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裏切ったのはあなたでしょう?

作者: 夢子

 ジュスティーヌには婚約者がいる。

 この国の多くの子女が年頃になれば婚約者を作るので、二十歳を過ぎたジュスティーヌならば当然ともいえる。

 平均して学園通学中、十五歳~十八歳の間に婚約者を決めるのが一般的。


 けれどジュスティーヌの年代の子供たちは婚約者を作る歳が遅かった。

 それは歳の近い王太子殿下がいたためだ。

 

 王太子妃を狙う家は多い。

 幼いころから王太子の周りは騒がしく、その横に立つ令嬢は激戦だった。

 中には自分こそが王太子妃に相応しいと、他を貶め自分勝手にふるまう令嬢もいた。

 もちろんそんな令嬢は厳しく罰せられたが、それほど注目を集めていたと言える。


 伯爵令嬢であるジュスティーヌもその影響で、王太子殿下が隣国へと遊学へ行くまでは婚約者を作らなかった。いや作れなかった……というのが正しい。

 ジュスティーヌ本人が王太子妃に選ばれる可能性はとても低いが、婚約者候補の高位令嬢と友好がある伯爵令嬢ならば、王太子殿下の側近との婚約が結ばれる可能性があったからだ。

 ジュスティーヌの両親だって貴族だ。

 娘にそういった相手を望むのは当然だった。


 その為王太子殿下が隣国へと出発し、一年後に隣国の王女と婚約を果たすと一斉に婚約者探しが行われ、ジュスティーヌも幼馴染の親友との婚約が結ばれた。


 幼馴染であるニコラの紹介で出会ったエタンは伯爵家の次男坊。

 エタンはニコラと同じく一つ年下だが、一人娘であるジュスティーヌの婚約相手としては妥当だと言えた。

 

 見た目も悪くなく、幼馴染の友とあって性格もいい。

 家族仲も良く、エタンは両親や兄を尊敬し妹にも優しい。

 それに何よりジュスティーヌを婚約者として大事にしてくれて、異性を愛する気持ちをジュスティーヌに初めて教えてくれた。


『ニコラ、あなたのお陰でエタンとの婚約が整いました。あなたの親友だけあってとても優しい人ね。私は今とても幸せよ』


 王太子の遊学へ付いていった幼馴染ニコラへと、報告を兼ねてエタンとの日々を綴り手紙を書く。

 両親同士が仲がいいためニコラとは幼いころから何でも話せる仲の良さだ。

 性別は違えども親友だとそう思っているし、ジュスティーヌにとってニコラは兄のようなものでもあり弟のような相手でもあり、家族の一員でもあるとそう思っている。


 ニコラは子爵家の三男坊だが頭が良く気配りができる自慢の幼馴染だ。

 見た目は一個年下なだけあって少し幼く見えるが、男の子は成長期が来ればあっという間に変わると言われている。次に会うときにはきっと大きく成長しているだろう。


 そんなニコラは王太子の側近に選ばれた。

 王太子と同級生でクラスも一緒だったニコラだ、勉強も出来て気配りが出来るとあれば当然ともいえた。

 見送る日は涙が止まらず、励ましてくれたのは一緒に見送りに来たエタンだった。


「僕ではニコラの代わりにはなれないけれど、出来るだけジュスティーヌ嬢の傍にいるよ」


 優しい声掛けにジュスティーヌの胸は高鳴った。

 そしてエタンは約束通りジュスティーヌに毎日のように会いに来てくれて、ニコラのいない寂しさを埋めてくれた。


「庭で咲いた花だけど、良かったら君に……」


「ちょっと出かけた時に見つけたペンダントなんだけど、君に似合いそうだと思って……」


「良かったら今度観劇にでも行かないかい? 新作のチケットを譲ってもらえたんだ」


 来るたびにジュスティーヌを気遣ってくれるエタン。


 この人となら……とジュスティーヌはいつしかそう思うようになっていた。


 両親もエタンのまめさに感心し、ジュスティーヌの夫となりユベール伯爵家を任せられる、そう思ったようだ。


 そんな縁もあっての婚約といえる。

 

 エタンとのことをもっとニコラに話したいが、手紙のやり取りでは簡単な報告しかできないことが少し寂しい。

 そんなジュスティーヌの思いを知ってか、ニコラは忙しい中でもすぐに手紙の返事をよこしてくれた。


『ジュスティーヌ、婚約おめでとう。エタンと婚約しただなんて正直驚いたよ。でもあいつには君のことをたくさん話してきたから、きっとそれで君に興味を持ったんだろうね。親友として幼馴染として二人のキューピッド役になれたのなら嬉しいよ。もうすぐ帰るから会ったらたくさんののろけ話を聞かせてくれよな、楽しみにしているよ』


