任務と手掛かり
翌日、キーノが事務所にいると、ケイがやってきた。
「キー姉」
ケイは何やら露骨に嫌そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「ゴリラが呼んでる」
キーノは軽くケイにチョップをかます。
「もう。そんな言い方して。でも分かった。ありがとう」
キーノは僅かに不安を感じていた。
まさか自分たちが嗅ぎ回っていることがばれたわけではないだろう。
それなら、そもそも呼び出して来ること自体がおかしい。
「毒島執行官が。何の用事だろう」
キーノは席を外し、車に向かった。キーノがいるのはカード取締局の分室のようなものであり、毒島は本庁にいる。
キーノは本庁に着き、毒島の部屋をノックした。
「夢町絹衣乃です」
「入りたまえ」
「失礼いたします」
部屋に入ると、毒島は椅子に座ったまま、報告書をキーノの前にばさっと置いた。
「これは何かね」
「あ!」
それは先日、キーノがワイトとシロを連れ出し、赤のカードを取り締まった事件の報告書だった。
「君はなぜ、一般人に協力をさせるのかね? 我々が扱うものがどれだけ秘匿性が高いか認識できていないのかね?」
「お、お言葉ですが、執行官。彼らは一般人などではなく…………」
「そんな事は分かっとる! なぜ取締局の人間ではない者を使うのかと言っているんだ!」
「も、申し訳ありません!」
「全く! 君は執行官としての自覚が足りないのではないのかね。もしこの任務で彼らが怪我でもしていたらどう責任を取るつもりかね」
「あ、こ、この二人は非常に実力がありますので、怪我など…………」
「言い訳するのかね!」
「申し訳ありません!」
それから約三十分。
キーノはぐったりとして部屋から出てきた。
少し歩き、執務室の外のフリースペースに出るとケイが待っていた。
「キー姉、大丈夫?」
「うん…………何とか…………。こってり絞られちゃった…………」
「あのゴリラ! ほんと人間がちっちゃいよね! キー姉が若くて能力が高くて。いずれ自分が抜かれるって思ってキー姉をいじめてるんだ! セクハラとパワハラで訴えればいいんだ!」
「そんな事言っちゃ駄目だって。ってあれ?」
「? どうかしたの?」
「あ、いや。何でも…………」
(気のせいかな。少しめまいがしたような…………)
疲れているのかな、とキーノは頭を振った。
「ケイちゃん。私、今から次の任務に行かなくちゃいけないから。先に帰ってて」
「次? アタシは行かなくていいの?」
「うん。今、毒島執行官から言われたの。好き勝手やってる罰の意味も含めてこの任務に対応するように、って。正直、大した任務じゃないよ」
「そんなの、ゴリラが直接行けばいいのに……」
キーノに聞こえないようにケイは呟く。
「それじゃあ私、ちょっと行かなくちゃいけない所があるから」
そう言うと、キーノは再び執務エリアに戻っていった。
キーノに与えられた任務は、『都内某箇所で、素性のはっきりしないDランカーと思しき人間が確認されている。害はあまり無いと思われるがそれを確認してくること』との事だった。
Dランカークラスは万が一犯罪に走られた場合、何の備えも無いと、それに対抗できる人間をすぐに用意出来ず、被害が大きくなってしまう可能性がある。よって、素性がはっきりしない、という状況は好ましくなく、軽度ではあるが、要監視対象となる。
今回、キーノはその調査部隊に選ばれた。相手がDランカー相当という事で、単純に考えればキーノ一人でも十分なのだが、万が一、相手が想定以上の力を持っていた場合に備え、三人、お供の執行官を連れて行く事になった。
三人もの執行官を連れて行くには毒島だけの権限では決定出来ないため、更に上の人間にお伺いを立てる事になった。お伺いと言っても拒否されることはまずなく、単なる報告だけの意味合いが強い。
「今宮上席執行官かぁ。緊張するなぁ」
キーノは毒島の上司に当たる、今宮上席執行官に報告を上げるべく、向かっていた。
