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プロローグ

ワシの人生は、幸福なものだった。


ほんの少しの間、つまらない自分語りに付き合ってもらおう。


せっかく人生を語るのだからもっと大袈裟な表現を使うべきなのかもしれないが、どうにもこれ以外の言葉が思い浮かばない。幸福、そのたった二文字だけで、事足りる。


そうだ。自慢話に夢中で、名乗るのを忘れていた。

ワシの名前は蝶野(ちょうの) (れん)

今年で81歳になるジジイだ。


何処にでもいる、大した特徴もない老木の内の一人。ワシを知人や家族が客観的に説明しようとしたら、そんな凡庸の象徴のような言葉が口をついて出ることだろう。


結婚して子供を作り、65まで会社に勤めるサラリーマンとして働き、その後に定年退職を迎えて年金で暮らし、たまにちょっとした派遣なんかで小遣いを稼ぐ。

そんな現代の何処にでもいるような変わり映えのしない男。

きっと歌舞伎であろうと演劇であろうと、物語なら端役でしかない、取るに足らない存在。


だがそんなことはどうだって良い。

そう、どうだって良いのだ。

そんな私でも、愛する妻ができた。


年老いた今でも彼女に送ったプロポーズの言葉も、その時の熟したリンゴのように赤くなった顔も、一緒に抱き合って流した涙も、目に浮かぶように思い出せる。

ここでその時交わした言葉を語るのは少しばかり恥ずかしいので、濁させてもらおう。


それから、ほどなくして子供ができた。

男の子が一人。続いて女の子が一人。

どちらも死ぬほど可愛がった。時に喧嘩もした。

加齢臭がするようになってきた、と言われた時は流石に少し泣きそうになったものだ。

あぁそれからそれから。

まだまだまだまだまだまだ、話したいことが山ほどある。


そうそう、孫もできた。

その可愛さたるや、目に入れても痛くないほどだった。

勿論死ぬほど、死ぬほど可愛がった。

甘やかしすぎて毎回ケーキやらお菓子をたらふく持って行って一時孫達が太りに太ったものだから、しばらく接触禁止を言い渡されたぐらいだったものだ。


妻には先立たれたが、その後悲しみに暮れて家で一人で泣いていたら、孫達が訪ねてきてワシにおはぎを作って励ましてくれた。

感動して余計に泣いてしまったものだから、孫達がさらに困った顔をして、

「泣かないで」と言って心配してくれた。すると今度はまたその言葉で涙腺が緩んで涙の量が増えるんだから遅れてきた娘がその光景を見て呆れていた。


ーーーああ、なつかしい。なつかしい。


ジジイババアの話は長いものだと子供の頃から思っていたが、今になってわかる。

私もあいつらも、自慢がしたかったのだ。

そして思い出したかったのだ。

私の人生はこんなに楽しかったんだぞ、と。

私の人生はこんなにも楽しかったのだなぁと。


ふと、そこまで考えて自分の体のことを思い出した。

そうだ、ワシはしばらく前から入院していたな。

とすると、そうか。今ワシが何やら色々と思い返しているのは、走馬灯というわけか。


ふぅん、走馬灯ってやつは一人っきりで思い返すだけなもんだと思っていたが、まさか話し相手に語るようにして思い出すもんだとは思わなんだなぁ。


もしかすると、ワシの話を誰か聞いているのだろうかーー?

ひょっとすると、死神かなにかだったりするのだろうか。


「まぁ、どうでもよいか!もうすぐ死ぬみたいじゃし、誰に聞かれても問題なかろう!」


そう言うや否や、耳を澄ましてみると遠くから子供達の、孫達の声が聞こえた。


「お父さん!お父さん!」「お爺ちゃん!お爺ちゃん!」


そんなふうな声が。不意に、手のひらに暖かみを感じた。


「あいつら、ワシの手ェ握っとるのか

こんな枯れた手...握っても...面白くも...ないじゃろうに...ズビッ」


せめて鼻水ぐらい堪えようと、思いっきり息を吸った。

今際の際ぐらい、笑って別れたいものだと思っていたのに、また泣かされてしまった。

最後まで、泣かされっぱなしで終わったなぁと、感慨に浸る。


「おぉ、誰だか知らんが、ありがとなぁ。こんなジジイのつっまらん身の上話聞いてくれてよぉ。おかげさんで満足して逝けそうな気がするわ」


「じゃあの」


そう、蝶野は頬を綻ばせて話し相手に、そして家族達に別れを告げる。

ようやく、妻に会える。

そういえば、一向に迎えにきてくれんなぁと、考えたところで彼の意識は闇に飲まれた。





※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




ーーーーそうして、次に気がついた時彼の意識は再び闇の中だった。

(な…なん...じゃ...あ...?)


頭にモヤがかかったように、思考が定まらない。

眠っていた?なんにせよ全く頭が回らない。

頭が締め付けられているような感覚があるが、それ以外何もわからない。


しかし、答えはすぐに出た。

締め付けられるような感覚が頭から体へと移り、次は足へと、段々と感覚が高さを失っていく。

そして、完全になくなった後、喉の奥を、意図していない声の塊が暴走列車のように駆け抜けた。


「オギャアアア!オギャアアア!」


その声で、蝶野は自分の状況を理解した。

そして同時にーーー


(ぅ、うわぁぁぁぁあぁぁぁぁあ!!!!!)


「オギャアアアぁぁぁぁぁぁあ!!!!」


今までの人生で一番の、いや。


初めての絶望が、彼の胸を支配していた。

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