32. モブ、言うべきことを言う
僕は村崎さんと並んで歩く。
村崎さんはずっと俯いている。
どうしようかな、と考えた。
何を話すべきなのか、とても迷う。
どうやって切り出せばよいのか、わからなかった。
医務室に着く前に、村崎さんと話そうと思っていることがある。
今言わなければいけないことだ。
そうしなきゃ、取り返しのつかないことになってしまう。
だから、思い切って言った。
「今日、桜さんの筆記用具がなかったんだよね」
ビクッと村崎さんの肩が揺れる。
僕は探偵じゃないから、犯人を追い詰める気はない。
だから、ストレートに言った。
「なんで、あんなことしたの?」
どうして、桜さんのペンケースの中身を空にしたのか。
僕はそれが聞きたかった。
「わ、わたしは……」
村崎さんが立ち止まる。
つられて、僕も立ち止まる。
村崎さんは否定しなかった。
桜さんの持っているペンケースは村崎さんの持っている物と同じだった。
それが偶然なのかどうかは知らない。
桜さんがトイレに行っている間に、村崎さんがペンケースをすり替えたのだろう。
僕は探偵じゃないから、謎解きがしたいわけじゃない。
ただ、どうしてそんなことをやったのか聞きたくなった。
いや、そんなことが聞きたいんじゃない。
理由なんて本当はどうでもいいんだ。
ただただ、悲しかった。
だから、理由を聞いて自分が納得したいだけだった。
村崎さんの顔が、さっきよりもずっと青くなる。
病人のように真っ青だ。
別に追い詰めたいわけじゃない。
でも、僕の口から出てくる言葉ら追い詰める言葉だった。
「もし、桜さんが数学のテストゼロ点だったら、どうなっていたと思う?」
「順位が……ちょっと下ると思う」
「その次は?」
「赤点で補習になる……かも」
「違うよ、村崎さん」
僕は首を左右に振った。
そんな簡単な話じゃない。
「桜さんはこの学園にいられなくなるんだよ」
村崎さんは目を丸くして僕を見た。
そんなこと考えもしなかったという顔だ。
僕は感情を出さないように冷静に言った。
「ここで桜さんの家庭の事情を言うことはしない。でも、村崎さんがやろうとしていたのは、そういうことだよ。軽い気持ちでやったのかもしれない。もしかしたら、誰かに言われてやったのかもしれない。理由はなんであれ、村崎さんがやったことは、本当に良くないことなんだ」
「でも、ちょっとペンケースを入れ替えただけで……そんな大事になるなんて」
「違うよ、全然違うよ」
僕はとても悲しくなった。
多分、僕が動かなくても、桜さんは自分でどうにかしていたと思う。
でも、僕がいいたいのはそういうことじゃない。
「大事になるかどうかじゃないよ。そういうことを言いたいんじゃない。村崎さんは誰かにいじめられたことがある?」
村崎さんは小さな声で「ない」と言った。
「僕は一度だけあるよ。小学生のときだけどね。正直、いい気持ちはしない。いじめられて嬉しい人なんていないよ」
「そんなの……わかってるよ」
「わかってないよ。何もわかっていない」
僕はもう一度、首を左右に振った。
「わかってたら、イジメなんてしないはずだよ。桜さんの教科書が男子トイレに捨てられていた。加害者からしたら、小さないたずらかもしれないね。でも、イジメはイジメだ。それは良くないことなんだ」
本当に、当たり前のことだ。
イジメが良くない。
小学生の頃から、何度も聞かされている言葉だ。
道徳の時間に、何度も言われてきた言葉だ。
本当に、どうしてなんだろう?
高校生になっても、大人になってもわからない人がいるのは。
みんなが知っている当たり前のことなのに。
僕はただただ悲しかった。
桜さんがいじめられていることも、村崎さんがイジメに加担していたことも、僕にとってはどっちも悲しいことだ。
「何も知らないくせに……」
村崎さんがボソッと言った。
僕は村崎さんを見る。
「なんなのよ! あんたみたいな脳天気な人にはわかんないでしょうね! 私の気持ちなんて、なんも知らないじゃない!」
村崎さんが激情を吐き出すように叫ぶ。
僕は静かに言った。
「村崎さんの言う通り、僕は村崎さんについて、それほど知らないよ」
「だったら、黙っててよ。見逃してよ」
「駄目だよ」
「なんで? どうして? 正義感振りまいて、良い子ちゃんぶる気?」
「だって、村崎さんが泣いているから」
僕はさっきからずっと村崎さんを見ている。
村崎さんの目から涙が溢れているわけじゃない。
でも、僕の目には彼女が泣いているように見えた。
救いを求めているように見えた。
「泣いてなんか……いない」
「泣いてるよ。今回の現代文のテストはできた?」
「な、なんでそんなこと聞くの……」
「僕はまったく集中できなかった。村崎さんはどうなの?」
現代文で出たのは贖罪の物語だ。
酷く悲しい物語。
イジメをした人が罪を償う物語。
見ていて悲しくなった。
それを村崎さんと桜さんに重ねると、余計悲しくなった。
村崎さんはどう思ったのかな?
村崎さんは俯いて答えない。
だから、僕は待つ。
村崎さんの本心を聞きたい。
「私だって、こんなことしたくなかった……」
村崎さんが言葉を吐き出す。
そこに含まれた感情はきっと懺悔だ。
村崎さんは泣き崩れた。
本当に辛かったんだと思う。
僕は掛ける言葉を見つけられないでいた。
辛いときは優しく撫でて上げると良いらしい。
そうすると辛いことも吹き飛び、嬉しくなるって。
妹が言っていたことだ。
僕は村崎さんの背中を撫でる。
涙とともに嫌な気持ちを全部、吐き出しちゃえ、と思った。
村崎さんの中からもやもやしたものを吐き出すように、僕はゆっくりと撫でた。
こんなことで、本当に村崎さんの気持ちが静まるとは思わない。
でも、何もやらないよりはマシな気がした。
しばらく、村崎さんは泣き続けた。
僕はずっと側にいた。
散々泣いた村崎さんはぽつりと言った。
「イジメなんてしたくなかった。でも、そうしなきゃ、私が標的にされるの。そんなの……私には耐えられない。酷いよね、私って。最低だよね」
「うん、村崎さんは最低なことをしたね」
村崎さんが驚いた顔で僕を見た。
もしかして、僕が「そんなことないよ」とでも言うと思ったのかな?
言わないよ。
どんな理由どあれ、最低なことを村崎さんはしたんだ。
「だから、桜さんに謝ろう」
悪いことをしたら、ちゃんと償わないといけない。
それは誰のためかと言えば、悪いことした本人のためだ。
僕はそう思っている。
「ちゃんと謝って許してもらおう」
村崎さんは僕の目を見て、小さく頷いた。