は職人としての腕はピカイチだったが、経営手腕が無かった。
物は紛れもなく一級品だったのだが、売り方が下手すぎ、ごく一部のマニアだけにしか売れていなかった。
所長は最後の足掻きのつもりで裏世界の箱の展示市に出展した。しかし、金も力も無い所長は良い場所を取れず、会場の一番隅っこでひっそりと風呂敷の上で箱を展示していた。まず人が通らない上にたまに通った人もまるで振り向きもしない。
――なぜだ。俺達は確実に良い物を作っているはずなのに。なぜ。
所長は通り過ぎる人達をまるで憎むかのように睨みつける。それが災いし、余計に人が来ない。
夕暮れ時、展示市もまもなく終わりを迎えようとしていた。
――これまで、か。
所長は諦めるように俯いた。
――俺のせいで、全員が路頭に迷うのか? あんな優秀な奴らが全員……。
そんな想いを馳せながら、自分達が作った箱を見つめていた時だった。
箱にふと人影が映る。
顔を上げると、そこには、場に似つかわしくない綺麗な黒髪の女性が覗き込むようにして立っていた。零れ落ちてきそうになる黒髪を耳の後ろにどかせ、目を丸くしながら覗き込んでいる。
「これは……」
女性は、一言呟いた後、突如目を輝かせ、所長に言った。
「あ! あの! この箱、ちょっと試してみてもいいですか?!」
「あ、ああ。構わねぇよ」
そう言うと女性は一枚のカードを取り出し、箱に収める。
(このお嬢ちゃん! カード使いなのかよ!)
女性は箱を額に当てるような仕草をしながら嘆息した。
「凄い……。全く力を吸い取られない……。これだけのカードを完全に抑え込むなんて……」
しばらくすると、女性は箱を元の場所に戻す。
そして、満面の笑みで所長に手を差し伸べた。
「お願いします! 私の箱を作る職人さんになって下さい!」
所長はあっけにとられながらその手を取った。
「あ、ああ……」
「私は夢町絹衣乃と申します! カード取締局の執行官です!」
「執行官?! お嬢ちゃんが?! まじでか?!」
「まじです。今後とも宜しくお願いします」
それから所長の工房はキーノからの注文と、その噂を聞きつけてやってくるようになった客の力であっという間に回復し、今では新しい職人を雇えるほどに力を付けるようになった。
『あの時、キーちゃんが俺を拾ってくれてなけりゃ俺達は完全に終わってた。キーちゃんは俺達の命の恩人なんだ。今度は俺達がキーちゃんを助ける番だろ!』
「所長さん……。ありがとうございます」
『それじゃキーちゃん。一旦切るぜ。作製状況はまた連絡する』
所長は電話を切る。
そして突如壁を叩いた。
――ただの一度として、絶対に間に合わせてやると言えなかった。
正直な所、あまりにも厳しすぎる。
所長の一連の行動はパフォーマンスに近いものがあった。全力は尽くした、と言い訳するための。
せめて、キーノが電話を掛けてきた時から対応開始出来ていれば……。
あんなどうでもいい研修のせいで……。
勿論、電話を切っていた自分の責任も大きい。
所長は、ギリリッ、と歯を噛み締めた。




