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 気配を感じた、というよりも、ノエルはその場を立ち去るために踵を返した。空の青に蓋をされるように右も左も地面もアスファルトで囲まれた世界。その真中。すらりと背の高い男が立って、こちらに歩み寄ってきていた。さらりと風に黒髪がなびく。切れ長の涼しそうな目から酷薄な印象を受ける人もいるに違いない、と思う。けれどノエルはそうは思わなかった。ただそこに、造形として切れ長の目があるだけだと思った。

 美形、という種類の人間だろう。目の前の男は。

 けれどどこかちぐはぐで、それは多分、彼から連想する美しさはあまりにも整っているのに、どことなく感じる気配や雰囲気が歪で、整いきっていないというような、確信でもない予感を察したからだ。おそらくそれを、世間一般大勢のヒトが感じるわけではあるまい。ただしいことなのかどうか、正確なことなのかどうかさえ、ノエルにはわからない。けれども、そう感じたのだ。

 目の前の人物は、迷い、傷つき、そして戸惑いのある人間だと。

 だから、足を止めた。

「こんにちは」

 目前に迫った男は、やはり美しかった。けれど印象は変わらなかった。見上げるような位置に立った男が、小首をかしげる。表情はそれほど変わらなかったが、きっと今自分が瞬時に行ったような値踏みのような行為を、同じように行っているのだろう、とノエルは思った。

 いったい私には、どれほどの価値があると思われただろう。

 それを知ることに何か意味はあるのだろうか。

 知ったところで、なんになるというのだろうか。

「こんにちは」

 男がそういった。その声は、彼の美しさを装飾するもののひとつだった。

「こんにちは」

 男が、少し頬んだ気がした。

 この人間とは繋がれるかもしれない、とノエルは思った。

 汚らわしいとは思わないだろう。


「どうぞ」

 玄関を通されて。靴を脱ぎながらノエルはさりげなく周囲を伺った。

 それほど砂っぽくない玄関。掃除は、ほどほどに行き届いているらしい。名も知らぬ男がしているのだろうか。潔癖症か何かの類かもしれないと思ったけれど、どちらかというと、そういう「普通の状態」を作り出しているのだろうという気配もした。

 男は、靴を脱いで板張りにあがった。見上げると、ほんの少し、微笑まれた。

廊下を進んだ先で、左手に折れる階段がある。男は迷いなく、そちらへ進む。

私は冒険を望んでここにきた。いや、望んだかどうかはっきり断言するには意志が曖昧なのだが、それでもその餌に釣られるような形でここまで来たことはたしかだ。

 目の前の人間を好ましいと思ったのも事実だ。

 だがそれは、今すぐベッドへ雪崩れ込んでどうこうというわけでは、ない。

 このまま二階へ──おそらく男の部屋へ──進んでいいものだろうかとノエルは迷った。一歩、また一歩と、階段がどこか淫猥にギシギシきしむたびにその思いは強くなる。

 ノエルは、茶の間かどこか、そういうところへまずは通されるだろうと思っていたのだ。そこで男が与えてくれる冒険とやらの説明をされるものだと、なぜだか決めつけていた。自分が甘かったのかもしれないと思う。そう思うなら、踵を返して逃げればいい。足は階段を登り続けている。階段を降り、廊下を戻り、靴も履かぬまま玄関を押し開けて、逃げればいい。可能だろう。けれどノエルは、やはり階段を登り続けたのだった。

男の容姿の印象とはあまりそぐわない横開きの木の扉。開けると、畳の部屋が広がっていた。男はためらうでもなく踏み入れ、奥の窓に背を向け座った。ノエルは其の正面に座るべきだろうと思いながらも、ことさらゆっくりと一度部屋の中を見回した。ふすま。机。本棚。違和感があるのはこの部屋ではなく、男にそういう雰囲気がなさすぎるせいだろうと思った。

「どうぞ」

 促されて、ようやくノエルは正面に座った。

 男と、改めて向かい合う。やはり美しかった。まつげが長い。美男だ、と思ったけれども、それにより居心地悪くそわつくということはなく、どちらかというと自分でも驚くほど落ち着いているところがあった。多分、目の前の男とは、うわっつらなときめきやそういった刹那的なものではなく、もっと生命の根源的な何かで繋がる予感があったからだと思う。

「名前を教えてもらえませんか」

 ノエルはまずそう言った。

「クロヴィス」

 答えた男──クロヴィスは涼しげだった。

「クロヴィス……」

 初めて聞いた名であるはずなのに、どこか懐かしいような気がした。ずっとこの名を待っていたかのような、そういう。

「君の名は」

「ノエル」

 クロヴィスが、ノエル、と口の中で繰り返す。

 なぜだか心が暖かった。

 そんなことまるでクロヴィスには関係ないことだとしたら、きっと自分はこんなこtおにも何かを見出したくなるほど本当は寂しくて、孤独だったのだということだ。それを教えてくれたのは結局クロヴィスで、やはりこの出会いは運命的な要素を含んでいると、ノエルには思えて仕方がなかったのだった。

 軽い女、と呼ばれてしかるべきだろうか。これが恋だとするならば、恋だと呼ぶならばそうだろう。けれど、その深さにあるものではなく、そうではなくて、もっと別のベクトルの、ようやく出会えた、何かと出会ったような気がするという予感。そして、その予感に自分が木がつけたのだという歓喜。ヒトは幸せにも、予感にも、前兆にも、本当は存在しているかもしれない──わからないのだからその時にはわからない──そういうものに気がつくのにもきっかけがいる。視点がいる。感じる心が、受け入れる世界観が、そういうものがいる。それをたまたま今身につけて、こうして気がつけたというのは、たとえばそれが勘違いだなんだと呼ばれるものだとしても、いいのだ。そのきっかけのような、掴んだしっぽのようなものが大事なのだ。幸せであるか、どうかなどわからないけれど、そういう価値観の外にある、大事なもののような気がしてならないのだ。無意識は、無意識で自覚させない幸せだ。

