年の離れた妹の友達と仲良くなるお話。
なにかに救われた瞬間――って、ある?
多分だけど、みんなにもあると思う。もちろん、わたしにもある。
例えばそれは、本だったり、ゲームだったり、また音楽だったり――人の言葉だったり。この世界には、たくさんの『救い』がある。
言葉だけじゃなく、行動もそう。なんてことのない街の風景に救われた人だって、いるかもしれない。
わたしの場合は人の言葉だった。本とか、そういうの。
最近は、小説家がAIに取って代わられそうだとか、小説ではもう稼げないだとか、そういう呟きがよくツイッターのおすすめに流れてくるようになった。小説家志望というわけではないわたしだけど、そうなってしまうのは嫌だと思ってしまう。
別に、AIを否定するつもりなんてない。あれは便利なものだ。わたしも、仕事ではよく利用している。目上の人に対する文章が苦手なのだ、わたしは。Z世代は敬語が使えないんだとよく言われている気がするけど、それは多分わたしのせいである。
閑話休題、どうしてわたしはAIの台頭に嫌な気分を覚えてしまうのだろうか。食わず嫌いなんて、ただの偏見と同じなのに。
それは多分、わたしが人の言葉に救われてきた人間だからなのだろう。人が作ったキャラクターに物語、文章、セリフに救われてきた人間だからなのだろう。だからAIはダメだ。AIはまだ、わたしを救えない。
わたしがそう言うと、忘喑は独り言のように呟いた。
「人が作ったモンが人の作ったモンを真似してるだけだから、そりゃクオリティは落ちるでしょ。量はヤバいかもしんないけど」
そう言われると、わたしを救ったのは、ただのクオリティということになってしまいそうだ。別に、それが嫌だなんてことはないのだけど、なんだかエモーショナルな気分にはなりづらい。わたしを救ったのは、量とか質とか、そういうんじゃないのに――そう主張したくなる。
無駄だろうけど。
「クオリティ……」
量より質、という言葉はただの理想であり、現実とは程遠いという話でもしようか? 理想は現実にならないという話も追加でしなければならなくなるが。
「……ねぇ、風鈴」
「ん? どうしたの?」
呼ばれたので、わたしは返事をする。いつもはずっとわたしのほうから話しかけているので、忘喑のほうから声をかけてくれるというのは、かなり珍しいことだった。長い付き合いだけど、彼女から話しかけてきてくれたことなんて、片手で数えられるほどしかないかもしれない。
忘喑は気だるそうにしながら、ぼそりと小さな声で言った。
「つまんなくない?」
「……?」
なにを言っているんだろう。クエスチョンマークが付いているから、疑問文ではあるんだろうけど、どういうこと?
わたしはとりあえず訊いてみた。分からないことは人に訊くが善である。
「……つまんないって、えっと、なにが?」
「今、この時間が」
「……」
なるほど、とわたしは納得した。確かに、面白くはないな。
AIや小説がどうこうという話題で、とくに文学女子というわけでもない高校生の忘喑が楽しめるわけがない。それに、高校生なんて、理想を夢見るお年頃だ。だから、理想が現実にはならないなんて――そんな夢も希望もない話は、口にすべきじゃないだろう。
「ごめんね、わたしのお話つまらなかったよね」
「謝らなくてもいいけど、うん」
いや、きちんと猛省しなければならない。とっくに社会人となったこのわたしが、毎日寂しくて妹(高校生)の友達をつまらないお話に付き合わせているというこの事実も含めて、だ。
「よく付き合ってくれてるよね。わたし、つまらない女なのに……」
「……風鈴のことをつまんない女だとは、思ってないよ。話はつまんないって思ったけど、面白い時もあるし」
それは、わたしにとって救いとなる言葉だった。感謝の気持ちで胸がいっぱいである。
「胸がいっぱいなの? そうは見えないけど」
「忘喑ちゃんは年上のお姉さんに貧乳いじりして楽しい?」
「ごめん」
忘喑は、ちゃん付けを異様に嫌がる。おそらく、子ども扱いされているように感じてしまうのだろう。全人類と対等でいたい、というのが彼女の望みだという。スケールが大きすぎる気がしなくもないが。だからわたしは、十歳近く年下の女の子を、対等に扱っている。子ども扱いなんて、できるわけがない。
