表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

6. モブ、水炊き鍋を食べる

 僕は梅さんと瞳を二人きりにさせて、お母さんに買ってきたポン酢を渡す。

 そして、次に、お父さんを見た。


「梅さんは家に帰りたくないようです」


 僕は梅さんを連れてきた経緯をお父さんに説明する。

 ほうれんそうって大事だからね。

 と言っても、本当のところ、梅さんが何で悩んでいるのかはわからない。


 僕の話を聞いたお父さんは真剣な表情で頷いた。

 よくお母さんに怒られているお父さんだけど、こういうときは頼りになる。


 きっとお母さんは、こういうお父さんを好きになったんだろうな。

 間違っても、普段のだらしないお父さんに惹かれるとは思えないもんね。


「話はわかったが、一度ご両親に連絡しておくべきだ。きっと心配してる」


 お父さんのいうことは正論だ。

 正しい大人のあり方だ。

 でも、僕は首を左右に振った。


「梅さんは家にいたくなから、抜け出して来ました。何か事情があるはずです。だから、両親に連絡するのは、ご飯を食べてからでは駄目ですか?」

「駄目ってことはないが、万が一のことを考えるとだな……」


 お父さんは眉間に皺を寄せた。


 梅さんは大女優と大富豪の娘だ。

 そんな梅さんがいなくなったら大騒ぎになるだろう。

 ひょっとすると、既に大騒ぎになっているかもしれない。

 もしかしたら、梅さんの両親はものすごく心配しているのかもしれない。


 でも、僕は梅さんの心配をしたい。

 梅さんは一人で公園にいて、辛そうな顔をしていた。

 よっぽど辛いことがあったに違いない。


 梅さんはちゃんと人の気持ちを考えられる女の子だ。

 そんな梅さんが大人を心配させてまで家出してきたのだ。

 僕は梅さんの大冒険に付き合ってあげたいと思った。


「万が一のときは僕が責任を取ります」

「小学生の灯都に責任を取らせるわけにはいかんよ。……だが、しかし。灯都がそこまで言うなら、連絡を入れるのは美味しいご飯を食べてからにしよう」


 お父さんは優しい。

 僕のわがままに付き合ってくれる。

 だから僕は、お父さんに「ありがとうございます」と感謝を伝えた。


 こうして僕たちは梅さんと一緒に食卓を囲んだ。

 僕の前が妹、右隣がお父さん、斜め右がお母さん、そして左の誕生日席に梅さんがいる。


 今日の夜ご飯は、僕の予想した通り鍋だった。

 それも僕の好きな水炊き鍋だ。

 ぐつぐつと煮込まれた豆腐や白菜、鳥のもも肉が美味しそうだ。


 うちのご飯は基本的に一般家庭の料理だ。

 ファアグラとかキャビアとか高級肉なんてものは、めったに出てこない。


 僕は梅さんにちらっと視線を向ける。

 梅さんはどうしたら良いのか迷っているようだった。


 鍋の食べ方がわからないのかな?

