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青の旅人  作者: レスト
4/5

レイダロスの死神

 秋も深くなると、タロップ畑は紅に染まる。実りの季節だ。

 この野菜は味と食感に優れるものの、固いものに触れると途端にダメになってしまうデリケートな品だった。

 機械ではなく、昔ながらの手作業による栽培が好まれた。

 手間暇はかかるが、高級品として近隣の星へ良い値段で売ることができる。

 父と子が、収穫作業にいそしんでいた。

 父はまだ若々しく、これから働き盛りを迎えようかというところだ。子供の方は就学するかしないかくらいの、小さな男の子である。


「もうちょい獲ったら一休みするか」

「そうだね。おとうさん」

「えらかったなあ。今日はいっぱい手伝ってくれたからな。キンキンに冷やしたソーダ、一緒に飲もうなあ」

「わーい!」


 のどかなお昼時……のはずだった。

 平和をつんざくように、突如巨大な影が現れるまでは。


「な、ななな、なんだありゃあ!?」

「うわああああ!?」


 父子ともに仰天し、腰を抜かしてしまう。

 悪魔のように黒々とした無骨なシルエット。人型を模した機械兵器だった。

 赤く鋭いカメラアイを備えた頭部が大地へ睨みを効かせている。

 背中に多数生えたブースターが羽のように開いてジェット噴射しながら、山のごとき巨躯が宙に静止している。

 胸部に備え付けられた、巨大な球体状のパーツが何より特徴的だった。

 そいつは小刻みに首を動かしていた。まるで獲物を探すかのように。 

 父ははっと我に返り、愛する我が子を引き寄せる。

 子は親の足にしがみつきながら、曇りなき眼で襲来者を見定めようとしていた。


「ロボットかな? ごっついね」

「えらいもん出てきたなあ。なんかの映画か?」


 言いつつ、父は内心首を傾げていた。

 普通に考えてそんなわけはない。嫌な予感がする。

 父はびびり竦みながらも、せめて子だけは守ろうと腕の力を強めた。

 警戒を高める。

 対する人型機械の方は、どうやら二人の姿を認めたようだ。

 ギギギ、と金属が擦れるような唸り声を発する。

 一際目立つ胸部の球体状パーツが、不気味に光を放ち始める。

 父は勇気を振り絞って、声を張り上げた。


「おい! ここにゃあ野菜以外なんもねえぞ! タロップが欲しいんだったら、好きなだけくれてやらあ! それ持ってどっか行け!」

「そうだそうだ! どっかいけー!」


 だが父子の懸命な抗議も空しく。そもそも対話が通じる相手などではなかったのだ。

 光が、弾けた。

 人類を焼き尽くす――星全域焦土攻撃。

 その第一射として、核反応誘発性の熱線が放たれた。

 音など遥か置き去りにした、致死的脅威。

 彼らは当然、ろくに反応することもできなかった。

 凍り付いたように固まる親子の視界を眩く覆い隠すほどの、圧倒的な破滅の光が迫る。


 だが残酷にして、無慈悲な一撃は。

 二人に達するわずか目前にして、何か硬いものにぶつかったかごとく突如向きを反転させた。

 破壊の轟砲は昼下がりの陽気な空へと跳ね上げられ、そして残酷なことは何も起こらなかった。


 父子の前へ庇い立ち。

 一人の人間が、拳を振り払っている。


「ふう。間に合った」


 肩で息を吐いたのは、通りすがりの青年、いや少年だろうか。

 どこかあどけない顔立ちをしているのに、大人の落ち着きも同時に感じさせる。不思議な雰囲気を纏っていた。

 ポケットを複数縫い付けた厚手のパンツと、丈夫な布地でできたベスト。

 畑仕事にも街へ繰り出すにもまるで浮いた格好で、一見してそこいらの人ではない。

 むしろいかにも流れ旅の者といった風貌である。

 そんな彼は二人へ振り返ると、人当たりの良い柔らかな笑みを向けた。