「忘喑はわたしなんかよりもよっぽど大人の女の子だもんね」
「……年下の同僚をビッチ呼ばわりするヒト?」
「違うよ」
そんなこと、考えすらしなかったけど……。大人の女の子、イコール経験豊富、イコールビッチってこと? いやいや、会話中に連想ゲームなんてしたくないよ。
……あ、そうだ。
「連想ゲームといったらマジカルバナナだよね。やる?」
「却下」
却下されてしまった。どうしてだろう? マジカルバナナは、少しやってみたかったんだけど……。
「いや、面白くはないでしょ。バナナといったら黄色で黄色といったら信号で信号といったら交通で交通といったら車で車といったら乗り物で乗り物といったらロケットでロケットといったら宇宙――はい、7回やっただけでもう宇宙に辿り着いてしまいました」
「マジカルバナナって宇宙に辿り着くのがゴールなの? 初めて知った」
合コンとかで使われているイメージだったから、てっきり脳死でやるゲームなんだとばかり……。やっぱり、現役の女子高生とつるんでいると、勉強になることばかりだ。
死ぬ気で感謝しなければ。今度ブランド物のバッグでも買ってあげようかな。
「いや、風鈴は彼氏じゃないんだから……」
「忘喑は彼氏から貰ってるの?」
「……まぁ、うん……」
忘喑は男に貢がれる系の女の子だったんだ。わたしはそもそも人からプレゼントを貰ったことも、貢がれたこともないので、忘喑のことは少しだけ羨ましく思ってしまう。十歳年下の女の子に嫉妬する女って。ネットにいるような人とおんなじじゃないか。
猛省すべきことばかりで、相変わらず生きづらい。
「じゃあ、なにをあげたらいいのかな」
「……ならさ、時々ご飯とか奢ってよ。奢られるのは好きだから」
「えぇ」
やぶさかではないんだけど……、そんなんで良いの?
わたしには趣味がない。好きなものも特にないし、お金の使い方を知っているわけでもないので、どんどんお金が貯まっていく。だから、妹の友達に良いものを買ってあげることぐらいしかお金の使い道がないのだ。
それはとても有意義な使い道である。
「牛丼とかでいいから。というかそれが良い」
「……牛丼? 今食べたいなら作れるよ?」
「じゃあお願い。今すぐ肉を食べたい気分だから」
なら、今日は牛丼にしよう。牛肉を煮込んでご飯に乗っけるだけだから、そこまで時間もかからない。わたしも忘喑も野菜が嫌いなので、玉ねぎは入れない。最近はお肉が高くなってきているけど、幸いなことにわたしにはお金がある。
今は……午後十六時か。夜ご飯には少し早いけど、これも仕方ない。
とりあえず、まずはスーパーに行かなきゃ。
「ウチには肉も調味料も米もないからね」
「え、今すぐ作れるんじゃないの?」
どうやら、勘違いをさせてしまっていたみたいだ。非常に申し訳ない。
ただ、時間をかけるつもりはない。
「頑張れば十分で戻れるから大丈夫だよ。料理自体も二十分かからないぐらいだし」
だから安心して――わたしが言うと、忘喑は嘆息してから、呆れるように言った。
「風鈴の『頑張る』って、信用できるから心配なんだけど」
「……?」
信用できるから心配、というのはよく分からない表現だった。信用できないから心配になるんじゃないのか?
「信用できるから心配なんだよ。風鈴、頑張るって言ったら絶対に頑張っちゃうじゃん」
そんなの、当たり前だ。頑張るって言ったのに頑張らないなんて、そんなのは裏切りじゃないか。期待させておいてその期待を外すという行為は、人間としてあり得ない。これはわたしの信念に関わってくる、非常に重要な問題だ。
「……だろうね。もう、牛丼はいいから。気分じゃなくなったし」
「そう?」
なら、スーパーに行く必要は――いや、どっちみちスーパーには行かなきゃならないのか。冷蔵庫の中身が空っぽなので、このままじゃわたしが野垂れ死んでしまう。前までと同じように、外でご飯を食べれば解決する問題ではあるが、それは少し贅沢すぎる気がする。わたしは、贅沢をする気はないのだ。
する気になれない、というほうが正しいかもしれないが。
「じゃあ、なに食べる?」
「……うーん」
お肉の話をしたら自分もお腹が空いてきた。なんでもいいから、なにか食べたい。だから訊いたのだけど、忘喑は困ったような表情をして考え込んでしまった。そこまでこだわる?
