13. モブ、事情を知る
僕はここ数日で少しだけ歌が上手くなった気がする。
音楽の授業でも、なんだかみんなと合唱できている。
一体感を感じられるようになった。
今までは僕は一人で歌っている感じがしたけど、あれはきっと合唱じゃなかったんだな。
このペースで成長していけば、僕は歌手になれるかもしれない。
そして、卒業式が間近に迫ったある日のことだ。
僕は蓮君と教室で対面していた。
蓮君とはほとんど話したことがないから、自然と緊張してしまう。
そもそも、どうして僕が蓮君と対面しているかと言うと、蓮君から話があると言われたからだ。
僕も蓮君と話さなきゃ、と思っていたからちょうど良い。
でも、怖いなー。
蓮君は今、僕を睨んでくるし。
僕は蓮君のデコの辺りを見ていることにした。
蓮君は僕を呼んだのに、さっきからずっと黙っている。
だから僕の方から話を切り出すことにした。
「えっと、それで何の用かな?」
「最近、美花さんと仲が良いらしいな」
「うん、音楽を教えてもらっているんだ」
「美花さんは、忙しい。灯都みたいな音痴に時間を割いてる余裕はない」
うん?
僕は今、責められているのか?
僕が音痴なのは認めるけど。
でも、責められる理由はわからない。
「なんで、蓮君がそんなこと言うの?」
「お前には関係ない」
蓮君と美花さんってどんな関係なんだろう。
そういえば、以前、紅葉君が言ってたな。
蓮君が高等部の女の人と楽しそうに話していると。
美花さんは華月学園の高等部に在籍しているし、蓮君が楽しく話していたのは美花さんじゃないかな?
そうだと考えれば、蓮君が美花さんの話題を出したことに納得がいく。
「美花さんとはどういう関係なの?」
「それこそ、お前には関係ないことだ」
「もしかして、美花さんが好きなの?」
ふと思ったことを口にした。
なんとなく、蓮君は美花さんのことが好きな気がする。
僕は勘が鋭いほうなんだ。
「そんなわけないだろ! お前、いい加減にしろよ!」
蓮君が大きな声を出す。
余計に怪しいな……。
蓮君って思ったよりも子供っぽい。
単純に人付き合いが苦手で、孤立していたのかな?
「大丈夫だよ。誰にも言わないから」
「違う。そういうのじゃない」
蓮君は首を左右に振って否定した。
「じゃあ、どういうこと?」
「あの人はもうすぐ留学に行く。向こうでのこともあるだろうし、この時期に少しでも上手くなってなきゃいけないのに……」
美花さんって留学に行くんだ。
初めて知った。
音楽留学ってやつかな?
僕にはよくわからない世界だ。
蓮君の言う通り、僕に時間を割いている余裕はないのかな?
「とにかくだ! お前のような音痴を相手にしている時間は美花さんにはない。だから、もう関わるな! いいな!」
蓮君がそう捲し立てると、背を向けて教室を出ていった。
なんで、僕は怒られたんだろう?
取り残された僕はどうすればいいのか頭を悩ませる。
そもそも、蓮君に言われるようなことじゃないよ。
だって、もし美花さんに時間がないなら、美花さんの方から何か言ってくるはずだ。
美花さんは嫌々音楽教師をやっている感じはないし、蓮君に言われたから止めますってのはおかしい。
それにしても、蓮君があそこまで感情を表に出すのは珍しかった。
蓮君は伴奏をやらないと言っていたのも、美花さんと関係があるのかな?
美花さんが留学に行くから?
好きな人がいなくなるから?
うーん、それだけで伴奏を断らない気がする。
なんか、上手く繋がらない。
明日、音楽のレッスンがあるし、美花さんに話を聞いてみよう。
ということで、次の日になった。
音楽レッスンの時間だ。
梅さんや美花さんは僕の成長を見られて嬉しいと言ってくれた。
そんなに褒められたら調子に乗っちゃうぞ?
そんな感じでも今日のレッスンも終わった。
明日が最後のレッスンだ。
そして、明後日には卒業式がある。
僕は梅さんの家を出たあとに、美花さんと一緒に歩く。
途中までの方向が一緒であり、こうやって並んで帰っている。
僕は蓮君の話題を口にした。
蓮君が卒業式で伴奏を断っていることだ。
一通り事情を話すと、美花さんは難しい顔をする。
「あの子が伴奏をやらないと……そう言ってるのね……」
「美花さんは何か知っていますか? もしかすると、美花さんの留学と何か関係あったりして……」
「留学とは関係ないわ。むしろ、蓮は私の留学を応援してくれている」
「じゃあ、他に何か心当たりはありますか?」
「一つだけあるわ……」
「聞いてもいいですか?」
美花さんが一つ頷いて僕を見た。
「この前のコンクール、蓮が演奏の途中で手を止めたの。きっと、プレッシャーを感じているのだと思う」
「プレッシャー……ですか?」
「十年に一人の天才。そんな大層な肩書をまだ小学生が背負うのよ。相当なプレッシャーのはずよ」
なるほど、と思ったけど僕は簡単に頷いたりはしない。
大きすぎる期待なんて、僕にはわからないからだ。
僕が受けている先生からの期待なんて、蓮君の背負っているものと比べればミジンコだ。
ミジンコみたいに小さいって意味だよ。
自分の実力を頼りに、世界で勝負をし続ける蓮君は大変だな、と思った。
他人事みたいな感想だって?
僕には到底わからない世界だから、他人事になるのも仕方ないじゃないか。
「プレッシャーに負けて、ピアノを弾けなくなったってことですか?」
僕の言葉に美花さんが頷く。
「どこまで行っても最後に舞台に立つのは一人だわ」
美花さんが言った言葉は僕の頭では理解できなかった。
芸術に深く関わったことがない。
だからきっと、僕は美花さんの言っていることをわかっているようで、本当のところ、何もわかっていないんだ。
でも、と美花さんは続けた。
「灯都くんのような子が近くにいてくれて良かった」
「どうしてですか?」
「灯都くんが一緒にいると、蓮も楽しいんじゃないかなって」
美花さんは僕にウインクして言った。
うーん、そうなのかな?
そもそも、僕は蓮君と仲良くないんだけどな。
なんなら、嫌われているような気がする。
「これからも蓮と仲良くしてね」
実はそんなに親しくないんです、と言えない僕は「はい」と頷いた。