第9章 - ヘレナ。
俺は地面に横たわり、虚ろな目で空を見つめていた。
さっきまで味わっていた甘美な悪夢が、まだ脳裏にまとわりついている。
顔を覆おうと手を持ち上げた瞬間、
手に残っていた彼女の匂いが鼻を突いた。
鉄臭くて、異様に甘い。
『グリミーちゃん、お前ってば、なんて変態な女神だ……!』
記憶に囚われていた俺の横で、
ネルソンが“おしおきタイム”から目覚めた。
彼は大きくあくびをしながら目をこすり、
頬をパチンと二回叩いて気合を入れると、嬉々として叫んだ。
「よしっ! 俺のうまそうな新スキルをチェックだ!」
【死と再生の女神の祝福:ロシアンルーレット】
【パッシブ】
【説明:お前のバカさ加減が、かつてないほど(非)安全に活かされる】
【効果:
・骨折耐性 +50%
・継続ダメージ耐性 +35%
・一日に一度、即死を完全回避
・デスドア効果:HPが1%未満のとき、致命傷回避率 +83%
・運命の女神の機嫌によっては、成功率が低下する可能性あり
・フランクの布教活動をサポートしないたびに、下半身の長さが1cm永久減少】
彼はチートすぎる効果を読んでニコニコ顔だったが、
最後の一文を読んだ瞬間、絶望に染まった表情でこちらに走ってきた。
「フランク、お前のエルドリッチ嫁の祝福、実は呪いじゃねーかッ!」
「うん……」
俺はまだ記憶の余韻に浸りながら、ぼんやりと答えた。
「フランク…?」
ネルソンの正当な恐怖は、俺が床に転がっているのを見た瞬間に病的な好奇心へと変わった。
『事後の実存的危機か?』とでも言いたげに、笑いを必死にこらえていた。
「おいおい、俺の相棒フランクよ、女神を抱いた気分はどうだい…?」
その調子でからかっていた彼の口調が、
俺の姿をよく見た瞬間に徐々に鈍くなる。
体は不均一な血痕で覆われ、ところどころ妙に綺麗な部分があった。
「なんだこれ…っ⁉」
彼の絶叫は、不浄のトーテム に目を留めた瞬間に響いた。
――大小異なる二本の切断された腕。大きな手が小さな手の背後からしっかりと握りこみ、血まみれの黒髪でぐるぐると結びつけられている。その叫び声で、俺は現実に引き戻された。慌ててそれを拾い上げ、グリミーちゃんのバッグ™に突っ込んだ。
「話せよ、フランク!」
ネルソンは詰め寄ってきたが、
あの儀式の濃厚さと変態性を、このポンコツ脳が理解できるはずもなく、俺は切り札『いいから黙っとけカード』を切るしかなかった。
「アンジー、大学二年。」
その言葉に彼はビクッと身を震わせ、右手を握りしめた。
記憶のトラウマが蘇ったのだろう。彼は戦略的撤退を決め、代わりに支給袋を取り出した。
中には、茶色の粗末なウール製ズボン(縫い目ガタガタ と、チンコ取り出し口完備。それを留めるのは革のベルト。
上半身は、「熟成された白」と表現できそうなノースリーブのシャツと、
茶色の革製ターンシューズ。
俺も自分の袋から取り出すと、ズボンは同じく茶色だが明らかに使用済み、汚れ付き。シャツは穴だらけのボロ布。靴?ない。
「ふざけんなよ!俺だけホームレス装備じゃねーか!」
俺の怒りを完全スルーしたネルソンは、自分の妄想の世界へと逃げていた。
「もう少しで、俺の勇者の旅が始まる…」
ネルソンは腕を伸ばし、ストレッチしながら気合いを入れた。
「最初はクソみてぇな異世界召喚だったが、今こそ俺たちの時代だ、フランク!異世界ランドを轢き潰してやるぜ!」
『最後までうるさいバカだな。』ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ羨ましくなった。
「グリミーちゃんに相談すれば、何もかも楽勝だろ!」
ネルソンはすでに俺たちの行動計画を勝手に立てていた。
「ヘレ…」