わたしは食にこだわりがない。一応、好き嫌いぐらいならあるけど、好きなものだってめちゃくちゃ食べたいってわけでもないし、嫌いなものだって食べられないというほどではない。
なんだか、わたしって中途半端だなぁと思う。食へのこだわりもそうだし、職にすらこだわらなかったこともそうだ。
地元の出版社に就職した。だけど、出版の仕事がしたかったわけじゃなかった。学校も、そう。近くの商業高校に進学したけど、別に学びたいこともなかった。高卒で働いたけど、やりたい仕事があるわけじゃなかった。気になる男子に告白をして振られたけど、付き合いたいわけじゃなかった。友達と友達が揉めたから片方の味方をしたけど、もう片方の味方をしても別によかった。喧嘩をしたけど、怒っているわけじゃなかった。泣いたけど、泣く理由はなかった。
好きじゃなかったけど、嫌いでもなかった。
そして――
「ハンバーグ!」
「わぇっ」
突然忘喑が大きい声を出したので、わたしは驚いて変な声を上げてしまった。恥ずかしい。
「わぇってなに」
「忘れて」
「無理。……私、ハンバーグが食べたい。ファミレス行こうよ」
……まぁ、どうせ外には出るのだ。わたしに断る理由はない。
それに、自炊はやっぱり面倒くさいし。
「じゃあ、もう出発する? わたしはもう大丈夫だけど」
「私も大丈夫。制服は……着替えなくてもいいや」
ハンバーグなら、あそこのお店が美味しかったっけ。スーパーからも近いし、ファミレスよりは高いけど、あそこにしよっと。
「お店はわたしが決めていい?」
わたしは決めてからそう訊いた。忘喑は頷いた。
「じゃあ、しゅっぱーつ」
おー。
行きはわたしが、帰りは忘喑が運転した。高校二年生に運転をさせるのは明らかに法律違反だけど、わたしもお店でお酒を飲んでしまったんだから仕方ない。代行とか、面倒くさいし。
「うう……、頭が痛いよう」
「マジで飲みすぎだよ。風鈴、お酒はほどほどにしてって言ったじゃん」
「はぁい……」
妹の友達に介抱されているわたし、超ウケる……なんてね。
ああ、なんかもう全部がどうでもよくなってきた。元々、どうでもよかったのかもしれないけど。
「莉不ぅ、わたし、ダメなお姉ちゃんになっちゃったよう……」
「……」
妹の名前をブツブツと呟きながら、さっきはできなかった猛省をし始めるわたし。シラフのわたしが今のわたしを見たら、きっと絶望して首をくくってしまうのではないだろうか。
忘喑に完全介護で着替えさせてもらったわたしは、ふと目の前の抱き枕が目に付いた。
「抱き枕だぁ!」
「わっ!」
まるで人肌のように温かく、抱き心地の良い抱き枕だ。もちもちしていて柔らかいし、すべすべだから触っても気持ちいい。
「ちょっ、くすぐったいって」
一生こうしていたいという気分になった。もう、仕事なんか行きたくない。行こうが行かまいが、わたしの人生はつまらないのだけど、それでもいい。そっちのほうが良い。
「重い重い。潰れちゃうって、私……」
「んんー?」
なんか、変だ。抱き枕が動いているような気がする。試しに、枕に顔をうずめてみた。
「っえ!?」
「……あー……?」
次は、音がする。どくどく、どくどく。まるで、心臓の音みたいな音がする。なんだろう、これ。
「んう……」
「ちょっと、風鈴。セクハラだって、それっ……! ねぇ、揉まないでって!」
なんかもう、なにも聞こえないし、なにも分からない。なにもかもがどうでもいいような気がしていた。
「いや、どうでもよくないって!」
抱き枕を力いっぱい抱きしめて、顔をうずめて、そしてわたしはそのまま眠りについた。
「本当にごめんなさい」
「いや、別に謝らなくても……」
今日は土曜日なので、仕事はお休みである。だけど、忘喑のほうは違ったらしい。なんと、土曜授業があったらしい。半ドンではあるらしいけど、それでも授業がある日であることに変わりはない。
そして、わたしの所業について。
まずひとつ目。お店で泥酔し、忘喑に介抱させる。ふたつ目。ふらふらした頭で、忘喑と抱き枕を間違えて抱き着く(ウチに抱き枕なんてものはない)。三つ目。抱き着いた状態のままずっと離れず、忘喑を帰らせない。四つ目。寝坊させる。
「わたしは妹の友達になんてことを……」
「本当に気にしなくていいから。学校とか、別に行きたくなかったし」
行きたくないのはみんな同じだ。仕事と同じで。
でも、行かなければならない。それなのに、わたしはその邪魔をした。到底許されることではない。
「変なところで厳しいってか、固いってか……」
「わたしは厳しくも固くもないよ」
大人なだけだ。
大人は知っている。学校には行かなきゃいけないことを。仕事には行かなきゃいけないことを。
行かなかった結果どうなるかを。
知っているからこそ、子どもに教えるのだ。もちろんそれは、ただの押し付けでもある。
だけど、必要なことをせずに成功する事例はけして多くない。目立っているから多く見えるのかもしれないけど。
芸能人やインフルエンサーを信用するな。