 幼馴染のニコラもエタンとの婚約を喜んでくれて、ジュスティーヌの未来は順風満帆そう思っていた。


 けれど正式な婚約を結んでから、エタンはジュスティーヌを軽んじるようになったと感じた。


「君の好きな花を贈るよ」


 悲しい気持ちになるから美しくてもカサブランカの花は苦手だと言ったのに、エタンはそれを選んでジュスティーヌに贈ってきた。


「君に似合うと思って選んだんだ」


 そう言って渡された装飾品はとても派手で、大人しめな容姿のジュスティーヌにはあまり似合わなかった。

 色もオレンジ色のスファレライトという宝石で、水色の瞳とベージュ色の髪を持つジュスティーヌとは何も被らない。

 何を思ってエタンがジュスティーヌこれらを贈って来たのかは分からないが、ちゃんと私を見てる? と小さな疑問が少しずつ詰みあがっていった。


 そして今日、一緒にニコラの帰国のお祝いをしようと約束していたのに『妹が体調を崩した』との連絡である。


 今月三度目の断り文句。


 釣った魚にエサはやらないではないが、急なキャンセルの多さにジュスティーヌのことを軽んじていることが分かってしまう。


 王太子の件でただでさえジュスティーヌの世代は婚約が遅れている。

 年頃ギリギリとなったジュスティーヌは、今更新しい婚約者を探すことなど難しい。


 それが分かっているからエタンも強気で出るのだろう。

 ジュスティーヌの浮かべる笑顔には憂いが出ていた。


「ジュスティーヌ、どうしたの? エタンに何かあったのかい?」


 二年間外国へと遊学へ行って、すっかりと男らしくなったニコラがジュスティーヌに問いかける。


 今日はジュスティーヌの屋敷で帰国のお祝いをしようと前から約束をしていた。

 時間を過ぎてから断りの連絡を入れてきたエタンとは違い、ニコラは約束の時間よりも少し前にジュスティーヌの屋敷を訪れた。それも珍しい異国のお土産付きでだ。


 比べてはいけないが何でも話せる幼馴染と、気を遣う相手でしかない婚約者をどうしても比べてしまう。

 遊学前はまだ少し幼さが残っていたニコラが(紳士)らしくなっていたので尚更かもしれない。


 エタンに軽んじられるたび、ニコラだったら……とどうしてもそう思ってしまうのだ。

 自分の不誠実な心をしまい、ジュスティーヌはニコラに大したことではないというように微笑んだ。


「いいえ、エタンは問題ないわ、でも妹さんが体調を崩して来れなくなったみたいなの……」


「エルザが? 一昨日会ったときは元気そうだったけど……急な風邪か何かかな? 心配だね」


「……ええ、そうね……ニコラは、その、一昨日にエタンの妹さんにお会いしたの?」


「ああ、王城でエタンの兄上に偶然お会いしてね、夕食に誘われたんだ。エタンは留守だったけど他のご家族は皆いてね。僕の帰国を家族のように喜んでくれて嬉しかったよ」


「そう……それは良かったわね……」


「ああ」


 どうやらエタンの妹さんは急病らしい。

 なら仕方がないか……と思うとともに、本当に病気なの? と疑問が浮かんでしまう。


 それに一昨日の夜エタンが自宅に居なかったという情報を聞き、ジュスティーヌの中で悪い方へと考えが進む。


 信じたいのに信じられない。


 他の人からエタンの情報が入るたび、ジュスティーヌの中で疑問が浮かんでいった。


「そういえば、ジュスティーヌは王太子殿下が婚約されたことは聞いたかな?」


 ジュスティーヌの表情が曇ったことに気づいたのかニコラが話を変えてくれる。

 祝い事の話を聞きジュスティーヌにも笑顔が戻る。


「ええ、聞いたわ、隣国の王女殿下とのご婚約だもの、友人みんなとその話で盛り上がったわよ」


「そうか、正式な婚約発表の夜会はこれから開催されるけれど、婚約のことはみんなが知っていることなんだね。そうか……それじゃあやっぱり……」


「どうかしたの?」


「うん……ジュスティーヌは、エリーズ・ダビデ嬢を知っているかな?」


「ええ、その、エリーズ・ダビデ嬢と言えば、自分が王太子殿下の婚約者だとそう言っていた方よね?」


 エリーズ・ダビデ嬢は侯爵家のご令嬢で、王太子殿下の婚約者候補筆頭だったのは間違いない。

 けれど他の婚約者候補への嫌がらせや横暴な振る舞いなどが原因で、学園を中退させられ修道院に送られたはずだ。

 そんな彼女の名がなぜ今ここで?