「怪我はないですか」

「……あ、ああ。無事だ。助かった」

「おにいちゃんすごーい! はじいちゃった!」


 父のお礼と子の素直な反応に、通りすがりの人物――ユウは微笑ましい気持ちで頷き、すっと向き直る。

 背後の安全に気を配りながらも、一切の油断なく敵の正面を見据える。

 一方、巨大人型兵器は機械の頭脳をフル稼働し、宙に静止したまま無感情に状況の判断を図ろうとしていた。

 強出力の熱線砲射を容易く弾かれた事実。

 高性能AIと各種センサーが、彼我の戦力差を計算している。


 ――対象のエネルギーを測定。

 ――生命反応微弱。魔力値ゼロ。


 兵器は幾度もエラーを吐いた。

 計算が合わない。混乱する。

 この脆弱な人間に非物質性の熱線を弾き返すなどと。そんな人間離れした芸当ができるはずがないのだ。

 明らかに何かがおかしい。理屈がわからない。


 対するユウは敵の正体を窺い知ると、呆れて呟いた。


「またバラギオンか。困るんだよな。気軽に暴れてもらっちゃ」


 呑気な口ぶりとは裏腹に、彼の目は一切笑っていない。


「平和に暮らす普通の人たちはどうなるんだ」


 そんな彼の背中を見上げる男の子は、わくわくしていた。目がキラキラしていた。

 この人はきっと、ヒーローってやつなんだ。

 それが証拠に、涼しい顔をして言うではないか。


「今からあれ、ちょっと何とかしてきますので。そこで大人しくしていて下さい」

「ちょっと何とかって。あんた!」

「大丈夫です。すぐ終わりますから」


 ユウが「ん」と、一つ気合いを込めると。

 突然、彼の髪がふわりと伸び始めた。

 背丈はいささか縮み、体格も丸みを帯びて、お尻の肉付きが増す。

 腰には綺麗なくびれが出来上がり、胸は弾けるように膨らみを増して、窮屈そうにベストを押し返す。

 顔つきも目鼻立ちのつくりはそのままに、華の少女らしい色香を醸していき。

 瞬きをする間にすっかり変貌を遂げた彼――いや彼女は、まったく泰然としていた。

 なぜなら彼女は、男女二つの身体を併せ持つ特異な存在。

 状況に応じて姿を移し替えることは、この者にとって自然なあり方であるからだ。

 一方、早回しの超常的変身を目の当たりにした父子は、もう驚きしきりだった。

 どちらも素っ頓狂な声を上げてしまう。


「女ぁ!?」

「おにいちゃんが、おねえちゃんだ!?」


 説明している暇もないので。すっかりお馴染みの反応に、ほんのり苦みの混じった微笑みを返して。

 少年から少女になったユウは、速やかに戦闘態勢へ入る。

 まずは目標へ向けて手をかざし。牽制として、魔法を一発放つ。


 風の魔弾。


 もし命中すれば、奴の巨躯さえも確実に打ちのめすだろう。それほどの大きさの不可視弾を容易く作り出して。

 疾風怒涛の勢いを付け、真っ直ぐ狙いを定めて飛ばす。

 もちろん敵も黙っているはずがない。かの人型兵器には魔法への優れた感知能がある。

 だから当然、定められた対処プロトコルに従って防ぎにかかってくるわけだが。

 想定通りの反応に、少女はほんのり不敵な笑みを浮かべる。


 ――思った通り。釣れた。


 巨人機械兵器――バラギオンの体表を完全に覆ってしまうほどの、強固なシールドが展開される。

 これにより魔法そのものは防がれてしまい、一切のダメージを与えることはない。

 だがこの大袈裟な防御方法は、戦闘慣れした者からすれば実にお粗末であった。

 愚直にも防いでいる間、機体は完全に硬直してしまうからだ。

 明らかな隙が生じたのを確認し。

 ユウは自らの魔力でもって風と反重力場を身に纏うと、空高く浮かび上がった。


「今度は飛んだぁ!?」

「おねえちゃん、かっこいい!」


 すっかりお囃子と化した親子を尻目に、彼女は二人へ被害が及ばぬよう自身を囮にしながら距離を潰していく。