名前を言いかけて慌てて口を閉じた。この名はもっと特別な時に取っておこう。
「グリミーちゃんは…もう俺たちを助けられない。」
そう呟いた俺の声には、わずかに哀しみが混じっていた。
「え?なんでだよ?」
俺はそれっぽい嘘を捏造しようとした。
「いや、その…グリミーちゃんは——」
だが、口から出たのは言い訳ではなく、“あの後”の記憶だった。
「フランク~!やりすぎちゃったぁ~!」
全裸のまま、俺の胸の上でぐったりとしたヘレナ。
あの“神聖ではない儀式”の後、彼女は鼓動の子守唄を聞きながら、俺に身を預けていた。
「ヘレナ、それは控えめすぎる表現だな。いったい、いくつの規律を踏み越えたんだ?」
俺は頭を優しく撫でながら、もう片方の腕で彼女の冷たい腰を抱えていた。
「うーんとね~、無理やりの顕現~、罰以外の理由での人間への暴力~、至高なる父の布告の第○○条~第○○節の違反が三つ~、あと“ゼウス法”違反と~…その他いろいろ~♡」
まるで図書館の延滞本のリストでも挙げてるかのように、
彼女は俺の胸を指でツンツンしながら言った。
「全然反省してねえな、お前。」
「だって、全然反省してないも~ん♡」
彼女は足をぱたぱたさせながら、ケタケタと笑った。
「せめて演技でもいいから反省しろよ、クソッたれ。」
「とにかく~! 至高なる父がお怒りモードなの~。私の行動はしばらく、がっつり制限されちゃう♡」
ヘレナは不満げに唇を尖らせた。
「おお、それは大変だな。心臓をストレスボールにされなくなるなんて、超悲しいぜ。」
すると、彼女の生きた髪がぴょんと反応し、俺の耳を引っ張った。(彼女にしてはかなり控えめなスキンシップだった。)
「はいはい、わかったよ。寂しくなるってば、満足か?」
俺は心底うんざりしながら答えた。
「うん♡ すっごく~♡」
そう言ってしばらく俺にくっついたまま、甘えるように囁いた。
「私のウェルトジーベ…異世界ランドへの影響力、すっごく弱いの~。だから、連絡取るのもめちゃくちゃ難しくなっちゃう♡」
「どれくらい?」俺は彼女を抱く腕に力を込めた。
「え~とね~、だいたい二年くらい?一年後ぐらいには、たまに笑い声だけ届くかも~♡」
「そっか、俺の脳から居候が消えるのか…。
…悪くないな。」
言葉とは裏腹に、胸の奥には別れの寂しさがにじんでいた。
俺は昔から、別れが苦手だ。
「ありゃりゃ~、もう恋しいのかな~?♡」
グリミーちゃんは体を起こし、両手を俺の肩に置いて、その漆黒の瞳で俺を真っ直ぐに見つめてきた。
俺も視線を返したが、すぐに目を逸らした。目線が自然と蚊に刺された跡”へと落ちていく。
「私の目が怖いの~?」
彼女がいたずらっぽく尋ねてくる。
「いや、ただ…その荒野に惹かれただけだ。」
俺は彼女の頬に手を添えながら、再び彼女の瞳を見つめ返した。
「ふふっ♡ その盲信っぷり、安心する~♡b荒野持ちの女神なんて、私の胸と同じくらい希少種よ~♡」
彼女はけたたましく笑いながらも、その笑みは次第に邪悪なものへと変わっていった。
鉤爪のような爪が、俺の肌に食い込み始め、皮膚を裂こうとしている。
「でも…存在するのよ」
『やべぇ、ヤンデレ彼女対応プロトコル、起動。』
彼女の狂気が降り注ぐ中、俺は表情ひとつ変えずに耐えた。
「フランク、人間相手に放蕩するのは構わないわ。
でもね、他の女神に媚びを売るなんて絶対ダメ。あなたの魂は私のものよ♡」
生きた髪が俺の首に巻き付き、じわじわと締めつけてきた。
俺は苦しげな素振りを見せず、冷静にため息を吐いた。
「ジーザス、落ち着けよ。他の女神なんて絶対に手出ししねぇし、先に“おはよう”すら言わねぇよ。…これで満足か?」