 急にエリーズ・ダビデ嬢の名が出て驚くジュスティーヌに、ニコラが心配事を教えてくれた。


「その、実は彼女、預けられていた修道院を抜け出したらしいんだ」


「えっ? そんな、そんな簡単に抜け出せるものなの?」


「彼女には取り巻きも多かったから手引きした者がいると思う。ダビデ侯爵も疑われて王城で取り調べを受けたけれど、彼が犯人ではなかった。何よりエリーズ嬢が王太子殿下を恨んでいるのではないかとそんな話も出ていてね」


「まあ……」


 王族の命を狙うなど恐ろしすぎる話だが、学年は違えどもエリーズ・ダビデ嬢の姿を知っているジュスティーヌとしては、彼女ならばやりそうだと思ってしまう。


 それに王太子の婚約が決まったからこそ、尚更行動に移しそうだとそう思ってもしまった。


「それで……その、エタンのことなんだけど」


「エタン?」


「ああ、アイツは一時期彼女に、エリーズ嬢にアプローチしていたから心配で……」


「えっ?」


「ああ、勿論君にエタンを紹介するずっと前の話だよ。それこそ僕たちが学園に入学する前の話さ、たぶん淡い初恋だったんだろうね。エリーズ嬢は王太子殿下の婚約者候補だったから諦めたようだし、彼女もエタンのことなど相手にしていなかったしね……ただ、今は立場が違うだろう? だから今日はエタンにそのことを伝えて気を付けろって言おうと思ってたんだけど……」


「……ニコラ、有難う、優しいのね。分かったわ、彼に次に会うときに私から伝えるわ。何もないとは思うけれど、身辺には気をつけた方が良いものね」


「ああ、それと君も十分に気を付けてくれよ」


「ええ、有難う。気を付けるわ」


 自分勝手な行動をする令嬢だ。

 どこでどう恨みを募らせているかは分からない。


 エリーズ嬢という物騒な話も有ったけれど、ニコラとは昔のように楽しい時間を過ごすことが出来た。

 色々悩みを抱えるジュスティーヌにとって、ニコラとのお茶会は久し振りの癒しの時間でもあった。




 夜になり、ジュスティーヌは鏡に映る自分の姿を見つめる。

 エタンの初恋がもしエリーズ・ダビデ嬢ならば、ジュスティーヌでは全くタイプが違う。


 彼女は派手で大輪の薔薇の花を集めたような(ひと)だった。

 それに比べジュスティーヌはよく言えば百合の花、普通に見てハルジオンやチューリップが似合う女性だと自分でも思う。


 今更ながらに自分と結婚すれば伯爵位が付いてくるからエタンは申し込んできたのでは? と勘ぐってしまう。

 それにジュスティーヌに似合わなかったプレゼントもエリーズ嬢ならば似合いそうだ。


「とりあえずエタンと会ってエリーズ嬢に注意するようにと伝えないと……」


 そう思ったがその後もエタンの家族には何故か不幸が続き、ジュスティーヌとは会えないままだった。








「ジュスティーヌ! 久し振りね!」


「アリーヌ! 会いたかったわ!」


 ジュスティーヌは今日、学友であった親友のアリーヌと街のカフェで会う約束をしていた。

 結婚を前に会おう、そう連絡し合っていたのだが、お互い忙しく中々時間が合わない中でのやっとの再会だ。


 職業婦人として商会で働くアリーヌは忙しい。

 彼女は出会った当初から「結婚はしない」と言い切っていた強い女性だ。

 美しく先進的でジュスティーヌの自慢の友人でもあった。


「ジュスティーヌ、幸せそうかと思ったけれど……あなたちょっと瘦せた? 結婚式に向けて無理をしすぎではないの?」


「そう? 痩せたかしら? そうね、ちょっと色々と心配事があって……でも結婚式はまだ何も決まっていないのよ。今はまだ婚約だけ、それにそれもちょっとね……最近はなかなか彼に会えなくて……」