 目算半ばまで詰めたところで、だがようやくシールドを解除したバラギオンの巨躯がぱっと消え失せた。

 通常の物理法則をまったく無視し、彼女の背後を取る位置へ瞬時に再出現する。

 バラギオンには瞬間移動を可とする機能が標準搭載されており、そいつを活用したのだ。

 優れた戦闘AIが、敵対象抹殺への最適解を直ちに導き出す。

 禍々しい紫色に光り輝くオーラブレードが、腕部の先端から飛び出した。

 致死性の光刃を振りかざし、バラギオンは正確無比に対象を刺突にかかる。お決まりの必殺パターン。

 だがユウに焦りはない。

 気付いていないのではない。完全に見切っていた。

 滑るように華麗な動きでもって、鋭い突きを正確にかわす。

 そればかりか、まるで煽るように姿勢の伸び切ったところ、その切っ先に少女はちょんと軽く飛び乗っていた。

 触れただけの対象でも無差別に焼き切るはずだが。靴裏にほんの薄皮一枚張られただけの、彼女の防御魔法によって完璧に防がれている。

 必要最小限にして最適な防御。持てる力の運用法、格の違いを見せつけた上で。

 彼女はあえてこれ見よがしに挑発した。


「お前っていつもそうだよね。図体ばかりでかくて、動きが単調で」


 言語を解するだけの高度な人工知能を有するバラギオンは、その言葉へ憤りを示す。

 ところが悲しいかな。

 特定の状況において、最適かつ標準的動作をするよう緻密にデザインされたそれは。

 兵器として理想的に設計されたがゆえ――経験豊富な彼女にとっては、極めて動きを読みやすい。

 適切な方法で刺激を与え、適切に挑発してやれば。ほとんど型にはまった行動を取ってしまう。

 これこそが、量産型機械兵器の持つ最大の弱点であった。

 跳ね上がるオーラブレードの勢いに乗って飛び上がったユウは、空中で再度男に変身する。

 彼女が彼に変じるのはほんの一瞬のことで、隙はまったくなかった。

 再度、暴力的な巨大ブレードが振り払われる。

 だがそれが彼を寸断するはずの地点に、もう彼はいない。

 敵を見失ったバラギオンの視界が揺れ動く。

 何をしたのか。

 彼もまた機械兵器のお株を奪うように、瞬間移動を駆使していたのだった。

 ショートワープは、彼が男のときのみ自由に使える得意技である。

 性質の異なる男女の身体を上手く使い分けることで、彼は一つ身では届かない領域で活動できるのだ。

 ユウは隙だらけの敵の懐へ飛び込み、胸部の球状パーツ、その上部外縁に触れた。


「命じられるだけのお前に罪はないけれど。終わりにしよう」


 掌を開き、静かに押し当てる。

 狙い定めた一点へ向かって、爆発的に気を送り込む。

 機体の奥まで突き刺さる内部破壊。痛烈なる一撃を浴びせる。

 そうして適切な角度で、適切な深さに強い衝撃を与えてやれば。機械というものは故障を免れない。

 とりわけ制御不能に陥れば致命的なパーツを、ユウは的確に破損させた。

 核熱線と任意切り替えで使用されるバラギオンの強力な標準武装。


 物質消滅砲。


 そいつが仇となり、自らへ牙を剥くのだ。


 ギ、ガガ、ガ……。


 途切れ音のような断末魔を発しながら、無骨な金属の巨躯がみるみるうちに消えていく。

 さすがに単なる機械には哀れみも湧かないか、ユウは冷ややかな目で最期を見守る。

 ついに全身が連鎖的に崩壊して、バラギオンは跡形もなくこの世から消え去ってしまった。

 そして、澄み切った秋の空だけが残る。

 ただ倒すだけではない。

 二度と修復や再利用されないよう綺麗に消し去った。完全な勝利だった。


 さて。傍から見れば一介の少年あるいは少女が、山のような巨大兵器を仕留めてしまったわけで。

 何やらとてつもないことをやったように見えるけれども。

 実のところ、今のユウにとっては朝飯前のことだった。

