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9. モブ、自転車がパンクする

 その後、僕は楓君と別れた。

 モスグリーンのマイカーに乗って家に向かう。

 マイカーってのは自転車のことだ。

 二月はまだ肌寒く、僕はお母さんが編んでくれたマフラーを首にぐるぐると巻いている。


 蓮君のことは心配だけど、どうぜ僕にできることはない。

 それよりも僕には大きな使命がある。

 それは歌の練習をすることだ。


 僕は控えめに言って音痴だ。

 ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドをやったとき、全部が同じ音になるぐらいの音痴だ。

 音程?

 なにそれ、美味しいの?


 加えてリズム感もないから最悪だ。

 僕の歌はお経みたいらしい。


 でも、僕は自分が歌が下手なことを知っているだけで、まだましな方。

 世の中には自分のことを上手いと思っている音痴がいるくらいだから。


 無知の知というものだ。

 僕は哲学者になれるかもしれない。


 学校から僕の家までに長い坂がある。

 冬にここを通るのは、寒くて大変なんだ。

 雨なんか降ったら、もう最悪だ。

 冬は送り迎えがある子たちが羨ましく思う。


 小学一年生のときから自転車で華月学園に通う僕って、控えめに言って凄くない?

 それも雨の日も自転車で通ってるんだよ。

 アメニモマケズカゼニモマケズ……。

 今なら宮沢賢治の気持ちがわかりそうだ。


 普通、僕みたいなか弱い小学生を、自転車で三十分のところに通わせたりしないよね?

 僕はよく頑張っていると思う。


 自画自賛しながら、坂を登りきる。

 道の脇には大きな木がある。

 春には綺麗な桜が咲く。


 きっと漫画のプロローグでヒロインと男主人公が出会う場所だろう。

 僕はミーハーだから、その場面に立ち会いたいと思っている。

 高校の入学式は朝はやく起きて、ここらへんで待機しておこうかな。


 そんな(よこしま)な考えが良くなかったのかもしれない。

 なんか、さっきから自転車が漕ぎにくいな、と思っていたら、後輪がパンクしていた。


 おかしいな。

 この前、自転車屋さんに見てもらったばかりなのに。


 僕は自転車を止めて、パンクしている後輪を触る。

 空気が完全に抜けてしまっている。

 これでは、家に帰れないよ。

 僕は大きく溜息を吐いた。


 ちょうどそのとき、黒塗りの高級車が僕の真横に停まった。

 そして、後部座席の車窓が開かれる。

 美少女が顔を出した。

 大きな瞳にふっくらした唇。

 黒髪には可愛らしい梅の髪飾り。

 梅さんだ。


「灯都さん。こんなところでどうしたのですか?」

「ちょうど今、自転車がパンクしちゃって」

「それは困りましたね」


 梅さんは心配そうに僕を見た。


 僕は梅さんと深く関わる前は、梅さんに失礼な印象を抱いていた。

 梅さんが、主人公の足を引っ張る悪い子かもしれないと思っていたのだ。

 俗に言う悪役令嬢ってやつだ。

 梅さんの雰囲気が近寄りがたく、怖かったからだ。


 でも、梅さんと友達になってわかった。

 梅さんはとてもいい子だ。

 僕が困っているときに、よく手を差し伸べてくれる。


 例えば、僕の傘が破れてしまったときのことだ。

 傘が破れるなんてめったにないんだけど、その日はなぜか破れていた。

 それも大雨の日だ。

 僕が途方に暮れているとき、梅さんが僕を家まで送ってくれた。


 他にも、梅さんと隣の席になったときのことだ。

 授業で使う教科書がないときがあり、梅さんが机をくっつけて教科書を見せてくれた。

 そのあとに、机の中からすぐに教科書が出てきたのは不思議だったな。

 なんで、授業の前に見つけられなかったんだろう?


 そういう些細な困りごとが発生したときに、いつも近くで僕を助けてくれたのが梅さんだ。

 このことから、梅さんはヒロインの近くにいるお助けキャラだと思っている。

 漫画で主人公が困ったときに、物語を前に進めてくれるキャラのことだ。


 梅さんは困っている僕に向けて口を開く。


「家までお送りしましょうか?」

「いや、でも。それは悪いよ」


 梅さんは習い事で忙しいはずだ。

 僕のことで時間を取らせるのは申し訳ない。


「そんなことありません。私もこの近くで用事がありましたので、ついでですよ」


 そういえば、梅さんの家は僕の家と方向が違う。

 ここにいるということは、梅さんの言う通り、何か用事があったのだろう。


「そういうことなら、お願いしてもいい?」

「もちろんです」


 梅さんが声を弾ませて頷く。

 そのあとに、予定通りです、と梅さんが呟くのが聞こえてきた。

 何が予定通りなのかわからず、僕は首を傾げる。


「な、なんでもありません。さあ、行きましょう」


 梅さんは本当にいい子だな。

 友達になれて良かった。


 僕は自転車を後ろに載せて、ありがたく梅さんの車に乗せてもらう。


瀬羽(せば)さん。車を動かして頂けますか?」

「承知いたしました」


 運転席にいる瀬羽(せば)と呼ばれた男の人は、白髪オールバックの初老の人だ。

 これぞ執事、という感じがする。


 瀬羽さんの下の名前はなんなんだろう?

 実は瀬羽さんはハーフで、名前がスチャンの可能性もある。

 それなら『セバスチャン』になって面白いな。


 車が発進する。

 瀬羽さんは何度か僕を家まで送ってくれたことがある。

 だから、何も言わなくても場所を把握してくれている。

 車の中で、僕は梅さんと他愛のない会話をした。


 この時期は自然と、卒業式と来年度に通う中等部の話題になる。

 僕は家で合唱の練習をしていることを梅さんに話した。


「自主練とは偉いですね。でも、どうしてです?」

「実は、僕……ちょっとだけ音痴なんだ」


 僕がそういうと梅さんは納得したように頷いた。


「灯都さんは、結構、音痴ですからね」


 え?

 僕ってそこまで音痴なの?

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