「やだ、何かあったの? 手紙ではあんなに幸せそうだったじゃないの」


「ええ……」


 ジュスティーヌは親友に憂いを打ち明けることにした。

 幼馴染のニコラにも両親にも話せないジュスティーヌの心の内。

 信じたい相手の疑いたくなる行動。

 先日の『妹が体調不良』の後は、『母が馬に蹴られた』『父が階段から落ちた』『兄が騙された』とあり得ないような理由でのドタキャンが続いた。


 ジュスティーヌの両親も娘が出かける準備をしたまま屋敷にいるのでその不自然さに気づいている。

 この婚約もきっとジュスティーヌの判断で簡単に取りやめることが出来るだろう。それもエタンの有責で。


 けれどジュスティーヌはアリーヌのように強くない。

 結婚をしないなんて言いきれないし、独り身でいる勇気もない。

 アリーヌのように男性社会といえる職場で働いていくことなどジュスティーヌには絶対に無理だろう。

 それにアリーヌにはデザイナーという夢があった。

 けれどジュスティーヌにはそんな夢などないし、一人で伯爵家を盛り立てていく自信もない。


 エタンと婚約を解消したら一体自分はどうなるのだろうか……


 そんな情けない悩みをアリーヌへ伝えれば、アリーヌはイヌサフランの花のような妖艶な笑みを浮かべた。


「貴方の婚約者エタン・ブランだったかしら? 今すぐ会いに行って殺してやりたいわ」


「アリーヌ、ダメよ、そんなことをこんな場で言ったら」


 カフェは賑わっているが誰が聞いているか分からない。

 焦るジュスティーヌを見てアリーヌはふふんと鼻で笑う。


「あら、私は本気よ。ジュスティーヌというこんな可愛い婚約者を放置するだなんて許せないもの! そんな男極刑に値するわ、切って捨ててやりたいぐらいよ!」


「フフフ、アリーヌ有難う。貴女が怒ってくれたから心がスッキリしたわ……そうね、私たちのことだもの逃げてないでちゃんと話し合うべきね。そうよ、彼が会いに来ないならば私が会いに行くべきなのよね」


「ああ、ジュスティーヌ、貴女のそんな素直で優しいところが私は大好きよ」


 テーブルを挟みアリーヌがジュスティーヌの手を握る。

 久し振りに友情を確かめ合えばまるで学生時代に戻ったようでジュスティーヌも自然と笑顔になる。

 ここのところエタンの件で落ち込んでいただけにちゃんと笑えて嬉しかった。


「有難う、アリーヌ、私も貴女が大好きよ」


 ジュスティーヌに笑顔が戻りアリーヌがホッとしていると、「ジュスティーヌ?」と別の客から声を掛けられた。


 振り向けば声の主は王太子の側近として王城で働くニコラだった。


「まあ、ニコラ? どうしたの? 仕事は?」


 王城で忙しくしているはずのニコラが街のカフェにいてジュスティーヌは驚く。

 けれどニコラのほうもジュスティーヌの存在に驚いているようだった。


「ああ、今日は休みを取ったんだ……その、エタンに相談があると言われてね……」


「相談?」


 もしかして自分たちのことかしら? とジュスティーヌはエタンの相談を想像する。

 自分たちは上手くいっていないとか、ジュスティーヌのどこそこが嫌だとかそんな相談をニコラにするのかしら? とまた悪い方へと考えてしまう。


「ねえ、ジュスティーヌ、その相談、隠れて聞いていましょうよ」


「えっ? アリーヌ? そんなのダメよ」


「何故? 貴女は彼の婚約者なんだから話を聞く権利があるわ、ねえ、えっと……ニコラさん?」


「ええ、そうですね。きっとエタンの相談は君に関することだろうし、僕は全然かまわないよ。それにもしかしたら君へ贈る装飾品の相談かもしれないし、それなら僕も君の意見をすぐ聞けるから助かるしね。それにあいつは結構趣味が……」