 これより待ち受けるであろう主戦に向けての序章、準備運動のようなものである。

『青の旅人』の象徴たる特有のオーラ――彼(彼女)の力の深奥は、一片たりとも見せていない。


「違法兵器の遭遇数が増えてきた。そろそろ敵の本拠地が近いか」


 不穏な独り言を発するも。その声は風に溶けて、本人以外には届かない。

 無事着地したユウは、頼み通り大人しく見守ってくれた父子に感謝しつつ、慰めを言った。


「今日のことは悪い夢とでも思って、気にしないで下さい」

「はえー。それならやっぱ、映画の撮影だったんでねえか」

「そういうことでお願いします」

「いやあ、とにかく助かった! ありがとうございます!」

「すごいや! サインちょーだい!」

「あー、えっと……」


 憧れいっぱいの視線に困ってしまったユウは、いつもらしく苦笑いするしかなかった。


「ごめんね。サインとかは、ないかな」

「えー」


 純真な子供の眼差しというのは、使い古しの兵器などよりずっと難敵に違いない。


「それでは先を急いでますので。これで」

「待った。あんた、何者なんだ?」

「通りすがりの旅人ですよ」


 ユウは穏やかに微笑むばかりだ。

 誰も死なず、美しい紅の景色は守られた。それで十分で、取り立てるほどのことでもない。

 地に生えたタロップ畑の間を縫って颯爽と去る背中に、子供の素直な歓声が刺さる。


「おにいおねえちゃーん! ありがとー!」


 まんま過ぎる形容に、ユウはずっこけた。

 何ともしまらない別れ際であった。



 ***



 惑星レイダロス。

 只人が住むには、あまりにも環境の厳しい星である。

 猛毒からなる酸の海、常に緑色に濁った雲。暗く淀んだ橙色の空。腐食した岩だらけの大地。

 辛うじて人が生きるに十分な酸素だけはあるものの、それだけだ。

 飲み水すらよその星から買い付けるか、奪うしか方法がなかった。

 それだけに、強大な宇宙のならず者たちが根城にするには適した場所であった。


 宇宙の中心には最も文明が進んだ『ダイラー星系列』と呼ばれる領域があり、随一の軍隊を有している。

 かの正規兵こそ規律が取れているが、稀に脱走兵が発生する。

 彼らは大人しく規律に従うよりも、下々の星で好き勝手略奪した方が利益は大きいと「合理的に」考える。

 崩れの兵と違法収奪兵器を中心に構成された盗賊集団に、甘い汁を吸いたい者たちも惹かれて寄って来る。


 フェバル。

 星級生命体。

 異常生命体。


 俗に『三種の超越者』と並び称される者たちが傲慢な権力者として邪知暴虐を振るい、近隣の星々は脅かされていた。

 化け物たちの気分次第で罪のない星が焼かれ、民が皆殺しにされる。

 この希望もろくにない宇宙にはまあ、残念ながらよくある話ではあった。

 先の巨大機械兵器も、彼らの気まぐれによって送り込まれた厄災である。


 だがこれ以上の狼藉は許さないと。

 ふらりと星空の向こうからやってきた旅人が一人。

 星海 ユウ。

 彼女は地道な捜査の末、ついに敵の本拠地を突き止めたのだった。


 さて。彼女はやけに不機嫌な顔で不毛な大地を歩み進めている。

 先と同じ服装をしているが、あちこち破れ、痛々しい焦げ目までもが付いていた。

 なぜかと言えば。

 父子を助けたその星で買った個人用宇宙船で乗り込んだところ、大気圏突入を目前にして敵方に撃ち落とされてしまったからだ。

 無論殴り込みをかけようというのだから、その程度でやられるものではないが。

 自分自身は守れても、船までは守れなかった。

 悲しいことに彼女には遭難の相があり、今回も(・・・)例に漏れず起きてしまったようだ。

 ユウはむすっとして、ほとんど無意識にふくれっ面だった。


 攻撃されること自体は想定内で、脱出手段もちゃんと用意してはいたのだけど。

 それにしたってだよね、と彼女は思う。