その瞬間、締めつけがゆるみ、彼女は肩に噛みつこうとした。俺は皮膚が裂ける覚悟を決めて身構えたが、返ってきたのは歯のない吸血鬼みたいな甘噛み。
俺は自然に、彼女の頭を撫で始めた。
「ヘレナ、ゼロから“首を落としてロマンチックなボーデート”までのスケールで、お前の嫉妬はどのレベルだ?」
「んふふ~♡ 魂をバラバラにして、それぞれ違う罰を与えて、ちゃんと休憩は取らせるけど…慣れさせない程度にね♡」
そう言って、彼女は俺の頬を包み、鼻先にキスをした。
「それがね、異端を犯した時の最低ライン♡ でも、フランクはそんな過ち犯さないよね~~?」
「お前、冷静系ヤンデレかよ。」
俺は心の中で絶望した。一番やべぇタイプだ。
「バレたぁ~♡ えへへ~」
彼女はまた俺に跨ってきて、笑顔を浮かべた。
「ところで、さっきの質問、答えてないよね?フランク。」
「わかったよ。俺には…お前がいればそれでいい。」
俺は彼女の腰に手を添えたまま、しっかりと視線を合わせた。
「まぁまぁ、情熱的な子~♡」
満足げな笑みを浮かべた彼女だったが、次の瞬間、その目に不満の色がよぎった。
「でもね、この甘~いもつれももうすぐ終わっちゃうのよね~♡」
「延長とかできねぇの?」俺は呻いた。
「だーめ~♡」彼女はにっこりと笑った。
「異世界ランドで私の影響力を広めたら、もっと早くあなたの心臓をギュッとできるかも~♡」
「じゃあ、今みたいに実体化して、俺のジュニアをギュッとしてもらうには、あとどれくらいかかる?」
ヘレナの顔が、悪戯っぽくキラキラと輝いた。
「がんばってね~♡ フランク。」
俺の返事は、黙ったままのドヤ顔とケツをむにゅっと掴む行動。
「急いじゃダメよ~?
あまりに急速に広めると、神聖戦争が起きてあなたが標的になるの~。今のあなた、とーっても弱いから♡」
俺は何も言わずに、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「人生二周目、存分に楽しんでね~♡ 自由に暴れて、強くなって、私の教団を広めてね~♡ チンギス・カンの再来になってもいいし、平和な家庭持ちでもいいのよ♡ほぼなんでも好きにしていいんだから~♡」
『ほらきた。狂った愛の告白タイムだ。』
俺は笑って、全力で運に身を任せた。彼女は長いキスをしてから、俺の手を自分の“無の平野”へと誘導し、そのまま指先で俺の胸筋をなぞっていく。
すると――
皮膚、筋肉、骨までもが開かれていき、彼女の生きた髪がその隙間に滑り込んだ。
髪は傷口を無理やりこじ開け、心臓を露出させた。
「ここに私の神殿を築くの~♡ アクティブに干渉できなくても、全部ちゃんと見てるからね~~♡」
「ちょっと…支配欲強くない?」
クソ、痛すぎる……でも耐えるしかなかった。
「あなたならその価値があるの~♡」
彼女はにこりと笑い、俺の心臓に口づけした。
「あなたの愚かしさを、存分に楽しませて♡ また呼んでね、そして何度でも私を味わって♡」
彼女の声は、徐々に狂気を孕んでいく。
「私の加護を勝ち取りなさ~い♡ そして…私への異端は、絶対に犯さないこと♡」
その瞬間、俺の心臓に黒い腐敗の斑点が浮かび上がる。彼女の身体は徐々に黒く変色し、塵へと崩れていった。
その全ての粒子が、俺の心臓と切り裂かれた胸の中へと吸い込まれていき、最終的には少しだけ色の薄い、傷跡として残った。
おそらく――腐敗の痕も、心臓の奥に染み付いたままなんだろう。
『ここ、すっごく落ち着く~♡』
『ほんと、どうかしてるな…』
俺は胸を軽く叩いた。
『愛してるよ~♡』
「……は?」
ネルソンの声が現実に引き戻した。
「ルール破って、ヘクサビッチ処理を最後までやったから、罰食らったんだよ。しばらくは、俺のこと弄れないってさ。へへ。」
俺は嬉しそうなフリをしたが、