「……」


 確かにエタンの趣味は悪い。

 選ぶものが的外れであるし、婚約前はきっと両親にでも相談していたのだろうと想像できる。


 それに相談内容がジュスティーヌに全く関係ないのならそっと席を離れればいい。

 どの道彼には会わないといけないと思っていたし、話もしなければならないだろう。


「そうね……そうしようかしら……」


 そんな理由もあってジュスティーヌはそのままカフェでエタンの登場を待つことにした。

 約束の時間よりも一時間遅れでエタンは登場し、アリーヌに益々呆れられた。

 ニコラが本を持っていたところを見るとエタンの遅刻はきっと常習なのだろう。

 婚約者の知らない面をまた一つ見て、失望しながらジュスティーヌはそっと彼らの話に耳を傾けた。




「それで、エタン、話って?」


 簡単な挨拶を終えるとニコラがエタンに話しかける。

 ジュスティーヌとアリーヌは後ろの席に座り聞き耳を立てた。


「……その、金を貸してほしくて……」


「……金? 金ならご両親に頼めばいいだろう? 君の家なら十分な貯えがあるはずだし、ジュスティーヌへの贈り物には困らないはずだよ」


 まさかお金の話だとは思わず、ジュスティーヌとアリーヌはカップを持ったまま固まる。

 貴族令息で、その上伯爵子息であるエタンがお金に困るはずがない。

 家族にも内緒でジュスティーヌへ何かを買いたいのだろうか? 

 もしかして高価な指輪とか?


 そんな期待は一瞬で消える。


「……実は……娼婦を買いたいんだ……」


「娼婦? 娼婦ってお前、もうすぐ結婚だろう? ジュスティーヌを馬鹿にしているのか?」


「ち、違う! ジュスティーヌのことは大事だ! だけど彼女が、初恋の人が困っているんだ。だから彼女を助けたくって、僕にはまとまった金が必要なんだ」


「初恋の人って……まさか、エリーズ・ダビデ嬢のことか?」


「ああ、そうだ……彼女を偶然街で見つけて、それで、娼婦になっていたから助けたくて……両親にも兄にも相談できなくて……お前しかいないんだ! 頼む、ニコラ!」


「冗談はよしてくれ! 僕は王太子殿下の側近だぞ、あの方に迷惑をかけた令嬢を助けるわけがない! それにその後はどうするんだ? まさかジュスティーヌを捨てて彼女と駆け落ちするだなんて言わないよな?」


「まさか! ジュスティーヌとはちゃんと結婚するよ。それに彼女は、エリーズはもう貴族じゃない。だから娼館から買い入れたら僕の愛人にする予定だ。ユベール伯爵家を継ぐ予定の僕なら可能だからね」


 エタンの身勝手な発言にジュスティーヌは我が耳を疑う。

 目の前のアリーヌも驚きすぎて口を開けたまま固まっている。


 けれどニコラだけはその嫌悪をハッキリと態度でしめした。

 ドンッとテーブルを叩きエタンを睨みつける。

 親友の愚行に呆れているようだ。


「エタン、見損なったよ。君に彼女(エリーズ)のことを教えたのは助けさせるためじゃない、連絡を取らないようにするためだ」


「……仕方ないじゃないか、彼女は僕の青春なんだ、初恋の人なんだよ」


「ふざけるな! だったらジュスティーヌは僕の初恋だ! 彼女のことを不幸にするような行動は許さない!」


「不幸になんてしないさ、僕はちゃんとジュスティーヌと結婚する。それに今更婚約解消だなんて彼女だって困るだろう? だから穏便に済ませるためにも君がお金を貸してくれればそれで丸くおさまるんだ」


 エタンのあり得ない言葉に傷つくよりも、ジュスティーヌはニコラの言葉に驚いた。

 まさか自分がニコラの初恋相手だったなんて……

 こんな時なのにときめいてしまう自分がいる。


(ニコラが私を……?)


 ここ数か月のエタンの行動に呆れていたせいもあるかもしれない。

 信じたいと思いながらも心の中で諦めていた気持ちが強いからかもしれない。


 それに男らしくなったニコラを意識し始めていたせいもあるだろう。

 二年離れていたお陰でニコラの優しさに改めて気づいたということもある。


 自分は捨てられる女ではない。

 自分も誰かに愛される女だ。


 ニコラの言葉が今、ジュスティーヌに勇気をくれた。


「結婚していただかなくても結構ですわ、エタン・ブラン」


「ジュ、ジュスティーヌ?! なんでここに?!」


 後ろの席からジュスティーヌが現れエタンが驚いた顔をする。


 お前が話したのか?

 ジュスティーヌをこの場に呼んでいたのか?


