31. モブ、トイレに行く
テスト最終日になった。
午前の2教科が終わり、いよいよ最後の科目だ。
一日目は現代文でちょっと失敗しちゃったけど、なんとか挽回できた。
トップテン入りもまだまだ狙えると思う。
僕は気合を入れるためにトイレに行った。
あとは数学科目を残すのみだ。
トイレから出て教室に向かう途中に桜さんに会ったので、最後の試験頑張ろうね、と声をかけた。
すると、桜さんは「はい、頑張りましょう」と頷く。
そうして、最後のテストに臨んだ。
前世の理系の知識とテスト期間に学んだことを思い出しながら問題を解いていく。
三分の一くらい問題を解き終えたときだ。
時間を確認するために、壁に飾ってある置き時計を見ようとした。
ふと、視線を上げる途中で桜さんの動きが目に入った。
僕の席から桜さんの姿がよく見えるのだ。
桜さんがちらちらと時計を確認していた。
不自然な動きだ。
動きが目立つため、監督の先生も桜さんを気にしているようだった。
そんな動きをしていたら、先生に注意されちゃうよ。
僕はちょっと心配になった。
でも、桜さんだってそれをわかっているはずだ。
桜さんは焦っているように見えた。
なんで、焦っているんだろう?
疑問を抱き、観察していると。
桜さんの机の上にある、紫色のペンケースが目に入った。
なんの変哲もないペンケース。
しかし、中身がなかった。
彼女の机の上に、シャーペンや鉛筆があるようにも見えない。
つまり、桜さんは筆記用具がないんだ。
僕はそっとシャープペンを左袖の裏に忍び込ませた。
そして、すっと右手を上げた。
先生が「どうした? 底野」と聞いてきた。
「すいません、ちょっとお腹痛いので、トイレに行ってもいいですか?」
「そういうはテスト前に行くものだぞ。まあいい。行ってこい」
先生がちょっと呆れ気味に言ってきた。
僕は静かに席を立ち、歩き始める。
そして、桜さんの横を通ったときに、袖からシャーペンをそっと落とす。
トンっと音がした。
それにつられて一瞬。
皆の視線が集まった。
僕はシャーペンを拾い、桜さんの机の上に置いた。
「これ、落としたよ」
「え……?」
桜さんは驚いた顔をする。
ふふんっ、どうだ見たか。
これぞ、忍びの技だ。
まるで忍者のような動きで袖から得物を取り出す。
中等部の頃に覚えておいて良かった。
まさかこんなところで使うことにはなるとは思わなかったけど。
それから、さっとトイレに行き、すぐに戻ってきた。
そして、テストを再開。
ちょっとだけタイムロスしてしまったから、最後まで解くことができなかった。
だけど、そんなのは大した問題じゃない。
それよりも、僕は桜さんの方が気になった。
筆記用具を隠した犯人がいる。
地味な嫌がらせだけど、良い気分にはならない。
そして、僕は犯人に心当たりがあった。
テストが全て終わり、授業もないため午後から自由時間となる。
今日から部活動が再開だ。
僕は梅さんとちょっと話した後に部室に向かった。
待ちに待っていた、というわけじゃないけど、久しぶりの部活動だ。
部室に入った途端、僕目掛けて部長が迫ってきた。
「灯都ちゃぁーん、久しぶりぃ! 待ってたよぉー!」
そういってテンション高めに抱きつこうとしてくる部長を、僕は華麗にスルー。
すると、部長がウソ泣きをし始めた。
女性の涙には弱い僕だけど、ウソ泣きに騙されるほど馬鹿じゃないよ。
「久しぶりの先輩の抱擁を避けるとは、酷いなぁ。こんなにも会いたかったのに」
「そういう発言は梅さんの前では絶対にしないでくださいね」
梅さんは恋愛に関して、お堅いところがある。
前に部長が僕に抱きついてきたときなんかは、人を殺すような目で僕たちを見てきた。
あれはすでに何人か殺っているよ。
と、思うほどの凄みだった。
「もちろんしないわよ。闇討ちでもされたから怖いからね」
冗談だと言って笑えないのが、梅さんの怖いところだ。
梅さんはこっそりと相手を始末するのが得意そうだ。
……最近の梅さんが暗殺者に見えてきた。
もしくは策士?
「さてと、久しぶりの部活ってことだけど、梅ちゃんは来ないの?」
「来ますよ。でも、ちょっと用事があると言ってました」
「そう……。じゃあ、先にお茶でも飲みましょう」
僕と、もう一人。
先に部室に来ていた村崎さんが同時に頷く。
いつも通り、部長が用意してくれたお茶を飲みながら、僕たちは会話する。
普段は小説の話をするんだけど、今日はテストの会話から始まった。
「部長はテストどうでしたか?」
「まあ、そこそこね。灯都ちゃんはどうなの?」
「僕はお腹壊しちゃって。試験の途中でトイレに行ったせいで問題を解ききれませんでした」
「お腹壊すって……灯都ちゃんらしいわね」
部長がぷっと笑った。
「村崎さんの方はどう?」
部長が村崎さんに話を振る。
すると村崎さんの肩がビクッと揺れた。
「え……わ、私も……あんまりでした」
村崎さんがしょんぼりしながら言う。
「一回目のテストなんて、そんなもんよ。徐々に慣れていけば良いわ」
部長は肩を落とす村崎さんを慰めた。
村崎さんは目を伏せながら頷く。
僕はそれを見て居心地の悪い感じがした。
ただテストの話をしているだけなのに、もやもやする。
「私はね。テスト期間中に気になる本買っちゃったの。読んでいたら全然勉強できなかったわ」
「気になることがあると勉強捗らないですよね」
そうそう、と部長が頷いた――そのときだ。
村崎さんがガタンと椅子から立ち上がった。
「彩芽ちゃん、どうしたの?」
「あ、いえ……」
村崎さんは小さく首を振るけど、顔が真っ青だ。
「ちょっと医務室に行ってきた方が良いんじゃない?」
「いえ、大丈夫です」
「でも、顔が青いわよ」
「大丈夫って言ってるでしょ!」
突然、村崎さんが叫んだ。
部長が唖然とした顔で村崎さんを見る。
村崎さんも自分の声に驚いているようだった。
そして、僕は冷静に言った。
「医務室行こう。僕も一緒に行くから」
僕は村崎さんの目をしっかり見て言った。
村崎さんは視線を彷徨わせたあとに頷く。
「私も一緒に行った方がいい?」
「部長は大丈夫です。ここでゆっくりしていてください」
「そう? わかったわ」
僕は村崎さんを連れて部室を出る。
村崎さんは相変わらず真っ青な顔をしている。
本当に病人のような顔色だ。
そんな村崎さんに、僕はこれから言わなければならないことがある。
そう思うと、僕はちょっとだけ苦しくなった。