 梅さんはお嬢様だから、自分で(よそ)うことはしないのかもしれない。


 しょうがないな。

 僕は梅さんの前にある(わん)を取る。

 そして、菜箸(さいばし)を使って椀に具材を入れてあげる。

 豆腐とお肉と白菜とその他諸々だ。

 そして、僕が買ってきたポン酢を椀に入れてあげて完成だ。


 僕は具材を入れた椀を梅さんの目の前に置く。


「はい、どうぞ」

「え、あ、うん。ありがとうございます」

「どうしたの? 食べないの?」

「いただきます」


 梅さんは箸を使って白菜を取る。

 そして、ふーふー、と冷ましたあとに、ゆっくりと口に入れた。


「……美味しい」


 梅さんが小さな声で呟いた。

 それを聞いたお母さんが笑みを浮かべる。


「まだまだたくさんあるわよ。どんどん食べちゃってね」


 梅さんがたくさん食べると、鍋の中が空になってしまう。

 僕は自分の分がなくなる前に、しっかり確保しようと思った。

 水炊き鍋は日本人が全員好きな料理だ。

 だから、きっと梅さんも大好きだ。

 そうなると、具材の取り合いが起こってしまう。


 鍋の中で小さな戦争が勃発してしまうのだ。

 だから、僕は椀いっぱいに具材を装った。


「灯都、そんなにたくさん盛らなくても、なくならないわよ」

「そうだ。梅ちゃんみたいに行儀よく食べるんだぞ」

「にぃにが怒られてる」


 僕はみんなに一斉に言われてしまった。

 梅さんの前だから、ちょっとだけ恥ずかしい。


 それにしても梅さんの食べ方は綺麗だな。

 箸の持ち方や背筋をピンと伸ばした姿勢。

 一回で食べる量も少なく、上品だ。


 梅さんの動きを見ていたら、梅さんが僕のほうを見た。


「なに?」

「あ、いや、食べ方が綺麗だなって」


 僕がそういうとお父さんがからかうように言ってきた。


「灯都、口説いてるのか!」


 僕は、はっはっはと笑うお父さんを睨んだ。

 僕は純粋に梅さんの食べ方を褒めただけなのに。


「剛志さん、子供の恋を邪魔しちゃいけませんよ」


 お母さん、それはフォローになってないよ。

 本当に、恋とかじゃないから。

 僕の両親の頭の中はお花畑なのだろうか。


「にぃにはうめに、こいしてるの?」


 妹がぱっちりした目で僕を見てきた。

 子供というのは純粋だ。

 特に妹の心は清く、一切の汚れがない純白だ。

 だから、両親の言葉を信じてしまうのだろう。


 でも、僕は梅さんに恋をしているわけじゃないんだ。

 ただ、食べ方が綺麗だと思っただけなんだ。

 本当にそれだけなんだ。

 誰か僕の気持ちをわかってほしい。


「違うよ、にぃにが恋をしてるのは瞳だよ」


 僕はそういって妹と目を合わせた。

 なぜだか、梅さんが僕に冷たい眼差しを向けてくる。


 でも、僕は自分の気持ちに嘘はつけない。

 こんなに可愛い妹に恋しない人は、人間じゃないと思う。

 人でなしだ。

 瞳のことを老若男女が好きになるに違いない。

 だけど、妹が彼氏とか連れてきちゃったら、僕はきっと泣く。

 まだまだ先のことだろうけど。


「にぃには、ひとみにこいしてるんだ。こいってなに?」

「恋ってのは相手を大切に想う気持ちだ」

「じゃあ、ひとみもにぃににこいしている! にぃにたいせつだもん!」


 ああ、僕は今死んだとしても後悔なく逝ける。

 すごく幸せだ。

 僕が幸せに浸っていると、梅さんが僕に向かって呟く。


「……シスコン」


 梅さんでも、そういう言葉を知っていたのか。

 ちょっとだけ驚いた。

 梅さんはもっと上品な言葉しか知らないと思っていた。


「シスコンで何が悪い。僕は紳士的なシスコンだ」


 僕は堂々と宣言する。

 僕にとってシスコンとは褒め言葉なのだ。


 妹が、しすこんってなに? と聞いてきた。

 だから、僕は「瞳が可愛いってことだよ」と答える。


 えへへ、と笑う妹はまるで天使のようだった。

 瞳が可愛すぎて、僕は危うく昇天するところだった。


 それから僕たちはわいわい話しながら、水炊き鍋を食べた。


「ごちそう様でした。こんなに美味しいご飯は久しぶりです」

「梅ちゃんさえ良ければ、いつでも来てね」

「灯都の嫁になれば、毎日食べられるぞ」

「あら、それは名案ね。どう? お嫁に来ない?」


 この二人は酔っているんだろうか?

 お酒は飲んでいないはずだけど……。


 僕はまだ小学生だ。

 結婚なんて考えられる歳じゃない。

 梅さんが困ったように眉をハの字にしている。


「お父さんもお母さんも悪ふざけしない。梅さんが困っています」


 僕は注意すると、妹も抗議の声を上げた。


「にぃにのおよめさんはひとみだもん」


 ああ、なんて可愛い妹なんだ。

 僕は感動して涙が出そうだった。


 いますぐ瞳を抱きしめて、よしよしと頭を撫でてあげたい。

 だけど、僕は強靭な精神力でぐっと堪える。

 そして梅さんに視線を移した。


「ごめんね。騒がしい家庭で」

「いえ、私の家と違って賑やかで楽しそうです……羨ましいな、と思いました」

「羨ましい?」

「はい、私の食事はいつも一人なので。こんなにも大勢で、楽しく食事ができるのが羨ましいです」


 梅さんがそういったときだ。

 突然、瞳が椅子の上に立った。


 僕は、危ないよ、と言おうとしたが、喉から出かかった言葉を飲み込む。

 瞳が背伸びしながら、梅さんの頭を撫でようとしていたからだ。


「ひとみね、なでなでされたときにうれしいの。かなしいときでもうれしくなるの」

「悲しい? 私が……ですか?」

「うめ、なきそう。だからよしよしする」

「私は泣きそうですか……?」

「うめ、かなしいかおしてるよ」


 妹は拙い動作で梅さんの頭を撫でた。

 その瞬間、梅さんの瞳から、一粒の雫がこぼれ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