 そういう何かを、言葉に出来ないしするべきでもない何かの気配を、ノエルはクロヴィスに感じたのだ。それは「此処から先は違う。なにか違う未来がある。自分は自分の予測を裏切れる」というある種の──しかしノエルにとっては、目の前のもの全てが基本的には虚無か無意味が勘違いに見えるにとっては──幸せの種子をはらんでいる、奇跡のようなものだった。


「それじゃあ、どんな冒険がしたい」

 そうクロヴィスは言った。相変わらず涼し気な表情だった。

「私は……」

 ノエルは言葉に詰まった。この先の答えが自分の未来を変えるような予感があったからだ。私は、と自分の内面に深く切り込む。ヒトとはまた違う、自分だけの内面。ひとつだけのものなのに、自分にすべては全て。不思議な主観と客観。

「私は」

 言葉にやはりつまる。

「自分の心を、動かしたいのです」

「苦痛であっても?」

 即座に、クロヴィスは問いかけてきた。再び言葉に詰まる。

「それが幸せに繋がるのならば」

「では、幸せとはなんですか」

「幸せとは」

 この問いに、答えられるという気がしなかった。そこでノエルは、自分が、幸せとはなんなのかを見失っているのだということに気が付いた。

「あなたにとっての幸せとはなんですか」

 この質問から逃げることは許さないというような強さで、クロヴィスは言い放った。

「笑っていられること……?」

 ノエルはこんな答えしか返せない自分の浅はかさに、心が冷めていくのを感じた。自分自身に興味を失うのを、感じた。

「いけませんね。幸せは、自分自身で感じるしかないのですから、その自分から興味を失うことは、いけませんよ」

「苦しくとも、何かに挑戦している時が、そのことが……幸せなのかもしれません」

「だとするとあなたは今、幸せなのではないですか。こんな場所に足を踏み入れたのは、何か新しい物を求めていたからではないのですか? 幸せですよ。ええ、見たところあなたはずいぶん幸せなようだ」

 長い言葉も、クロヴィスは落ち着きはらって言った。詩の暗証でもしているような風に見えた。

「……そう、ですね。なんだか私、自分が幸せな気がしてきました。でも、だからってここから去るわけにはいけません。そうすると、私は、新しい何かを求めない状態に戻ってしまいますから」

「そうですか。では、どうなさるおつもりで?」

「ここで、あなたのお手伝いをします」

「ほう。言い切りましたね」

「だめですか」

「そうはいっていませんよ。この成り行きに少し驚いた反面、あなたを見た時から、こうなるような予感があったんです。予感、なんていうと霊的な何かを想像する場合もあるかもしれませんが、そうではなくって……そう、そうではなくって……」

 クロヴィスが言葉に詰まるその様子が、ノエルにはなぜか微笑ましかった。

 この人だって迷うのだ。言葉を探すのだ。

 誰も完璧でなんて、ないんだ。 

 他社に幸せや刺激を与えようとする、その人さえ。

「理由なんて、私、どうだっていいんですよ。クロヴィス」

「理由をどうだっていいというのは、あまりよろしくないのではないですか。なぜってそれは……ああ、これもまた理由でしたね。ノエルに取って、どうでもいいことのひとつでした。さて俺は、あなたにとってどうでもいい話をする、どうでもいい存在なのではないかと思うのですが、あなたの感情はどう揺れていますか?」

「どうでもいい存在だとしても、どうでもいいのです。私は今、ここで何かを始めたいと強く思っている……私がそう思っているのですから、その理由や、感情の揺れ方を、あなたに掌握させるつもりも、干渉させるつもりもありません」

「ではあなたは、あなたのままで、俺の側にいるつもりだと?」

「そうです」

「そうですか」

 クロヴィスは、なぜか、極めて安堵したように、微笑んだ。

「では、あなたに、そんなあなたに俺の力をお見せしましょう。俺は、非常に無力な存在です。なぜなら──物語を始めて、終わらせることしか、できないのですから」

 パチン、と指が鳴らされる。本棚が揺れると、そこから一冊の本がふわりと躍り出てきた。そしてクロヴィスとノエルの間に落ちたかと思うと、中からあふれる光を抑えられなくなったかというように、勢い良く開いた。

「この光に触れると、物語が始まります。でもノエル、あなたはまだ触れないで。あなたは俺の今やそう……相棒であり、客ではないのですからね。行かないで。俺のそばに居てください」

「はい」

 ノエルは光から顔をあげる。不安げなクロヴィスの瞳が、不意にやわらいだ。

「クロヴィスの側にいます」

 頷いたクロヴィスがもう一度指を鳴らすと、本は少しずつ光を失っていった。光がなくなると、本はありふれているただの本になった。ひとつだけ変わっていることは、文字が書かれてあるはずの紙が真っ黒だということ。

「クロヴィス、あなたはどうしてこんな力を使えるの?」

「さあ。生まれた時からそういういきものだったんです。たとえばノエル、あなた、どうしてあなたは人間の女だったのですと聞かれて答えられますか」

「答えられません。でもわかったような気がします、あなたの言いたいことは」

 

//執筆中

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