/1 -旅路-
なろうでは初投稿です。駄文に電波シナリオ注意。
はじめに言があった。言は神とともにあり、言は神であった
—『ヨハネによる福音書』1:1
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2000年12月31日 23:00。
あと一時間で二千年紀と二十世紀も終わろうとしている中、ある男が何をするでもなく暖炉の前で時間を消費していた。
その男はまだ若いのであろうが、幾重にも刻まれた眉間の皺が初老にすら見せかけており、浅黒く隆々たる身体には幾つもの傷痕が色濃く残っている。
そして何より印象的なものはその目。
およそ光というものの一切を拒絶するかのように昏く濁った瞳は死んでいると形容することすら生温い。
その死体だと見間違えんばかりの貌と頑健な肉体の組み合わせは、この上ない違和感を醸し出しており、初対面であれば誰もが畏れを抱くことだろう。
一体何が彼をここまで追い詰めたのか知りようもないが、とにかくそれだけの異様さを孕んだ男がそこには在った。
「………………」
男は先程から変わりなくただ炎の前で座り込んだまま、その温もりに沈み込んでいる。
いや、実際はその温もりすら彼にとってはどうでもいい事だった。事実その瞳は炎の方を向いてはいるが、微塵も捉えようとはしていない。
その有様は正しく彫像だった。
彼は基本的に目的がない限りはこうしてただ時間を潰すだけの日々をおくっており、訪問者等があればようやくその身を動かす。
つまり、誰かが訪れない限り彼はここでずっと彫像のままなのだ。
そして今、その静寂は脆く消える。
コンコン、と扉を叩く音が鼓膜に響き渡る。
「やあ。お久しぶりですね。覚えていますか?」
軋む木製の扉を開け、その人物はにこやかに微笑みかける。
「……エゼキエルか。久方ぶりだな」
そこにいるのは黒いスーツに似た礼服にキッパーを被り、黒縁の眼鏡に鉤鼻が特徴といういかにもユダヤ人らしい男だ。
名をエゼキエル・メルギゼデクという男は彼の旧い友人であり、かつては同じ志を抱いていたものの、ある時を堺に関係を絶っていたのだった。
しかし何故今更になって訪ねてきたのか、彼にはその意図を測りかねていた。
「そういう貴方はサーマン・プルシャヴァルキヤで間違いありませんね?」
「ああ、その筈だ」
彼自身にとってもその名は久しいものだった。
泥のような惰性に浸っている彼には自身の名すら必要ではなかったからだ。
「まったく、酷い有様だ。今の貴方は亡者としか言いようがないな」
「……そうだな」
既に彼の内面は朽ち果てたも同然だった。
故に無礼でしかないその言葉も彼には単なる事実でしかない。
「しかしここは寒いですね。リビングにでも行きませんか」
「……暖炉ならあるが、そんな上等な設備はないぞ」
そう、ここはインド国境にある極寒のヒマラヤ。そんな所に文明的な設備などあろう筈もなかった。
そもそもエゼキエルこそ如何にして礼服で山脈を踏破してきたのか疑問だが、それすら瑣末な事だ。
「サーマンよ。何があったのです?」
その疑問は当然だった。
エゼキエルの知る限りサーマンとは凄まじい執念を以って物事に挑む男であったが、一体何が彼を亡者に変えたのか。
「──理由など、とうに忘れた」
それは純然たる本心、心からの絶望だった。
エゼキエルはその言葉に全てを察し、静かに頷く。
「そうですか。貴方は既に終わった者だ。しかしまた蘇るチャンスがある、と言えばどうです?」
「……言ってみろ」
その言葉に初めてサーマンの表情が動く。どうやらまだ腐り切ってはいないらしい。
「つまり、貴方の望みを叶えられるかもしれないという事です」
「──なんだと?」
サーマンは皺を歪め目を見開く。
エゼキエルはそれを見て微かに嗤う。
「半年程前、ローマ教皇庁がとある神秘的存在を発見しました。''光の糸,,と呼ばれるそれは不確かなカタチながら存在しているようなのです。それが物質なのか概念なのかは分かりませんが、その先には極めて強力な力──それも世界の始まりに関係する程のものが眠っているというのです。しかも教皇庁はまだそれを入手していない。これがどういう事か分かりますね?」