「……は、言いすぎか」
「?」
思想が強いと思われるのは、少しだけ嫌だ。言葉だけを見るなら、むしろ誉め言葉にも聞こえるぐらいなのに。『思想が強い』。
というか、最近は思想って言葉自体がネガティブに使われている気がする。最近はというか、昔からそうだったっけ? 二十年前はどうだったっけ。正直、なんにも覚えてないや。
まぁ、閑話休題。
「ごめんね。お詫びに……な、なんでもするから」
「気軽になんでもするとか言わないでよ。別にいいってば」
罪を償うだなんて、償う側の贅沢である。償われる側がそれを望んでいないのなら、償う側にそうする権利はない。みんながそう思っていなくても、わたしだけはそう思う。
「償う償わないとか、大袈裟すぎだって。別にわたし、怒ってないつってんじゃん。しつこいよ」
あ、違うところで怒らせてしまった。
「……ごめんね。じゃあ、この話は終わりにしよっか」
「うんうん」
機嫌が戻ったのか、忘喑は1人掛けのソファに座るわたしの隣に無理やり身体をねじ込んできた。人間の体温を直に感じて、少しだけ居心地が悪い。というか普通に悪い。1人掛けソファはひとりのためのソファである。ぎゅうぎゅう詰めだ。
「えー、居心地悪い? 私は結構好きだよ、これ。人と触れ合うって感じがして」
言いながら、忘喑はわたしの肩に頭を乗せてきた。眠たいのだろうか? なら、ベッドで眠ったほうがいい気もするが。
「一緒に寝てくれるならベッドでもいいんだけど」
「えぇ……」
同性でも、流石に高校二年生の女の子と二十歳を余裕で過ぎている大人が一緒に寝るはヤバいと思う。血が繋がっているとかならセーフだけど、残念ながら忘喑は妹の友達である。
「未成年に車を運転させてる時点で法律とか倫理は関係なくない?」
「うう……」
させられて運転できるのもどうかと思うが(経験があるのかな)、どうだろうとそれを指示したわたしのほうが罪は重い。いや、指示したわけじゃないんだけどね。ただ、お願いしただけで。
べろべろに酔っぱらったわたしが運転するよりは、未成年でもきちんと意識を保っている忘喑が運転したほうが絶対に安全だと思ったのだ。それに、その時のわたしは判断力が低下していた。
「そもそも、なんでお酒を飲んだの? 運転手が」
「……そこに、お酒が、あったから……」
「……」
仕方ないとは絶対に言えない。そこにあったからって、唯一運転できる大人がお酒を頼むべきじゃないだろう。誘惑に勝つ努力ぐらいはしたらどうなんだよ、あん?
「ま、それはどうでもいいんだけどさ。とりあえず、一緒に寝ようよ。私も、寝るならベッドがいい」
……うむ。
なんだか後ろめたいので、わたしは小さく頷いた。
翌日――とか言うと、翌日までずっと寝こけてたみたいに聞こえるかもしれないので、誤解を避けるために補足しておく。わたしと忘喑は三時間ぐらいしか寝ていない。よくよく考えて、よく寝た後にもう一度寝るだなんて、確かに贅沢だけど、普通に難しいでしょ。
忘喑はわたしのせいであまり睡眠時間が確保できていなかったみたいだけど、それでも立て続けに二度寝はキツかったらしい。わたしが邪魔だったというのもあるかもしれない。
ふたりともすぐに目が覚めたので、仕方なく起きて、ご飯(昨日は結局スーパーに寄ることはできなかったので、買い溜めしておいたカップラーメン)を一緒に食べてから、忘喑を帰宅させた。あの子には親がいるので、あまり心配をかけさせたくない。
余計なお世話かもしれないけど。
はい、補足終わり。
改めて、翌日――日曜日の朝四時に目が覚めてしまったわたしは迷っていた。
土曜日を惰眠に費やしてしまったので、せめて日曜日こそは実のある一日にしたいと思ったのだ。
とりあえずお風呂に入ろうと、着替えを用意しながら、わたしは今日のプランを練ることにした。
忘喑を誘ってランチでも行こうかな? ……いや、外食だとお酒を飲んでしまいそうで怖い。アルコール依存症と言われてもおかしくないぐらいには、歯止めがきかないのだ。
誰かわたしのことを、欲望に逆らえない、哀れな大人だと罵ってくれ。
多分、忘喑にお願いすれば、すぐにでも罵ってくれるだろうけど……。
「……死にたくなっちゃうな」
女子高校生にそんなことを言われて、正気でいられる自信がない。年甲斐もなく泣きわめいてしまうかもしれない。妹の友達、という絶妙なポジションが最高だ。
莉不に罵られるのも悪くはないが、如何せん妹というポジションが邪魔である。妹が年の離れた姉に暴言って、それただの反抗期じゃんね。
わたしは素で罵られたいのだ。
「……って、マゾヒスティックかも?」
流石にアダルトすぎるか。わたしはドMってわけじゃあないし、彼女らは高校二年生でまだ成人じゃない。ただでさえ特殊なプレイなのに、法律違反要素まで追加されてはちょっと厳しい。色々と。
とか、そういうことを考えていたその時。
「変態」
「ふぇっ!?」
後ろから聞こえた声に、わたしは思わず変な声を上げた。なになに、なんなのなんなの?