 普通、警告か脅しくらいはするだろうに。いきなりって。

 ああ、思い出したらまた腹が立ってきた。


 そんな彼女はさておき、現在の状況に話を戻そう。

 落下地点付近には、既に尖兵が配置されていた。

 死亡確認のためだろう。まだ生きていれば確実に始末するつもりのようだ。

 ユウは逃げも隠れもせず、堂々と荒地を踏み進む。


 必然として、やがて敵の一人と正面から相対した。

 見かけこそは中年の大男だが、超越者は大概気の遠くなるほどの長寿体質。

 実年齢はいかほどか、互いに知ったことではない。


「よう。小娘」

「お出迎えどうも」


 超越者あるあるの上から態度に、彼女はむすっとしたまま返す。


「こんな辺鄙な地に、遊びで来たわけないよな。どこぞの賞金稼ぎか?」

「通りすがりの旅人さ」

「旅人? ああ――フェバルか」


 少女は答えない。

 その通りだが、答えてやる義理もない。


「酔狂な小娘だな。で、一介の旅人とやらがどうしようって――」

「お前たちを終わらせに来た」


 少女は凛として。

 その瞳に宿す覚悟は海のように深く、そして冷たい。


「終わらせに来ただと?」

「うん」

「くっくっく。あっはっは!」


 男は腹を抱えて大笑いした。冗談にも過ぎる。


「馬鹿も休み休み言え。雑魚共も含めれば万を超える勢力だ。バラギオンだって数千は従えているんだぞ」

「16251人と45087の機械兵器、だよね。知ってる」


 彼女の決意は一つも揺らぐところがない。ただ為すべきことを為しに来た。

 暴虐なる罪人を前にして思うところあれど、極めて冷静に彼の表情を見て取る。

 一方、尖兵の男には驚きがあった。

 なぜ正確な数までわかるのだ。どこにも漏らしていないはずなのに。

 薄ら寒いものを覚えつつも、彼は圧倒的暴力を背景に彼女を脅し付ける。


「お前一人に何ができる。人はそれを蛮勇と言うのだ」

「普通ならそうだろうね」

「思い上がるな。まさか俺たちが元は何であるか、知らずに来たわけじゃあるまい」


 大男は下卑た笑みを浮かべる。

 崩れと言っても、元は宇宙最強の勢力に参画していた自負はあった。


「フェバルは死なぬとタカをくくっているなら、死よりも地獄を見ることになるぞ」


 フェバルは通常、肉体が死ぬだけでは死なない。

 星から星へと流れる性質があり、死してもただ次の世界へと渡るだけで何事もなく蘇ってしまう。

 ゆえにそれを逆手に取った拷問がある。あえて生殺しにして、ずっとそのままにしておくのだ。

 彼は自ら尖兵を買って出るだけあって、フェバルの中で戦闘能力にも自信があった。

 呪われた運命と引き換えに、彼がその身に宿した特殊能力は【愚者の獄】。

 効果対象こそただ一人だけと狭いが、効力は絶大だ。

 相手がどんなに強い奴であろうともたちまち思考を鈍らせ、特殊な力場に縛り付けて身動き一つできなくすることができる。

 生意気な小娘を躾けるには、まさにうってつけの力だ。

 男は目の前の少女を下卑た考えで品定めする。


 この女。実年齢はともかく、見てくれは若く瑞々しい。中々の上玉ではある。

 仲間内で回した後、力を封印して肉壺にでもしてしまうか。


 ゲスの皮算用をしつつ手をかざし、能力を発動する。

 本来であれば、それだけでカタが付いてしまうイージーゲームのはずだった。


 ところが。


 ユウが黙って軽く腕を振り払うと、まったく何も起こらなかった。

 彼女が動きを止めることもなければ、微塵も微睡んだ気配すらない。

 狼狽えた男を冷ややかな視線に捉えて、今度は彼女が動き出す。

 一歩一歩慎重に周囲を警戒しながらも、真正面から堂々たる歩みで詰め寄ってくる。

 確実にわかることは――一つも能力が効いていないということだ。


「馬鹿な」


 何かの間違いだ。