上席執行官になると、警察と連携して、数十人クラスの警官、機動隊を動かせるレベルになる。取締局においても相当な上役だ。
キーノが今宮の執務室に向かうべく、毒島の部屋の前を通り過ぎようとした時だった。
毒島の部屋から、キーノの耳にある会話が飛び込んできた。
「ええ。ええ。本日ですか? ああいや、問題ないかと思います。場所の決定ですね。いよいよですな」
キーノはその言葉を聞いて、心臓が跳ね上がるのを感じた。
――まさか……。
今の会話だけではどうとでも取れる。
普通に考えて勘違いの可能性のほうが高いかもしれない。
しかし……。
キーノは部屋の前で聞き耳を立てるが、毒島は声のトーンを落としたのか、よく聞こえない。
キーノは大慌てで、ポケットを確認し、聴力強化のカードを探すが、持ってきていなかった。一度分室に戻る予定だったため、大したカードは持っていなかった。
キーノが慌てていると、ふとケイの顔が浮かんだ。
ケイは普段、キーノのカードを預かる任務を請け負っている。
一回使えば無くなる単発型のカードとは違い、永続型のカードは持っているだけで少しずつ力を消耗していく。箱に入れれば防げるが、全てを箱に入れていては当然尋常ではなくかさばる。よって、実際の戦闘には参加しないケイにカードの運搬だけを担ってもらい、執行官の力を温存する、というのはよく取られる手法だった。
――ケイちゃんなら!
キーノは大慌てでケイの元へ走る。
そして、庁舎の外にいたケイを捕まえ、ケイが待っていたホルダーを確認すると、ちゃんと永続型の聴力強化のカードが入っていた。
ケイちゃんナイス! と親指を立て、再び大慌てで毒島の部屋に向かう。
聴力強化のカードがあるなら、部屋の手前まで行く必要はない。
キーノは毒島の部屋から十分な距離を取り、カードを発動させた。
――聴力強化!
会話はまだ終わっていなかった。かなりの小声で話しているようだ。
「ええ。分かりました。楽しみですな。あのカードがどんな紫に進化するのか」
それを聞いたキーノは改めて少しめまいがした。
今まではあくまでも情報の上でしか話を聞いていなかったが、改めて本人の口から聞いてしまった。九十九パーセントだったものが、百パーセントに変わった。
「それでは。確認ですが、場所は…………。時間は…………。承知いたしました」
――近い!
キーノは場所と時間を聞いて、胸がざわついた。
今回キーノが調査に向かう場所にかなり近い。時間に至っては完全に一致している。
キーノの鼓動が高鳴る。
ひょっとしたら、上手く行けば、決定的な情報を得られるかも。
謎の男の正体。それよりも『いつ』『どこで』『どうやって』が得られれば相当有利になる。加速のカードで全力で向かえば、任務の途中五分ほど抜けるだけで済む。
キーノはごくりとつばを飲み込んだ。
それからキーノは高鳴る心を一旦静めて、今宮の部屋に向かった。
部屋をノックする。
「夢町絹衣乃執行官です!」
「ああ入ってくれ」
「失礼いたします!」
部屋に入ると、今宮は机に向かって書類を吟味していた。
大企業の重役の部屋、といった雰囲気で、今宮の五十代前半の貫禄ある風貌とよく合っているように思われた。白髪も少し混じってきており、鼻の下にはひげがたくわえられている。毒島とは違って、スラッとした体格だ。
「報告いたします。今回、Dランカーの調査の件で、執行官三人を同行させていただきます」
そう言うとキーノは書類を今宮に差し出す。
そこには、三人の執行官の情報が記載されていた。
「ふむ。了解した。この三人は君よりもランクは下だ。歳は君の方が下かもしれないが、くれぐれも彼らに被害が及ばないよう、注意してやってくれ」
「はっ! 承知いたしました!」
キーノは敬礼し、部屋を後にした。
「失礼いたしました!」
部屋を出たキーノは、ふう、と一息つく。
――緊張したぁ。
それにしても毒島とは全く違う。優しい雰囲気だし、キーノの事も気遣ってくれている。キーノは、なぜこの人が直属の上司ではないのかとやりきれない気持ちにならずにはいられなかった。