「焦りすぎだって。私だよ、もなもな」
「……忘喑?」
いつの間にか、背後に忘喑が立っていた。からかうような笑みで、実際にわたしはからかわれている。
「変態って、なんで……」
「罵られたいって言ってたじゃん?」
どうやら、欲望が口から漏れてたらしい。本当に救えない女だ、わたしって奴は……。
「ありがとね……」
「あ、しっかりお礼は言うんだ。いいよ、全然、このぐらい」
むしろ罵りたいぐらいだったし、と忘喑は柔らかい笑顔のまま優しい声で言った。聞き間違いだと信じたい。
それにしても、恥ずかしい。年上なのに、最近はずっと醜態を晒してばかりな気がする。これじゃあ、年下に幻滅されてしまうよ。年下っていうか、忘喑に幻滅されるのは、かなりショックである。
「幻滅って。別に、最初から幻想なんて抱いてないし」
「そっすか……」
大の大人がやさぐれた。口調も変になった。本当に、大人っぽくなさすぎるだろ、わたし。それとも、隠しているだけで、会社の人たちだってみんなこうなのかな?
「それはないと思うけど、だけど、風鈴も大人に幻想を抱きすぎだとは思うよ」
「……子どもにそんなことを言われるとは思わなかった」
「子どもじゃないもん」
もんって。本当に子どもになってどうするのさ。
とはいえ、流石にわたしのほうも言いすぎたかもしれない。忘喑に向かって『子ども』だなんて、最低の侮辱だ。彼女は超絶アダルトなのに。大人向けなのに。
「大人向けじゃないよ。十八禁指定どころか児ポで捕まる」
そういえば、十八歳未満のことを『児童』と一括りにまとめるのって、結構な侮辱行為なんじゃないか? いや、一括りにしたのはわたしじゃなくて法のほうなんだけど。
「いや、児童の定義は児童福祉法で定められてるし。てか、その発言が児童に対する侮辱じゃないの?」
法律はよく分からない。未成年に車を運転させちゃダメだという法律があるのは流石のわたしでも知っている。だけど、それ以外はてんでダメだ。大麻って、吸うだけならセーフなんだっけ?
「話が二転三転しすぎだよ! つまらない上に追い付かない!」
「つまらないの……?」
忘喑を楽しませるための演出だったんだけど、つまらなかったらしい。やっぱり、わたしのセンスってどこかズレている気がする。そういえば、ファッションセンスについても莉不にさんざんバカにされていた記憶だ。
「私だってバカにするよ、あんな服。マジのマジで着る人いるんだって、びっくりしたんだから……」
「えへへ……」
「褒めてないよ」
あんな服、ねぇ。せっかくネットで買ったのに、どうしてそんなことを言われなくちゃならないんだろうか。
「ていうか、あれじゃ乳首見えちゃうし。隣を歩いてる時とか、頑張って隠してたんだからね? 私」
「え、そうなの……?」
初耳なんだけど、それ。え、どういうこと? わたし、あの服を着ている間はずっと露出狂だったってこと? 噓でしょ?
