タイトル一文字。 同音異字から連想する物語、あいうえお順に書いてみた。
「く」 -九・区・苦-
か行
あたしの運命数は9。
「デートか、いいな」
トイレで化粧直しをしながら鏡越しに同期の友達が言った。
あたしはつまらない博愛主義で意味の分からない罪悪感に苛まれた。
本来言われて気持ちのいい言葉を「自分だけ幸せでズルイ」
という妬みに聞こえさせてしまう過剰な自意識。
とりあえず、気の効いた言葉を返せず鏡の自分を見つめてテキトウに笑う。
そんなあたしの不自然な空気を読み取ったのか、同僚は屈託のない笑顔で
「じゃ、楽しんできてくれ」とおどけて先に出て行った。
あたしは、ホッとしたけど、なんだか申し訳ない気持ちになっていた。
逆の立場だったら絶対に面白くないと思うから。
実際、逆の立場だったこともあったから。
あたしが一人、友達は彼と幸せ。
そんなとき、本当に心の底から喜べるなんて言ったら偽善だ。
女の幸せは男に守られてることだとは思わないけど、
守ってくれる人がいるかいないかでは世界が違う。
まるで幼稚園で一緒に楽しく遊んで、子供同士では人気者でも
自分ひとり迎えに来てくれる人がいない寂しさみたい。
あんなに一緒に楽しく遊んでも「大好きだよ」と言われても、
最後には、簡単にバイバイして絶対的な安定した愛のある場所に行っちゃう。
あたしにはない場所に行く。
そんな寂しさに慣れたら、愛人になれるかもしれない。
待ち合わせの時間には早く、近くの書店に入った。
なんとなしに手にした雑誌にカバラの数字占いがあった。
一桁になるまで生年月日を足して、運命数を出す占い。
私の運命数は「9」と出た。
運命数「9」の性格……人道主義、理想主義、二面性
抽象的な表現にいいのか悪いのかわかんない。
だけど、どこか強かな響きのあるこの三つのキーワードから
あたしの頭の中の計算機は「偽善」という言葉を導いた。
自分がやっていたことを手繰り寄せたような何かしっくりするものがあった。
この性格判断は当たっていると感じて、自分に問いかける。
友達は私の幸せを喜べないだろうから、幸せを見せ付けないようにしよう。
何言ってんだあたし。
そういう思いは友達の幸せを喜んでいるふりするより、よっぽど偽善的だ。
きっと、あたしは自ら掴み取った幸せに身を委ねることに怯えているんだ。
ずっと不幸ならば引きずり下ろされることはないから。
自分が心の底から他人の幸せを喜べないから、自分も喜んでもらえないと
心のどこかで思ってしまうんだろう。
幸せな人は周りとの調和を気にして生きていかなければいけない。
幸せなんだから。
そう思うと、苦しいほうが楽な気がしてくる。
苦しいというリスクの分、自分のことだけ考えればいい。
問題をすり替えて幸せになることに怯えている。
何言ってんだあたし。
その苦しさだって、人から見れば対したこと無い。
そんなことで苦しいって言うなんて逆に非難浴びてしまうかもしれない。
誰にも嫉妬されない究極の苦しみを誇示するなんてバカバカしい。
こっからここまでのことが「幸せ」でこっちは「不幸せ」なんて区別できない。
状況によっては逆転しちゃう。
自分の幸せ基準で、周りの人がみな羨ましいとおもうだろうから控えようというのか、
とんだうぬぼれ屋さん。
友達はあたしじゃない。あたしは友達じゃない。
別の感情を持った別の人間。きちんと区別して考えよう。
それぞれの幸せがあるんだから。
「久美は9と10どっちがいい?」
彼が来て指定席の映画のチケットを差し出した。
あたしは迷わず9と答え、同僚のことなど忘れて彼の腕に腕を絡めた。