 エタンがニコラにそんな視線を向けるが、ジュスティーヌが「偶然よ」と言えば、一緒にいたアリーヌも立ち上がり、()()()()でエタンに手を振る。

 けれどその目は怒りで燃えていて今すぐエタンを殴りそうなほどだった。

 ジュスティーヌも親友そっくりにニコリと笑いエタンと向き合った。


「エタン、あなたの本音が知れてよかったわ。それに結婚する前で良かった。私の家のお金を前提に結婚前から愛人を作ろうとする人なんてごめんこうむるわ。あなたの有責での婚約解消をブラン家にお伝えします。これで私のことはもう気にしなくても良いでしょう? どうぞエリーズ嬢とお幸せにね」


 言いたいことを言ってスッキリしたジュスティーヌはアリーヌと共に店から出ようとする。


 けれど未練がましくエタンが声を掛けてきた。


「ちょ、ちょっと待って、ジュスティーヌ、婚約解消だなんて、そんなこと言わないでくれよ。その、エリーズのことは冗談なんだ。そう、ニコラの愛人にどうかと思って、今日はその話に来たんだよ」


「やめてくれ、僕はあの女が昔から大っ嫌いだ」


「ニコラ!」


 顔を歪めるニコラにエタンが口パクで援護を頼む。

 話を合わせてくれ、そう言っているのがジュスティーヌにもアリーヌにも分かった。


「あなた最低ね」


「本当に最悪な男じゃない」


 ニコラに罪を押し付けようとしているのか、それとも伯爵位に未練があるのか、あり得ないことを言いだしたエタンへ皆の冷めた視線が向かう。


 カフェにいる客たちも話が聞こえていたのだろう、ひそひそと話をしながらエタンを睨む者までいる。

 女性に人気のカフェだけに当然ともいえた。

 きっとエタンのこの行動はあっという間に噂話となるだろう。


 こんな人と結婚するよりは独身の方がマシよ!


 ジュスティーヌは独り身でいることを覚悟した。


「まって、ジュスティーヌ、君は僕を信じてくれないのかい? 結婚の約束をした仲じゃないか!」


 まだ縋り付くエタンに呆れてしまう。


 信じろ?


 そんなこと無理に決まっている。


「何を言っているの? 先に裏切ったのはあなたでしょう?」


「ジュスティーヌ……」


「さようなら」


 ジュスティーヌのその言葉が最終通告となった。

 項垂れるエタンを残し、ジュスティーヌもアリーヌもそしてニコラもカフェを出る。


「あんな人だと思わなかったわ」


「僕もだよ……ほんと、ごめん、ジュスティーヌ」


「そんなニコラのせいじゃないわ、人の本性なんて中々気づけないものよ」


「……うん、そうだね、ごめん、いや、有難う……」


 エタンの本性を見て落ち込むジュスティーヌとニコラにアリーヌが声を掛ける。


「まあ、仕方がないわよ。人間、深く付き合ってみないと分からないこともあるものね、それに私たちは深く付き合ったからこその親友でしょう? ね、元気を出して」


「そうね」


「確かに、そうだね……」


 小さな笑顔を取り戻し、アリーヌの言葉に大きく頷いた二人だった。





「裏切ったのは君の方だ……」


 ジュスティーヌとアリーヌと別れ自宅へ向かう帰り道、ニコラはほくそ笑みながらそう呟く。


 ニコラはずっとジュスティーヌが好きだった。

 幼いころ出会った瞬間にジュスティーヌに恋に落ちた。

 彼女以外は女だとは思えないし、彼女以外の女性に興味など持ったことはない。


 だからジュスティーヌと結婚したいとずっとそう思っていた。

 ジュスティーヌを独り占めして、ジュスティーヌの幸せな笑顔を傍でずっと見ていたいとそう夢見ていた。


 けれど最初に妨げとなったのは爵位の問題だった。

 ジュスティーヌは伯爵家のご令嬢、それも一人娘で、跡取り娘でもある。

 伯爵家の中で地位が高いユベール家ならば、結婚相手は同じ伯爵家か、その上の侯爵家が相応しい。


 子爵家の三男坊でしかないニコラは候補の中にさえ入らない。

 良いところ彼女の遊び相手か、将来の従僕あたりか、友人候補の一人でしかないだろう。


 出世しなければジュスティーヌが手に入らないことは学園入学前に分かっていた。


 だから王太子に近づいた。

 別に彼のことを尊敬している訳でも崇拝している訳でもない。

 側近になってジュスティーヌに相応しい相手となる地位が欲しかっただけだ。


 ニコラの世界の中心はジュスティーヌだ。

 だからこそ王太子に気に入られたようだ。

 自分を王太子扱いしないニコラが面白かったと王太子はそう言っていた。


 けれどエタン。


 君は僕のそんなところが気に入らなかったのだろう。


 爵位の低い僕が王太子の友人。


 その上成績は僕の方が君よりも上。


 女性にモテるのも僕の方だった。

  