「……マジかぁ……」
「最初に会った時、マジで痴女なんかなって思ったよ。実際はただのバカだったわけだけど」
「手厳しすぎるよう……」
いや、痴女バカ呼ばわりされてもおかしくはなかった。だから、感謝しなければ。ついでに、反省も。
「反省がついでなの?」
「……猛省がメインだから」
「猛烈に反省って意味だよね? ソレって」
逃れられない。へぇ、そうなんだ……。だからなんだって話ではあるが。
「風鈴を見てると、真面目に学校行こうって気にさせられるから、凄いよね」
「それって褒めてたりする?」
だとしたら、喜ぶ準備はもうできている。だけど、残念ながら、褒め言葉ではなかったようだ。忘喑の表情がとんでもないことになったので、わたしは慌てて発言を取り消す。
「ごめんごめん! 違う! 自分でも分かってるから! だからそんな顔しないで! 超傷付く!」
全国の超さんが理不尽に傷付けられた瞬間である。
「……ふぅ」
さて、おふざけはこの辺でおしまいにしよう。わたしももう、二十代後半だ。いつまでも、若者のノリについてはいけない。
「……いや、私はそこまでノッてなかったけど……」
おばさんはノリノリだ。
「二十七歳をおばさんって言うの?」
「普通のノリでわたしの年齢公開しないでよ……」
自分の年齢は、認識したくない。歳なんて取りたくない。
なんて言っちゃうと、本当におばさんみたいになってしまう。別に、なりたくないってわけじゃないんだけど。
ただ、若者でいたいだけだ。
「それで、なんの用なの?」
わたしの問いかけに、忘喑は少し迷ったようにして答えた。
「……暇だから、来た」
「ふうん」
暇だからってわたしの元に来てくれるような妹の友達を持って、わたしってば本当に幸せ者である。自らの幸せに無自覚なまま、自分を不幸だと思い込んでいたわたしの罪は重い。
やはり猛省すべきだ。
「じゃあ、暇つぶしでもしよっか。なにする?」
「うーん……」
ふたりで遊びに行くとき、行き場所を決めるのは基本的にわたしの役割だ。そこら辺、忘喑はあまり受動的じゃない。それが良いことなのか悪いことなのかはさておいても、少しは積極的になってほしい。
忘喑のことを、もうちょっとだけ知りたいのだ。
「自己紹介でもする?」
「どうして急に? 別にいいけど……」
別にいい、か。それが良いのか、それでいいのか。
ま、とりあえず自己紹介はじめ。やっぱり、こういうのは発案者が最初にやるべきだろう。
「まずはわたしからね」
ここまで言って、わたしは固まった。重要なことをすっかり棚に上げていた。これはまずいぞ。
わたしはあまり上手に生きてきたほうじゃない。わたしは高校でイケイケの学校生活はおろか、普通の学校生活すら送れていなかった。学校で話すだけの知人はいたけど、学校の外で遊ぶようなお友達はわたしにはできなかったのだ。
悲しいことに。本人がそれを悲しいと思えていないところが、余計に。
そしてそんな奴が、いきなりの自己紹介をまともにできるはずもない。すっかり忘れていたけど、忘喑には彼氏もいるのだ。友達だっているし(そもそも妹の友達だ)、わたしなんかよりも百倍マシな学校生活を送っていることは想像に容易い。
「……まだ?」
「……」
さて、どーしたものか。
「……はい。わたしの名前は日合傘風鈴です。えーっと……」
とりあえず名乗ろう。自己紹介だし。
「趣味は……読書で……?」
なぜかクエスチョンマークが尾にくっついているけど、わたしの趣味が読書であることは疑いようのない事実である。最近は、あまり本に触れていないけど。
「……彼氏は、いなくてぇ……」
情けない。
「……よろしくお願い、します?」
「下手くそ」
知ってた。
あまりにも酷い。自分で先攻を選んでおきながら、この体たらくだ。情けない頼りない救えない。
ああ、恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。また恥を晒した。またか。またかよ。まただよ。
「全然参考にならなかった。フォローもできないよ」
「うう……」
死体蹴りされている。されても仕方ないというか、されなきゃいけないレベルの醜さではあっただろうけど。
「つ、次は忘喑の番! ほら、早く早く!」
これ以上失態を咎められたくないわたしは、急かすことにした。急かされた忘喑は、呆れたような顔をしながらも、言うとおりに自己紹介を始めた。
「私は双橋忘喑です。高校二年生でーす。趣味はとくにないけど、最近はよくヒップホップの曲とか聞いてまーす。彼氏はいるけど、ほぼフリーでーす。今日の合コン楽しみましょー。よろし……」
「ちょっと待てい」
いつの間にか合コンになっている。一応、一度だけ参加したことはあるけど、その時のわたしは数合わせだったし、とくに良い出会いもなかったので、記憶が曖昧だ。そんな感じだったっけ?
「というか、彼氏いるのに合コン参加してるの?」
「二週間前バレて別れた。翌日別の人と付き合ったけど」
お盛んすぎるでしょ。もはや大学生じゃねぇか。
「大学生に偏見持ちすぎでしょ……あ、今の彼氏は大学生だよ」
「要らない情報……」
まさか、忘喑が尻軽女だったなんて……軽くショックだよ、わたし。
「誰が尻軽だよ。別に、誰彼構わずってわけじゃないし、それに――いや、なんでもないけどさ」
「?」
なんだろう。
「あと、学校じゃ私、清楚系なんだからね」
「マジですか?」
思わず敬語を使ってしまった。
「え、その見た目で清楚系名乗れるの? ピアスの穴、何個空いてるのか自分でも分かってなさそうなのに? しかも髪の内側、真っピンクじゃん」
「インナーカラーって言うんだよ」
分からん。
「ピアスは……右耳に四つ、左耳に三つ。口と鼻、それにへそに一つずつ。あとは――まぁ、言えないけど」
言えないってなに?
