省かれた終章
……以上が“狸”と“兎”を巡る事件の顛末である。
取り急ぎ、自らの手記から物語の形に起こしてみたが、私は文士では無いので、物語を書く才能が無い。こうして、今書いたばかりの文章を読み返してみても、まだまだ修正せねばならない部分が多い様だ。巧妙に省かねばならない部分も多々、目につく。推敲には思ったよりも多くの時間を必要とするだろう。
しかし、私はこの記録をコモリオムの死刑執行人の様に、何らかの形で世に広め、後世に残さねばならない。何故なら、それは義務や使命等では無く、私が“兎”と交わした約束だからである。
私は、探求心から魔術の道に手を染めて、程無くして外道に落ちた。数多くの血塗られた儀式や、生け贄の代償に、私は数多くの知識と魔術の技を手に入れたのだ。しかし、同業者の嫉妬を買って、密告から私は峻厳な事で知られるイホウンデーの教団に捕らえられ、獄を抱く事となった。
普段の私なら、魔術の技のほんの一端を駆使するだけで、人間の獄などからは簡単に抜け出せるのだが、生憎、大きな召喚を済ませたばかりで我が身に魔力が残っておらず、他の伝の有る神に助力を乞おうともしたが、それも星の巡りが悪かったり、生け贄等の代償が獄中では得られなかった為に、断念を余儀なくされた。
イホウンデーの教団は、先のエイボンの一件で大きく面目を失ってしまった。神官達は、権威の回復と所謂、邪教徒達への見せしめとして、きっと私を時間を掛けて拷問した末に、惨たらしい手段で処刑するだろう。
進退が極まり、不快な地下牢で一人絶望を抱きつつ、恐るべき宗教裁判の開始を待つばかりの身となった私の前に、一人の女神官が現れた。その女は、自由と引き換えに私に助力を求めに来たのだ。
未知なる読者よ、もう、お分かりであろう。その通り、彼女こそが“兎”である。
何の手続きも無く牢から出され、神殿の通用口から外に出る際に、兎が獄卒に十パズールは入っているであろう、小さな包みを手渡すのを見て、これが正規の出獄では無い事はすぐに解った。そして、夜明けと同時に兎は護衛の弓兵達に、それらしく作った書類を示して私の同行を怪しまれなくしたのであった。
私は、自身の魔力の回復を待って、魔法を用いて逃げる事も、兎の一行を皆殺しにする事も出来た。しかし、私はそれをせずに兎に付き合い、最後まで狸との戦いに協力した。そう、炎の章で兎の指示通りに魔法の炎で山を焼き、船の章で(判読不能)を湖に降ろして狸を異界に葬り去った魔術師こそ、他ならぬこの私である。
未知なる読者よ、きっと諸賢は何故私が、敵対する教団の女神官に多大なる魔術の業を持って協力したのかを、疑問に思うであろう。その理由は大きく分けて三つ在る。
まずは、言うまでも無く、兎が私を恐怖の宗教裁判から解放してくれた事。確かに私は、外道に身を墮とした魔術師であるが、命を助けられた恩義くらいは返しても損は無いと考えたのだ。
二つ目は、兎の行いに興味を抱いたからだ。賄賂と偽の書類で私を牢から出し、狸を滅ぼす為とは言え、禁断の魔術を幾つも使わせた……これだけでも死は免れない大罪である。そこまでの罪を犯してまで、私の助力を乞うた理由を知りたかったのだ。まさか、かつてコモリオムを滅ぼした怪物の縁者と戦う事になるとは思わなかったが……
ところで私は今、兎が死を免れない大罪を犯した……と書いた。その通り。兎は狸を滅ぼした後、同胞であるイホウンデーの神官団に捕らえられ、狸の討伐の名目で行った、数々の違法行為の咎で死罪となったのだ。
意外にも、彼女が救った筈の村人達からも、兎が魔女だと言う告発が為された。どうやら、率先して狸に苛烈な拷問を加えたこと。そして山を焼いたり、湖に名状しがたい恐怖の存在を降ろす魔術を使った(実際に魔術を行使したのは私だが)事が、蒙昧な村人共に恐怖を抱かせた為であった。
私は湖の葦の間に隠れて、兎が同胞の神官によって捕縛される一部始終を見ていた。神殿直属の三叉槍兵によって縄目を受ける兎は、一切抗う素振りさえ見せず、落ち着いた様子で連行されて行った。彼女は全てを受け入れており、こうなる事は全部承知の上であったかの様だった。
思うに兎は、魔道に身を墮とした私や、名状しがたい存在と、忌まわしい獣人の血を引いていた狸と同様、彼女なりの狂気に取り憑かれていたのだろう。彼女が狸と戦う様は実に手慣れたもので、おそらく兎にとっては、こうした異形の輩との戦いは初めてでは無かったに違いない。
