想い、未だ尽きず
序章 現代回顧
今まで多くの物語を読んできた。幼い頃から字を覚えるのは早かったし、初めて文章を読んだのは五歳になる前だった。身体能力に限り有る子供にとって、世界は驚きと希望に、そして恐れに満ちていた。童話から神話、歴史。それらには哀しみが、歓喜が、絶望が、愚かさが詰まっていた。もっとも、五歳児には言葉の記す情緒の半分も理解できていなかったが。
私が世間知らずで、同時に一面ひどく早熟な口をきく子になったのは、それも原因だったのだろう。私は赤子の時から、慢性的に夜眠れぬ子だった。やがて頻りに発作を起こすようになり、両親を、特に母を、心身共にすり減らしたこの病は、初等教育を終える前にようやく終わりを告げ、私も肉体の制約から徐々に解放された。
ーああ、人間の回想は、やっぱり長くなるらしい。こんなに弱っていなければ、子供の記憶が甦ることも無かったのに。
私の密かな愛読書は恋愛小説だった。それも同世代の少女が好むような学園物ではなく、歴史を扱ったもの。英語圏ならヒストリカルロマンスというやつだ。奇妙な所で醒めていて、現実にはあまり幻想を持てなかったし、俳優にもアイドルにもこれっぽっちも興味がなかった。過去の虚構の中でだけ、私は息をつき、希望を抱くことができた。
それでも同じパターンには時折辟易した。何故女主人公は一人では足りず、常に複数の求愛者が必要なのだ?現実、我が国の男女比率は非常に偏っているから、現実が当然、空想にも影響を与えているわけだ。この国は男が多すぎる。
勿論、こうした作品はほとんどが女性の想像の産物だ。つまり、愛されたい、求められたいという望みは誰もが持っていても、女性の方が夢をもちがちなのだろう。男性なら、恐らくポルノに行くのかもしれない。
自分の厄介な性格のせいで、歴史の中に溺れながらも、三角関係には冷ややかだった。同時に二人の男を同じ強さで愛するなんてことは、倫理性を抜きにしても不可能だ。どちらにも不誠実で、どちらにも不実を疑われるのが落ちだ。男が同じ幻想を持てば途端に非難轟々なのに、女の幻想は蔓延されていて良いのだろうか。
うん?ちょっと待った。私の考え方は一夫一婦制が浸透した現代人の考え方だ。古代は死亡率の高さと平均年齢の低さ、労働力の必要性の高さ、そして医療知識の欠如等から一夫多妻制が当然だった。避妊の意識が低いため、確実に子孫を残すには出産の危険を分散する必要があったのだ。たとえ妊娠から出産の時期を無事に乗り越えても、繰返しているうちに確実に女性は健康を損ない、古代の過酷な環境の中で寿命を縮めるのだから。
つまり、愛も現実の前で変わるのはいつでも同じだということ。
そう考えていた。私は両親との愛情を除けば恋も知らない、無知な少女だったのに。
この一生、そうして過ぎると思っていた。
眼を開けているのに、彼らの様子が鮮やかに浮かぶ。雪衣を翻し、此方に振り向く青年。玉のような肌、櫻色の唇、墨色の瞳、穏和に見えて他人を寄せ付けぬ孤高の佇まい。
もう一人。黒の披風(ひふう、風よけ)をなびかせ、こちらを見据える少年。繊細なようで背の高い立ち姿。感情を表さぬ冷悧な面差し。けれど、知っている。
乱世の仙子(せんし、仙人)と讃えられる彼の、思考は冷徹で行動が冷酷に見えても、こぼす涙が酷く熱いこと。微笑むときに皮肉げに唇を僅かに吊り上げること、そして彼のもう一つの姿。殺戮と救済の危うい均衡を、己の意志一つで保つその誇り高さ。
寡黙で冷悧な少年が、養父の過去と自らの出生を知った時の苦悩。復讐と裏切り、罪悪感の中で必死に選択し、妹を守り、育ての恩を忘れられずに、実の一族の仇を殺せなかった人。
傍にいてくれと、抱きしめた腕のすがるような強さ。
どうしてこれほど、知ってしまったのだろう。
なぜこの世界は、これほど無情なのだろう。
世界に緣を司る存在がいるならば、何としても引っ張り出して、元の人生を彼らに償わせたいのに。
幼くして一族を殺される事も、知人に裏切られる事も、記憶を失う事も、寿命を自分で削る事も無く、受けるべき愛情と幸福をつかんで生きられる人生。
私と出逢うことのない人生を。
どうしてこれほど、愛してしまったのだろう。