 信じられない思いで、男は再び能力を発動させる。

 もう一度。彼女がわずかに目を細めて腕を振り払うと、やはり何も起きなかった。

 肩にかかるまで伸びた黒髪を荒れた大地の猛風に靡かせながら、ユウはさらに敵へにじり寄る。

 長年積み上げてきた男の自信が、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく。


「嘘だ。そんなはずがない!」


 むきになって連発するも。見えないはずの概念的能力は、あらゆる脅威は。

 少女のいかにもか弱い腕のほんの一払いだけで、容易く弾かれてしまう。

 彼には何が起きているのかさっぱりわからず、何も視えていない。

 だがそうだとしか考えられなかった。


「あり得ない……」


 運命に選ばれたフェバルの究極にして絶対の力がすべて――あんな細腕の一振りで。

 作用点のほんのわずか手前で、「能力そのもの」がぶっ千切られている――。


「ふざけるなあーーーっ!」


 恐怖に慄いた男はやけになり、後先のことも考えられなくなっていた。

 彼の持つ最強の火魔法を、激情のままにぶっ放す。

 焦土級破壊兵器たるバラギオンが誇る熱線の、優に百倍はあろうか。

 大気も唸る熱波が。星をも砕くと謳われるフェバルの一撃が。

 地を溶かし、荒れ狂う溶岩を豪快に捲り上げながら。至近に迫る少女ただ一人を殺さんがため襲う。

 壊滅的大災害、場所が場所なら文明が滅び得るほどの破滅的脅威。

 かつてなら話は違っただろう。

 圧倒的暴力の前に、為すすべもなく敗北と苦渋を甘受しなければならない時代は確かにあった。

 だが無力に打ちひしがれたかの時代は、既に遠く過ぎ去り。

 数多の星の人々の業と希望を背負う者。

『青の旅人』にとっては、もはや何の痛痒にもならない。

「多少」力がある程度では、今の彼女には脅威足り得ない。


 自らを無敵だと思い上がる超越者ほど、一度崩れれば脆いもの。

 力にかまけただけの愚か者など、最も与しやすい類いである。

 だから。もう先は見えている。


 男の全力を尽くした攻撃を、彼女は素気無く腕の一振りで跳ね除けてしまった。

 ただ攻撃の性質を正確に見極めさえすれば、神業のごとき所業でも原理は何も変わらない。

 しかもただ跳ね返しただけでは済まさなかった。

 彼女の片腕のみによって弾かれた魔法は、計算されたかのごとく彼の仲間たちが隠れ潜む方角へ飛んでいく。

 そうして激しい爆音と閃光とを炸裂させて、彼らの内で弱き者の命を一瞬で終わらせてしまった。

 少女は凄まじい戦果を一瞥して、母が悪い子を諭すように告げる。


「やけはいけないよ。君の考えなしが、大事な味方をたくさん死なせてしまった」

「う、あ、あ……」


 あまりの惨状にわなわなと身体を震わせ、あんぐりと口を開けたまま動けない彼に向かって。

 ユウはなお躾けのように囁く。


「魔法はよく考えて撃たないと。ね」


 気付けば、彼女はもう彼の目と鼻の先にいた。

 五体を自然に脱力した状態で直立し、少女と大男の身長差から、射抜くような目でじっと彼を睨み上げている。

 いつの間にか彼女の瞳は、日本人生来の茶色から綺麗な海色に変化していた。

 ここに至って、男はさらに動揺を深めることになった。

 気付いてしまったのだ。

 目の前の彼女から、生命反応が一切感じられないことに。魔力すらほとんど検知できないことに。

 窺い知れる力の迸りは、ほとんど普通のか弱い人間と変わらないことに。

 意味のわからない存在に、男は狼狽えた。


 なぜだ。

 フェバルならば。仮にも超越者ならば!

 通常持ち合わせるはずの溢れんばかりの生命力は、魔力は一体どこへやったというのか?

 この女がフェバルでないとしたら。

 旅人の自称がはったりであるならば、なぜこうして五体無事で目の前に立っていられる!?