邪悪を許さず、民を救う為には手段を選ばない……長い戦いの末に、遂にその強い想いが狂気に変わったのだ。そして、村人による狸の被害の訴えを聞いた時に、彼女はその深い知識から、狸の正体を悟ったのであろう。
そして通常の手段では無く、違法な魔術でしか狸を殺せないと判断した兎は、迷うこと無く、私を違法な手段で牢から出し、苛烈な拷問に手を染め、何度も危険を冒して自らを狸への囮にしたのだ。そして、狸を滅ぼした代償に、彼女は自らの違法行為から逃れる事無く、自ら崇める神の裁きを受けたのだ。
実は、私は兎が処刑される前夜に、魔術を用いて彼女の収監されている地下牢に潜入したのだ。そして、私に自由を与えてくれた彼女を魔術で逃がそうとしたのである。
だが、彼女は私に感謝しつつも、その助力をきっぱりと断った。罪は罪であり、私は喜んで神の裁きを受ける……と言ってのけた。そして貴方には、私の代わりに何とかしてこの事件の顛末を世に広めて欲しい……と懇願して来たのだ。
曰く、神殿は魔術を用いて狸を討伐したこの件を不名誉と考えており、全てを隠蔽するつもりである。しかしまた狸の様な怪物が現れないとも限らない。だから、再びこの様な災いが起こった際に、対策が立てられる様に。あるいは、せめてこの世の片隅には危険な怪物が潜んでいる事を警告して欲しい……と頼んだのだ。それが叶うのならば、この命は惜しくない……とも言った。
……私は彼女の申し出を受け入れ、監獄を去った。その翌朝、兎は首斬り台の露と消えた……
……そして、私は当局の追っ手から逃れながら、こうしてこの文を書いている。
そのままの形で事実を公表すれば、かならず当局の目に止まり、焚書の憂き目をみるであろう。だから、寓話の形で世間に流布させる必要がある。口伝、芝居、人形劇……物語を伝播させる手段はいくらでも在る。語り部に物語の概要を幻視させるのも良いだろう。来るべき未来には、もっと効率的かつ広範囲に伝播させる事が出来る媒体が発明されるかもしれない。
そうして、物語は様々な伝達手段によって世間に広がり、彼女の戦いと恐るべき怪物の存在は、民草の潜在意識に刻印され、それはそのまま後世への警告となろう。
……そうなる事を期待したい。あるいは人づてに物語が伝わる内に、粗筋や意図する所が変容してしまうかもしれない。後世には、この物語は美しい殉教の物語として、人々に伝わるかもしれない。あるいは、単なる残酷譚か滑稽噺に成り果てるのかもしれない。
もしくは、当局が物語の意図に気がついて弾圧を加えてくるか……だが、このムー・トゥーランに居場所が無くなれば、南に落ち延び、ハイパーボリアのどこにも居場所が無くなれば、気は進まないが(本当に気が進まないが)、サイクラノーシュに、セラエノに、ヤディス……私はどこまでも逃げ延びて、兎との約束を出来るだけ遂行するつもりだ。
未知なる読者よ。諸賢は私がとうに自由を得ているのに、何故に死んだ兎に義理立てをしているのかを疑問に思っているであろう。それこそが、先に述べた理由の三つ目に寄るものである。
三つ目の理由は………………いや、流石に自分で書くのは躊躇われる。強いて言うなれば、おそらく、あの狸が兎に抱いていたであろう感情に源を同じくしている……と思われる。
狸には可能だったのである。最初に出会った夜道で、兎を一息に喰い殺す事も。魔法の炎から漸く逃れて山から出てきた時に、捕縛を受けずに村人ごと兎を殺す事も。拷問台から逃れて兎を同じ目に逢わせる事も。そして、兎の最後の挑戦を拒否して欲望のままに彼女を蹂躙することも……それをしなかったのは、やはり……いや、よそう。本題から外れてしまっている。
ともあれ、未知なる読者よ! この物語を記憶せよ! しかる後、用心するのだ!
いつかはハイパーボリアも滅び、また違う種族が、この惑星の地上を支配するのかもしれない。もし、それでも、この物語が記憶され、受け継がれているのならば、同時にこの世のどこかにヴーアミの不浄の血と、“何か”の血が残されているのかもしれないのだ。
その血は何時の日か、またも陽の下に現れ、かつてのコモリオムや、あの小さな村で起きた惨劇が、より陰惨な形で再現されてしまうのかも知れないのだから……