表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

人形と廃墟

作者: ニット帽

本屋に行くと立ち読みしてしまう写真集たち。

 廃墟の写真集をみるのが好きだ。あの”強者どもが夢のあと”感がたまらない。しょっちゅう本屋で立ち読みしてしまうが、見るたびにぞくぞくと寒気が湧いてくる。

 雑草が生い茂り荒れた庭、所どころ黒く変色したコンクリート、割れた窓、そのままの家具・・・民家や団地ならそこに住人が、工場なら従業員達が、”そこに居た”であろうに、その余韻そのままに朽ち果てている。あまりに静かなその廃墟写真からは、元気な子供や幸せな家族、働く男達、”静”の反対側の”動”なる人々の様子がどうしたって思い起こされてしまう。それ程までに廃墟写真は”静”を感じさせるのだ。


人形の写真集を見るのも好きだ。廃墟写真を見た後、なぜか見たくなる。日本人形でも西洋人形でもいい。有名作家の作品もいいが、アマチュアの作家さんが作った、ただただ可愛らしいだけの人形も好きだ。人形の写真も廃墟に負けず劣らず”静”だ。

 以前、有名なビスクドール作家の写真集を見ていた時、写真の人形が”死んでいるみたいだ”と思ったことがある。思ってすぐ、「はて?」と違和感を感じた。はて、何しろこれは人形なのだ。”最初から生きていない”だから死ぬはずもないのだ。その人形が”死んでいるみたい”とは、これはどういう事なのだ?と。


 人形も廃墟もおそらくは”永遠に動かない”ように感じる絶対的な『死』の予感がぞくぞくする寒気の正体だろう。うまく言い表せないが、”生きている”私達は一秒も”静”であることはない。心臓は動き、皮膚では常在菌が繁殖・死滅を繰り返し、化粧は崩れ、酸素を吸い、二酸化炭素を出す。毎日ニュースをチェックし、仕事をし、勉強し、時代についていかなくてはならない。しかし、人形と廃墟はそういった”生”から完全に開放されている。それに対する憧れと恐怖が寒気の正体ではなかろうか。死ぬのは怖い、が、生きるのも辛い。永遠に変化せず、休んでいられたら・・・こんな憧れを向けられるのは人形も廃墟も迷惑だろうな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