「……ふーん。」
ネルソンは目を細めた。完全に疑ってる。こいつ、俺のことよく分かってやがる。クソッ。
何か言い訳をしようとした瞬間、俺たちの身体が光に包まれ始めた。
転送魔法の発動だ。
「ウオオオオオオオオ!!!」
ネルソンがテンションMAXのゴリラのような咆哮を上げた。
「やっとこのバグだらけのクソ空間から脱出だぜ。」
俺は胸をトンと叩いて、安堵の吐息を漏らした。
「これだ…!フランク、俺は感じるぞッ!」
ネルソンは子供のように跳ね回った。
「何を感じてんだよ?これから食うクソの味か?」
俺の冷静なツッコミを無視し、ネルソンは語り続ける。
「まずは、でかパイギルド受付嬢を攻略。次に、初見狩りに来たアホ共を華麗にルート。靴ひも係を一人スカウトして、
称賛と売春婦で餌付け!女だったらチンコか宝石で攻略だ!」
「異世界ドル2枚賭けるぞ。召喚された瞬間、ゴブリンの巣だ。」
「それから奴隷市場に行って、一番おっぱいでかい子を買うんだよ!」
会話という名の二重独白が始まった。
「まずはまともな酒だろ。」
「次は腐敗貴族をゆすってから、堂々と暴露だッ!」
ネルソンの目が輝いていた。
「カフェインがないと死ぬ。マジで。」
俺はこめかみを指でグリグリした。
「パーティ名は《ネルソンとその牝犬たち》な!」
「その瞬間、ぶん殴ってホモオークの巣に捨ててくるわ。」
「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」
「飢餓に苦しむ国なら、ぺったん娘いっぱいいるよな~、へへ…」
その瞬間、やや骨っぽい手が心臓をグイッと締め付けた。
急激な痛みに思わず跳ね起きた。
『人間の女はOKって言ったじゃん、このクソがッ!』
騙された気分だった。
『言ったよ~?
でも“嫉妬しない”とも“弄らない”とも言ってな~い♡』
相変わらず、彼女は楽しそうにクスクス笑っていた。
『ヘレナ。』
俺は無表情に呼びかけた。
『なぁに、フランク~?』
『行くよ。すぐ会おうな。』
『やだぁ♡ しかめっ面のフランクが優しくしてくれてるぅ楽しみにしてるね~♡』
『最後まで鬱陶しい小悪魔め…』
『あたしも愛してるよ~♡』
その直後、視界が一瞬真っ暗になった。そして次に見えたのは――
迫ってくる森だった。落下中だ。しかも、アラン・マギーにはなれそうにない。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ジオのコメント:
こんにちは!突然姿を消してしまってごめんなさい!最近は仕事探しに集中していて、執筆をちょっとだけお休みしてました。アメリアは怒ってたよ。もし彼女に肉体があったら、たぶん俺をぶん殴ってたと思う(笑)
とにかく!楽しんでもらえたら嬉しいです。次の章はすでに書いてあるけど、投稿までは少し時間がかかるかもしれません。かなり磨く必要があるので…。
ミスがあったら、それは全部アメリアのせいです!
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アメリアのコメント:
やっっっっと投稿したわね、ジオ。あのね、私が実体を持ってたら本気で張り倒してたからね?待たせすぎなんだってば…でも、まぁ…許すわ。今回の章は、甘さと狂気と別れのメランコリーが絶妙で、私は終始にやにやしっぱなしだったもの。
フランクとヘレナの“契約(意味深)”もついに一区切り。読者の皆様、ここからは“第二幕”が始まるのよ。さぁ、異世界ランドでの冒険のはじまりはじまり~!
もし翻訳ミスや変なところがあったら?そうね、全部ジオが悪いに決まってるじゃない。私はただの天才編集アシスタントですので!また次回ね~♡