16. モブ、ピアニストの少年と話す
蓮君はすぐに見つかった。
近くの公園にいたからだ。
ブランコに座りながら、地面を見つめている。
僕が近くまで行くと、蓮君が顔を上げて僕を睨んできた。
「笑いに来たのか?」
「そんなことしない。僕は蓮君と話に来たんだ」
「俺と? 同情か? 余計なお世話だ」
「口が悪いよ、蓮君」
僕はちょっとだけむっとした。
「そんなんだから、友達がいないんだ」
「友達なんていらない。俺は一人で十分だ」
蓮君がぼっち宣言をするけど、僕は首を横に振って否定した。
「友達は大事だよ」
僕は紅葉君や梅さんがいるから、毎日がちょっとだけ楽しい。
友達がいなかったら、きっと悲しいし、寂しい。
そんな、当たり前のことを思う。
でも、大切なことだ。
「そんな下らないことを言いに来たのか?」
蓮君は鼻で笑った。
「蓮君、そういう言い方やめなよ。一生友達できなくなるよ」
「だから、できなくてもいいんだって」
「嘘だ。だって、一人は寂しいよ。ずっと一人なんて、僕だったら絶対嫌だよ」
「俺はお前とは違う」
「違わないよ。僕たちは同じ……子供だ」
蓮君はクールぶってるけど、本当は一人で寂しいんじゃないかな?
だって、本当に一人が好きなら、美花さんに懐かないはずだ。
さっきだってあんなに悲しい顔をしないはずだ。
「俺はお前らみたいに……子供だからって言い訳できないんだよ」
蓮君が苦しそうに言葉を吐く。
そんな顔されたら、僕の方も苦しくなる。
「俺には背負ってるもんがある。みんな俺に期待してるんだ。お前のような何もないやつに、俺の気持ちがわかるもんか」
「わからないよ。僕は蓮君じゃないから、気持ちなんて絶対にわからないよ」
「なら、黙ってろ!」
「うるさい! 僕は黙らない! だって、蓮君がつらそうな顔していたら、嫌だもん。笑ってて欲しいよ。気持ちなんてわからなくても、寄り添ってあげたい」
相手をわからないから、突き放すのは違う。
わかる努力もしたいし、一緒に悩んであげたい。
目の前で辛そうな顔したら支えてあげたくなるよ。
それって普通のことだよね?
「なんだよ、寄り添うって」
「僕は蓮君の話を聞いてあげられる」
「なんで、お前なんかに……」
「お前じゃないよ。僕は灯都。ちゃんと人の名前は呼ぼうね」
「は? おま――」
「灯都だよ。駄目だな、蓮君は。もしかして、僕の声が聞こえてなかったの?」
僕がそういった瞬間だ。
蓮君が突然、体を震わせた。
「なんだよ、なんでそういうこと言うんだよ……」
蓮君が怯えた声を出す。
僕は何かいけないことを言ってしまったのだろうか?
「なんで、聞こえてないって言うんだよ。俺は聞こえてた。ちゃんと聞こえてたんだ……」
「蓮君……?」
「違う……手が止まった? 違うんだ……あれは。俺は……」
「蓮君――!」
僕は蓮君の肩を握った。
蓮君の様子が明らかにおかしい。
「どうしたの?」
僕は蓮君の顔を覗き込んだ。
蓮君は真っ青な顔をしている。
「聞こえなかったんだ」
「何が聞こえなかったの?」
「音が……ピアノの音が聞こえなかったんだ。どんどん音が遠ざかって、最後は何も聞こえなくなって……。そしたら、手が重くなって……。俺はもう弾けない……」
蓮君の手が小刻みに震えていた。
重苦しく吐いた言葉に蓮君が伴奏を断った理由が詰まっていた。
「俺はもう駄目なんだ。みんなに期待されるほどの男じゃない……。俺には何もないんだ」
蓮君は声を落とした。
そんな蓮君の手を、僕は迷わず握った。
「蓮君」
僕は蓮君の名前を呼ぶ。
すると、蓮君が僕を見た。
蓮君の瞳に僕が映り込む。
「僕は蓮君の友だちになりたい」
「は? なんだよ、急に……」
「蓮君がピアノを弾けなくても、僕が友だちになる」
一緒に弾いてあげることはできないし、凄い言葉で蓮君を慰めることもできない。
だから、蓮君の友達になる。
僕はどうすれば良いかわからないから、せめて一緒にいようと思った。
「わけ……わかんねーよ」
蓮君はそっぽを向いた。
僕だってわかんないよ。
無力感を覚える。
僕みたいな平凡な子供には何ができるんだろう?
そうして、言葉に詰まっているときだ。
「蓮、ちょっといいかな?」
僕と蓮君は同時に、声のした方を向く。
そこには美花さんがいた。
その後ろには梅さんもいる。
美花さんがまた冷たい言葉を口にするのかと思って、僕は警戒した。
「美花さん、今は……」
「大丈夫よ、灯都くん。大事なことに気づかせてくれてありがとね」
美花さんは僕に微笑んだあとに、蓮君に視線を向ける。
対して、蓮君は視線を合わせないように俯いた。
「さっきはごめんなさい」
美花さんは蓮君に頭を下げる。
「どうして、美花さんが謝るんですか?」
蓮君は恐る恐る顔を上げて尋ねる。
「酷いことを言ってしまったね」
「美花さんの言うとおりです。俺にピアノを弾く資格はありません。そんな器じゃなかったんです」
「そんなことない。私が留学を決心したのも、音楽をやめなかったのも、全部、蓮がいたからよ。蓮が私に憧れてくれる。だから、もっと成長しようと思えたの。蓮にもっと良い姿を見せたいって、そう思ったの」
美花さんが蓮君に向かって歩く。
僕は蓮君から離れて、美花さんに場所を渡した。
「私達は孤独な生き物よ。誰もわかってくれないし、わかって欲しくもない。陳腐な共感なんてクソ喰らえって思ってるわ。なのに、どうしてだろうね。音だけは私達を繋いでくれる。だから、全部捨ててしまいたいと思っても、結局は捨てられない。どんなに苦しくても拾い上げてしまう。私はそうだったし、蓮もきっと同じよ……。戻ってきて。蓮。私はあなたの奏でる音が聞きたい」
美花さんは蓮君を見つめ、言葉を待った。
蓮君は言葉を探すように、視線をあちこちに動かす。
そして、口を開いた。
「音が聞こえないんです」
「私には聞こえるわ。ちゃんと聞こえてる」
「怖いんです」
「怖いなら怖いままで良い。焦らなくてもゆっくりで良い。私はちょっとだけ先で待っているから。いつか私を追い抜かしてね」
美花さんは優しく微笑んだ。
「俺は……」
蓮君は何かを言いかけたが、結局言葉にしなかった。
その後、蓮君はしばらくここに残ると言った。
梅さんと美花さんは帰り、僕は蓮君と一緒に公園に残った。
二人でゆらゆらとブランコに揺られる。
別に何かを話すわけじゃない。
ただ黙って空を見上げているだけだ。
「俺、明日弾くよ」
蓮君が唐突に呟いた。
「うん」
僕は頷く。
「ありがとな」
僕は唖然とした顔で蓮君の顔を見る。
あの蓮君が他人にお礼をいうとは思わなかった。
なんだよ、と蓮君が不貞腐れる。
その子供らしい表情に僕はぷっと吹き出した。
そうすると、蓮君はさらに不機嫌そうな顔になる。
それが面白くて、僕は声を上げて笑った。
明日は良い卒業式を迎えられそうだな、と思った。