「つまり、教皇庁が手に入れるより先にそれを手にすれば──」
「その力は私たちのものになる。''光の糸,,の先にはおそらく宇宙そのものの根源に近しいものがある。ならば世界を変革するなど思うがままだ」
……それが正しければ彼らは世界の神にすら成り得る力を手にする機会があるという事だ。
しかしサーマンには何故それを自分に教えたのか理解できなかった。
「しかし、何故私に教える必要があるのだ。おまえ一人事実を知っておけばその力を欲しいままにできるだろうに」
「そうではない。教皇庁が未だ''光の糸,,を手にできていないのは理由がある。彼らにはその先に到達する手段がないのです。しかし貴方は違う。私の知る限りその先に到達する手段を持ちのは貴方だけだ」
「つまり、私の力を貸せと」
「如何にも。その肉体という匣から抜け出しより上位の存在に自己を植え付ける技術は貴方だけのもの。この世界には我らのような求道者はごまんと居るが、貴方の存在としての方向性は極めて特異だ。私は彼らのように蒙昧主義者ではないが、こういった探求とは神秘のまま行われるのが理想。故に貴方なら教皇庁にも他の宗教結社にも悟られることなく悲願を遂げられると考えただけのこと」
サーマンは静かに頷くが、同時に疑念を抱いてもいた。
確かに、自分の''個人我,,を具現化し固定する技術は彼しか持ち得ないものだ。
しかし手段が決まったところで目的地すら分からないのでは取り掛かりようもないではないか──。
「……それは何処にある? バチカンか? メッカか? いや、そもそも地上に存在しているのか?」
その疑問はもっともだ。
いくら目的地に素晴らしいモノが眠っていても、それが並行世界や物質界から離れた異界等に存在していては、彼といえども手出しはできまい。
「それならば心配無用。ローマ教皇庁が発見している以上、この世界の何処かにそれは在る。そもそもの発端はネーデルラント出身のある神父が何の前触れもなくその先触れに触れた事を起点に世界中の無差別な人々が''光の糸,,を見たと言い出した時に、とあるカバリストが彼らの記憶を解析した結果、それらは全て同質の存在であると結論した事なのだから」
サーマンは確信する。
この''光の糸,,は間違いなく存在し、しかも手の届く範囲に眠っているモノなのだと。
仮にそれが単なる集団幻覚の類だとしても、賭けに乗るだけの価値はある。
彼は結論を下し、椅子から立ち上がる。
「──よかろう、受けて立つとも。それが単なる幻想だったのならば諦めもつく。だが停滞したままでは何も為せん。……礼を言うぞ、エゼキエル。おまえが来なくては私は朽ち果てていただろう」
先程までとは違い、彼の瞳には確かな熱が篭っていた。
その屈強な体躯と昏い炎のような瞳が合わさった姿は、エゼキエルにかつて見た不動明王像の影を幻視させる。
エゼキエルは嗤う。
──そうだ。この妄念、阻む者悉く焼き尽くさんとする修羅の如き意志こそサーマンをここまで生かしてきたのだ。
まったく、亡者も同然とは言ったが、どうやらまだまだ錆びてはいないらしい。
「──それでこそ、我が同胞。これで、我らが悲願も──」
エゼキエルは昏く悍ましく微笑みかける。
実際、彼もサーマンと似た者であるのだ。
慇懃な笑みに覆い隠された神をも踏み台にし、悪魔をも謀らんとする漆黒の覚悟。
人となりは違えどその本質が同じであるからこそ、彼らは引かれあった。
「さあ、旅を始めましょう。我らの蘇り、延いてはこの苦界の救済の為に──」
西暦2001年1月1日 0:00。21世紀の暁にして三千年紀の黎明。
悠久の時の果て、求道者達は昏く嗤う。
望むものは無、発端さえも零。
──こうして、終わり無き最果てへの旅路が始まった。
見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アーメン。
—『ヨハネによる福音書』1:7
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