 なぜ我が能力も、最大最強の魔法ですらも容易く弾けてしまうのだ!?

 あり得ない。まったく理屈に合わない!


 ――こんな馬鹿げたことが、あってはならない。


 殺せ。殺すんだ。今すぐ殺さなくては!


 男は相手の正体が微塵もわからぬ恐怖に衝き動かされるまま、力任せに拳を振り上げた。

 そうすれば、どんな人間であっても一切原型は留めなかった。

 いかなる有象無象も完全に叩き潰してきた拳だ。お前ごときのパワーで防げるはずがないんだ!


 だが暴力に満ちた剛拳が、彼女へ到達するよりも先に。

 少女の洗練された拳が。磨き上げられた戦闘技術の結晶が。

 彼のみぞおちへと、容赦なく深々とめり込む。

 背中がくの字に折れ曲がり、拳形の凹みを身体に刻むほどだった。


「お、お……ぶぁっ!」


 衝撃でまともに呼吸ができなくなり、吐瀉物をまき散らして男はうずくまった。

 彼の口の中に惨めな酸味が広がる。

 混迷極まる彼が冷静さと判断力を取り戻す隙を、しかもユウは一切与えなかった。

 掌に心力を集中させる。左手は超越者殺しの青い光を放つ。

 戦闘力を誇るこの男に対しては大技でなく、二発の拳で確実に仕留める判断を彼女は瞬時に下していたのだった。

 男は死を直感し、許しを乞うが――もう遅い。


「ま――!」

「さようなら」


 怯み上がる彼にほんのわずかの間、憐れみの表情を向けて。

 それがもはや人を踏み外した者への、せめてもの慈悲である。

 ユウはとどめの拳を容赦なく撃ち込む。

 本来ならば、「終わらせる」ものへの手向けとなるもの。一切の痛みなく、心洗われる浄化の光。

 だが最も罪深き者にとっては、耐え難き地獄の痛みへと成り果てる。

 まともな声にならないほどの悲鳴を上げて。荒野に轟くほどの痛ましい絶叫を上げて。

 男は細胞の一つも残らぬほど徹底的に爆散して、そして死んだ。

 薄汚れた魂が浄化されゆくことを象徴するように、淡き青魂の光が虚空に弾けていく。

 フェバルの死が通常辿るプロセス――星脈が死体を回収し、別の星で蘇らせるようなことはもう二度と起こらない。

 決定的で残酷な永遠の死であるとしか、誰の目にも映らなかった。

 やがて、砕かれた存在の最後の一欠片が空に溶けて消える。

 一人の終わりを見届けてから、彼女は一抹の憐憫をもって視線を切った。

 浸っている暇はない。これと同じことを、あと一万人以上にしなければならないのだから。


「次は誰が来るの?」


 他の尖兵たちは皆慄き、誰一人として彼女の前へ進み出ようとはしない。

 なぜなら。美しく幻想的な立ち姿に畏れながらも、同時に目を奪われてしまったからだ。


 何だ。

 彼女の体表を流水のように包む、あの青き光の衣は。

 何一つとして由来も、不気味な強さの源もわからない。

 誰も知らない。見たことがない。

 あの目の覚めるような青いオーラは、何だ。


 各々が竦み、隠れ潜む場所へつぶさに視線を向けながら。

 ユウはよく澄み渡るソプラノの声で告げる。


「星脈もどんな運命も、もうお前たちを守らない。今このときが、お前たちの新しい命日だ」


 どす黒く汚れ切った心の集まりを眺め渡して。

『どうしようもないもの』たちへ向かって。

 青き死神は、厳かに死刑宣告を下した。


「みんなまとめてかかって来い。人の痛みも忘れてしまったお前たちに。せめて最期くらい大切なものを思い出させてあげる」


 そして。いつもの超越者殺し(汚れ仕事)が始まった。

 普通の人間にとって、超越者(彼ら)がどうしようもない脅威であるように。

 星海 ユウ。この星空で唯一の――超越者(彼ら)にとっての天敵である。

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― 新着の感想 ―
敵さん、相手が悪すぎましたね。
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