罠
キーノは事のいきさつを全て話した。
それを聞いたワイトは机に肘をついて頭を抱える。
シロが店員にタオルを借りてきて、髪は拭いたが、全身は濡れたままだ。キーノは濡れたら申し訳ないから、と立ったままでいる。
「ワイト。そんなにまずい状況なの?」
「まずいどころの騒ぎじゃない。致命的、いや、詰んだか、って言いたいくらいだ……」
「キーノ自身はここにいるんだから大丈夫じゃない?」
「確かにキーノの力も大事だ。しかしそれを遥かにしのいで大事な点が二つある。箱と権限だ」
「……だよね」
キーノは弱々しく同意する。
「まず箱。これが無いとスタートラインにすら立てない。そして権限。箱を取り出したり戦力を集めたり。後々はキーノの警察権を使ってもらう場面も多いと思ってた。例えばマンションに入る時なんかにキーノがいれば問題なく入れたが、その権限を失ったら、入れないどころか、入った時点で不法侵入罪になってしまう。つまり、権限を失ったと同時に行動も大幅に制限されたも同然って事だ」
「権限なんてそんなの全部無視しちゃえばいいじゃない!」
「執行官の名前を騙って執行官の権限を行使するのは激烈に罪が重いんだ。だからこそ執行官は強大な権限を保証されてるわけなんだが。一回でもその罪を犯せば、桁違いの長期禁固刑。複数回やらかそうものなら、終身刑、下手するとそれ以上……」
「それ以上って死刑って事?」
「それも有りうるかもしれんが、噂ではもっと上の刑があるとか」
「もっと上……。拷問刑とか……?」
「あくまでも噂なんだが、Sランカーの手によって、この世からいなかった事にされるって話がある。確認のしようも無いから噂だけどな」
「そんな……」
「本当にごめん…………。私のせいで…………」
「アンタの気晴らしになるのか分からんが、一応アンタの名誉のために言っとく。アンタ、完全に嵌められたんだぞ」
「…………え?」
キーノは虚ろな目のままワイトを見つめる。
「やっぱり気付いてなかったのか。普段のアンタなら気付かないはずもないのに……。どう考えてもおかしいだろ。予定の時間になっても現れない毒島。三人もの執行官が半殺しにされる状況。毒島が嘘の任務と状況をでっち上げてアンタを命令違反するように誘導、その間に三人の執行官に取り返しがつかない状況を発生させることで、アンタの違反を取り返しがつかないレベルに仕立てる。何よりも三人もの執行官を短時間で半殺しにしたってのが決定的だ。そんな事がそこら辺の野良Dランカーに出来てたまるか。俺が知る限り、今この近くでそんな事が出来るのは取締局の人間を除けば三人くらいだ。エルメ、シロ、そして謎の男」
「わ! 私違うからね!」
「分かってるよ。そうなると残りは二人。ああちなみに俺の隣りにいるくそうざったい神は自分から相手を攻撃出来ないから除外だ」
「小僧。口を慎めよ」
キーノとシロには見えていない神が不機嫌そうに口を開く。
ワイトは、ふん、と鼻を鳴らし続ける。
「で、普通に考えて、エルメにこんな事をする理由は無い。謎の男にはこんな事をする理由がある。ただそれだけだ」
「そ、そんな……」
「普段のアンタならこの状況のおかしさにまず気付きそうなもんだが。どこかで何か違和感とか感じなかったか?」
「違和感…………」
キーノはこれまでの事をよく思い出してみる。
「あ」
そう言えば、執務室の外で何か目眩のような現象があったような。
「それだな。アンタにそんな事が出来るのは謎の男しか考えられないだろう。恐らく、猜疑心の低下、みたいなカードを無理やり効かされたんだろう。無理にやったからそんなふうに目眩って形で副作用が現れた」
「そんな……。どこかに謎の男がいたって言うの?」
「そうだ。案外、毒島の部屋の中にいたのかもな」
「そんな……」
キーノはバットで殴られたかのような衝撃を受けた。
「ただ、おかげさまで、分かった事がある。代償が大きすぎて嬉しくもなんともないが。向こう、毒島と謎の男にはこっちの動きはバレてたってこと。そして、今宮までもがグルだって事だ」
「ちょ! それどういう事?! 今宮執行官までグルって!」
沈んでいたキーノが熱くなる。
「俺が今言ったような話、三人をやったのが謎の男でアンタが嵌められたなんて話、今宮くらいの人間なら気付かないわけがない。にも関わらず、それに対する対応がよく分からないDランカーを追いかけてるとかいうふざけた対応。それに毒島の話を聞いた後の反応も薄すぎる。そして他にも色々な処分が考えられそうな中で図ったかのように来た執行官解任の通知。状況証拠しかないが、相当な高確率でクロだ」
「そんな…………」
キーノは今度は金棒で殴られたかのような衝撃を受けた。
あの優しそうな雰囲気、態度は全て偽りだったのか。
全て自分を陥れるための演技だったのか。
キーノは再び俯いてしまう。
「ワイト君。具体的な日時、分かったんだよね」
「ああ。見てくれ」
キーノは報告書に目をやる。
それを見たキーノは改めて自身の行動の愚かさを呪った。
自分が命令違反を犯してまで毒島を追ったのは、『いつ』『どこで』『どうやって』を知るチャンスがあるからと思ったからだ。その結果、敵に嵌められ、取り返しがつかない状況を作ってしまった。
しかし、自分如きがそんな事をしなくてもこの通り、優秀な情報屋が全てを調べ上げてくれていた。執行官を解任されてまで得ようとした情報は、待っていても入ってくる情報だったのだ。
「ワイト君。ごめん。時間がないのは重々承知なんだけど、少しだけ時間もらっていい? また連絡するよ」
「ああ。二千人の命も大事だが、アンタの人生が掛かってる。二千人対一人なんて単純な問題じゃないってことくらい把握してる」
それを聞くと、キーノはほんの少しだけ笑みを浮かべて部屋を後にした。
「キーノ、大丈夫かな?」
「なんとも言えないし、仮に俺達を手伝えないって結論になっても一切文句は言えない。このまま俺達に付き合えばあいつは相当な高確率で一生を牢獄で過ごすことになるからな」
そう言うとワイトはパソコンを閉じ、立ち上がった。
「とりあえず俺もキーノがいない前提で少し考えてみる。まだ何か手がないか」