1:トーキョーがない!
「学舎まで続く1キロの菩提樹の並木道」
ブランデンブルグ門からプロイセン王宮にいたる秀麗な景色に未来を重ね合わせた僕のトーキョー生活は、コロッケを揚げる安い油のにおいで始まった。
ろくに下調べもせず‘下手な鉄砲も’式で臨んだ受験で、いつもの模試の偏差値にしては予想外のハイランク大学に引っかかったとき親父は小躍りして喜んでいたけれど、ロッポンギとかシブヤで楽しい都会生活を送るつもりだった僕は、理学部の所在地を見て「トーキョーって市があるんだー」と感心し、そして不安交じりの何ともいえない奇妙な気分に覆われた。大学案内の「学舎まで続く1キロの菩提樹の並木道」このキャッチコピーに一縷の望みをつながざるをえない気分になるのはなぜなのか。僕の場合、いやな予感に限って的中するのは経験則で知っている。
1週間後、‘都会か田舎か’というテーマと‘新しいか古いか’というテーマは別次元のものだと僕は学んだ。田舎だからといって町が古臭いとは限らない。僕の田舎は自然保護関係の補助金がふんだんに入るようで、人口は鹿より少ないが、駅も役所も学校も最先端設備だ。電柱なんて僕は生まれてこの方テレビでしか見たことがなかった。
ところがどうだ。僕の目の前にある‘この’トーキョーは。
受験会場とは別の僕の学部がある駅を降りたときの衝撃は、いつかどこかで見た昔の映像、鉄のカーテンが斧や鉈でガンガンぶち壊される感覚に近い。
ひなびた細い坂道の、左右の電柱から無秩序に垂れ下がった電線。その間を縫うように植えられた高さもまちまちの貧相なこの木を菩提樹と呼んでいるのか。いや、そうだとしてもだ。枝はみすぼらしく、うちの猫がもてあそんだ後のマタタビの小枝みたいに折れて道に散らばっている。道路標識は剥げて意味不明の注意を促しているし、早春の朝の日差しの向こうから薫り立つのはコロッケ屋が開店準備を始めたしるしの昨日のサラダ油の残りだろう。その向かいは営業しているかどうかわからない薬局。その隣にはもはや僕の田舎でも見かけない純喫茶の文字。昭和にも程がある。一言でいうならグレーなのだ。僕の気分以上に町の色が。大学案内のコピーの文字に偽りはないとしても、かきたてる想像にミスリードがありすぎるというものだ。
前期課程で通う駅5つ向こうの町は、春になると野生のイノシシやウサギ、雉なんかを目当てに猟友会の人たちが集まってきて、農学部の学生とジビエを楽しんでいると聞いたときはどこの貴族の話かと思いつつも、都会志向の僕の好奇心を刺激はしなかった。けれど2年たてば都会で過ごせると思っていた僕の夢が、アヤシイ雑誌のアヤシイ広告ばりに期待はずれとわかった今となっては、むしろ田舎の貴族の暮らしのほうが遥かにいいもののように思えてきた。
いかにも学業以外の意図を表出させて『こんなのトーキョーじゃない』と言うのははばかられたので「オレ、物理学科なんか向いてないと思う」と入学手続きと新生活の手配のためについてきた親父につぶやくと、
「今更なに言ってる」
親父は鼻で笑って「そんなことより」とあさっての話をはじめた。入学する本人の意思より、一般論的喜びを優先させるつもりだ。確かに、アパート探しではないわけで‘町の景観がイメージと違う’といって入学を辞退するヤツはいないだろう。今日という日に至ってはそれがもっともな反応に違いない。といって、2年を田舎で、さらに2年を昭和に埋没させるのは真っ平だ。この日、説明会も諸手続きもほとんど上の空で、僕はひたすら‘せめて住居だけは都心に持つために親父を口説く口上’を一粒のゴマから1リットルの油を絞り出すような思いでひねり出し、翌日なんとか都心駅近くの不動産屋に連れ込むことに成功した。どの台詞が効いたのか、それとも親父の上機嫌の産物だったのか、あるいは倅の本音はお見通しだったのかもしれない。
引越しといくつかの入学イベントが済んで、ゴールデンウイークに一度帰省し、再び上京すると本格的に授業が始まった。それほど楽しいわけでも、それほど厳しいわけでもない、高校時代の延長のような淡々とした日々。そんなs=vtの等速運動に似た僕のトーキョー生活が、このところおかしな摩擦係数や不意のはね返り係数が入り混じって、あるべき日々のテンポにビミョーなリズムがつきはじめている。
親父を説得して、学生にしては分不相応な入居費用をねだったことがこんな毎日を引き寄せることになるなんて。人生とはファンタジーなものなのか、それとも僕の頭がファンタジーなだけだったのか、僕にはわからない。
はじまりは、バイトに終始した最初の夏休みが明けてトーキョーにも赤とんぼがいることを知った秋のはじめの気持ちのいい夜だった。