 それに君の憧れのエリーズ・ダビデ嬢の傍に近づくためには王太子の側近になるのが手っ取り早い。

 けれど(エタン)は選ばれなかった。

 王太子の婚約者候補であるエリーズに気がある時点で側近は却下なのだが、君はそのことに気づかないぐらい愚鈍だった。


 だからだろう、君は僕に近づいてきたね。

 友人の振りをして僕を使って王太子に取り入ろうとした。


 まあ、そんなことは僕も王太子も分かっていた。

 だから適当に付き合い、君の様子を見ることにした。


 だけどまさか、偶然顔を合わせたジュスティーヌに君が手を出すとは思わなかった。


 僕の親友だと嘘をつき、勝手にジュスティーヌに近づいて行ったね。

 もしかしたら君のご両親の指示もあったのだろうか。


 君は外面だけは良かったからね。

 ジュスティーヌも、ジュスティーヌのご両親も、君が言う「(ニコラ)の親友」という言葉を信じたようだ。

 僕の人生で()()などいたことがないのだけど、不思議だ。


 だから僕は君に再三にわたり注意したはずだ。

 ジュスティーヌには近づかないでくれと。


 けれど頷きながらも君はそれを裏切った。

 友達になっただけさ、と笑っていたね。


 そう、()()ならば僕もまだ見逃したかもしれない。


 けれど君はジュスティーヌと婚約し、その上愛されるという暴挙に出たね。


 ジュスティーヌから送られてくる手紙をみるたび、君への憎しみが募っていったよ。


「絶対に後悔させてやる」


 僕は隣国でそう誓った。


 そうそう、君の妹だが、彼女はとんだ阿婆擦れだ。

 男友達、そう言っているあれらは全て彼女の取り巻きだ。

 僕が王太子の側近になったと知った途端、君の妹はアプローチを掛けてきてとてもしつこかったよ。

 既成事実を作ろうと僕を個室に誘い込もうとしたよね。

 だから彼女のような女性が大好きなヘンダ男爵に彼女からの手紙を回しておいたよ。

 おかげで彼女とヘンダ男爵は結ばれるそうじゃないか。

 二回りも年上で子供がいる相手との結婚だがきっと愛があれば乗り切れるよ。

 君も兄として見守ってあげると良い。

 今は泣いていてもエルザもいつかきっと幸せになれるだろう。


 それから君の両親だが、僕が子爵家の三男坊と知った時、何と言ったか知っているかい?

 君との交流を止めるようにと命令してきたんだよ。

 それが僕が王太子の側近だと知ると態度を変えてくれて面白かったよ。

 君のご両親には人間の醜悪な部分を教わったからね。

 お礼に隣国で人気のある酒と香水を土産として贈ったけれど、気に入ってくれたようだね。

 ただ裏面にある注意事項を読まなかったのは頂けない。

 飲みすぎと香水のつけ過ぎには注意がしてあっただろう。

 まあ、君の両親だ。

 隣国の言葉が分かるはずがないよね。

 次回があれば僕が気を付けるよ。

 ただジュスティーヌと君が別れたいま、その機会はもうないと思うけれどね。


 それから君の兄上だけどね。

 王太子殿下に取り次いでくれと何度も何度もしつこかったよ。

 仕方がないから隣国の友人を紹介してあげた。

 君のお兄さんなら隣国の言葉も話せる、そう思ったんだけど、どうやらお互い勉強不足だったようだね。まさか簡単な罠に引っ掛かりお兄さんが投資に失敗するとは思わなかったよ。

 友人の方は「あいつには気を付けろ」と伝えたそうだが、お兄さんは「あいつの話に乗れ」と聞き取ったようだ。まあ、隣国の言葉を話せるフリをしていた君のお兄さんにも問題があると思うよ。

 きっと君の家の損失は大きなものとなるだろう。

 でもそれも自業自得だ。

  