「忘喑、あなた怖いよ……」
「怖がられてるの? 私。悲しい気持ちになる」
悲しい気持ちにさせてしまった。ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。わたしはただ、自己紹介を通して忘喑のことを知りたかっただけなのに――
「……私のことを知りたいの? なら、聞けばいいじゃん」
「え?」
聞いても、いいの?
「聞かなきゃ分からないでしょ。聞いてくれれば、なんでも答えるのに……」
……足りなかった。わたしに、コミュ力が。
そっか。
そもそも、コミュニケーションっていうのはそういうものだった。
遠回りより、近道のほうが近いのは、当たり前のことだった。
「……じゃあ、好きなタイプ教えてよ」
「どうして最初の質問がそれになるの? まぁ、答えるけどさ……」
わたしと忘喑が初めて出会った時。
「……うっす」
「えっと、莉不ちゃんのお友達?」
まだ、わたしがギリギリ二十代前半で、あの子は中学生だった。
忘喑は、遊びに来ていたらしい。だけど、妹はいなかった。友達を家に入れておいて、莉不はひとり買い物に出かけたらしい。一緒に行けばいいのに、と思った記憶がある。
わたしは自身の持つ最大限のコミュ力を発揮して、妹の友達――忘喑に話しかけた。
「はじめまして。わたしは、莉不のお姉ちゃんだよ。よろしくね」
「……うっす」
さっきからうっすとしか言わないな、この子。
そんなどうでもいいことを思いながら、わたしは訊いた。
「お名前、教えてくれる?」
「……ねぇ」
すると、忘喑はわたしの問いかけをスルーして、こちらを睨み付けた。なにか、気に障ることをしてしまったのかと不安になったし、実際そのとおりだった。
「私のこと、子ども扱いしないでよ」
「……え?」
子どもじゃないの? と危うく口に出してしまうところだった。もしこの時、わたしが本当に口に出していたら、おそらく、今のような関係にはなっていないだろう。その場でボコボコにされていてもおかしくない(後から知ったけど、この頃の忘喑はかなりの不良だった)。
そのぐらい、『子ども扱い』は忘喑にとって地雷なのだ。
「わ、分かった。それで、お名前は……?」
雰囲気が悪くなるのは嫌だったので(すでに十分悪かったけど)、わたしは適当に了承した。それが、この関係のはじまりだったのだろうと、今になって思う。わたしと忘喑の関係は、ここから始まった。
「……モナ。忘れるって字に、喑啞の喑で、忘喑」
「ふむ」
え、喑啞ってなに?
「喑噁叱咤の喑だって。なんで分からないの?」
「逆になんで分かるの……?」
自分の名前だからか。まぁ、それはともかくとして。
「そういえば、わたしも名乗ってなかったね。名字は……知ってると思うけど、日合傘。日合傘風鈴。よろしくね、忘喑ちゃん」
「ちゃん付けやめて」
「……じゃあ、忘喑?」
「それが良い」
それでいい、じゃなくて。
それが良い、なのかと。
当時のわたしは、なんとなく思った。
それから月日は流れる。
「忘喑、最近ずっとくっついてくるね。もしかして甘えん坊さん?」
「……甘えん坊じゃないけど」
頬ずりしながらそんなことを言われても、説得力の欠片もなかった。まぁ、嫌な気分はしない。
「今日は、どこか行く?」
「……別に、行きたいところなんて、ないから」
じゃあ、今日も家でごろごろしていよう。
そんな日々をほんの数ヶ月ほど続けてみた。だけど、数ヶ月前と現在で、なにひとつ変わらない。怠慢、退廃、堕落、墜落。そろそろ、本格的にまずくなってきた。
自分でも、分かっている。こんな関係、続けるべきじゃないって。おそらく、忘喑のほうも同じだろう。だけど、忘喑は言わない。わたしだって、言わないだろう。
変わりたくはない。ずっとこのままでいたい。そう思う気持ちが、ないわけがない。
「……」
忘喑に好きなタイプを聞いてから、明確になにかが変わったわけではないが、それでも少しずつ、なにかが変わっている気がする。その変化は、わたしにとっては望ましくないものである。残念なことに。
『……風鈴みたいな人、かな』
いや、真顔で言われても。冗談だって分からないよ、それじゃあ。
わたしと忘喑は、毎日欠かさず会っている。あの日から、今に至るまでずっと。それは、傷を舐め合っているようで、共依存のようで、求めあっているような、関係性。
