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翡翠のカーテン  作者: 今井ヤト
4/4

You smoke too much


エレベーターから下り進み営業兼研究二課室へ向かう前に社員ロッカーのドアを開ける。


ハンガーにかけてある白衣に袖を通し社員証を首にかけなおす。

自動販売機で缶コーヒーを買い、喫煙所の扉をあけた。

先人が一人メンソール煙草をふかし座っていた。メンソールは香りが独特でプラスチックが燃えた時と似たような異臭に近い。


先人はスマートフォンのゲームにのめり込んでいる。日野原は白衣の胸ポケットから煙草を取り出すとチャコールフィルターに火をつける。


「おう。日野原」


スマートフォンの画面から目を離さずにいる松戸武士は鉄パイプの椅子に腰かけている。


「おはよう。朝からこんな事言いたくは無いが、もう少し画面から顔を遠ざけやしないか。そんなに近づけたら、画面が目にくっつく。」


日野原は灰を落とし言葉を返す。

松戸は顔を上げるとハッとした表情を見せた。


「目にくっつく。そりゃいいな。セシルなら目に入れても痛くない。むしろ入れられる事なら入れておきたいぐらいだ。」


松戸(まつど)武士(たけし)は、日野原と同い年の同僚であった。九州の四年制大学を卒業すると時同じくして地元を離れ上京。出会った当初は佐賀県南部独特の訛りのせいで、何を言っているのか全く理解されなかったが、徐々に東京の水に慣れたのか最近は方言を発することが殆どなくなっていた。

始めは携帯電話も持っていなかったが、今では、スマホゲームに出資しすぎて、毎月の如く金欠に悩んでいた。セシルと言うのは松戸が熱中しているスマートフォンゲームのキャラクターだ。


「とにかく、目は大切にしろよ。」

「わかってるよ。」

「視力が落ちたらコンタクトを買うのも金がかかるからな。」

「わかってるよ。」

「そうなったら課金につぎ込める金も減るからな。」

「わか・・・わかった。」

松戸は(うなず)くとスマートフォンをポケットにしまい本日何本目かの煙草に火をつける。

松戸は日野原にとって世話がかかる弟のような存在だった。


他愛のない話を続けていると聞きなじみのある機械音が鳴った。

発信元は松戸のスマートフォンからのようだ。


「――今日も来たな。」


松戸は眉間に皴を寄せ集める。

日野原は回転ルーバー式の窓を開け換気をしようとハンドルを回した。

冷たい風が外から吹き込む。曇天が広がる外の世界は今にも雨が降り出しそうだ。


「しししんちゅう。」


「え。」


「獅子身中の虫だよ。どうして誰も知らないような言葉をわざわざ使うんだろうな。」


――――またその話か。デジャブ。


「どうだろう。推理小説のテンプレートだと犯人は他人が知らないような言葉を好んで使いたがる。それはただの見栄、優越感、ある時には重要なメッセージだったりするけれど。」


獅子身中の虫。内部から災いを起こす物。獅子の体内に寄生する虫が肉を食い尽くし、やがて死に至らしめる。組織を破壊するものは、いつだって内部にいるものだ。


「そういうものかねぇ。なんていうかまどろっこしいというか。こういうのって関わらないのが一番だよな。いざこざは面倒だ。俺はセシルのレベル上げで忙しいからなおさらね。」


松戸はそう言うとしたり顔を浮かべる。反応からして丁度レベルが上がったみたいだ。


「にしたって一体どうしちゃったのかね、うちの会社は。あんな事件があってからすっかり変わったよ。もちろん悪い方向に。」

「まぁ――そうだな。」

「お前は来てないのか。メッセージ。」

「グループに入ってないからな。」

「入ってなくて正解だよ。意味深なメッセージは気分を悪くさせる。」

「グループから抜けるつもりは無いのか。」

「タイミングが無くて――今抜けたらグループの奴から怪しいって疑われそうで。」


松戸はそう言うと再び目線をスマートフォンに移し、ゲームを始める。今度は、画面から多少なり顔を遠ざけている。



松戸が言う事件とは二カ月程前、半袖シャツの洗濯に毎日追われる日々を送っていた初夏、蝉の鳴き声が疲労した身体をえぐるほど五月蠅い七月。


サクラテクノロジーは僅か二カ月の間で大規模なデフレスパイラルに陥る事となる。


売り上げ数値の下降に始まり物価の低下、生産の縮小までその波は留まる事を知らずに回り続けている。

「減給を決める人って誰だか知っているか。一課の浦安(うらやす)っているだろ。あいつは月二万下がったらしい。この前自分で言ってた。全員が減給されたわけじゃなくて、一部の人間に限られるとも。営業職なら契約を取れない事を理由にされそうだけれど、俺みたいな研究員はどこで評価されるのか。」

