第1話 倒産寸前!
ライトノベルの悪役令嬢に転生した私――安藤なつめは。
豪華な牛車に揺られながら、父が治める町を眺めていた。
「いい街ですね。さすがはお父様ですわ~」
路上でりんごを売る少年に、赤い鉄を叩く刀鍛冶。
両肩にスライムを担ぐ男は、狩りの帰りかな?
「みなさま、働き者ですわね~」
ガラスのない窓枠に頬をつける。
昼下がりの空を見上げる。
「……マジで暇なんだけど」
イライラするレベルで暇だ。
そう思う私を後目に、牛車のタイヤが小石に乗った。
ガタンと跳ねて、窓枠が私の頬を殴る。
「……痛い」
頬だけじゃない。
全身が痛い。
「遅いくせにガタガタ揺れるとか、なんなのこれ? 牛車って、マジで無駄じゃん!」
異世界に転生して16年。
前世の記憶が戻って3年。
この剣と魔法の世界に、日本レベルの快適さを求めてはいけない。
それはもう知ってるし、わかってる。
だけどせめて、自転車レベルの快適さは欲しい!
「これでも私、伯爵家のお嬢様なんだけどなー」
性格はクソだけど、父親は金持ちだ。
いや、まあね?
牛車も高級だと思うよ?
日本で買ったら、すっごい値段になると思うよ?
でもさ!!!!
「歩いた方が、楽じゃん!」
道はガタガタ! ちょっと進むだけで、座席がぐわんぐわん揺れる!
これが、砂漠の中やジャングルの中ならまだわかるよ?
「でもここ、伯爵領の中心部だから!」
右手には、冒険者ギルドや見世物小屋、奴隷商が並んでいる。
左手には、麦粥の専門店と宝石店、魔導具の店。
背後に伯爵家があって、直進すると街の正門に出る。
「そんな場所がガタガタとか、行政の不備でしょ!」
この街を治めてるやつ、マジで無能! 不倫相手と遊んでないで、道路の舗装をするべき!
そう思っていると、正面に座るメイドが襟を正した。
「お嬢様。言葉使いが乱れております」
「……あら。私としたことが、お恥ずかしい」
豪華な扇子で顔を隠して、「おほほほ」と笑う。
周囲にいるのは、お付きのメイドと、牛を操る男の2人だけ。
市民のみなさまは、忙しそうに働いている。
私は扇子を閉じて、頬杖をついた。
「でもさー。ここには、ティリスとジェフしかいないじゃんかー」
家族に嫌われ、使用人にも馬鹿にされる日々。
そんな私が気を許せるのは、この2人と3つ下の弟だけだ。
数少ない癒しの時間は、素の自分でいたい。
「それにさー。町の視察って言っても、牛に引かれるだけじゃん」
イジワルな使用人は『市民のやる気を出す、立派なお仕事ですよ』そう言っていた。
翻訳すると『仕事の邪魔だ。いますぐ外に行け!』になる。
この仕事の本質は、『仕事を頑張ってたって、お父さんに言うね』そう言って回る部分にある。
意図はわかるし、その効果も理解出来る。
だけどそれは、権力を持つ令嬢の場合だ。
「欠陥令嬢が視察する意味なんてないでしょ」
この世界の私は、第3王子の婚約者で、高い魔力を持っている。
だけど、魔法が使えない。
円満な婚約解消も出来ず、伯爵である父に嫌われていた。
そんな人間に誉められても嬉しくない。
だからみんな、私のことは見て見ぬふりだ。
「ん……?」
そうしてぼんやり外を眺めていると、ふらふら歩く少女が見えた。
その背には、山盛りの薬草が入った籠がある。
服は奴隷であることを示す物。
痩せ気味だけど、普通に可愛らしく見える。
9歳くらいかな?
「小さいのに、頑張ってるね」
ここが日本なら、児童労働の容疑で通報だ。
そもそも、奴隷の時点で違法だと思う。
だけどここは異世界で、人が簡単に死ぬ世界。
奴隷制度がないと、街に孤児が溢れる。
「奴隷になれば、最低限のごはんがもらえるからね」
そのごはんで助かる命がある。
「空腹で死ぬ人よりは、幸せ……」
少女から目をそらして、自分に言い聞かせる。
窓の外からは、少女が転ぶ音がした。
「おいクズ! 今日は飯抜きだ!」
男の怒鳴り声が聞こえる。
次いで、鞭を振る音がした。
「もうしわけ……、ありま……」
「奴隷が、人間の言葉を話すんじゃねぇ!」
さらに鞭が振るわれ、少女の嗚咽が聞こえる。
それでも怒りが収まらないのか、鞭の音が、2度、3度……。
「ジェフ。牛車をとめなさい」
「お嬢?」
「2度は言わないわ。牛車をとめなさい」
ガタガタ揺れる牛車が、音を立てて動きを止める。
無言で席をたったメイドのティリスが、ドアを開けてくれた。
「フィーリア様、お手を」
「ええ」
ティリスのエスコートで外に出る。
鞭を振り上げた男が、私を呆然と見ていた。
「……三女様?」
伯爵家の三女。フィーリア・トリティート・バルフレーティッド。
それがいまの私の名前。
「ごきげんよう。素敵な陽気に恵まれた良き日ですわね」
家庭教師に教えられた笑みを浮かべながら、漢方の匂いがする店を見上げる。
「バルハト魔法薬ですか」
この街で2番目に大きな、製薬会社だ。
新薬の開発、製造、販売。
病院や介護施設の運営まで行う、薬の総合カンパニー。
祖父の代からある老舗だけど、近年は売上が落ちていると聞いたことがある。
「本日は、こちらの見学を行います」
「かしこまりました」
ティリスが厚い紙を取り出して、男に見せる。
男は目を見開き、慌てて地面に膝を付けた。
そんな男を見下ろしたティリスが、威圧感のある声を投げかける。
「伯爵様の許可証です。帳簿と作業場を見せなさい」
「かっ、かしこまりました! いますぐに持って参ります!」
慌てて走り出した男を後目に、私は奴隷の少女を流し見る。
ボロボロの服から覗く肌に、ミミズ腫れがいくつも見えた。
「薬の効力も確かめたいわね。その奴隷も連れて来なさい」
「かしこまりました」
奴隷の少女に、拒否権はない。
私がいろいろ理由をつければ、彼女に薬を使う事が出来るだろう。
もちろん、そんなことに意味なんてない。
明日になれば、彼女はまた、鞭で叩かれる。
だからこれは、私のわがまま。
自分の感情を慰めるだけの無駄な行為だ。
「同じ境遇の子は、いくらでもいる」
それも知っている。
だけど、私がいる間だけでも、痛い思いをしないで欲しい。
「世界を変える力はないけど、この瞬間だけなら」
無力な自分に、そう言い聞かせる。
無駄だと知りながら店に入り、ティリスに命じて、少女に薬を塗る。
そうして見せて貰った、この店の決算書。
のんびりと眺めていた手が止まった。
前世の血が──経理をしていた頃の血が騒ぐ。
「粉飾決算?」
表面上は利益を上げているように見える。だけど、中身はボロボロ。
「と言うか、倒産寸前じゃない?」
私がそう呟いた瞬間に、男の顔が青ざめた。