そんな関係が、着実に変わろうとしていた。おそらく、忘喑はずっと努力してきたのだろう。
このダメな関係を変えるために。
ふたりの関係は、莉不を通じてのみ成り立っているだけであり、それは仮初でしかない、偽物の関係だった。
白状すると、わたしはそれでいいと思っていた。それが良いとは、流石に思っていなかったけど。だけど、それしかないとは思っていた。それについては、猛省しなければならない。
もしくは、内省か。
「……風鈴? ぼうっとしてる?」
忘喑は、きょとんとした顔で、わたしの顔を見つめていた。
「……」
潮時か。
そろそろ、終わらせなければならない。そのぐらい、わたしにも分かっている。
いくら、終わらせたくないと思っていても、それでも――終わりは、必ずやってくるものだ。
終わらせよう。わたしたちの関係を。この狭い世界を。
「……忘喑って、わたしのことをどう思ってるの?」
「え?」
いきなりそんな質問をされて、戸惑わない人間はいないだろう。忘喑は首をかしげながら、「うーん」と答えを考えている。わたしのことを、面倒なメンヘラだとでも思っているのかもしれない。
実際そうだ。なんの言い訳もできない。
「……風鈴のことを、どう思ってるか。難しい質問をするんだね、風鈴」
「難しいかな」
「難しい」
そっか、とわたしは言わなかった。なにも言わず、彼女の答えを待つことにしたのだ。
そしてついに、忘喑は口を開いた。
「好きだよ」
……。
「ちゃんと、恋愛的な意味で……いや、性的かも。よく分かんないけど、私は風鈴のことが好き」
「……」
「なんか言ってよ。てか、どうやって気付いたの? すごいね」
どうやって気付いたかと言われても、別に気付いていないというのが真相である。いや、気付いてはいたが、そんな答えが返ってくるとは思っていなかったので、むしろこっちのほうが戸惑っている。じゃあ、どんな答えが返ってくると思っていたんだろうね。
好意を抱かれていることぐらい、とっくのとうに気付いていた。好きなタイプを聞くよりも、ずっと前から。
わたしと忘喑は毎日欠かさず会っているのだ。忘喑が彼氏よりもわたしを優先していることぐらい、分かる。合コンには、行ったのかもしれないけど、おそらくお持ち帰りはされていないはずだ。夜にはほとんどわたしの家にいるのだから。忘喑は。
「……正直」
わたしはとりあえず、ずっと言いたかったことを伝えることにした。忘喑にではない。
ただ、口に出したかっただけだ。
「この関係は、絶対によくないと思う。妹の姉と、妹の友達――妹を通した関係。わたしたちふたりの関係」
忘喑も、それを変えたかったからこそ、今ここで、わたしに想いを伝えたのかもしれない。
「莉不を失ったわたしたちが、行き場をなくして、辿り着いたこの場所。でも、それは偽物で、虚構で、ただの幻想でしかなかった」
「……」
妹の死によって繋がったわたしたち。
「莉不の死は、耐えられない痛みじゃなかったんだよ。だけど、わたしたちはそれに気付けず、痛みを怖がっていた。だから、ダメになっちゃった。傷の舐め合いでもなく、求めあってもなく、そして共依存でもないわたしたちの関係は、最初から始まってなんかいなかった。最初なんてなかった」
だから、わたしたちは、変わらなければならない。
わたしは突き放すようにして言った。
「もうやめよう。このままじゃ、わたしにとっても、忘喑にとっても、よくないよ」
莉不が死んだあの日から、毎日欠かさず会っていた。忘喑は、彼氏や友達よりも、わたしを優先した。わたしに優先するものは、忘喑以外なかった。
忘喑はわたしのことが好きになった。わたしは忘喑のことが元々好きだった。だけど、それが理由ではなくて、これは関係の問題である。その理由は莉不だった。
結局のところ、それはタイミングの問題なのだろう。
「……そうだよね。うん」
忘喑は、まるでなにかを取りこぼしたかのように、声を出した。
「私も、前々から思ってた。だけど、さ」
「……?」
「風鈴を好きなのは、変わらないよ」
……ああ、なるほど。それは、かなりの問題かもしれない。だけど、すでに解決策は見えている。
だから、わたしは応える。
「ねぇ、忘喑――」
さて……このお話は、ハッピーエンドになるのかな?
「これ、タイトル詐欺じゃないの?」
「そうでもないよ」