「さぁな。」

「――日野原、本当に知らないのか。」

「知らないよ。たぶん役員が決めるんじゃないか。耀(よう)さんとか(けん)さん。」

「ふーん。あいつら現場になんて来やしないのに、俺たちの何を知っていると。」


松戸は癖が強い前髪を指に巻き付けては解いてを繰り返している。

日野原はごまかしながら相槌を打つことしかできなかった。



先日、九月になってから早くも二回目のミーティングが催された。

上層部からは、社員の人件費、商品の生産数の見直し。いわゆるコストカットの命令が下っていた。

対症療法である事は拭えないのだが日野原はやむを得ず、自らの給与を減給、交通費を返上、そして行われている実験の器材の発注を減らし、お得意の取引会社にも謝罪に足を運んだ。

その日は日照りが激しく、膨大な体力を消費した。朝一の新幹線に乗って新潟まで行っては、最終の便で帰ってきた。良い思い出と言ったら帰りの新幹線で飲んだ新潟の地酒くらいか。普段酒は飲まない日野原だが、その時ばかりは、アルコールの力でも借りなければ、到底正気を保つことなどできなかった。


「日野原はいいよな。下がる事は無いだろうし。」


「――どうだろうな。それは上が決めることだ」


――事の発端は、流行に乗っかったSNS内での一本の動画だった。


スマートフォンを持っている人なら誰でも匿名で利用できる所謂(いわゆる)掲示板のようなアプリケーションで、各々が欠陥だらけの籠の中で自由に発言できるようになっている。

時代というのはしがみつかねば取り残される程移り変わり、今では己の顔をウェブ上に掲載する事も全く珍しくない。SNSを通し自己顕示欲を満たすことが容易になった時代の代償は大きく、誹謗や中傷も日常茶飯事で、影響力がもたらすのは良い事だけではないという事だ。


「あの動画、どうしてあんなにも大問題になったか、気づいているか。」


松戸はメンソール煙草に付いているカプセルを噛むとカチッという音が鳴った。

フィルターのカプセルを噛むと味が変わる仕組みらしい。


「まぁ、ある程度の予測と対策は会議で言われたし。」


十五秒ほどの短い動画だったが、サクラテクノロジーが世間からのイメージを一転させてしまう夥し(おびただし)い量のクレームを浴びるには十分すぎる十五秒間だった。


最近こそ減ってはいるが、数えると多い時には一日七百を超える苦情電話が鳴り続けた。その甲斐あって、在籍しているサクラテクノロジー全社員がクレーム対応の術を身に着けたのだが。


動画の内訳は、サクラテクノロジーの作業服を着た従業員が、顧客名簿を公開するというものだった。

動画に写る人物はキャップを深々と被り人物が特定されぬよう万全を期している。


「部外者には不可能な犯行。俺はイタズラだとは思わない。何かしらの悪意を持った犯行。事件性があるような。たとえば、「「――関わらないんじゃなかったのか。」


日野原は松戸の言葉を遮るように言葉を放つ。その声色に松戸の肩が反射的に震えた。


しかし松戸が言ったよういたずらの範疇(はんちゅう)、部外者の犯行と決めつけることが不可能である理由は確かに存在した。


サクラテクノロジーの従業員ではなくとも、鈍色の作業着はいくらでも製造できる。

【サクラテクノロジー 作業着】の名目でネット検索をすれば製造会社のホームページがヒットし、そこにはサクラテクノロジーの作業着が大々的に広告として取り扱われている。

【作業着で 普段と違う 火曜日へ】というキャッチコピーが付けられているのだが、これがとにかくセンスが感じられないうえに、何故か五、七、五の俳句調で何故か韻を踏んでいて、何故か火曜日という。

つまり社員でなくとも社員と偽って購入することは簡単に行えるということだ。


作業着を販売する会社は倒産寸前の街の小さな中小企業で目先の売り上げしか見えていない状態にあると日野原は聞いたことがあった。とすればわざわざ社員と偽る必要も無いのではないか。


