表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

弱い心の肖像

作者: 希鳳



     Ⅰ


 勇気を振り絞った私の告白は見事に成功。嬉しさと驚きと、言葉に出来ない様々な感情がない交ぜになって踊りだしたくなるような心持になったのが去年の春。一年目を迎えた今日はどんな心持かというと重い荷物を抱えて坂道を登るような、何とも言えない感じだった。

「好きだよ」

 何度も何度も耳元で囁かれたその言葉。最初は私も心から嬉しいと感じたのは今でも覚えている。しかし、何度も何度も繰り返し、幾度となく肌を重ね、その中で少しずつ少しずつ『好き』という感情が不確かなものに変わっていくのを感じた。


――愛したのって誰だっけ?


 重い鎖のように私を縛り付ける『好き』という言葉を酷く汚いものと感じる。


――嘘か本当か。


 言葉を口にするという行為はひどく簡単で誰にでもできる。信じる事もまた同様に。しかしそれを手放しに本当だと信じてもいいの? まだ触れている筈なのに、肌を重ねている筈なのに、消えていく。見えなくなっていく。私の感情は今どこにあるのだろう。それでも私は彼に囁く。

「私も好きだよ」


     Ⅱ


 本当だっていいと思えないのは、その確証が欲しいから。私はまだ弱い虫。小さく縮こまって身を守ることしか、心を守ることしかできない弱い虫。


――コントラクト会議。


 彼との『交際』という名の契約を続けるか否か。もう一人の私が問いかける。

「信じたいのはいけないことなの?」

 もう一人の私は私の問いをあざ笑うかのような微笑みを湛え、そっと私に手を伸ばした。ぞっとするような、冷たい手が私の頬を撫でる。

「私はアナタなのだから、これはアナタが生み出した問いかけ。アナタの不安はいったいどこから来ているのかしら?

 怖い、辛い、信じていいのか分からないことが耐えられない。信じてあげる事すらできないアナタが私を生み出した。アナタは……とても弱い」

「やめて」

 締め付けられるような胸の痛み。そう、これは、この目の前にいる私は、私の弱さが生み出した幻想。

「私がアナタを殺してあげる、そうすれば不安もなくなるよ」

 囁くようなその声に私は――。


「大丈夫?」

 目の前に彼の顔。ああ私はうなされていたのか。彼の心配そうな顔がすべてを物語っていた。

「すげぇ汗だよ? 着替え持ってくるから待ってて」

 そう言って踵を返した彼を引き留めたくて、私はとっさに彼の手を掴んだ。彼は酷く驚いたような顔で振り返り、優しい笑顔で私をそっと抱きしめた。人肌の温もりが汗で冷え切った体に心地いい。

「大丈夫だよ」

 彼は私にそう囁いた。

「キスして」

 私は彼にそうせがみ、彼はそれを受け入れてくれる。重ねた唇から伝わる熱が私を溶かしていく。

 それはまるで麻酔のように私の思考を溶かし、私はまた彼の中に堕ちていく。


     Ⅲ


 本当でもいい、もう戻ることができないから。彼の言葉は甘く、甘味のように私を蕩けさせる。きっと私は彼のことが好きで、ただ単純に彼が私を好きでいてくれているか不安なだけだ。

「彼の甘さを知ってしまったアナタはもう戻ることができないと? それは信じているという事とはまた別物だよ」

 もう一人の私はそう言った。

「そこにあるのはただ行為に溺れてしまったアナタの弱さだけ。現にアナタは、彼の『好き』という言葉を汚く感じてしまっている。好意が薄れている。そんな恋愛つまらないでしょう」

 冷たい微笑み。

「踏ん切りを付けてあげるって言ってるの」

 もう一人の私の言葉もまた、ひどく甘く、私を蕩けさせ麻痺させる。


――私は本当に彼が好きで、彼はしかし、私を好きでいてくれている?


 ただ聞いてしまえばいい。それを直接確かめること。それを私は怖がっている。この『好き』という鎖も、私の感情が消えたのも、全て私の不安が、私の心の弱さが招いたものだ。

 目の前で悪魔のように冷たく微笑むもう一人の私も。

「さ、全部私に委ねて楽になりましょう?」

「いや」

 人を信じ愛することは難しい。しかし呪うことは容易い。私は、もう一人の私が伸ばした手を掴み、引き寄せ、流れるように首を掴んで締め上げた。

「君が死ねばいいよ。今、すぐに」


――もう私は彼にこの気持ちを、抱え込んだ悩みを打ち明けることはない。


 何かが壊れる音がした気がした。


     Ⅳ


 彼がいる。彼は私の顔を覗き込んで「好きだよ」と言った。私もまた「好きだよ」と返し、お互いに笑いあう。それからいつものように唇を重ね、いつものように肌を重ねる。

 それは麻酔に掛けられたかのように私の脳を溶かす甘い誘惑。行為の中で好意が薄れてもこの甘さの中に私は溺れていたい。


――嘘であってほしい。


 私は私の弱さを弾き出した筈なのに。なぜこんなにも苦しいのか。なぜこんなにも辛いのか。重い鎖に縛られたままなのはなぜ? 

「どうしたの?」

 彼は心配そうな顔で私を見ていた。

「大丈夫、なんでもないよ」

 私はそういって彼を抱きしめ、彼はそれに答える様に、固く、私を抱きしめた。それはまるで、私を縛り付ける鎖が彼自身であるかのように。


――弾き出しても私は弱虫のまま。


 繰り返す行為の中で彼と私は幾度となく果てる。彼は私に答える様に、私もまた彼に答える様に喘ぎを漏らす。

 この誘惑に、耐えきれず、弱いままの私はまた彼の甘さに溺れ、堕ちてゆく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