 何故なら君がジュスティーヌを傷つけたからだ。


 ジュスティーヌとの婚約解消は弱っている君の家の大きな痛手となるだろう。

 それも君の有責。

 理由は君の浮気。

 それも相手は娼婦で王太子殿下相手に問題を起こしたご令嬢。


 ジュスティーヌのご両親が許すはずがない。

 静かに暮らしたかったダビデ侯爵も怒るかもしれないね。

 きっと雀の涙ほどしかない君の資産からもご実家の資産からも出来るだけ絞り取ることだろう。

 君は良くて平民落ちかな。

 ご実家の存続の危機だものね、切り捨てられても仕方がないか。


 僕もユベール伯爵家に出来るだけ協力するつもりだ。

 だって君をジュスティーヌに紹介したのは()になっているからね。

 ()()として()()まで責任を取らなければならないだろう。

 もちろん王太子殿下にもご協力いただくから安心してくれていい。

 王太子殿下も修道院から今も送られてくるエリーズ嬢の手紙に辟易していたんだよ。

 だから()()も王太子は僕の味方だ。

 きっと君はエリーズ嬢と結婚出来るだろう。

 平民としてね。


 君は僕の宝だと知っていてジュスティーヌに手を出した。


 そう、先に裏切ったのは君なんだよ。


 だから徹底的に苦しめてやる。


 君が生きているのも嫌になるほどにね……





「ジュスティーヌ、すごく綺麗だ!」


「ニコラ、有難う……貴方も素敵よ」


 ジュスティーヌは二コラからプロポーズを受け、エタンとの婚約解消半年後に結婚式を挙げることとなった。


 今日はその結婚式。


 式を滞りなく行い、親族や友人たちが集まる披露宴会場へ顔を出した未来のユベール伯爵夫妻はとても華やかで幸せそうだ。


 寄り添う姿はお似合いで、見つめ合い笑顔を交わせば会場中から拍手と歓声が上がる。


「ああ、どうしよう、ジュスティーヌと結婚出来るだなんて、僕は世界一の幸せ者かもしれない」


「もう、ニコラったら大げさよ、私なんて傷物と言われる令嬢なのよ、あなたならもっといい相手もいただろうし、私は年上だし……」


「ああ、ジュスティーヌ、そんな悲しいことを言わないでくれ、僕は君の全てが好きなんだ、君以外は人間とも思えないぐらいなんだから、それを分かって欲しい」


「もう、ニコラ、冗談はやめて……でも嬉しいわ、あなたの言葉だけは信じられるもの……」


「ああ、ジュスティーヌ、僕が言うことは冗談なんかじゃないよ、僕が君を裏切ることはない、絶対にね……」


 仲睦まじい姿を見せるジュスティーヌとニコラ。


 ジュスティーヌとエタンが婚約解消したことなど世間の記憶から一瞬で消えていくだろう。


「愛しているよ、ジュスティーヌ」


「ニコラ、私もよ」

 

 彼らの愛はこの日、裏切ることのない永遠の誓いを結んだのだった。

こんばんは、夢子です。

今年二個目の短編です。

少しでも皆様に楽しんでいただけたら嬉しいです。

20251221。


※最近完結した連載です。読んでいただけたら嬉しいです。

レイののんびり異世界生活~英雄や勇者は無理なので、お弁当屋さん始めます~

https://ncode.syosetu.com/n3855ke/



〇ジュスティーヌ・ユベール

21歳

主人公

エタンと婚約中

ニコラは幼馴染

水色の瞳とベージュ色の髪


〇エタン・ブラン

20歳

ジュスティーヌの婚約者

ニコラの親友


〇ニコラ・アンドレ

ジュスティーヌの幼馴染

エタンの親友

20歳


〇アリーヌ・クーザン

ジュスティーヌの親友

21歳


〇エリーズ・ダビデ

エタンの憧れの人

修道院を抜け出し娼婦になる

元侯爵令嬢

黒髪、オレンジ色の瞳

20歳


〇エルザ

エタンの妹

17歳


〇ヘンダ男爵

妻を亡くし後妻を望んでいる

二十代後半の息子がいる

見た目が余り良くない

49歳


〇王太子

二コラの友人

エリーズに手を焼いていた

修道院からワザと逃がした

20歳


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― 新着の感想 ―
そもそも『王太子妃に選ばれる可能性はとても低いが、王太子殿下の側近との婚約が結ばれる可能性があったから、婚約者を作れなかった』はずなのに、王太子の側近になった幼馴染みと最初から婚約しなかったのは何故?…
面白かったけど、ニコラのニが途中から漢数字の二になっているのが気になって入り込めなかったのが勿体なかったなと思いました
タイトル回収が主人公と見せかけて、ニコラもだったのに唸りました。 あと言い訳かと思われたキャンセル理由が全部本当で受けるwww 余裕がなくなってたんたろうけどジュスティーヌにもニコラにも嘘つきで不…
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