次に顧客名簿。

パソコン一台で作成が可能な時代でありきたりな架空の人物の名前を記せばいたずらにしては手が込んでいるものができあがるだろう。

東京都目黒区在住リアム・ギャラガー、その下には同じ住所でノエル・ギャラガーなんて書いてあった日には、それこそ笑えるジョークに変わるのだが――


「やっぱり内部にいるのかな。そういう恨みを持った人間が。」


「可能性は低くないだろうな。これだけの数の従業員がいれば。」


従業員の悪ふざけではなく、部外者の犯行でも無いと確定された理由に、有力な一つの事実があった。


何万といる顧客の中でも公開された一部の人物は、サクラテクノロジー株式会社の株を持つ人々、いわゆる株主と呼ばれる人物だった。

すなわち公開された名簿は住所等が記載されている株主名簿という事である。

元来、開示されるはずがない情報がネットワークを通した公開されてしまったのだ。


後の流れは至って簡単でスムーズだ。株主が出資から手を引き、地盤が緩んだ建物は、徐々に崩れてゆく。

自壊作用は止めることができない。


極めつけが、動画の撮影に使われた場所がサクラテクノロジーの中でも限られた社員しか入る事ができないケターと呼ばれる場所だという事だ。


ケターはプレハブ小屋隣にある倉庫の事で特定の従業員のみ入る事ができる。

その事実をSNS上に拡散させたのは、サクラテクノロジーの元従業員という事が後の調査で判明した。その人物は四年前に自己都合で退職していた鎌ヶ(かまがや)(しゅん)()という男で鎌ヶ谷は以前会社の労働環境に不満を持っており、SNS上で偶然見た動画に乗っかるような形で発言したと述べていた。

鎌ヶ谷に連絡を取り、直接真意を聞いたのも日野原だった。


【動画が撮影された倉庫は機密事項が多くあるから顔認証でしか入れないようになっている。そこに入れる社員も限られている】と。


実際問題、悪質な動画に対し鎌ヶ谷がSNS上で発した言葉が火に油を注ぐ形になってしまったのだ。


「俺は嫌だよ。そんな誰かもわからない狂気じみた奴と同じ食堂で飯を食べているなんて、想像しただけで味がわからなくなりそうだ。ただでさえうちの社職は病院食かと疑う程、味が薄い。昨日食ったかけうどんなんて仕上げに白湯でもいれたのかと思うくらい。」


松戸は苦悶の表情を浮かべている。


「証拠という証拠も残っていないから犯人が捕まる事は無いだろうな。そもそも会社は警察に被害届を出していない。」


「被害届を――それもおかしいけどな。この気味が悪いメッセージと例の動画。何らかの関係性があると思う。獅子身中の虫。要は会社に癌細胞がいるってことだろ。そしてアカウントの名前。ドラキュラだなんてとんだノーセンスだ。ゲイリーオールドマンにでもなったつもりかよ。」


電子メールや電話の機能を全て請け負ってしまうアプリがある。その通信連絡アプリにはグループ機能というものがあった。

office(オフィス) gossip(ゴシップ)】と名称したグループが知らず知らずに設立され会社の噂が蔓延る場所となっていた。設立した人物は【Dracula(ドラキュラ)】という匿名を使っている。


社内では知る人ぞ知る小規模なグループと認知されており、今では約十五人が加入しているらしい。――先程のエレベーターでの話もこの事だろう。


その通信連絡アプリは一つの電話番号に連動する。すなわち携帯電話一台に対し一つしかアカウントが持てないために【Dracula】は何らかの方法でもう一台の携帯電話を手に入れたのだろう。


携帯電話のアカウントを辿れば持ち主を特定するのは容易だ。一番考えられるのは、身元が不明な外国人の携帯を買い取り、それをアカウント【Dracula】として使用している。万が一捜査が及んだ時に備え、よほど手が込んだ準備をしていると見受けられる。用意周到だ。


『ミステリー小説のように何か事件が始まる予感がする』と鼻息荒くソワソワしているゴシップ好き女性社員もいれば、『気味が悪い』と関わりを持たないようにしているパート主婦。千差万別。多種多様。反応は様々だ。


事があった直後の緊急会議では、事件性は薄いと会社は判断し、警察の介入を拒んだ。しかし事の裏側はこれ以上会社のブランド力が低下するのを警戒しての事だろう。


「なぁ日野原。」


松戸は煙草の火を消すと窓の外を見つめた。鉛を張り巡らせたような曇り空が広がっている。


「俺は犯人がこんな馬鹿げたことを辞めて自首するのを待つことにする。」


蛍光灯がまばらに点滅している。最後に変えたのはいつだっただろうか。しばしの無言が雰囲気を重くする。淀んだ空気中の粒子一粒一粒が廃油をまとったかのように。


「あんなことできるやつなんて。」


――あんなことできるやつなんて


「先に行く。」


日野原は松戸の言葉を背に受け喫煙室を後にした。


確かにケターに入る事ができるのは。


――僕だけだ。


動画が撮影されたケターの中、顔認証で扉が開くのは日野原の他に榎田がいる。

けれども前任の榎田から預かったケターの鍵は日野原が纏っている白衣の右ポケットに今も入っていた。


ケターは顔認証を終え、電子ロックを解除した後に洋白金属でできた鍵を使わなくては入る事ができない。


扉の他に外と精通する換気のために作られた窓も開けられた痕跡は無かった。

そもそも古い回転ルーバー式なので鍵はついておらず、窓そのものを壊さない限り侵入は不可能だ。


日野原はサクラテクノロジーの社員大方から疑いの目を向けられていた。



その証拠が先ほどのエレベーターでの出来事だ。




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