クロヴィス
クロヴィスは、見るもの全ての期待に答えられるような、美しい造形をしていた。おおよそ平均的な美しさを持っているというわけではなく、どの人物にとっても満点にプラスがつくような美貌の持ち主だったのだ。
性格は、そうではない。容姿は自分の意に反してただそこにあるだけのものだから満点を取れても、中身まではそうとはいかない。
けれどクロヴィスは、取り立てて歪な形が好きなわけではなかったので、四角い箱には四角いものを収めるように、丸い箱には丸いものを収めるように、美貌に対してもとめられる内面を反映させることができた。それはそれほど苦痛ではなかったし、苦く思えばやめることだって出来た。
クロヴィスは、高校二年生だ。一人暮らしをしている。両親は交通事故で死んだ。ありきたりなことであると思うが、そうでもないという気もする。ただ、クロヴィスにとってはこれが現実であり、世界の温度でもあった。両親が残した一軒家でひとり暮らしている。ひとりで住むために作られたわけではない場所で、ひとりで住んでいる。それはとても違和感のあることのようにも思えるが、クロヴィスにとってはもう、目に馴染んだ現実になっていた。
世界は常に、変色し、変温し、変形し、そして馴染んでは、また繰り返して行った。
両親との話をしようと思う。
クロヴィスはもう、両親を失った今の自分が寂しいのか、寂しくないのか、そういったことがわからなくなっていた。訃報を聞いた瞬間と似ている。しん、と心が静まり返り、青くて温度のない宝石が、心に根付くような。宝石といっても、言い換えればそれは単なる石で、いい戻せばそれは宝石だった。それだけのものだった。
悲しみが──そう、確かに悲しみはあった──が襲ってきたのは、葬式も、火葬も済ませ、ひとり家に戻ってきた時だった。
これからひとりきりなのだ、という現実。圧倒的なその事実はもはや変えようがない。変えようがないのだから受け入れて馴染んでいくしかないのだが、その、馴染んでいくこれからの自分が哀れに思えたのかもしれない。
そして、今のクロヴィスは、過去の自分に哀れまれたクロヴィスは、自分がそれほど哀れなものだとは思えないでいる。涙だって、もう出ない。凍りついただけだとしても、麻痺しているだけだとしても、悲しい、とはそれほど思えないのだ。自分は馴染んだのだ。哀れに思うのは、馴染んでいない時の自分の名残だ。それは、過去だ。失われた時間の残像だ。影のようなものだ。
そんなことをしていると、トーストが焼きあがる音がした。
ここは自分の部屋だ。キッチンではない。両親が死んでから3年経つが、一緒に住んでいた時の感覚の名残で、家の中でも自分の部屋が特に居場所であるという気持ちは消えなかった。だからクロヴィスは生活のほとんどをこの部屋で行っていた。
クロヴィス、という名前にはそれほど似合わない畳の部屋。机。窓。本棚。角を埋めるようにきっちりとそれらが配置されている。そしてその空間を年度できっちり埋めるように、クロヴィスは存在している。空間を満たしている。
服は、床に散乱していた。クロヴィスは、何を着ても自分は自分で変わりがないというのに、変わりようがないというのに、服を着るという行為はあまり理解できなかった。もちろん衛生上の問題だのなんだのということは理解できる。だから彼も人並みに──いいや、人以上に無意識に美しく──服を着る。着こなす。けれども、新しいものを買いに行く時、大きなショッピングモールに必要に迫られて踏み入れた時、胸がざわめき、いらだちを感じる。何を着たって、どれを着たって、俺は俺だ。なのに、こんなにも溢れかえる選択肢と、その選択肢を展開している世界に気分が悪くなる。背筋がぞっとして、冷や汗が走る。金を払うというのに、無駄なことをしている気がする。
ぱさぱさと乾いたトーストを口に放り込み、勉強机の上においたポットからカップに湯を注ぐ。ティーパックの紅茶の香り。染みこんでいく。なぜか少し、羨ましかった。
喉に流し込みたい衝動に駆られたが、そうするとひどくやけどをすることになるとわあらない彼ではなかったので、そうしなかった。だから、トーストはやたら喉に絡みついた。ジャムも何もつけていない。たんなる「味」がした。けれどもそれは「味」だった。
くだらない。なんとなくそう言い放ち、紅茶をゆっっくりと飲む。自分が立ったままだったことを思い出し、椅子に座った。勉強机に付随している椅子だ。
そのあと、自分は窓の外の景色が見たかったはずなのに、と思い出した。いや、思い至ったのかもしれない。
自分は少々静かに混乱をきたしているが、やがて馴染むのだろうという諦念のようなものもあった。悲しいかどうかはやはり、わからなかった。
家を出た。今日は学校だからだ。
制服に着替えた自分は、普通の高校生に見える、とクロヴィスは思った。どこが違うと思うのかということはわからなかったけれど、得てして、誰にとっても自分自身だけはその他大勢のヒトとは違って見えるものだという気がしていた。クロヴィスもそれはそうだった。体があり、そこから得られる刺激を感じられる、与えてくれるのは自分という存在だけだった。他人ではない。特別と特別じゃない存在。けれども他人にとっては特別じゃない自分自身。それらの集合体である世界が、わからなかった。ここからここまでが特別、と線引した円が無限に重なっているような気がした。その図形は、とても気持ちが悪かった。
学校へ向かって歩きながら、ふとクロヴィスは思った。
──何事にも、馴染んでいくことができるなら。
偽りのものでも、本物だと思い込むことができるのではないか、と。
空が青かった。自分は今、学校へ行くために歩いているところだった。けれども、引き返した。
玄関を開ける。心なしか乱暴な所作だった。自分がどことなく興奮していることがわかった。少し恥ずかしかった。だから玄関に靴は、意識してゆっくりと脱いだ。けれどその行為そのものが、不自然なもののように感じられもした。
朝なのに薄暗い廊下をまっすぐ歩く。そこはキッチンだった。家の中の自分の居場所は自室だと思っているクロヴィスにとっては、ここはまだ自分のテリトリーの外、いや、グレーゾーンに値するところだったが、今は、少しだけ、なぜだか、内側にように感じた。
無造作に棚においてあった広告をつかむ。やすそうで、光沢を放つスーパーのものだ。裏側が白い。つるつるとしているその印象が、今は少しだけ好ましかった。
黒のマーカー。このためだけに存在していたのではないか、と思えた。
蓋を開き、体育館を歩くときに鳴るようなきゅっきゅっという音とともに、書いた。
今感じうる、自分の希望をかいた。
──「あなたのほしい冒険を、演じて、現実にします」
改稿が必要だ。
けれども、始まったのだと思った。唐突に始まったのだ。